行って弟子としなさい

聖書本文;マタイの福音書28章16節~20節 メッセージ題目;行って弟子としなさい  本日は、ひとりの姉妹にとって、うちの教会で、教会員としておささげになる、最後の主日礼拝です。今週土曜日に結婚式を挙げられ、東京の教会に牧師夫人として嫁いでいかれます。なんとも感慨深いことです。この結婚式のために、みなさまにはもう少し汗をかいていただくことになりますが、ともに、最高の式を御前にささげてまいりたいと思います。主の恵みのお導きの中、頑張ってまいりましょう。  今日の礼拝はそういうわけで、姉妹を派遣する時間という意味も込められています。折しも、マタイの福音書を連続で読んできて、ちょうど、最後の箇所、28章16節から20節となりました。これほど、派遣にふさわしいみことばはあるだろうか、そう考えて、今日のメッセージを準備いたしました。この箇所からは、以前もいくつかのアプローチから語らせていただきましたが、今日はまた、ほかのアプローチからお語りしたいと思います。それはずばり、「派遣」です。  忘れもしません。いまから17年前、2008年8月16日、くしくも、韓国が日本から独立したことをお祝いする8月15日、「独立記念日」の翌日に定めた結婚式、それは「独立」ですとか、「新たな憎しみと対立の始まり」ですとか、そういうものを越えた「明日」から、この日本人と韓国人の夫婦で新たな日韓関係を築いていこう、という意味を、その日付に込めての挙式だったと私はひとり考えていますが、ともかく、この挙式した場所は、韓国でした。  日本の教会で働く日本人の私が韓国で挙式したことは、妻にとっては、イギリスへの神学留学から帰ってきて、しばし親元にとどまり、教会に育んでいただくと同時に奉仕させていただいた、その教会から宣教師として日本に派遣していただくことを意味していました。実際、この式の翌日には、主日礼拝を控えていて、その午後の礼拝の時間をまるまる使って、宣教師派遣式を執り行なっていただきました。そして翌日からは、日本に行き、私がそれまでひとりで(さみしく)暮らしていた、東京は千住大橋のマンションで、一緒の生活が始まったというわけでした。  そんな経験のある私ども夫婦だったので、このたび姉妹の方から、水戸第一聖書バプテスト教会の礼拝堂で挙式します、というお話をいただいたとき、これは派遣する大事な時間になるから、しっかり取り組もう、と心に決め、ここまでまいりました。折しも学ぶことになったマタイ28章16節から20節のみことばをもとに、私たちのことをこの世界に、働きの場所に派遣してくださる主のみこころを、ともに受け取り、用いられてまいりたいと願います。  まず、16節を見ましょう。弟子たちはガリラヤに行き、イエスさまが「この山に登りなさい」と指示しておられた山に登りました。ここで、11人の弟子たちと書かれていますが、イエスさまがこのように、ガリラヤに来なさい、とおっしゃったのは、復活されたご自身に弟子たちが会うことができるように、もっといえば、それで力に満たされ、喜びに満たされ、生きる希望に満たされるように、という、イエスさまのみこころがあったからでした。復活のイエスさまに会うことで、イエスさまがよりにもよって十字架で呪い殺されてしまったことに絶望しきっていた弟子たちは、どれほど喜び、また、これまでのどのときよりも、やる気に満たされることでしょうか。  十字架を前にする体験をした者は、復活もまた体験する必要があります。イエスさまは十字架で敗北されたのではなく、勝利されたと言うべきなのは、復活されたからです。わたしに従ってきた弟子たちよ、わたしの復活を見なさい、わたしの復活にあずかりなさい、こうして、わたしの復活を世界に宣べ伝えなさい……。  さて、11人の弟子とありますので、11人が招集されてここにいるのはたしかなのですが、「11人に限定して集められた」とは書かれていません。3週間前、アリマタヤのヨセフのときにもお話ししましたが、イエスさまの弟子というのは、十二弟子にかぎりませんでした。  そのときもお話ししたとおり、70人の選抜メンバーがいた、ということは、それよりもさらに多くのメンバーがいたことになります。アリマタヤのヨセフもそのひとりだったというわけです。そういうわけで、このガリラヤの山に集まった者たちは、十二弟子以外の弟子もまたともにいた可能性があります。  これはあながち根拠のない話ではありません。というのも、コリント人への手紙第一15章4節から6節に、このようなみことばがあるからです。……このみことばを見てみますと、イエスさまが十二弟子に現れたあとで、500人以上の弟子たちが同席するところにも復活のみからだをもって、おいでになったことがわかります。  四福音書の復活の箇所を突き合わせてみると、十一弟子がこのたびガリラヤの山に登ったとき、それが彼らにとって、復活のイエスさまに初めてお会いしたときではなかったようです。つまり、ヨハネの福音書に書かれているような、イエスさまの復活を十一弟子が目撃した、それよりあとのことと言えるわけです。それをこの第一コリント15章のみことばと合わせて考えると、このガリラヤの山の上での再会には、「500人以上の兄弟たち」が同席していたと考えられます。つまりそれは、12人や70人が選抜される元となる、イエスさまのもともとの弟子たちと考えられるわけです。  そう考えると、17節のみことば、疑う者たちもいた、ということばは、つじつまが合うことになります。イエスさまの復活を目撃していた十一弟子が疑ったとは考えられません。しかし、500人弟子レベルの弟子だったら、どうでしょうか。イエスさまは彼らに対しては、十一弟子のようには、近しく現れてくださいませんでした。だから、彼らの中には、今こうして、みんなして礼拝しているこの人は、ほんとうにイエスさまなのかな、などと考えてしまう人がいてもおかしくありません。  しかし、彼らはイエスさまの弟子だったならば、顔を間違えるはずなどあるだろうか、と思いますでしょうか。あのイエスさまがここにいるなら、それで、復活したことがわかるじゃないか、と。ところが、福音書を読み合わせてみると、復活されたイエスさまが、どうも、十字架におかかりになる前の、みんなが見慣れたお顔とちがっているのではないか、ということが見て取れます。  実際、マグダラのマリアなど、あんなに慕わしいイエスさまを前にしても、その人を園の管理人だと勘違いしてしまったというくらいです。エマオに向かう弟子たちも、そばを行かれる方がイエスさまだとわかりませんでした。これは、イザヤ書53章の預言によれば、風采の上がらないお姿であったかもしれないイエスさまが、復活の栄光の御姿をもって現れて、あまりにもちがっていた、という可能性があります。  ともかく、疑った弟子がいたことは事実です。そうだとすると、イエスさまを礼拝する弟子たちの輪の中にいながらも、そんな人たちは心の中では、こうしてこの人に対して礼拝することは所詮人を礼拝することだから、偶像礼拝だ、神さまのみこころに反したことをしている、などと思ってしかるべきだったことになります。そんな人がこの群れの中にいたことになります。だとすると、その一部の人は復活のイエスさまを前にしてなお、イエスさまを神の子として認めず、イエスさまの受けるべき礼拝もふさわしくささげられていなかったというわけです。これでは、第二のパリサイ人の誕生です。いや、復活を信じていないという点では、第二のサドカイ人というべきか。イエスさまを前にして、神の子と認めることができていないわけですから。  イエスさまがもし、ちがったお姿でその場にいらしていたとするならば、このお方を復活のイエスさまと信じる理由は、「目で見たから」ではありません。当たり前です、目で見えるこの人はイエスさまに見えないんですから。信じることができるのは、「のちに復活されるというみことばを信じたから」、これだけです。だから、そういう点では、復活のイエスさまと実際に同じ空間を共有していた弟子たちも、イエスさまの復活はみことばを読んで信じるしかない、21世紀の日本に生きる私たちも、条件はまったく同じである、と言えるのです。  しかし、イエスさまの復活をみことばによって信じ受け入れている人は、素直にイエスさまを礼拝する恵みにあずかります。このお方をそれこそ18節のとおりに、すべての主と受け入れます。そこから、キリスト者として、神のしもべとして、イエスさまの弟子として、すべての歩みが始まるのです。  復活のイエスさまは、世の終わりまで、「あなたがた」とともにいる、と約束してくださいました。あなたがたとは、イエスさまの弟子たち、そして、その弟子たちの働きから歴史を通じて生み出される、すべての教会と、そのひと枝ひと枝であるクリスチャンたちです。当然ここには、私たちが含まれます。私たちが、ここでイエスさまが約束してくださっているように、世の終わりまで、いつも、イエスさまがともにいてくださる祝福をいただきつづけるのです。  それでは、このイエスさまの祝福の約束にふさわしい者たちは、何を命じられているのでしょうか。主のご命令に従順にもならないで、ただ祝福だけもらって気持ちよくなろうとするのは、あまりにも虫の好い話というべきでしょう。イエスさまは私たちに、神の子どもとなる特権という、最高の祝福をくださるために、十字架にかかって死んでくださり、そして、復活してくださいました。このお方のために私たちは、何かをせずにいられない、となるのが当然ではないでしょうか?   しかし、自分勝手に、これをすれば喜んでもらえるだろう、とやみくもにふるまえばいいのではありません。主を喜ばせたいと願うならば、それにふさわしい、取り組むべきことがあります。それはほかでもない、みことばに書かれている、主のご命令にお従いすることです。主のご命令どおりに具体的に実践することです。  それが、19節と20節に書かれていることです。行って、人々をキリストの弟子としなさい。父、御子、御霊の名において彼らにバプテスマを授けることによって、すなわち、キリストとともに死に、キリストとともに生きることを体感させるバプテスマを授けて、名実ともにキリストとそのみからだなる教会の献身者、言い換えれば、キリストの弟子とするのです。私たちバプテスト教会はこの点に強いこだわりを持っていて、だからこそバプテスマはキリストの死と復活にあずかる者とされているという意味で、水に沈めて引き上げる浸礼にかぎる、という立場を貫徹しています。  また、バプテスマを授けさえすれば、その授けられた人が自動的に一生、主の弟子として献身しつづける生き方ができるようになるわけではありません。バプテスマを授ける主の弟子なる教会とその働き人たちは、そのバプテスマを授けたたましいが、キリストの弟子として一生歩みつづけることができるように、イエスさまが守り行えと命じられたすべての教え、そう、旧新約聖書に過不足なく記録されたすべての教えを、守り行うように教えるのです。  もっとも、ひと口に教えるといっても、それは教会が立てられた地域の地域性や民族性、時代性、歴史、文化によってさまざまな形を取る可能性があります。ゆえに、手法もいろいろです。私はかつてこの教会で、アメリカの韓国人教会発祥で、日本でもいくつかの教会で成功例を見ている「家の教会」という牧会の方法を採り入れることを検討したことがありましたし、また、保守バプテスト同盟のかなり多くの教会が、C-BTEという、信徒が神学的に考えることで教会形成の主体となるように訓練するプログラムを採り入れています。これももとはといえばアメリカで開発されたプログラムです。現在、うちの教会の週報に毎週連載している「バプテスト教理問答書」も、カテキズムという、17世紀のイギリス以来の、プロテスタント教会の伝統的な信仰教育の方法を踏襲しています。  私自身はといえば、1999年に神学校の最終学年にいたとき、サラン教会という教会で有給の神学生をしながら、主任牧師の玉漢欽牧師のもとにいて、その牧会チームの実践した「弟子訓練」というものを信徒に交じって体験し、同時に、弟子訓練を日本の諸教会に普及させる働きのお手伝いをしていました。この、サラン教会の実践していた弟子訓練は、教会というものの本質に忠実であろうとした極めて壮大な取り組みであり、韓国のみならず、日本も含めた、世界の多くの教会に影響を与えました。  しかし、それから四半世紀以上が経過して私自身が感じることは、弟子訓練という「教え方」以上にもっと大事なものは、「教える人」自身がほんとうに主の弟子になり切れているかどうか、ということであるということです。そしてさらに気づかされたことは、主の弟子は、プログラムさえよかったらそれでひとりでに生み出されない、ということです。これは、サラン教会発祥の弟子訓練にかぎらず、家の教会にも、C-BTEにも、カテキズムにも、同じことが言えると思います。  それは、テモテへの手紙第一4章6節に書かれているとおりです。このみことばは、この働きをしなければ、下手をするとあなたは救われません、という意味ではありません。もともとテモテは救われています。救われているからこそ、主の働きをすることができる、当たり前です。  しかし、この働きを続けることで、テモテのことを救ってくださった主のその救いを完成する歩みをする、だからこの働きを続けなさい、ということもまた真実です。それは、人々を救いに導き、救いにふさわしい生活のうちにとどまらせる、という、それこそ牧会と教会形成の歩み、言い換えれば、人をキリストの弟子とする歩みです。  「イエスさまの十字架をひとたび信じさえすれば救われるんだから、何をしても許される!」とうそぶき、自堕落な生活をしているならば、そういう人の語るみことばなど、中身のないむなしいものにしかなりません。そりゃ、ヘブル人への手紙13章5節のみことばに照らせば、救いを失うということはないのでしょうが、救われた喜びにふさわしい生き方から程遠い歩みをしているなら、そういう人に救いの喜びなどあり得るでしょうか。そんな歩みを、神さまは喜んでおられるでしょうか。  だから、まず自分自身を主の弟子として訓練する歩みをしようとしないで、自分こそが主の弟子の模範であるかのように振る舞うなら、それはごまかし、ハッタリでしかありません。自分自身を主の弟子として訓練もしないで、人様のことを訓練してみたところで、ほんとうの意味で弟子訓練の教会形成ができるはずもありません。その後、弟子訓練による教会形成というコンセプトの普及が、驚くほど衰退したのは、まさにここに理由があったからだと考えます。  私は弟子訓練による教会形成の召命をいただいて26年になりますが、その間、私自身も何度となく主の訓練に入れられ、弟子訓練が主の召命ならそれに従順になりたいものの、その導き手としてまだまだふさわしくない自分自身の姿を何度となく思わされ、そのたびに主のあわれみにすがりつつ、ここまでまいりました。この、自分自身の体験から心から申しあげたいのは、「まず私たちが主の弟子になりましょう、そうすれば、主が私たちのことを、人様を主の弟子にする働きにお用いになる道が開かれます」ということです。  私はかつて、弟子訓練を標榜する教会プログラムに、私なんかよりよほど一生懸命に取り組んでいた人たちが、もはやその頃の信仰告白など見る影もない歩みを今やしているのをいろいろ見聞きしていて、それを考えるにつけ、弟子訓練は人生の一時期に集中して取り組みさえすればそれで充分なんて、そんなものじゃないなあ、としみじみ思います。そう、人はみことばという鏡で自分の姿を見て、こんな自分じゃいけないと悔い改めるのはいいものの、みことばを離れたら、いとも簡単に、そんな自分であることを忘れてしまうものです。  だから、みことばは毎日お読みし、毎日行いつづける必要があるのです。みことばにかなわない悪い習慣が確実に自分の生活の中に陣取っていると知ったならば、悔い改めて、聖霊さまの助けによって、主のあわれみにすがってそこから離れ、もっとみこころにかなった歩みをすることに時間とお金を使うように、生活の優先順位を変えていただくべく祈って、取り組む必要があります。  ディボーションというものはだから必要なので、それに取り組むことでなにやらたましいがきれいになり、ほかのクリスチャンよりも霊的ステージが上がって、より主の弟子らしくなり、神さまに認められるようになるとかなんとか考えるならば、それはディボーションというものを根本的に勘違いしていることになります。みことばに教えられても、そのおしえを具体的に生活の中で実践しないディボーションなど、ディボーションと呼んではいけません。  さて、このように、自分も弟子となり、それゆえに人様を主の弟子にしていくためには、言うまでもなく、このみことばが語るとおり、「行く」必要があります。ここに立派な礼拝堂が立っているから、道行く人はいずれ、悩みがあったら立ち寄るだろう、なんて料簡では、いつまでたっても主の弟子は生まれません。そもそもその態度でいつづけることは、主への不従順です。行かなくてはならないのです。  ここに、結婚という人生屈指の決断を通じて、それも牧師夫人という大事な働きに献身するために、東京という、ここ茨城町とは比べ物にならないほど多くの人が密集している都会に、行く、姉妹がいらっしゃいます。  私も36年になるクリスチャン生活をとおして、日本や韓国を中心に数えきれないほどのクリスチャンに出会ってきましたが、バプテスマをお受けになって2年とひと月ほどの、これほどの短い間に、ここまでの決断に導かれた方をほかに知りません。しかも、そういう方が、この水戸第一聖書バプテスト教会から派遣されようとは、この派遣に教会のみなさまとともに立ち会わせていただこうとは、何という恵みだろう、と思います。  これから姉妹は、東京に行かれますので、来週の主日からは東京の教会で礼拝に出席されるようになります。水戸第一聖書バプテスト教会の教会員として、ここ茨城町長岡の礼拝堂でともに主日礼拝をささげることも、主日のお交わりのときを持つことも、今日までです。それはさびしいと思うべきでしょうか。もちろん、さびしいと思う私たちの気持ちまで否定することはありません。しかし、ここから、姉妹を花の大都会、東京で素晴らしい宣教の働き、教会形成の働き、すなわち、キリストの弟子を見出し、訓練する働きに遣わすことができるのですから、私たちは涙をこらえて、心から喜びましょう。派遣されるのは主です。私たちはそのみこころに従順になるのみです。主に栄光がありますように。  そして、私たちにも、東京ほど遠くはないにしても、主がお遣わしになっている、生活の現場があることを覚えましょう。そこで用いていただくことを祈り求めましょう。そしてふと、姉妹のことを思い出すことがあったら、負けずに弟子づくりの働きに用いられるものとなるように祈りましょう。  私たちも、人々をキリストの弟子とする働きに、そして、キリストの弟子として歩ませつづける働きに、派遣されています。だから私たちは、そういう立場であることを絶えず確かめ合いましょう。そして、その歩みをするために、日々お祈りし、みことばをいただいて、御霊なる神さまの助けをいただきましょう。

救霊の敵、それは不信仰

聖書箇所:マタイの福音書28章11節~15節 メッセージ題目:救霊の敵、それは不信仰  以前、このメッセージの時間にお話しした、吉永小百合さんと大泉洋さんのダブル主演の映画「こんにちは、母さん」。東京スカイツリーの近くにある「墨田聖書教会」という教会、東京の下町にあるカマボコ兵舎をリノベーションした面白い礼拝堂がメインの舞台として登場するあたり、時代設定が令和でも作品に漂う雰囲気がかなり懐かしいという、不思議な作品なのですが、それもそのはず、監督があの、山田洋次さんです。  山田洋次さんの代表作といえばなんといっても「男はつらいよ」です。あの主人公、寅さんはやたら名言の多いキャラクターですが、その中でも代表的な名言といえば、私はこれだとおもいます。「それを言っちゃあおしめえよ。」旅からふらりと、おいちゃんの団子屋に顔を出して、しばらく居座ったと思ったら、寅さんのことだからまたまた不始末をしでかす。怒ったおいちゃんが、寅さんの育ちのことをあげてなじる。すると、それを聞いて心底傷ついた寅さんが言う。「それを言っちゃあおしめえよ。」そして、また旅に出てしまう。  聖書は、人間的な常識では、理解しようにもできない記述に満ちています。箴言のような、人類に普遍的な道徳律を説くみことばはともかく、創世記1章1節からして、もう、無神論、進化論という、この世界の常識と正面衝突します。しかし、そういう箇所をあげて、「聖書に書いてあることなんて、ありゃ、嘘だよ……」なんて言っては、「それを言っちゃあおしめえよ」です。永遠のいのちを探求する歩みを、そんなことで「おしめえ」にしないでいただきたいのです。  イエスさまの復活、このみことばを、イエスさまの十字架の記述とともに、真実と受け入れることができたならば、その人は救っていただけます。永遠のいのちをいただけます。事はたましいの救いという重大なことなのです。私たちは、みことばを疑わずに信じ受け入れる信仰を保たせていただけるならば、実に幸いなことです。  さて、その、イエスさまの復活の記述。先週学びましたみことばで、イエスさまのお墓へと墓参りに来ていた女性たちが、復活のイエスさまに出会うという恵みを体験したできごとから学びました。実は、このお墓は、番兵が警固していました。  なぜ、番兵がここにいたのか? というと、そう、マタイの福音書27章62節から66節に、その事情が語られています。……まず、62節。祭司長とパリサイ人がピラトに陳情に行きました。そう、ぐるになってイエスさまを十字架に葬り去った、ユダヤの宗教社会を牛耳る存在です。その日は備え日の翌日とあります。これは、安息日である土曜日のことです。本来ならこの日には、宗教指導者が会合を持つことはしません。しかし、この日にかぎっては、彼らは集まりました。当然、この会合は彼らにとっては「仕事」に類するものでしょう。あれほど、安息日を犯してはならないと語っておいて、自分たちは肝心なときには仕事をするのか、と突っ込みのひとつも入れたくなりますが、ともかく彼らはともに集まり、63節、64節のとおりに陳情しました。  彼ら宗教指導者たちは恐れていました。何を恐れたのでしょうか。それは、イエスさまがおっしゃった「わたしは三日後によみがえる」というおことばがかなったように、お墓が開いてイエスさまのご遺体がなくなることです。それによって、イエスさまの弟子たちが、イエスさまのおことばどおりのことが起きたぞと言いふらして、今度こそユダヤの民心を宗教指導者たちから離れさせ、宗教指導者たちの既得権がすっかりなくなってしまうことになりかねません。   ピラトは、宗教指導者たちの言うことを聞き入れ、番兵に墓を守らせる許可を出しました。これは、新改訳聖書ではローマの番兵、聖書協会共同訳ではユダヤの番兵のように読めますが、どちらにせよ、ピラトのローマ総督としての権威によって派兵し、墓を封印し、警固させたことは確かです。  ピラトがイエスさまを十字架につけた理由は、ユダヤ人の機嫌を取るためであったことは、みことばの語るとおりですが、このときもまた、ユダヤ人の機嫌を取ることで、事を収めようとした様子がうかがえます。  また、ピラトにとっては、別の意味での保身の表れともいえるでしょう。カエサルのほかにいなかったはずの王が実は生きていた、これこそがユダヤ人の王だ、と、いよいよ民衆が信じるようなことにでもなったら、こんどこそピラトの首が危なくなります。ピラトとしてはなんとしてでも、そんな事態が起きてはなりません。3日間でいい、墓さえしっかり守り切れれば、このピンチはしのげる、ピラトにはそんな計算もあったわけです。  しかし、結果はどうなったでしょう。大きな地震が起こって、封印もろともお墓は開いてしまいました。中にはイエスさまはおられませんでした。その代わり、稲妻のように輝く顔で、雪のように白い衣をまとった御使いが現れました。あまりの光景に、番兵たちは恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになりました。気絶したということでしょう。百戦錬磨の屈強な番兵を倒すほどの、栄光に輝く主の臨在です。  しかし、気絶したとはいえ、イエスさまのご遺体が納められていたはずのお墓がたいへんなことになったことは、番兵自身がよくわかっていました。これはちゃんと報告しなければならないことです。しかし彼らは、ピラトのところではなく、祭司長ら、宗教指導者たちのところに行きました。  もし、のこのことピラトのところに行って報告でもしようものなら、彼らはその責任を問われるに決まっています。下手をすると死刑です。そんな彼らは宗教指導者のところに行きました。元はといえば宗教指導者たちが、常識的に考えてもあり得ないようなこと、イエスが3日目に墓から出ていくかもしれない、などと騒ぎ立てなければ、同じくあり得ないようなこと、墓を3日間も大真面目に警固する、なんてことをしなくて済んだわけです。それで夜を徹して墓を警固したら、地震が起こって墓が開くわ、自分たちは気絶してしまうわ、おかげでイエスさまのご遺体がなくなったことの責任を問われることになるわ……踏んだり蹴ったりとはこのことです。どうしてくれるのですか、と、そのように仕向けた者たちに直訴することにもなるわけです。  また一方で、番兵たちは、輝く御使いという、世にも不思議な存在を見ています。宗教指導者たちはこういうことの専門家でもありますから、彼らにこの事実を知ってもらい、それがイエスさまのみことば、ご自身が三日目によみがえるというみことばの成就であるかどうかということ、ゆえに、彼らがこれまでの考えを変えて、イエスさまこそは、聖書に預言された救い主、王の王ではないだろうか、ということを考えさせる材料を提供する、という意味もありました。  番兵のこのことばに、祭司長たちは民の長老たちとともに集まり、協議しました。その結果、彼らがしたことは、多額の金を用意し、それで番兵たちを買収することでした。番兵たちにはこう言い含めました。13節です。  しかし、もしこの指導者たちが言うようにピラトに伝わったら、番兵を出してやったピラトの面目は丸つぶれです。今度こそ番兵は責任を取らされることにもなりかねません。そんな番兵たちに、祭司長たちは、心配するな、私たちがピラトをうまく説得してやる、と言います。  ピラトが、ユダヤの民心を買おうとイエスさまを十字架につけたことはすでにお話ししたとおりですが、それに飽き足らなかったユダヤの指導者たちは、番兵を出せ、さもなくばもっとユダヤは混乱するぞ、と、ピラトをコントロールしたわけでした。そんな彼らには、この空(から)の墓の件に関してもピラトを手玉に取ることなどできるはずだ、という計算があったものと思われます。  彼らの思惑は当たりました。この謀議の結果、ユダヤ人の間には、イエスさまのご遺体を弟子たちがやって来て盗み、それを、イエスさまがみことばどおりに復活したと言いふらしているだけだ、という噂が、広く伝わることになったのでした。そしてこの噂の存在は、いかにもありそうな話だ、というわけで、初代教会の福音宣教に対する大きな妨げとなったであろうと考えられます。  ここで、問題にしなければならないことは何でしょうか。それは、これほどまでの証拠、証言を前にしてもなお、イエスさまの復活を頑として認めず、そればかりか、嘘の話を拡散して、人々にイエスさまの復活を信じないようにさせた、宗教指導者たちの頑ななまでの不信仰です。  このたくらみをした者たちは祭司長たちが中心だったようですが、イエスさまへの不信仰ということにおいては祭司長たちに引けを取らない、パリサイ人に対し、イエスさまはこんなことをおっしゃっています。マタイの福音書23章13節。彼らは、イエスさまの復活を聞き及び、それがイエスさまのおっしゃっていたとおりのことだったことを認めざるをえなかったのに、それをかたくなに拒否し、しかもそればかりか、人々に嘘を吹き込みました。こうなると人々は、無学な十二弟子と宗教指導者たちのどちらの言うことを信じるのか、という選択を迫られることになり、そうなると、高い地位を得ている宗教指導者は極めて有利でしょう。しかしその結果、人々は金輪際、復活のイエスさまに出会えないことになってしまいます。  みことばを教える立場の人は、なぜ責任が重大なのでしょうか。それは、決して大げさな話ではなくて、その人が教えるみことばの教えいかんによって、それを聞いた人のいのちが左右されるからです。ヤコブの手紙3章の戒めは、それゆえに重大な意味を持ちます。  聖徒はみことばの教師をそうと信頼して教えを受けるわけですが、その際、眉にたっぷりつばをつけて聴くような態度は基本的に取りません。そんなことは神さまに喜ばれないとわかっていますし、だいいち、失礼です。だから、みことばに素直に耳を傾けます。しかしその分、信徒は教師の語ることばに、その霊的状況が大きく左右されることになってしまいます。けっして眉に唾をつけるとかではなく、普段からきちんと聖書を学ぶ癖をつけて、聖書的ではないメッセージを聞き分ける訓練ができている人ならいいのですが、みんながみんなそういう人というわけにはなかなかいきません。詐欺師的な教師は、そこに目をつけて、信徒が素直で熱心なわりに自主的に聖書を学ぼうとしないのをいいことに、でたらめなことを教えます。  その結果、特に教師が並外れたカリスマ性を持つような人だったりしたら、信徒はぞろぞろとついてくるかもしれません。しかし、その語ることばがイエスさまの福音を指し示していなかったならば、信徒たちはもちろん、そういう間違った導きをした、教師もまたさばかれることになります。  そのように、さばかれるに値する導きを教師がしてしまうのは、教師自身の中に、みことばの啓示する福音を正しく受け入れようとする心がなく、自分の聖書解釈に固執する、頑なさがあるからです。頑なな人はどうしようもありません。いかに正しい聖書解釈を聞かされても、正しいのはあくまで自分の聖書解釈だと信じ込み、そのとおりに振る舞うのですから、どうしようもありません。そしてこういう人は迷惑なことに、人のこともこの教えに染めていくわけです。これは、福音宣教の強敵です。  このような、ゆがんだ聖書解釈に固執するならば、それこそマタイ23章13節のように、この聖書解釈を聞かせた人もろとも救いから漏れてしまうわけですが、そういう意味でも、よく「異端」と言われているものが実に罪深いわけです。「異端」にもそれなりの超常現象が伴うこともありえると私は思いますが、だからといってそれがイエスさまのみわざかといえば、それはそうとはかぎらない、というべきでしょう。ヨハネの手紙第一4章に書かれているとおりです。彼らは、どうだ、ここに神の臨在があるぞ、とばかりに、論より証拠で迫りますが、みことばにふさわしい「論」のない「証拠」など、どんなことがあっても信じ受け入れてはなりません。自分が救いを失いかねませんし、もっといえば、私たちがもし仮にそうなってしまったら、そんな私たちに影響を受けた人たちのことも、もろとも滅びに追いやることになるからです。  さて、イエスさまの復活が事実だと都合が悪い、というのは、この箇所に限っていえば、ユダヤの宗教社会の既得権益を握っていた層でしたが、およそ私たちクリスチャンが戦うべき相手は、イエスさまの復活が事実だと都合が悪いと考える存在です。それは一見すると、この祭司長たちのような目に見える勢力と思えますが、そのようにとらえるならば、それは氷山の一角です。  エペソ人への手紙6章12節にあるとおりです。そう、私たちの戦う相手はサタンであり、その手下である悪霊どもです。彼らにとって、イエスさまが復活されたという事実ほど、都合の悪いものはありません。なぜならばイエスさまの復活によって、自分たちが永遠に敗北した、永遠に滅ぼされたことが確定したからです。以来、サタンどもは2000年にわたって、いかにしたらイエスさまが復活したことを人々に気づかせないようにできるだろうか、人々に認めさせないようにできるだろうか、あらゆる策略を弄してきました。  そう考えると、イエスさまの復活を否定する異端ですとか、自由主義神学ですとか、無神論に根差したこの世の常識ですとか、そういったものは、それを信じ受け入れさせることによって、人々をイエスさまの復活のいのちにあずからせなくし、一人でも多く、自分と永遠の滅びをともにさせようとするサタンの策略であることが見えてきます。むろん、彼らに愛がないとは言いません。思いやりがないとは言いません。彼らにだっていい人はいっぱいいます。しかし、もっとも大事な、イエスさまの復活に対する信仰を持つことができないほどに、彼らは頑なにさせられているのです。  ここに私たちは、神さまの恵みを求める信仰を持つべきであることが教えられます。あのパウロを見てみましょう。初代教会を破壊して回ったパウロが救われ、使徒となるなど、ステパノの石打ちの現場にいた人たちは、いったい想像できたでしょうか。まったく、神さまの恵みではないですか。  私たちは周りの人たちを見て、たやすく諦めてはいませんか。こんな人が救われるなんてありえない、とか。しかし、そんな思いになるなら、まず私たち自身が、復活のイエスさまをはっきり見ているか、目が閉ざされていないか、目が閉ざされた自分のことをなんやかんや言って正当化していないか、振り返ってみましょう。そして、祈りのうちに、イエスさまの復活の力に満たしていただきましょう。  およそ、私たちの生活というものは、復活のイエスさまのいのちが生きることです。ガラテヤ人への手紙2章20節にあるとおりです。そこから、人々を、復活のいのち、永遠のいのちへと生かすのです。この魅力ある生き方は、イエスさまの復活という事実が突きつけられてもなお頑なに認めず、そればかりか、その事実を嘘のニュースを拡散することで否定し、人々を救わせないようにした宗教指導者の生き方の対極にあるものです。  最後に、ヨハネの福音書9章39節の、イエスさまのみことばをお読みします。私たちがイエスさまの復活を信じ受け入れる、見えるものとしていただき、さばきから免れさせていただいていることに感謝するとともに、人々が復活のイエスさまを見ることができるように、主の恵みを祈り求めましょう。

十字架の体験は人を変える

聖書箇所;マタイの福音書27章57節~60節 メッセージ題目;十字架の体験は人を変える  前にも申し上げたことの繰り返しになりますが、初めてお聞きになる方もおられるので、まあ、おつきあいください。私の高校時代、倫理の授業の先生は、奥村晃作先生という、歌人としても名を成した方でした。短歌を作る人です。ご本人の話によれば、先生はあの「サラダ記念日」の俵万智さんを見出したらしいです。そのことを先生が授業で自慢しておられたとき、ほんとかな、なんて失礼なことを思ったりしましたが、そんな方が哲学や宗教のことをお話しになるのですから、授業は面白くないわけがありませんでした。  ある日の授業のことです。奥村先生はイエスさまの話をしていました。イエスはね、十字架にかかって死んだんだよ。で、墓に入って、生き返ったんだよ。先生がそうおっしゃったとたん、男子校のことですから、男子ばかりのクラスはどっと笑いに包まれました。私はその少し前に、病気をして入院していたとき、神さまの恵みを感じて大きく変えられる、という体験をしていただけに、まことに居心地の悪いものを感じました。  それからひと月ほどしたときでしょうか、やはり倫理の授業で、奥村先生はおっしゃいました。哲学の命題の話だったと思います。「人間はだれもが死ぬ。これはたしかだよね。」すると、外池(とのいけ)君という友達が、すかさず質問しました。「じゃあ、イエス・キリストは?」外池君の質問に、またもやクラスは沸きました。先生は顔を引きつらせながら、おっしゃいました。「うーん、そうだな……。まあ、僕はクリスチャンじゃないけど、でも、聖書に書いてあることは、ほんとうだと思っているよ。」私の通った高校は芝高校といい、もともとが浄土宗のお坊さんの養成学校という、バリバリの仏教の学校で、私はそんな環境でつねにアウェーの思いをしていただけに、奥村先生のあのときのことばは、神さまがそんな私にひとときくださった恵みのようだったと、今にして思います。  そう、クリスチャンではない倫理の先生もおっしゃるとおり、聖書はほんとうのことを書いていて、その聖書に、イエスさまが墓からよみがえられたことが書いてある以上、イエスさまのご復活は、ほんとうのことです。ある関西のミッションスクールの卒業生に聞いた話ですが、聖書の授業で、イエスさまの復活は信じなくてもいいとか、そんなことを先生が言っていたというのですが、とんでもない話です。そんな先生は、奥村先生の爪の垢でも煎じて飲めばいい。そういう人がどんなに自分のことをクリスチャンだと名乗ったり、聖書の教師だと主張したりしても、私たちはその手の人とは距離を置いて、聖書が誤りなき神のみことばであると、高らかに告白しなければなりません。聖書が真理、真実であるということは、この世の常識に忠実であるという意味ではけっしてありません。聖書のみことばは、この世の常識をはるかに凌駕するものです。イエスさまの復活は、その最たるものです。  キリスト教の象徴として真っ先に思い浮かぶものは「十字架」でしょう。しかし、こんな象徴もあるのをご存じでしょうか? そう、空(から)の墓です。ふたの石のどけてある、岩に穴が掘ってある状態の、空っぽのお墓の図です。言うまでもなく、復活を指しています。  西暦1054年にキリスト教会は東西に分立しましたが、西方教会(ローマ・カトリック)が十字架に主眼を置く一方、東方教会(オーソドックス)は復活に主眼を置くようになりました。私たちプロテスタントも源流をたどれば西方教会の流れにありますから、どうしても復活よりは十字架のほうを強調する傾向があると思います。いえ、十字架を強調することはとても大事なのですが、復活も同じくらい強調して、しすぎることはないはずです。プロテスタントはいかに西方教会の流れにあるとはいえ、やはり立ち帰るべきは聖書という原則がありますから、聖書が語る以上、復活はとても大事なものであるわけですから、プロテスタントのキリスト教会ではこの「からの墓」が復活のシンボルとして用いられるようになりつつあります。  そういう、からの墓。しかし、ということは、イエスさまの入るべきお墓を提供した人がいた、ということです。  イエスさまは神の御子、王の王です。しかし、実際のイエスさまはというと、ご自身おっしゃっていたとおり、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」というお方です。立派なお墓など、とんでもないことです。ところが不思議なようにして、イエスさまにはお墓が備えられました。あの、十字架という、超極悪人を呪い殺す刑罰を受けた受刑者ですよ。そんな受刑者は、少なくとも世間一般からしたら、超極悪人ってことですよ。そのなきがらが、岩を掘ってつくられた、それも新品のお墓に納められたんですよ。神さまのみわざは計り知れないものがあります。  その、お墓のもともとの持ち主は、アリマタヤという町の出身のヨセフという人でした。聖書には何人か、ヨセフが出てきます。いずれも、とても重要な人物です。創世記に出てくる、ヤコブの息子のヨセフ。イエスさまの母、マリアと結婚し、イエスさまの地上の父の役割を果たしたヨセフ。初代教会を立て上げるのに尽力し、特に、使徒パウロを見出し、育て上げたという功績のあるヨセフ(だれのことだかわかりますか? そう、「バルナバ」です)。そんな、綺羅、星のごときヨセフに肩を並べる人、アリマタヤのヨセフはそんな人です。  アリマタヤのヨセフは、4つの福音書すべてに登場します。しかし、その場面は、イエスさまの十字架の直後しかありません。4つの福音書を突き合わせてみると、アリマタヤのヨセフがどんな人物で、どんなことをしたかが見えてきます。今日はマタイの福音書の記述を軸に、イエスさまの十字架を体験したヨセフがどのようになっていったか、それが私たちにどんな教訓を与えているか、ほかの福音書からも引用しながら、ともに学んでまいりたいと思います。   第一に、イエスさまの十字架を体験したヨセフは、その意識と態度が変わりました。  イエスさまは十字架の上で、あまりにもむごたらしいお姿をさらされました。どうだ、こいつはこんなみっともないやつなんだぞ、見ろよ、見ろよ、そんな権力者たちの高笑いが聞こえてくるようです。しかし、イエスさまがこのような刑罰を受けるべき悪いことはおろか、一切の悪いことなどなさらなかったことは、わかる人にはわかっていました。それは、イエスさまの横で同じように十字架にかけられていた極悪人でした。  その極悪人も最初のうちは、十字架の上で、みんなと一緒になってイエスさまをののしりました。だが、彼は明らかに変わっていきました。その隣で、同じように十字架の上で呪い殺しの刑罰にあわれているイエスさまが、その極限の苦しみにあわされながら、なお御父に、神の子であるわたしのことをこのような目にあわせている人間たちのことをどうか赦してください、と祈られる、その御声を聞きました。その瞬間、彼はこのように十字架刑にあうことをお許しになっている神さまのみこころは当然だ、それ以上に、その罪をお赦しになるイエスさまは真実な神の御子だ、このお方が御国につくとき、俺のことを思い出してくれるだけで、俺は救っていただける、この受刑者は、イエスさまの十字架を前にして、たちどころに変えられ、そしてイエスさまは約束どおり、彼のことをパラダイスに入れてくださいました。  十字架はまた、「嘲る者たち」を「悲しむ人たち」に変えました。イエスさまが十字架につけられたのは、明るい時間のことです。しかし、正午の真昼、なんと全地は暗闇に覆われました。その暗闇の中、イエスさまは御父に向って絶叫されました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」そしてイエスさまは大声をあげて絶命されました。それは、十字架刑を執行する現場の総責任者である、ローマの百人隊長、異邦人をして、この方はまことに正しい方であった、神の子であった、と言わしめるほどのできごとでした。この一連のできごとに、十字架刑を見物に来ていた野次馬たちは、胸を叩いて悲しむ者たちへと変えられました。  彼らは何を悲しんだのでしょうか。もし、私がその場にいたユダヤ人だとしたら、こんなことを思ったかもしれません。今からちょっとお話しすることは、あくまでフィクションです。私が長年聖書を読んできて編み出した「空想」に類するものですから、話半分に聞いてください。  イエスとかいう野郎。このユダヤの王のようにみんなに期待させといて、ローマに対して何もできない食わせ物。十字架の上でくたばれ。醜い姿をさらしやがれ。ざまあみろ、いい気味だ。  ……え?「父よ、彼らをお赦しください」だと? 父って、まさか、神さまか?  ……おいおい、どんどん暗くなってきたぞ! 真っ暗闇だ! まさか!   ……うわ! 大地震だ! なんだ!? あそこの墓の中からぞろぞろ人が生き返って出てきてるぞ! え? 百人隊長のやつ、「この人はまことに神の子であった」だと?  ……そうか、イエスさまって、神さまだったのか。それなのに俺は、何も知らないで、イエスさまを十字架につけろなんて騒いでみたり、十字架についたら「いい気味だ」なんて考えたり。ああ、俺はなんて醜いんだ! けがれているんだ! でも、イエスさまはこんな俺のことを、赦してくださいって、神さまに祈ってくださったのか! ああ、神の子を十字架につけた俺だと思うと、なんだか、とても苦しいよ、悲しいよ……。  アリマタヤのヨセフはどうだったのでしょうか。マタイの福音書27章57節によれば、彼はイエスさまの弟子でした。イエスさまの弟子は十二弟子にかぎりません、そのほかにも70人の選抜メンバーがいましたし、ということはそれよりもずっと多くの弟子たちがいたことになります。ヨセフもその、たくさんいたイエスさまの弟子のひとりでした。  そんな彼は、ユダヤの最高議会の議員でした。そんな彼はもちろん、イエスさまの弟子なわけですから、イエスさまを十字架につけよというユダヤの指導者たちの計画や行動には同意していなかった人でした。ルカの福音書23章51節が語るとおりです。しかし、彼はどんなにその計画や行動に反対の立場でも、なぜそれに反対なのかを言うことができないでいました。  それは、ヨハネの福音書19章38節から、その理由を知ることができます。そう、彼は、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していたのです。実際、同じヨハネの福音書の9章22節で、イエスさまのことをキリストであると告白する者は、会堂から追放されてしまう、つまり、ユダヤの信仰共同体から除名されてしまう、という、恐るべき事情がありました。そんなことになりでもしたら、ユダヤの議員の地位からも追放されます。それについて与えられてきた富も名誉も失いかねません。そりゃあ、隠したくなるのもうなずけようというものです。  だが、彼がそのことを隠したことは、結果として、イエスさまを十字架送りにする手助けをしたことにしかなりませんでした。彼はイエスさまの十字架を前にして、自分のせいでイエスさまがこんなになってしまったことを、激しく悔いたことでしょう。そして、イエスさまは死んでしまわれました。  ヨセフは、最後まで十字架から逃げずに、血潮を流しきって絶命されたイエスさまのそのお姿に。罪人であるわが身を嘆き悲しんで胸を叩いたその群衆のひとりとして、心動かされました。イエスさまが神の御子の地位を捨て去られたならば、どうして自分は、たかだかユダヤの議員くらいの地位など捨てられないことがあるだろうか。自分がイエスさまの弟子であることを公にして、それで不利益を被ったっていいじゃないか。  クリスチャンとして勇気を持つことは、十字架を体験することがどうしても必要になります。ヨセフは何も、後代のクリスチャンたちに英雄扱いされたくて、蛮勇を振るおうとしたわけではありません。ただ、十字架の体験が彼をその勇気へと駆り立てたのでした。  私たちにしてもそうです。クリスチャンの偉人伝に登場するような人を見て、私たちもそうなりたい、そうありたい、と思うのは結構なことなのですが、それが人にほめられるためとか、自分が気持ちよくなるためとか、要するに神さまのみこころとは関係ないところにその動機があるならば、それはたまたまクリスチャンの人が自己実現しようとしているということであって、神さまの栄光のために働こうとしているということではありません。  もし、人が、自分を罪と死から救い、永遠のいのちを与えてくださった神さま、イエスさまのために働こうと思うならば、その永遠のいのちを与えてくださった唯一の道である、イエスさまの十字架を体験する、それも一回こっきりの体験ではなく、いつ、いかなるときも、つねに体験する、これでなければ、到底、神さまの働きはできないのです。  しかし、イエスさまの十字架を体験するならば、人は変わります。たとえば学校でも職場でも外食でもいいです、人前でご飯を食べるとき、お祈りをすることさえしり込みするような人も、イエスさまの十字架の前に立つ体験をしつづけるならば、祈ることもできるように変わります。伝道もできるようになります(ただし、気をつけなければならないのは、「パフォーマンス」をするから天国に近づける、ということでは決してない、ということです。それは信仰ではなく行いを誇ることで、それで天国に近づけると思ったら大間違いです。イエスさまの救いを体験しているから、堂々と証ししようとなるのです。順番を間違えてはいけません)。  ともかくそうなれた人は、以前の自分の姿を考えたら、うそ! というほど変わっています。イエスさまの十字架、神のあり方を捨てきったそのお姿を見るなら、私たちも神の人として変えられていきます。そのように変えられた私たちは、主のご栄光を輝かせる器として用いられるようになっていきます。主をほめたたえます。  第二のポイントです。第二に、イエスさまの十字架を体験したヨセフは、その行動が変わりました。  まず、ヨセフは、イエスさまのご遺体を十字架から取り降ろし、それを葬らせていただきたいと、ピラトに直訴しました。そう、ヨセフは、イエスさまのために何か行動できたらいいな、と思っただけではありません。実際に行動に移したのです。それも大胆にも、ピラトに直訴するという挙に出たのでした。  もちろん、ピラトのような権力者に申し出ることができたのは、ヨセフがユダヤの議員という、特別な高い地位にあったことも大きかったわけですが、それにしても、いかにピラトの命を受けた死刑執行人の百人隊長が「この方はまことに神の子であった」と告白しようとも、このイエスという受刑者は、呪い殺しという極刑を受けた、いわば極悪人扱いされた人です。そんな極悪人の受刑者のことを引き受け、墓に葬りますとは、正気の沙汰ではない話です。しかし、何をどう思われようともかまわず、ヨセフはピラトに直訴しました。  するとピラトは、ヨセフのその申し出を二つ返事で受けました。おそらくピラトとしても、イエスさまを正しい人と知りながらもユダヤ人のご機嫌取りをして十字架送りにしたことへの、激しい後ろめたさがあったものと思われます。もちろん、ピラトのそんな葛藤を、ヨセフは知る由もありませんでしたが、ピラトとしては、もう十字架にイエスさまのなきがらがかかったままにならないで、しかもそれを手厚く葬ってくれる人が現れたなんて、渡りに船、願ったりかなったりといったところだったのではないでしょうか。どうぞ、どうぞ、とばかりに、ヨセフになきがらの葬りを委ねました。  ヨセフは、イエスさまの十字架に近づき、木の上からご遺体を取り降ろしました。普通ならばだれもやりたくないことです。十字架にかかった受刑者は、呪い殺された証しとして、ぶっとい鞭で打たれまくってぐちゃぐちゃ、血まみれになっています。そんな死体に触れることは、普通に考えたら、生理的に嫌なだけではなく、霊的にもけがれを受けると理解されることです。いわんやそれをきちんと葬るなんて、だれがやりたがるというのですか。  しかし、ヨセフにとってイエスさまは、呪い殺されるべき極悪人ではありませんでした。ヨセフ自身のすべての罪も含めた、あらゆる人という人のすべての罪を身代わりにお受けになったお方でした。この、目の前の血まみれで絶命されたお姿は、ヨセフの目にはかぎりなく麗しいものでした。血まみれだから避けるのではない、血まみれだから近づく、抱きしめる。  ヨセフはていねいにご遺体を取り降ろし、遺体を腐敗臭から守る香料とともに、このためにわざわざ新たに買ったきれいな亜麻布にくるみました。この作業はしかし、ヨセフがひとりで行なったのではありません。このときなんと、30キロ以上にもなる大量の香料のかたまりを持ってイエスさまのもとに馳せ参じた人がいて、彼とともに葬りの作業をしました。その人はニコデモ、永遠のいのちを求めてイエスさまのもとにひそかに質問しに行った人であり、イエスを逮捕せよと息巻く議会において、そのやり方に異議を唱えるなど、パリサイ人の中では異色の存在でしたが、彼もやはり、イエスさまの十字架を前にして、パリサイ人の既得権をかなぐり捨てて、イエスさまのために精一杯のことをしました。  韓国の名の知れたある牧師がむかし、ニコデモは所詮、イエスさまにつかず離れずの態度を取って終わった人間だった、イエスさまが太陽だとしたら、その周りを回る惑星のようなものだった、などということを言っていましたが、それはとんでもない的外れの批判です。考えてみてください。30キロにもなる香料を持って十字架のあるゴルゴタの丘まで行ったら、いやでも目立ちます。30キロは十字架の重さにはもちろん及びませんが、それでもそんな重いものを持って丘に登っていく行動は、もはや、イエスさまを十字架送りにしたパリサイ人の一味の取るべきものではありませんでした。ニコデモもまた、イエスさまの十字架を前にして完全に変えられたのです。間違ってはなりません。ニコデモはすごい人になったんです。  ご遺体を汚らわしいと思うどころか、かぎりなく麗しいみからだとして、丁重にお包みする。もはやそこには、人々の上に君臨し、偉そうに支配する、議員やパリサイ人の姿はどこにもありませんでした。あるのはただ、キリストに黙々とお仕えする、しもべとしての姿だけでした。  クリスチャンが神さまのご栄光をあらわす行動は、おそらくすべてが広い意味で「奉仕」と言えるものではないでしょうか。なぜなら、本来肉に従って生きたがる人間にとってこの上なく不自然な行動は、神に仕えること、ゆえに人に仕えることだからです。これも、人間的な我慢や頑張り、使命感でなんとかしようとすると、必ず限界がきます。それは、肉にしたがってボランティアをしている状態だからです。とても厳しいことを言わせていただくと、そんな動機で頑張る人は、頑張って神に仕える行為をしている「自分に酔っている」だけなのかもしれません。いえ、これはさばいて言っているのではありません。私自身がこの頑張りに酔うような態度をつづけ、破綻したことが何度もあるからです。一度や二度で済まないなんて、われながら愚かだと思いますが、燃えつきから立ち直るたびに気づかされることは、自分が肉の思いで物事に取り組んでいた、ということです。  奉仕というものは、イエスさまの十字架への感謝に満たされ、その恵みになんとしてでもお応えしたいという、その強い動機が先に立たなければ、取り組むべきものではないとさえ言えます。お掃除でも食事づくりでもいいですけれども、教会奉仕をみんなしているけど、自分はやる気が起こらない、やる意味が分からない、そう思うなら、やることはありません。  ところが逆に、奉仕するほんとうの理由は正確に分かっているわけではないけれども、なんだか奉仕したい、教会のみなさん、働かせてください、という方も、教会にお越しになるかもしれません。そういう方はどんどん奉仕していただきたいと思います。いい汗を流していただきたいと思います。あんがい、奉仕をすることによって、その背後におられるイエスさまに出会い、その十字架の意味を知る、ということも起こってくる、これは私が、長年、いろいろな教会や宣教団体でいろいろな方々を見てきて言えることです。  今日、結婚式に備えて礼拝堂の整理という奉仕活動をみんなで行いますが、ぜひその、からだを動かしている間に心に留めていただきたいことは、私たちはイエスさまの十字架の恵みによって、こうして主のからだなる教会においてご奉仕する、労働の喜びをいただいている、ということです。折に触れて、イエスさまの十字架を想い出しましょう。  また、普段の生活で、私たちはあらゆる取り組みをしますが、そのすべてが、自分の名をあげるための働きではなく、イエスさまのご栄光をあらわす働きである、ゆえに、その力の源はイエスさまの十字架にあることを心に留め、なにごとも祈りつつ取り組んでまいりましょう。  第三のポイントです。第三に、イエスさまの十字架を体験したヨセフは、その価値観が変わりました。  なんともちょうどいいことに、ゴルゴタの丘のすぐそばの園の、その中に、ヨセフは自分のお墓を持っていました。しかし、よくそんなことができるな、というところではないでしょうか? ヨセフはもともと、神の国を待ち望んでイエスさまの弟子になった人だったと、マルコの福音書15章43節は語ります。そんな彼もさすがに、イエスさまが十字架に死なれることによって神の国を成し遂げられるということまでは予測していなかったはずです。だからヨセフの持っていたお墓は、いかにヨセフが金持ちで、しかもイエスさまの弟子だったとはいえ、イエスさまのために用意したものではもともとありませんでした。当たり前の話ですが、ヨセフ自身か、ヨセフの家族のために用意したものです。  しかし、ヨセフはこのお墓、奇しくもゴルゴタの丘のすぐ近くにあった自分のお墓に、真っ先にイエスさまをお迎えしました。人の最期を麗しく飾る存在、岩を掘ってつくった立派なお墓、そのためにお金だってかなりかけたでしょう、それをヨセフは惜しげもなく、イエスさまに差し出したのでした。  その、イエスさまはお墓というものに関して、こういうことをおっしゃっています。マタイの福音書23章27節。「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。」この時代のユダヤは、日本のように火葬をするわけではありません。遺体はどうしたって腐っていきます。それでもヨセフが自分のお墓にイエスさまをお納めしたのは、イエスさまは赤の他人では決してない、私の主だ、という信仰があったからです。真っ先にお墓に入っていただこう、という、彼の最高のささげものであったわけです。  彼は生前、イエスさまが死なれて三日後によみがえるとお語りになったおことばを、当然、イエスさまの弟子として聞いていたはずです。しかし、十二弟子さえもそのことが信じられなかったのが実際のところであり、十二弟子にしてそうならば、ヨセフのレベルの弟子がどこまで、復活信仰を持っていたかを推し量るのは困難です。だから、イエスさまは葬られても3日目に復活する、お墓は空になる、とまで信じて、このようなささげものをしたのかと聞かれたら、それは「わかりません」としか言えません。しかし確実なのは、ヨセフのこのささげものが結果として、お墓が空っぽになった、だから、神の御子イエスさまが復活されたという、何よりもの動かぬ最大の証拠を全人類に突きつけることになりました。だとすると、ヨセフは史上最大級のささげものを、イエスさまにおささげしたことにならないでしょうか。  このようなささげものをすることを可能にしたのは、ヨセフの価値観が完全に、この世から、神の国とその義を求める信仰へと転換されたことです。その転換はもちろん、イエスさまの十字架を体験することによってもたらされました。  私たちも礼拝において、献金という形でささげものをいたします。私たちはしかし、「この程度しかささげられないで申し訳ない」とか「この程度ささげれば充分だ」とか、はたまた「こんなにささげたのだから神さまはきっと私を祝福してくださる」とか、そんなことを考えて献金袋にお金を入れていないでしょうか。  そんな態度で献金する前に、よく考えていただきたいのです。果たして、私がささげものをするのは、イエスさまの十字架に感謝してなのか。イエスさまの十字架に対してふさわしい感謝の表現ができるほど、私はイエスさまの十字架のことをわかっているだろうか。イエスさまの十字架を体験し、感謝しているだろうか。大事なのは献金の額ではありません。かつて私は、貧しいやもめがわずかな額でも生活費のすべてを差し出したのをイエスさまがほめておられる、だからイエスさまが見ておられるのは「金額」ではなくて「率」だ、なんてメッセージを聴いたこともありますが、それもぜんぜん違います。いちばん大事なのは、イエスさまの十字架を通じて神さまと交わることを許された私たちが、誠意を込めておささげすることです。  だから、献金の時間には、まずは祈っていただきたいと思います。けっして、人間的に無理をしたりしてはいけませんし、反対に、余った小銭を処理しがてら、なんて料簡でもいけません。私たちがもし、イエスさまの十字架への感謝のしるしとして、神さまに示されたという確信をもっておささげするならば、それは最高のささげもの、そこから主は、30倍、60倍、100倍の祝福をくださいます。…

究極の過越

聖書箇所;ルカの福音書22章7節~20節 メッセージ題目;究極の過越  私もクリスチャン生活が長くなると、いろいろな教会で「主の晩餐」(この呼び方は保守バプテスト同盟の教会で用いられることが多く、基本的に「聖餐式」と呼ばれます)にあずかってきました。これ、執り行う方法もいろいろでして、パンも普通の食パンにかぎらず、カレー屋さんの「ナン」のような素材だったり、薄いクラッカーのようなものだったり、ウエハース、というより、「えび満月」ってお菓子(わかりますか?)の、まったく味がついていないような素材だったり、大きな塊から少しずつちぎったり。韓国の場合は、カステラみたいに黄色くて甘い味がついたものが多かったです。  ぶどう汁も、アルコールの入ったワインを使ったものも体験しています。それまで私はぶどうジュースの甘い味に慣れていたので、それを口にして、苦い、というか、辛い、というか、不思議な感じがしたものです。ほかにも、ぶどう汁の入った大きな入れ物に、例の味のしない「えび満月」みたいなのを浸したり。この場合は、ぶどう汁を「飲む」ということはしません。  私は教会に通いはじめて、バプテスマを受けるまでに1年以上かかりました。それは中学生の多感な時期で、礼拝で何が嫌だって、聖餐式の時間でした。周りはというと、聖餐のパンとぶどう汁を口にしている。自分はあずかるわけにはいかない。あれ、ほんとに小さなものなんですが、欲しいって思うんですよね。  その後、私も晴れてバプテスマを受け、聖餐にあずかれるようになりましたが、聖餐式、主の晩餐のほんとうの意味、というより、有難さを知るようになったのは、韓国に神学留学をしてからでした。日本の教会が大切にしていない、という意味ではありません。韓国教会の場合、もっとダイナミック、というより、動的な感じなのです。韓国教会が主の晩餐をそのようにダイナミックに大切にしている、そのリアルな現場に、私も主の晩餐にあずかる立場で何度も立ち会わせていただき、その素晴らしさを体験したものでした。  これは、私が実際居合わせたことがないケースですが、やはり日本からいらしていた神学生の奥さんから、こんなことを聞きました。すごいのよ、うちの教会の聖餐式では、聖餐にあずかったおばあさんの信徒が、うわーん! って大泣きするのよ。私は韓国で暮らしていて、もう、おばあさんのその霊的な感覚が、とてもよくわかるようになっていました。  主のみからだをいただけるんですよ。血潮をいただけるんですよ。この罪人が! もったいないことではないですか。あの、「アメイジンググレイス」の聖歌のように、「驚くばかりの恵みなりき この身のけがれを知れるわれに」……生きていて、みことばと祈りの生活を積み重ねれば積み重ねるほど、自分自身のけがれ、みにくさ、きたなさ、至らなさ、そういったものが見えてならなくなり、耐えがたくなる。それなのに、イエスさまはすべて赦してくださっている。そんな私たちに、ご自身のみからだと血潮を口にすることを許してくださっている。何と感謝なことでしょうか。  さて、この「主の晩餐」、この名前は、主イエスさまが制定された晩餐という意味であるわけですが、その主の晩餐の制定を宣言されたみことばが、今日お読みしたみことばです。イエスさまが、これはわたしのからだです、とおっしゃる以上、それは単なるパンではなく、主のみからだとしていただくのです。これはわたしの血です、とおっしゃる以上、単なるぶどう汁ではなく、主の血潮としていただくのです。  このように信仰を持っていただくには、主が定められたみことばに従順に従うことが前提であり、私どもが、信仰告白をもって父・御子・御霊の名によりバプテスマを受けている人に配餐を限定しているのは、その従順ということにおける秩序という事情があるからです。けっして差別しての意図ではありません。というより、そういうことをきちんと理解したうえで礼拝に集ってくださるならば、それはとても感謝なことです。  さて、イエスさまはこの、弟子たちとともに囲んだ食卓において、極めて意味深なおことばを語っていらっしゃいます。まず、イエスさまは、15節のようにおっしゃっています。そう、この食卓を弟子たちと囲むことを、イエスさまご自身が、切に願っていらっしゃったのでした。  なぜ、彼らとともに食事をすることを切に願っておられたのでしょうか? それはルカの福音書22章28節から30節のみことばをお読みすると、イエスさまのそのお気持ちをお察しすることができます。  たとえ火の中水の中、ということばがありますが、イエスさまにどこまでもついていきたい、という願いは、クリスチャンならばだれもが持つものでしょう。しかし、いざイエスさまについていこうとすることは、簡単なことではありません。現にイエスさまは、このおことばをお語りになった直後、シモン・ペテロが、イエスさまのことをいざというときに知らないと言う、と予告され、そして、そのとおりになりました。  そんな弟子たちはしかしそれでも、イエスさまと苦難をともにすることが許されてきましたし、また、「今はついてくることができません。しかしのちにはついてきます」とイエスさまに言っていただいているとおり、このときのペテロがそうだったように、大事なときにつまずくような失敗をするにせよ、最後にはイエスさまについていくものである、というわけです。  そんなあなたたちと、わたしはこの過越の食事、最後の晩餐をともにすることを、心から願っていたのですよ、というわけです。イエスさまについていくことは、ただ、イエスさまの恵みがあって、はじめてできることです。いったい、イエスさまについていっても何もないと思うような人間、この世の価値観がすべてと思うような人間が、イエスさまに喜んでついていくことなどあり得るでしょうか? そんな人間が、イエスさまについていけたならば、それはひとえに、恵みというべきことですし、そのように恵みをいただいた人と、イエスさまは、ご自身の肉と血潮にあずからせる、究極の食卓をともにすることをお喜びになったのでした。  もうすこし、イエスさまのおことばを見てみましょう。特に、16節、18節のみことばに注目します。イエスさまのこのおことばからは、2つのことが重なって見えてきます。まず、この過越の食事は、イエスさまにとっては、この地上における最後のものであったということです。すなわち、イエスさまは一夜明ければ不当な裁判にかけられ、十字架にかかって死なれます。しかし、三日目によみがえられ、復活の御姿をもって弟子たちに現れてくださいます。しかし、それは40日の間のことで、イエスさまは天に昇られます。すなわち、この過越の次の年の過越のときには、もうイエスさまは弟子たちの前にはいない、弟子たちとともに過越の食事をすることはできない、というわけです。  また、特にこれは18節のみことばからわかることですが、こういう意味もあります。言うまでもなく、過越の祭りというものはイスラエルの民たる者ならば、年に一度は必ず守るべき大事なものです。そんなイエスさまは、「ぶどうの実からできたものを飲むことはない」とおっしゃっています。これは、もはやあなたがたとぶどう酒を囲んだ宴をともにすることはない、という意味もさることながら、それこそストレートに「ぶどうの実でできたものを飲まない」という意味でもあるわけです。つまり、次の年の過越の祭の前にイエスさまが「ぶどうの実でできたもの」を口にされることによって、早くも神の国が実現することが暗示されているわけです。  そのことは、ヨハネの福音書19章28節から30節に明らかです。イエスさまは十字架のうえで最期をお迎えになるにあたり、ぶどう酒をお受けになりました。もっとも、このぶどう酒というものは、飲んで陽気になるようなものとは程遠いものです。ほかの箇所を読むと、苦みを混ぜたぶどう酒とあります。十字架の上で脱水状態になるため、どうしても水分を欲しがる受刑者が口にすると、あまりに苦く、苦痛がさらに増し加わるという、残酷な効果があるとも言われています。また一方では、あまりに苦しい十字架刑のその苦しみを軽減する、麻酔の役割をするとも言われています。しかし、いずれにせよ、楽しむために口にするぶどう酒ではなかったのはたしかなことです。  それでもイエスさまはこのとき、たとえぶどう酒と呼べるような代物ではなかったとはいえ、ぶどうの実でできたものを口にしておられるわけです。このとき、何が起きたのでしょうか?  そうです。イエスさまが予告されたとおり、過越が神の国において成就したのです。過越というものはもともと、神の義が示されていながら神を認めず、神の民であるイスラエルを虐げる一方だったエジプトに対し、神さまが怒りのさばきをお下しになったこと、そう、王の子どもから奴隷の子ども、家畜の子に至るまで、長子という長子をことごとく死なせられた、その怒りを、門とかもいに血を塗ったイスラエルの家については過ぎ越された、そのことを記念した祭りでした。たしかにこのとき、イスラエルには格別のあわれみが注がれ、神を神としないゆえに神の民であるイスラエルを虐げたものに、神さまは死をもって怒りを注がれたわけですが、残念なことに、それからも人は罪を犯すことをやめませんでした。それは、こうしてあわれみによって怒りを過ぎ越していただいたイスラエルの民とて例外ではありませんでした。すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができなくなった、それが人というものでした。  そんな人にとって、イエスさまは究極の過越の子羊として、ご自身を十字架の上におささげになりました。考えてみましょう。人の罪はどれほどのものであったか。神の御子を十字架につけて、あらゆる呪いを浴びせ、なぶり殺しにするほど、それほど人の罪は極限に達していました。  ルカの福音書23章、27節以下をお開きください。群衆は十字架につけられるイエスさまを嘲笑いに集まっていた中、イエスさまについてきた女性たちは、泣いて悲しみながら、ゴルゴタの丘に向かうイエスさまのあとをついていきました。しかし、イエスさまはおっしゃるのです。  神のいのちが通う神の民イスラエルのことを、イエスさまは、青葉を茂らせる生きた木になぞらえられました。そんなイスラエルに、途方もないさばきが待ち受けているというのです。それは、みことばにおいて何百年にもわたって預言されていたキリストがこの地に来られたというのに、いざこの地に来られたキリストを一切認めず、十字架送りにさえするほどの大罪を犯したからです。  そしてイエスさまはおっしゃいます。「枯れ木には、いったい何が起こるでしょう。」生木になぞらえられたイスラエルさえ焼き滅ぼす神の怒りの炎がこの地に臨んだならば、神のいのちから断絶された異邦人、すなわち、イスラエル以外のすべての民は、ひとたまりもなく滅びるしかありません。もはやこの地上に生きることを許される人間など、ひとりとしていないことになります。  しかし、あれから2000年経った現在、イスラエルの民はたしかに壮絶な苦しみを何度も体験してきましたが、現実として、なお世界に影響を与える民族として生きつづけています。異邦人なる者たちは言うまでもありません。みな、生きています。増え広がっています。それにその民の中から、まことの神さまを信じて永遠のいのちをいただいた人は数知れず。私たちももちろん、それに含まれているわけです。死んだり滅びたりすべきだった私たちは、なぜこうして祝福のうちに生きているのでしょうか。  それは、この怖ろしい予告をされたイエスさまが、十字架につけられたとき、御父に祈られたからです。34節。おそらく、このときほど、神の怒りが地上に臨んだ時はなかったのではないでしょうか。もはや神の民であるはずのイスラエル人、ユダヤ人さえも、一切免れることのなかった神の怒りが、全人類に臨んだ瞬間ではなかったでしょうか。その怒りを、イエスさまは十字架の上で両手を広げ、受け止め、すべての人をその怒りから守ってくださいました。  そうです。十字架こそは、究極の神の怒りを過ぎ越す、究極の過越です。十字架という、この究極の過越を前にしては、もはや新たになにがしかの血が流される必要はありません。イエスさまの十字架によって私たちは神さまと新しい契約、永遠に破棄されることのない契約を結び、十字架をもってほんとうに到来した神の国に入れていただき、神の国を生きるものとしていただいたのです。  私たちがイエスさまのお定めになったとおり、パンと杯にあずかるということは、私のために、そして、私たち教会のために、イエスさまが十字架の上でみからだを裂き、血潮を流してくださった、そのみわざに感謝することです。それをいただくというこは、私、そして私たち教会が、十字架にかかられたイエスさまとひとつ、ということです。  しかし、イエスさまは十字架におかかりになり、死なれて、それで終わりではありませんでした。イエスさまは復活されました。私たちがあずかる主の晩餐はまた、復活され、今も生きておられるイエスさまと囲む、喜びの晩餐でもあるのです。  十字架と復活はコインの表裏のようなもので、どちらが欠けてもほんとうの意味でイエスさまというお方を体験していることにはなりません。もし、私たちが、教会生活において、喜びということばかり追求してしまっているようならば(それももちろん大事なことですが)、どこかで立ち止まって、こんな罪人の私のために十字架におかかりになったイエスさまの恵みに思いを馳せるときが必要でしょう。  今日いただく主の晩餐は、もちろん、復活のイエスさまとともに味わう喜びの晩餐にはちがいありませんが、今日に関しては、イエスさまが苦しみをもって私たちを神の怒りから過ぎ越させてくださり、それゆえに神の国が実現した、そのみわざを分かち合わせていただくものとして、厳かな心でいただきたいものです。

しくじり先生マルコ

聖書箇所;マルコの福音書14章51節~52節 メッセージ題目;しくじり先生マルコ  「しくじり先生」というテレビ番組があります。有名人の失敗から学びましょう、という内容の深夜放送で、一時期はゴールデンタイムに放送していたので、ご覧になったという方もいらっしゃると思います。たとえば、2015年4月20日の放送の先生は、あの「ホリエモン」、堀江貴文さんで、題して「世の中舐めすぎて逮捕されちゃった先生」、メンタリストのDaiGoさんは、「メンタリストなのにメンタルがボロボロになっちゃった先生」といった具合です。人の振り見て我が振り直せ、ということばがありますが、これほどの有名人でも致命的な失敗をしたことは、それを見る視聴者に、そうか、そういう失敗をしなければいいのか、という教訓を与えます。また一方で、こんな人でもこんな失敗をしたのか、と、勇気づける効果もあります。  「しくじり」ということばは、落語家の上下関係の中でよく使われることばです。これは、ただの失敗を指すわけではありません。落語をけいこするとき、人に聞かせるためではなく、あとで自分で聞くために自分のしゃべりを録音していて、うっかりして、携帯の電源を切るのを忘れて鳴ってしまった、録音がやり直しになってしまった、ああめんどくさい、となることは、「しくじる」ではありません。「しくじる」とは、弟子に対する師匠ですとか、噺家に対する席亭やお客さんですとか、目上の人の気持ちを害する失敗をしたときのことをいいます。  私は落語を聴くことだけではなく、落語家の人間関係にまつわる本を読むのも大好きです。古今亭駒治師匠という、いま45歳くらいの、鉄道に関する新作落語で知られた方がいます。彼の師匠は、もうだいぶ前に亡くなりましたが、古今亭志ん駒という落語家です。志ん駒師匠は憧れの古今亭志ん生に弟子入りする前提で、なんと7年にわたって、海上自衛隊で壮絶な訓練を受けた人です。ロープの結び方のテストのとき、目隠しをされてロープを持たされ、もやい結びですとか、結び方の名前のとおりに正しく結べないと、思いきり頭を殴られる、とか、そんな生活をしていたわけです。そんな志ん駒師匠はやがて志ん生の家に寝泊まりして、師匠や、二階に同居していた息子の志ん朝の身の周りの世話をするようになりますが、そんな内弟子生活の厳しさなど、屁でもなかったと言います。  そんな志ん駒のもとに弟子入りする駒治さんも、ほんとに変わった人だと思いますが、基本的に駒治さんに対しては優しかったそうです。しかしあるとき、こんなことがありました。志ん駒が柳亭市馬という落語家と一緒に地方で仕事があり、まだ前座で、志ん駒師匠のおつきだった駒治さんが一緒に行ったとき、駒治さんが旅館で朝起きると、横で寝ているはずの志ん駒と市馬がいない。そう、彼らは朝風呂に入りに行っていたのです。駒治さん、まずい、と思いましたが、もう遅い。風呂から帰ってきた志ん駒に、駒治さんは大目玉を食らいました。「前座というものは師匠が起きる前に、そばで控えているもんだ。」さすが、予定の5分前には準備万端でいるべきという、海上自衛隊の精神のしみ込んだ志ん駒らしいエピソードですが、こういうのが「しくじる」です。  しかし、志ん駒も、いかに前座修業が屁でもなかったとはいえ、「しくじる」ことをしなかったわけではありません。あるとき、志ん駒は仕事で遠出した先から、師匠の志ん生に宛てて手紙を書きました。それはいいのですが、どういうわけだか、宛名を志ん生の本名の、「美濃部孝蔵様」と書いて出した。師匠宅に帰ると、志ん生は志ん駒に言いました。「あのねえ、僕は君のお旦でも何でもないんだよ。」お旦、わかりますか? パトロン、要するにお金を出してくれる人。志ん生ともなると小言も粋だなと思いますが、ともかく、この失敗も「しくじる」に含めていいでしょう。  しかし、そういう失敗、しくじりを笑って言えるのは、それだけそのような経験を糧にして、芸も人格も成長したからでしょう。私もしくじりだらけの人生ですが、振り返ってみると、そんなことを平気でしていたような者も、神さまの恵みで成長させていただいたなあ、としみじみ思うものです。主に感謝いたします。  さて、今日は、そんな私たち、主の恵みによって成長させていただく私たちにとっての「しくじり先生」がどのように成長していったか、私たちはそのしくじりと成長からどんな教訓をいただけるか、聖書から学んでまいりたいと思います。  今日のしくじり先生は、「マルコ」です。聖書に登場するマルコはひとりであり、四つの福音書の中でいちばん最初に書かれたと推測される、マルコの福音書を記録した人です。  福音書の記者は、マタイ、ヨハネもそうですが、自分の記録する福音書の本文の中で、書き手である自分のことを「私」とは基本的に書きません。ルカはそれとはちがい、「私」と書いていますが、彼はそもそもイエスさまの公生涯の頃には、イエスさまや弟子たちと一緒にいないので、イエスさまの公生涯に対する直接の目撃者として書いているわけではありません。  マルコはどうでしょうか。実は、さきほどお読みいただいた箇所に出てくるあの「ある青年」、つかまりそうになって、服を残して裸で逃げた青年、あれは記者自身であるマルコだという説が極めて強いのです。たしかに、唐突にあのような記述が、あの場面に挟まっているのは、よく考えれば妙です。しかし、記者であるマルコは、うまく自分自身を隠しながら、自分のしでかした失敗をさりげなく語っている、というわけです。  もし、この青年がマルコだとするならば、マルコは、一度はイエスさまについていこうとしたのに、いざつかまりそうになったら、イエスさまに連座することを恐れて、裸をさらしてみっともない姿で逃げた若者、ということになります。いかにも、イエスさまをしくじった者のように見えます。新約聖書を順番に読んでいて、最初に登場するマルコがもしこの若者のことだとしたら、ほんとうにみっともないしくじりをした者、という印象を受けます。  来週の棕櫚の聖日に受難週が始まります。イエスさまの受難を前にして逃げ出したマルコのしくじりは、受難週を控え、あらためてイエスさまの十字架に思いを巡らせるべき私たちに、いろいろなことを教えます。その後のマルコの歩みは、聖書のあちこちに記録されていますので、すべて見て、それから、マルコのしくじりから私たちが学ぶべきことを、ともに考えてまいりましょう。  マルコの名前が聖書に初めて登場するのは、題名以外に名前が明らかに出てこないマルコの福音書を除き、使徒の働きの12章です。マルコはヨハネという名前の別名でした。十二使徒のヨハネと区別する意味で、マルコとふつう呼びます。ときに、ユダヤを治めていたヘロデ王は、キリスト教会に迫害の魔の手を伸ばし、使徒ヤコブを虐殺しました。十二弟子で最初の殉教者となったわけです。ヘロデのこの行為は、ユダヤ人の気に入り、それでヘロデは、今度はペテロを処刑しにかかりました。ペテロは逮捕され、翌日には処刑、というタイミングで、天使が現れ、ペテロの両手両足をつないでいた鎖が解け、牢獄の鉄の扉が次々と開かれ、天使に導かれたペテロは無事、牢獄から逃げ出すことができました。  このとき、エルサレム教会はペテロのことを覚え、一生懸命に祈っていました。それはそうです。エルサレムで大成長を遂げた教会は、その役員会の一員であるステパノが正しいことを演説したばかりに、ユダヤ人たちから石打ちによって虐殺されました。それによって教会は散り散りになりました。今度はヤコブが殺されました。そしてペテロが逮捕だとは、もう、教会はどれほどの困難に直面していたことでしょうか。みな、ひとところに集まり、祈るしかありませんでした。  このとき、教会員たちが集まっていたのが、マルコの母親であるエルサレム教会員、マリアの家でした。教会員たちが集まれるくらいですから、相当な大きさの建物だったわけで、裕福な家庭だったことが垣間見えます。ロデという名前の召使いが雇われていたことからも、この家の裕福さが裏づけられます。そんな家を開放して教会員をヘロデの魔の手からまるごとかくまうのですから、マルコの母マリアは単に裕福なだけではなく、いのちをかけて教会を守るほどに、極めて献身的であったわけです。マルコはそのように、裕福で献身的な家庭に育った若者だった、ということがわかります。  ヤコブを殺し、ペテロにまで手をかけようとしたヘロデは、結局、神さまにさばかれて死ぬことになります。そのあと、宣教のみわざが拡大していく過程で、エルサレム教会にて奉仕したバルナバとサウロ、つまりパウロは、マルコを連れ出して、自分たちに託された異邦人宣教の働きに同行させます。この宣教チームはアンティオキアを振り出しに、セレウキア、キプロス島のサラミスとパポス、パンフィリアのベルゲと巡回していきますが、そのベルゲで、マルコは宣教チームから離れて、エルサレムに帰ってしまいました。  このチームは働きを終え、アンティオキアに戻ります。その後、エルサレムからやってきた、割礼は救いのために必須の儀式であると教える者たちに対処するため、パウロとバルナバがエルサレムに赴き、その問題を解決して再度アンティオキアに戻ってくるというできごとののち、パウロは、自分たちが宣教した地域の兄弟たちがどうなっているか見にいきましょう、と、バルナバに提案します。それにバルナバは同意しましたが、その際、マルコを連れいていこうとしました。しかし、パウロは、宣教チームから勝手に離れるような行動をした者は、連れて行くべきではない、と主張しました。  その結果、パウロとバルナバの間に激しい対立が起こり、結局、彼らは別々に宣教チームを組んで旅立つことになりました。つまり、マルコは、宣教チームから離れたということでパウロをしくじったことになります。  パウロは、彼の手による初期の手紙を読めば感じられることと思いますが、性格や宣教のポリシーに、厳しい傾向を持っています。コリント人への手紙第一など、いかに異邦人の生活習慣に毒されたコリントの人たちを対象にしたとはいえ、「あなたたちは、私がそっちに行かないと高をくくっているようだが、私は行くぞ。そのとき、むちを持っていこうか、それとも、愛と優しい心で行こうか」なんて、恐いことを言っています。バルナバとの決裂は、それよりも以前のできごとで、マルコのように、自分勝手に宣教チームから離れて故郷に帰るような甘い考えを持つ者には、厳しい宣教の働きなど務まるまい、という、パウロならではの厳しさが垣間見えます。  しかし、神さまは厳しい、義なるお方であるの同時に、愛なるお方です。バルナバはというと、神の愛によって行動しようとしました。人の罪を赦す神の愛、充分に成長するまで待ってあげる神の愛……その愛によって、宣教チームをしくじったマルコのことを受け入れ、宣教チームに同行させることによって、マルコが一人前の働き人になるように、整えようとしました。  さて、その後、マルコはどうなったでしょうか? それ以降、マルコの名前の登場する箇所は、聖書に出てくる順番に、コロサイ4章10節、第二テモテ4章11節、ピレモン24節、第一ペテロ5章13節です。いずれも、パウロの第二次宣教旅行の始まった、紀元48年ごろから、だいたい14年後以降に書かれています。  その間、パウロは2度の宣教旅行に出て、地中海の地域に教会を立てつづけ、宣教と牧会の働きに励みました。しかし、紀元57年ごろ、パウロは逮捕され、以後、獄中において後進の指導に当たったり、手紙を託(ことづ)けて各地の教会を牧会したり、弟子を育てたりしました。その手紙の中に、マルコの名前が合計3回登場します。ひとつひとつ見てみると、興味深いことがわかってきます。  まず、コロサイ4章10節によれば、マルコはバルナバのいとこだったことがわかります。なるほど、どうりでバルナバは、マルコのことを責任をもって育てようとしたのか、と考えられます。しかし同時に、このときマルコは、パウロとともに獄中にいて、しかもパウロとともに、コロサイ教会に対して、よろしく言うような関係にあったこともわかります。そう、それまでにマルコは、パウロと和解し、のみならず、パウロの同労者として、パウロとくびきをともにする立場にまでなっていました。そういう立場になっていたことは、ピレモンへの手紙24節からもわかります。  そして、パウロにとって最後の書簡である、第二テモテ4章11節によると、パウロはテモテに、あなたが訪ねて来るときには、どうかマルコのことも伴ってほしい、彼は私の働きの役に立つから、と言っています。そう、パウロにとって、実に助けになる人物となっていたのでいた。  付け加えますと、マルコはペテロにとっても、「私の子」と呼ばれる立場になり、ペテロが諸教会に書簡を送るにあたり、ともに「よろしく」のあいさつをする立場にもなっています。そう、紀元62年ごろには、ペテロからも、パウロからも充分に認められる働き人となっていました。  そんなマルコが福音書をものしたのは、50年代中盤とも、60年代中盤とも言われています。パウロの第三次宣教旅行の時期、あるいは、パウロが獄中にあって、64年から67年の間と類推される、殉教の時期と重なります。  そう、マルコはしくじって、一度はパウロから離れざるをえなくなりましたが、それからほどなくして、福音書という、イエスさまの生涯を鮮やかに伝記形式で描いた書をものすという働きに用いられ、かくして、使徒たちから認められる働き人として成長し、用いられるようになりました。その働きがどれほどのものであったか、それは、逮捕され、投獄されるほどの働きであったことからも、大いに評価されるものであったわけです。  この、マルコの生涯から、3つの教訓を私たちはいただくことができます。  第一に、主の働き人は、時に大きなしくじりをもたらすことがあるということです。本来、主にあって一致して働くべき場にあって、勝手に行動してチームワークを乱してしまう。教会にせよ、宣教チームにせよ、そういうことをしてしまい、リーダーをしくじってしまうことは、往々にしてあるものです。その結果、宣教チームが分裂してしまったわけですから、マルコも大変なことをしたものです。そういうしくじり、失敗をしてしまい、主のみこころを損なうこと……それは、主にお従いすべき私たちも、ついしてしまう、私たちはそういう、弱い者、失敗をしがちなものであることを、謙遜に認める必要があります。  第二に、そんなしくじりをする者にチャンスを与えて働き人として立ててくれる人を、主は備えてくださる、ということです。パウロをしくじったマルコが整えられ、福音書を書けるほどの働き人になれたのは、バルナバの存在があったからです。バルナバはもともと、主の教会を迫害した大物の律法学者だったパウロを怖がって、仲間に入れようとしなかったエルサレム教会にあって、積極的にパウロを受け入れ、パウロがエルサレム教会の仲間になれるように、教会に働きかけた人です。バルナバなしには、パウロはあのような働き人になることなどありえませんでした。その愛によって、今度はマルコのことを受け入れ、育てたわけです。  このように、人を育てることができるのは、自分のことを愛してくださるお方、自分の罪を赦してくださるお方、イエスさまの、その愛と赦しを知っているからです。イエスさまが愛してくださったように、人を愛する。イエスさまが赦してくださったように、人を赦す。イエスさまが育ててくださるように、人を育てる。このようにして、あとに続く人は育っていくのです。  そして第三に、マルコは最終的にパウロと和解し、パウロに認められ、のみならず、パウロの同労者にまでなりました。これは、主の働き人はしくじってそれで終わりなのではなく、しかるべき働き人と和解し、一致するように導かれ、ともにキリストのからだなる教会を立て上げる働きに用いられていく、という希望を、私たちに与えてくれます。神さまは私たちのことを、しくじってそれで終わる小人物とみなされません。神の国の働きのために大いに用いられる、そのひとりとしてくださいます。  私たちは自分自身の小ささを見て、それで私たち自らを評価してはなりません。神さまの偉大さ、そして、私たちを選んでくださる、その愛に目を留め、神さまを信頼して歩みましょう。  さて、最後に、そんなマルコが挿入した謎の2節に戻りましょう。それがマルコ自身のことを指すにせよ、そうではないにせよ、この若者のしくじりをわざわざ記録したマルコのその動機を考えてみましょう。  いちどは、イエスさまについていこうとするけれども、十字架を前にしたら、裸の恥をさらすような、みっともない姿で逃げ出してしまう。それが、私たちなのです。  十字架を負われるのは、イエスさまおひとりです。私たちは、イエスさまに並んで十字架を負うような、救い主になることも、ユダヤ人の王になることも、一切許されていない存在です。しかし、そんな私たちも、「あとにはついてきます」とイエスさまに約束していただいています。私たちはイエスさまのあとを、自分の十字架を背負ってついていくことが、もったいないことに、許されている者とされています。私たちはそうなれるように、あたかもバルナバがマルコのことを整えたように、兄弟姉妹の交わりの中で、整えていただきつつ、今日も歩んでいる存在です。感謝しましょう。  受難週が近づいています。私たちはマルコのように、主の十字架を負うことの許されていない存在です。主の十字架は、主イエスさまだけが私たちのために背負ってくださいました。しかし。私たちはイエスさまが十字架におかかりになり、私たちを罪と死から贖ってくださるほどに。私たちを愛してくださったゆえ、私たちもその愛にお応えするように招かれています。兄弟姉妹を愛するということをもってして、主のその愛にお応えするのです。  まず、主の愛を覚え、静かに思い巡らしましょう。私たちには背負えない十字架を、主が背負ってくださり、人のすべての罪をその身に負われ、ことごとく赦してくださった、それゆえに、私の罪も赦していただいたことに感謝しましょう。その愛によって、私自身が整えていただいていることに感謝しましょう。その愛によって、兄弟姉妹を愛せるように、主の恵みを求めてまいりましょう。

毒の器から金の器へ

聖書箇所;列王記第一19章15節~17節 メッセージ題目;毒の器から金の器へ  昨日まで5日間、韓国に行ってまいりました。滞在中、「エステル祈祷運動」の祈祷会にて、メッセージを語ってまいりました。エステル祈祷運動は、妻が数年来関わってきたもので、愛国祈祷運動ともいうべきものです。その祈りの焦点はおもに5つのことに集中していて、それは、北朝鮮との福音による統一、同性愛を批判できなくする差別禁止法立法への反対、中絶反対、イスラエルのための執り成し、イスラム宣教です。妻も一朝一夕にこの運動に参加するようになったわけではなく、韓国の前の政権下でキリスト教会がコロナ対策を名目にした政策のもとにガタガタにされ、そのようになった韓国を憂える思いを禁じえず、時間をかけていろいろ勉強しているうちに導かれたのがこの運動でした。  そんな、エステル祈祷運動に、日本人の分際で関わるようになり、特に学ばされてきたことは、韓国の心あるクリスチャンが、どれほど韓国という国と、韓国人という民族のために祈っているか、その姿勢です。しかし、そのように教会が熱心にならざるを得なかった背後には、歴史的に、日本帝国主義の宗教政策というものがありました。  みなさまご存じのとおり、日本は1910年に、当時、大韓帝国という国号を名乗っていた、つまり韓国、もちろん、いまの北朝鮮を含む、朝鮮半島全体を日本の一部にしました。私はそういう経緯から、日本の帝国主義下にあった朝鮮地域をあえて「韓国」から取って「韓半島」と呼ぶことにしているのですが、ともかく韓半島において、韓国は主権を失いました。これには伏線があって、その数年前から1876年に江華島条約という不平等条約を結んで以降、日清戦争、日露戦争を経て、じりじりと日本は韓国の主権を侵すようになり、1907年の保護条約締結をきっかけに、韓国は事実上、日本の手に落ちました。そのとき、韓国のキリスト教会には大きな動きが生まれました。  その1907年、ピョンヤンを中心に、韓半島全体にリバイバルが起こりました。それは、早天祈祷運動、聖書研究運動の伴うものでしたが、何といっても強い特色といえば、それは「悔い改め」運動でした。日本に支配されるようになったのは、われわれの罪のためだ、そのように韓国においては大いなる悔い改めが起こり、教会が刷新され、多くの人が主に立ち帰りました。  そのようにして全国的に増え広がった教会とクリスチャンは、それから12年後、韓半島が完全に日本の手に落ちてから10年目の年、1919年3月1日に、三・一独立運動が起こされ、その運動のもっとも中心の担い手となりました。そんなキリスト教会が、日本によってよく見られていたはずがありません。1930年代、日中戦争が激化する中、日本は韓半島のキリスト教会に、神社参拝を強要するようになります。しかも、その手助けを積極的に行なったのは、もはや日本の国家権力の手に陥っていた、日本のキリスト教会でした。やがて1941年、日本中のプロテスタント教会は国策でひとつの教団に加入させられ、そのトップである「統理」という職にあった富田満牧師は、伊勢神宮を公式参拝することさえし、内鮮一体なる政策の手先として、神社参拝に屈しない韓半島の牧師たちを苦しめました。日本の内地のキリスト教会がそういう有様だったなか、韓半島では神社参拝を拒否したという理由で獄中で拷問を受け、聞くところによると、牧師と教会役員、合わせて58人もの方が殉教したそうです。ということは、それよりもずっと、ずっと多い方々が、獄中で塗炭の苦しみを受けておられたということです。  やがて戦争は終わり、アメリカが日本をしばらく支配するようになったころ、マッカーサー元帥の政策によって大勢の宣教師が日本に送られ、日本にはキリスト教ブームが起こりました。何せアメリカは日本を壊滅させ、天皇陛下にさえ人間宣言をさせた国です。正装して直立不動の天皇陛下の隣で、顔ひとつ分背が高くてずっと恰幅のいいマッカーサーが、ラフな軍服にポケットに手を立つ写真は、否が応でも日本人に、日本はアメリカに完全敗北したことを思い知らせました。そんな日本人は、アメリカの神のほうが強い、と思ったから、キリスト教ブームが起こったのでしょう。  しかしこれは、韓国を成長させつづけたリバイバルと、根本から異なるものです。日本は戦争に負けて、「一億総ざんげ」などというフレーズが語られましたが、その「懺悔」の対象は何だったのでしょうか。だれに対して「懺悔」するのでしょうか。少なくとも、創造主なる神さま、主イエスの父なる神さまに対する懺悔ではありませんでした。  これに対して韓国は、日本に支配されつづけたこと、国の北半分が共産主義によって占領されたこと、そういったことを、神さまからの「悔い改めなさい」というサインだと受け取り、教会は率先して悔い改め、そして成長していきました。日本は韓国教会の成長から多くを学ぼうと、弟子訓練ですとか、断食や癒しの祈りですとか、ディボーションですとか、家の教会ですとか、二つの翼ですとか、色々採り入れようとしてきましたが、根本の「悔い改め」という点においては、どうしても徹底して習うことができないというのが、長年韓国教会から学んできた日本人クリスチャンであるところの、私の見立てです。  さて、さきほど私は、愛国祈祷運動であるエステル祈祷運動が、イスラエルに重荷を持っていることをお話ししました。実は、長年韓国教会とつきあってきた私が断言することですが、韓国人のクリスチャンは、自らとイスラエル民族を同じ存在とみなす傾向がとても強いです。それは、日ユ同祖論のような、自分たちが血統的にイスラエル人であるという意味ではありません。むしろそれは例えるならば、アメリカの黒人のクリスチャンたち、すなわち、白人に支配され、同時に白人からなる信仰共同体に入れてもらえない奴隷たちが、それでも神の民として、自分たちのそばを流れる大河、ミシシッピ川を聖書に登場するヨルダン川に例えた心情に近いものと言えるかもしれません。  東北学院大学の名誉教授で旧約学の学者、浅見定雄先生も著書『旧約聖書に強くなる本』で書いていらっしゃることですが、韓国のクリスチャンは、旧約を重んじます。それは、新約のみならず聖書全体を重んじるということですが、その根底にはやはり、旧約聖書の主人公の民族であるイスラエルに、ことのほか心を寄せる気持ちがあるはずです。  私も、韓国のクリスチャンとつきあっていて、彼らがイスラエル民族と自分たちを重ね合わせながら聖書を学ぶ姿を見てまいりました。みなさんご存知の、「アバ、父よ」。アバはイスラエルのことばですが、あの「アバ」が、日本語では「お父ちゃん」だとはよく言われます。でも、そういわれて、みなさん、ピンときますか? だって、現代の子どもたちは、「お父ちゃん」なんて言いますか? 「パパ」ならいくらかピンときますが、なんといっても「パパ」は外国語っぽく、あまり日本語らしくありません。その点、韓国語で「アッパ」というと、「アバ」にそっくりで、意味もまったく通じます。私はこんな韓国語と、それを使う韓国人のクリスチャンに、日本人のクリスチャンとして嫉妬を覚えたものでした。  そんな、韓国人クリスチャンは、日本をどう見ているか、それは、イスラエルを悔い改めに至らせるために、神さまがお立てになった神の器のあり方から、その実態を知ることができます。  さきほどお読みしたみことばは、バアルとの雨乞合戦に勝利し、イスラエルの民をして「主こそ神です。主こそ神です」と言わしめたエリヤが、それなのにイスラエルの霊的状況が変わらず、激怒したイゼベル王妃にいのちを狙われるようになり、神の御前に嘆きをもって訴えたとき、神さまが示してくださったご命令です。それがこの、15節から17節のみことばです。  神さまはエリヤに、3人の器を立てるように命じられます。順に、ハザエル、エフー、エリシャです。 しかし、その持つ価値や性質は、同じ神の器でも同じではありません。たとえば、オリンピックでは最高級の成績を上げた選手やチームに、メダルが授与されます。しかし、金メダル、銀メダル、銅メダル、それぞれ価値が異なり、銅メダルの人は金メダルの人ほどには栄誉を受けることができません。  金、銀、銅、といえば、こんな話もあります。私がむかし、東京の韓国人教会にいたとき、韓国人のメンバーの方に教えていただいたことばがあります。リンゴは栄養のある果物ですが、食べるにはふさわしい時間があるというのです。こう言います。「朝のリンゴは金、昼のリンゴは銀、夜のリンゴは、ど~く(毒)。」  その伝(でん)で行くと、金の器はエリシャです。これは、言うまでもないと思います。銀の器がエフー、確かに彼は、バアル礼拝をイスラエルから追放したという点でよい王様でしたが、金の子牛礼拝をやめようとはしませんでした。だから、エリシャには及びませんが、それでも神さまはある程度の評価をエフーに与え、四代目まで王になると約束してくださり、そのとおりになったのですから、まあ、銀くらいはあげてもいいと思います。  しかし、ハザエルはどうでしょうか。彼は、神の器といっても、毒の器だったのです。聖書を読むと、エリヤがハザエルに直接油を注いだという記述はありませんが、その後継者であるエリシャがハザエルと会う、という場面なら出てきます。では、ハザエルは主に油注がれたというならば、それにふさわしい、主のみこころにかなったすばらしい人格を持った指導者なのでしょうか? そのあたりの箇所、また、それにつづく聖書のみことばを読むと、ハザエルがどんな人物かわかります。  言うまでもなく、アラムはイスラエルにとって敵の国と民族でした。しかも、アラムの王、ベン・ハダドは、創造主なる神さまではなく、リンモンという名の神を礼拝する者でした。しかし、ベン・ハダドは、大事な臣下であるナアマン将軍の癒やしを体験していましたので、イスラエルを敵国と見なしながらも、エリシャに臨んでいる霊的な力を認めていました。そんなベン・ハダドは重い病気にかかりました。そこに、アラムの首都ダマスコにエリシャが来ているという話を聞きつけ、ベン・ハダドは臣下のハザエルを遣わして、エホバの託宣を求めました。  エリシャはハザエルに会いました。そのとき神さまは、エリシャに啓示を与えられ、ベン・ハダドは必ず治る、しかし、必ず死ぬ、ということをお示しになりました。エリシャはそのようにハザエルに告げました。  すると、エリシャはハザエルの顔をじっと見つめはじめました。ハザエルが恥ずかしくなるほどにです。そしてエリシャは泣き出しました。いエリシャは言います。あなたはイスラエルに害を加える。イスラエルの要塞に火を放つ。若い男たちを剣で斬り殺す。子どもたちを八つ裂きにする。妊婦たちを切り裂く。……ますます驚くハザエルに、エリシャは言います。「主は私に、あなたがアラムの王になると示されたのだ。」  ハザエルは王宮に戻り、ベン・ハダド王に、陛下は必ず癒やされる、と告げます。だが、次の日、ハザエルは、寝台で横になっているベン・ハダドを暗殺します。それも、濡れた毛布を顔にかけるという、残忍な方法を用いてです。  結果として、エリシャが告げたとおり、ハザエルはアラムの王になりました。しかし、ハザエルがほんとうにエホバを恐れる人だったならば、王が元気になって寝床から立ち上がるのを見届け、そして、主の摂理のうちに死ぬことを待てたはずです。そうすれば、主はハザエルを王に立ててくださったはずです。しかし、ハザエルはその主のお導きを待つことをせず、エリシャのことばを聞いて野望に燃え、王権を奪い取りました。  案の定、ハザエル王率いるアラムは、イスラエルと戦争することになりました。ハザエルはイスラエルを侵略し、イスラエルから領土を略奪することさえしました。そんなアラムの攻撃を受けつづけたイスラエル王国において、エリシャは神の働き人、それこそ「金の器」でありつづけましたが、そんなエリシャにも世を去る時がやってきました。病床にあったエリシャは、見舞いに訪れたイスラエルのヨアシュ王に、あなたはアラムを滅ぼし尽くしなさい、と、命じます。つまり、アラムは滅ぶべきだったのです。なぜならば、神の民であるイスラエルを、これほどまでに苦しめたからです。  こんなハザエルの、神の器として果たした役割は何でしょうか? それは、イスラエルの王と民を、バアル礼拝や金の子牛礼拝のような、偶像礼拝の生活から立ち返らせるためにあえて起こされた敵、ということができます。  まさしく、ハザエルはエリシャが預言したとおりの、残忍な人物でした。しかし神さまは、ハザエルのその残忍さを用いてイスラエルを懲らしめられ、民がご自身に立ち返り、拠り頼むように導いてくださいました。  イスラエルに対するハザエル、そして彼が統べ治めるアラムのこの姿に、韓国の教会と長年おつきあいしてきた私はどうしても、日本の国と民族を思わずにはいられません。日本はどれほど韓国教会を迫害したことでしょうか。神社参拝を強要し、従わなければ逮捕して拷問し……神の民イスラエルを苦しめたアラムとハザエル王に匹敵した悪事を、日本と、日本のキリスト教会は行なったわけです。  それなら、日本の教会がリバイバルを求めるために必要なことは何でしょうか。それは、悔い改めです。たしかに、日本の教会は過去、韓国をはじめとしたアジア諸国に行なってきた罪を悔い改めてきました。それは必要なことでした。しかし、ほんとうに悔い改めるべきことは、まだたくさんあるのではないでしょうか。  はっきり申しますが、日本のクリスチャンの多くは、潜在的な偶像礼拝者です。さすがに、神社に行って車にお祓いをしてもらったり、1月1日に神社仏閣に初詣に行くクリスチャンはいないと信じたいですが、仏式や神式のお葬式のような、日本人にとって避けがたいことにおいてはどうでしょうか。これはどう弁護しようとも、神の前では偶像礼拝です。私は前任の牧師である宇佐神先生が、信徒のみなさまに、仏式のお葬式ではお焼香をしてはいけないことを徹底して教えてくださり、信徒のみなさまをそれをちゃんと守っておられたことに、心から感謝したものでした。日本の教会は多くが、そのようにきちんと教えていないために、みなさん、どこか後ろめたさを感じながらも、周りにどう思われるかが怖くて、つい、お焼香をしたり、玉串をささげたりしているわけです。  しかし、そういうことをしなければ、自分は偶像礼拝者ではない、と言えるでしょうか。コロサイ3章5節によれば、貪欲、つまり、むさぼりというものが偶像礼拝だと定義されています。つまり、自分の肉欲というものを偶像にして、結果として神との交わりを無視しているわけです。趣味、美食、習慣、これらも度を超すと、偶像礼拝になります。  韓国は21世紀になり、日本のサブカル文化が解禁され、ケーブルテレビとインターネットが普及するようになって、目を覆わんばかりに堕落しました。たしかに、アカデミー賞やノーベル文学賞を受賞するようなクリエイターが生み出されてはいますが、それは国や民族に対する神の栄光と何の関係があるのでしょうか。韓国は、子どもや若者の足が教会から遠ざかるのと軌を一にするように、性的に乱れ、人々はオカルトを好むようになり、自殺する人が相次いでいます。  しかしそれでも、心ある韓国教会はなおともしびを掲げ、反キリストの世界に向かって、悔い改めを叫びつづけています。そのように祈る人がいるから、韓国はすばらしい国です。しかし、日本はどうでしょうか。このままでは、肝心の日本にはいつまでたってもリバイバルが訪れません。  私たちがこの世と調子を合わせて生きるのをやめないならば、私たちはこの、日本社会という毒の器をなす一員でしかなくなります。それは塩気をなくした塩です。外に捨てられて踏みつけられる存在にしかなりません。また、升の下に隠したともしびです。何を照らせるというのでしょうか。早い話が、何の意味もない生き方です。  私たちがほんとうにリバイバルを求めるなら、必要なのは、悔い改めです。自分さえよければ、自分さえ救われれば、自分さえ祝福されれば……もうそう考えるのは、やめようではありませんか。何のために神さまはわざわざ、この国と民族のうちから私たちをお救いになったのですか? それは、私たちをとおして、この地に神の国、神のご支配を成し遂げてくださるためではありませんか。いまこそ、この民に無関心だったわが身を悔い改めましょう。そして、相変わらず主を無視しつづけているこの日本が悔い改め、神さまに立ち返るように祈りましょう。ほかの民族を悔い改めさせるしか能のない、毒の器から、エリシャのごとく人々に主の栄光を見せてあまりある金の器として、この国と民族をつくり変え、用いてくださるように、神さまに祈りましょう。  エリシャのことがあんなにも聖書に記録されているのは、主が私たちのことを整え、エリシャのごとく用いてくださるという希望をくださっているからです。ご覧ください。ハザエルが主の栄光を顕す姿など、聖書のどこに書かれていますか? しかし、エリシャはそれと反対に、どれほど素晴らしい器として用いられたことでしょうか? 私たちはこの民の中にあって、エリシャのごとく金の器としていただき、人々を毒の器から金の器に変えてくださるみわざに用いていただく者とならせていただきましょう。

良きサマリア人になるために

聖書箇所;ルカの福音書10章25節~37節 メッセージ題目;良きサマリア人になるために  国会議員、参議院議員に、金子道仁という人がいます。彼は牧師先生で、もともとが、フリースクールや老健施設の経営で知られる、グッド・サマリタン・チャーチという、兵庫県の田舎にある教会の副牧師をなさっている方です。英語で「グッド・サマリタン」というと、隣人愛に富んだ人、という意味の、クリスチャンにかぎらず用いられる、美しい呼び方です。グッド・サマリタン・チャーチは今日も、その呼び名にふさわしくあるように、福祉を必須の働きとした教会形成を実践すべく、兵庫県の郡部で頑張っておられます。  グッド・サマリタン。良きサマリア人。いいことばです。宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」ではありませんが、「そういう人に私はなりたい」と、聞く人をして感動させるおことばです。私もこの、良きサマリア人のようになりたい。しかし、イエスさまがこのたとえをだれに対して、どんな流れでお語りになったかをよく考えると、手放しに、美しいお話、では片づけられないものがあることに気づきます。イエスさまは「あなたも行って同じようにしなさい」とおっしゃるが、私たちには「行って同じように」できるのだろうか、そうするためには何をしなければならないだろうか、ともに考えていただけたらと思います。  ひとりの律法学者がイエスさまのもとに来て、質問します。何をしたら永遠のいのちを受け継げますか。彼がこう質問した理由をみことばは語りますが、それは、試そうとして、ということでした。律法学者、パリサイ人という立場にある者たちは、イエスさまのお語りになったことの粗を探し、罠にかけて、あわよくば訴えてやって、なきものにしてやろう、という、腹黒いことを考える集団でした。しかし、彼のそんな意図で投げかけた意地悪な質問は、イエスさまから、極めて大切な教えを引き出す結果となりました。  イエスさまはこの質問をしてきた律法学者に、「律法には何と書いてありますか。あなたはどう読んでいますか」と、逆に質問を投げかけられました。みことばを学ぶ者は、まず、その学ぶ前提となっているみことばの読み方、受け取り方が問われます。みことばを単なる人間の書いた書物と受け取ったら、それなりの読み方になりますし、みことばは神さまのお語りになった永遠の真理と受け取ったら、そういうものとしてお聴きすることになります。うちの教会はもちろん、みことばは神さまの御口から出る永遠の真理であるという立場を、創立以来58年にわたって一貫して保ってきたわけで、だから私もそのようにみことばをお読みしています。だれが何と言おうと、聖書は誤りなき神のみことばです。  だから、イエスさまのこのご質問に対する律法学者の答えは、彼にとってのみことばの読み方、彼が専門としている律法に対する、彼なりの立場を反映したものであるわけです。前提となっているものは「何をすれば、永遠のいのちを得られますか」。それに対して、イエスさまは、あなたがそう律法を読んでいるならば、そのとおりですから、それを守り行うことです、とおっしゃいました。  しかし、私たちはここで引っかからないでしょうか。私たちは普段、イエスさまの十字架を信じる信仰によって永遠のいのちを得られる、と、エペソ人への手紙2章8節、9節から教えられています。。永遠のいのち、救いは信仰による。なのにイエスさまは、律法を守り行うことで永遠のいのちを得られる、と? これいかに?  その疑問に対する解決はとりあえず一旦置いておいて、つづきを見てみたいと思います。律法学者は、では、私の隣人とはだれのことですか、と、イエスさまにもう一度質問しました。それは、「自分の正しさを示そうとして」という動機からだったとあります。  当時のユダヤ人にとって、隣人といったらふつう、まずは家族、そして親族、さらにユダヤの共同体の人、であり、それ以外の人は眼中にありませんでした。  だから、イエスさまもユダヤの教師であるならば、当然そう答えるはずだ、そんな隣人を愛することなら、私にはお安い御用だ、私には守り行えるぞ、どうだ、私は正しいだろう、という計算が、この律法学者にあったわけです。  そこでイエスさまは、ひとつのたとえ話を始めました。……エルサレムからエリコに下る人、これは、ユダヤ人が想定されています。そのユダヤ人が、強盗たちから寄ってたかって暴行を受け、身ぐるみ剝がれ、傷ついて横になっていた……あなたは、このユダヤ人にわが身を置き換えてみなさい、というわけです。  さて、イエスさまがこうしてお語りになった、強盗たちにやられて傷ついた旅人がユダヤ人だった、これには深い意味があります。ユダヤ人は、病気になって倒れていたのではありません。強盗にやられて倒れていたのです。なぜ、イエスさまはわざわざ、強盗、という言い方をしたのでしょうか? 話によると、当時この街道にはときどき追い剥ぎが出たらしく、イエスさまのたとえもそれを念頭に置いておられたと言えるわけですが、それにしても、血なまぐさいたとえ、それならいったい、強盗とはだれでしょうか?  この旅人はユダヤ人で、強盗に襲われて身ぐるみ剥がれました。何を象徴しているのでしょうか? 当時の社会においては、ユダヤ人の庶民を寄ってたかって傷つけ、搾取する存在がありました。それはほかならぬ、今こうしてイエスさまがたとえ話を語り聞かせておられる相手、律法学者たち、パリサイ人たちでした。  イエスさまは、ユダヤ人の群衆が、羊飼いのいない羊のように弱り果てているのをご覧になり、はらわたもよじれんばかりに悲しまれました。ユダヤ人をこれほどまでの状態にしたのは、パリサイ人のような宗教指導者たちが、民の羊飼いとしての役割を果たし、みことばによって彼らを養い、いやすことはおろか、みことばの本来の精神を離れた自分たちなりの解釈で彼らを支配し、傷つけ、搾取することしかしなかったからです。もちろん、イエスさまはこのたとえで、強盗とはあなたがた律法学者のことです、とはおっしゃいませんでしたが、それでも、強盗のような存在に傷つけられたユダヤ人にわが身を置き換えて考えてみなさい、というチャレンジは与えておられるわけです。  さあ、その傷ついたユダヤ人の方に、つまりエルサレムへと向かう祭司がやってきました。エルサレムで主の宮にて仕える働きをするためです。しかし、彼は反対側を通り過ぎました。もちろん、祭司には彼のことが見えていないわけではありません。しかし、関わり合いになるのを避けました。実に、宗教人にあるまじき姿ですが、ここであえて、この祭司の弁護をする試みをすれば、祭司はきよい主のお働きをするために、けがれたものに触れてはなりませんでした。それは律法のみことばに書かれているとおりです。  もし仮に、この道端に横たわっている人が死んでいたならば、万が一そのからだに触れでもしたら、この祭司は「汚れた」ということになるわけです。そうなってはエルサレム神殿にて神さまの働きをすることができなくなります。祭司は、神さまとの関係を重んじて、あえてこの道端のユダヤ人から身を引いたわけです。  しかし、だからといって、この祭司がこの傷ついたユダヤ人に何の手も差し伸べなかった事実に変わりはありません。いわんやこのユダヤ人は、死んでなどいませんでした。死体に触れたら汚れて、神さまの働きができなくなる、というのは、言い訳以外の何ものでもありません。この祭司は、神さまとの関係においては、百点満点のつもりで振る舞ったことでしょう。しかし、同じユダヤ人に対して見捨てる行動をしたという点で、「あなたの隣人を自分自身のように愛しなさい」という律法の命令に対しては、0点でした。隣人を愛することにおいて0点ならば、神を愛することにおいても0点になってしまうのです。  次に来たのは「レビ人」でした。やはりエルサレム神殿にて、祭司の指導のもとで働く立場にありました。彼もこのユダヤ人を避け  ました。理由は祭司と同じ、関わり合いになったら主の働きができなくなるかもしれない。このレビ人の姿は、当時の宗教社会の現実を投影していると言えます。トップにいる祭司にしてそのような、律法主義でがんじがらめになって傷ついているユダヤ人の隣人になろうとしていない。その下で働くレビ人たちもその影響を受けてしまっている。  宗教指導者たちは普段、偉そうなことを言っているけれども、ユダヤ人の抱える傷を癒やそうとも、慰めようともしない。ただ、自分たちを肥え太らせることしかしていない。上から下までみんなそうである。このたとえには、ときの宗教指導者たちに対する、イエスさまの激しい怒りが隠されているようです。  さあ、そこにやってきたのが、サマリア人でした。イエスさまが「サマリア人」とおっしゃったとたん、この律法学者はどんな顔をしたことでしょうか? なにい、サマリア人だあ!? 吐き捨てたくなったのではないでしょうか。  サマリア人。神の民イスラエルの血を引きながらも、血統的には混ざりあった混血の民と化し、宗教的にもユダヤ人から見れば純粋さを失い果てた、汚らわしい存在。ユダヤ人にとってサマリア人は、蛇蝎のごとく嫌うべき存在、もっといえば、差別して当然の存在でした。だから、イエスさまが平然と「サマリア人が」とおっしゃったとき、この律法学者は顔から血の気が引いたのではないでしょうか。  もちろん、サマリア人もユダヤ人のことを蛇蝎のごとく嫌っていることは、ユダヤ人の側もよくわかっています。それが、イエスさまのこのお話だと、サマリア人の旅人は、道端に横たわるユダヤ人に目がくぎづけになりました。かわいそうに思いました。駆け寄って、自分の大事なオリーブ油とぶどう酒を傷口に注ぎ、包帯を巻いて手当てをしました。自分が乗っていた家畜に乗せてあげて、自分は歩いて彼を乗せた家畜を引いて宿屋を探し、たどり着きました。宿屋で彼のことを、一生懸命介抱しました。2デナリものお金を宿屋の主人に払い、このユダヤ人のことを頼みました。しかし、主人に任せっきりにしないで、もっとお金がかかったら、自分が帰りに払う、と約束しました。  傷ついた人に対して、赤の他人が、それも、敵対している民の人が、ここまでしたわけです。ヤコブの手紙に書かれた、私は行いによってあなたに自分の信仰を見せます、という教えを、地で行く実践、それをこのサマリア人はしたわけです。「よきサマリア人」と呼ばれて賞賛されるゆえんです。  この傷ついたユダヤ人に、わが身を置き換えて考えてごらん、という前提で、イエスさまはお話しになりました。その上で、イエスさまは律法学者にお尋ねになります。「この三人の中でだれが、強盗に襲われた人の隣人になったと思いますか。」  もう、答えは明確です。しかし、この律法学者は、この期に及んで、それはサマリア人です、とは、口が裂けても言えなかったのでしょう。「その人にあわれみ深い行いをした人です」と答えるのが精一杯でした。そんな律法学者に対し、イエスさまはおっしゃいます。「あなたも行って、同じようにしなさい。」  さて、これは、私たちクリスチャンはすべからく、このよきサマリア人のごとくふるまうべきだ、という教えなのでしょうか? たしかに、そうとも言えますが、ここでイエスさまがなぜ、この律法学者もそうであるユダヤ人にとっては蛇蝎のごとく嫌う民族であるサマリア人をたとえにしてお語りになったか、もっとよく考える必要があります。  この律法学者は、永遠のいのちに関心がありました。しかし、彼はそれを得るには、「何をしたら、永遠のいのちを受け継ぐことができるでしょうか」という質問や、「強盗に襲われた人の隣人になったのは、その人にあわれみ深い行いをした人です」という答えに現れているとおり、彼の関心、彼の基準は、どこまでも「何をするか」ということ、つまり、「行い」にありました。  しかし、彼がもしイエスさまがおっしゃるように、「行って同じようにする」には、絶望的な壁が待ち受けています。ユダヤの律法学者、宗教指導者が、蛇蝎のごとく嫌うサマリア人に隣人として接するならば、それはその人の宗教指導者としての立場の「死」を意味します。  いや、それだけでしょうか。この律法学者が、「私の隣人とはだれですか」とイエスさまに聞いたとき、彼がその前提としていたものが、同じ民族であるユダヤ人のことを自分の隣人と思っていた、と申しました。しかし実際はどうだったか。律法学者は、ユダヤ人を寄ってたかった痛めつける強盗でした。  律法学者たちは、同族のユダヤ人に対してさえも、愛情深く隣人として振る舞うことはおろか、傷つけ、搾取し、拘束する、そういうことを当然のことのようにしていたわけです。隣人であるはずのユダヤ人に対してさえまともに隣人愛を実践できない者が、どうして、あの大嫌いなサマリア人に愛の実践などできるものでしょうか。  要するに、イエスさまがお示しになった、まことの隣人の姿など、真似しようとしても真似できないものなのです。この律法学者は行いで永遠のいのちを手にできると思っていたようですが、ほんとうのところ、行いなどで永遠のいのちは、金輪際手に入るものではありません。だから、律法学者はこのとき、みことばの要求する行いの水準がいかに高いものかを思い知り、絶望して、「イエスさま、できません! この罪人の私を憐れんでください!」と、ひざまずいて御手にすがるべきだったのです。  それにしましても、隣人の話を持ち出すにあたって、なぜイエスさまはわざわざ、サマリア人があなたの隣人だ、とおっしゃったのでしょうか。それを考えるには、このサマリア人がユダヤ人に何をしたかを考えてみましょう。かわいそうに思った。いやした。いのちが保たれるために犠牲を払った。サマリア人のこの姿は、イエスさまの姿ではないですか。  ユダヤの宗教指導者たちはサマリア人を蛇蝎のごとく嫌ったように、イエスさまのこともやはり嫌いました。なんと、彼らはイエスさまに向かって、おまえは悪霊に取りつかれたサマリア人だ、と言っています。ダビデの子、ゆえに、ユダヤ人の中のユダヤ人であるイエスさまのことを、彼らは言うに事欠いて「サマリア人」呼ばわりしたのです。しかしイエスさまは、サマリア人呼ばわり大いに結構、とばかりに、ご自身をサマリア人に例えられ、わたしがどんなにあなたたちに嫌われていようとも、あなたたちが傷つけられて苦しんでいるのを、わたしは見過ごしにはできないのですよ、わたしは癒やします、永遠のいのちを、わたしの十字架の代価をもってあなたがたに与えます、どんなに拒絶されても、イエスさまは愛してくださるのでした。  この愛を人が持つのは不可能です。なぜならば、人はどこまでも自分中心の罪人だからです。神を神と認めない、自分のことしか考えない、そんな堕落した存在である私たちが、ちょっとやそっとのよい行いでだれかを愛し、その結果永遠のいのちを得ようなんて、ナンセンスもいいところです。イエスさまはそんな律法学者の愚かさにしたがって、あえて「愚か者には、その愚かさに従って答えよ」という、箴言のみことばの原則どおりにお答えになっただけです。  しかし、私たちは律法学者の愚かさを笑う前に、自分自身の愚かさを認めるべきです。あらゆる知恵を得ようとも、決して自分を救えない。何をやっても神のきよさから外れた、自己中心、サタン中心の罪人。神さまはそんな人間のことなど、たちどころに滅ぼして当然でした。いまごろ、あなたも私も地獄の中。それでも何ひとつ文句など言えた義理ではありません。しかし、神さまはこんな愚かな人間のために、わかった、おまえたちがそれほどまでに愚かならば、わたしはお前たちの愚かさにしたがって答えよう。私のひとり子をおまえたちの身代わりに十字架につけ、死なせよう。おまえたちがこれを信じさえするならば、わたしはおまえたちを救い、永遠のいのちをあげよう。神の愚かさはここに極まりました。だが、コリント人への手紙第一1章が語るとおり、この神の愚かさは、何をどう努力しても決して自分自身を救うことのできない、人間のあらゆる知恵にまさるのです。  そう、私たちは、もはや神の御子イエスさまが身代わりに死んでくださらないかぎり、決して罪から自分を救えなかったほどの罪人、愚か者、弱い者です。  しかし、それでも私たちは、このよきサマリア人のようでありたい、この人のように無償の愛を実践したい、そう思いませんでしょうか? それは、イエスさまを信じる信仰によって救われた者として、当然の思い、というより、そういう思いに導いてくださる、神さまの恵みです。そう、まともに考えたら、こんな愛を実践することなど、しようと思ってもできないのです。  私たちは愛せません。愛する行いなど実践できません。自己中心の罪人です。しかし、それでもイエスさまは、そんな私たちに向かって、「あなたも行って同じようにしなさい」とおっしゃいます。  イエスさまはあえて不可能なことを、私たちに命令しておられるのです。それは、そうできるように、神さまが私たちのことを、みことばと御霊により、心の一新によってつくり変えてくださるからです。あなたはよきサマリア人になれるのです。イエスさまは私たちにチャレンジを与えてくださっています。  どうすればいいのでしょうか? イエスさまの愛と恵みを知りつづけることです。イエスさまが、こんな私の隣人になってくださり、愛してくださっているなんて! 癒やしてくださっているなんて! なんと感謝! なんともったいない! イエスさま、あなたさまの愛に応えさせてください! 私もだれかを愛せるように! その、イエスさまへの愛が必要です。  私たちがもし本気で、この「よきサマリア人」に憧れ、そのようになりたいと思うなら、教会全体でともに、キリストの似姿に変えていただくことです。ともにみことばをいただき、ともにみことばを握って祈り、交わりを大切にし、お互い励まし合い、慰め合い、力づけ合い、そして、家庭であれ、職場であれ、学校であれ、サークルや習い事であれ、それぞれの生活の現場に出ていって、隣人を愛し、隣人に仕えることにより、イエスさまがその人の隣人になり、癒やし、救い、永遠のいのちを与えてくださる、そのお手伝いをすることです。  みこころにかなった共同体となる第一歩、それはまずここにいる自分から、イエスさまが自分のことを愛してくださるその愛を受け取り、その愛によってだれかを愛することから始まります。まさに今年の標語、「神の愛で愛しはじめよう」、それを、まず自分から始めるのです。だれかにやってもらおうとする前に、まず自分から始めるのです。  なにも、赤の他人を愛しなさい、とか、大嫌いで口もききたくない人に、積極的に関わらなくてはなりませんよ、ということではありません。まず、そばにいる、それこそ隣人を愛することから始めるのです。それが、良きサマリア人として歩むそのはじまりです。私たちがみな、心のうちにおられるイエスさまとの交わりを日々深め、神を愛し、隣人を愛する、よきサマリア人の働きにともに用いられるものとなりますように、主の御名によって祝福してお祈りいたします。

主イエスの羊を飼う資格

聖書本文;ヨハネの福音書21章15節~17節 メッセージ題目;主イエスの羊を飼う資格   本日は教会の年次総会の日です。今年に入ってから、「神の愛で愛しはじめよう」というテーマを掲げ、私たちはここまで歩んできました。そのように、神の愛で愛するためには、まず、私たちが主なる神さまに愛されているということを受け取ること、そして、主を愛するということをすること、それがどうしても必要になります。そうしてこそ初めて、私たちは主の愛によって、隣人のことを愛しはじめて、やがて、お互いが愛し合えるようになります。  先週私たちは、リビングライフによる聖書通読において、ヨハネの福音書18章のみことばをお読みして、イエスさまを逮捕しに来た兵士の耳を切り落としてしまうほどに威勢のよかったペテロが、いざイエスさまが裁判の席に引き出され、暴力を一方的にお受けになる光景を目にします。そんなペテロは、周りにいる者たちに「あなたもイエスの仲間だろう」と何度も問い詰められ、「違う。知らない」と三度も言ってしまった、そんな場面に私たちは接しました。ペテロが三度目に「知らない」としらばっくれたとき、鶏が鳴きました。それはイエスさまが予告しておられたとおりのことで、ペテロは何もかもお見通しだったイエスさまのそのおことばを思い出しました。そして、裁判を傍聴していたその群れからひとり離れ、外に出て号泣しました。  そしてイエスさまは、このあまりに不当な裁判を堂々とお受けになり、十字架におかかりになりました。そして死なれました。しかし、復活されました。  一方、イエスさまの弟子たちは、ユダヤの指導者たちは俺たちのことまで捕まえに来るんじゃないだろうか、と、怖がって家に閉じこもっていました。そこにイエスさまが現れて、平安がありますように、父がわたしを遣わされたように、わたしもあなたがたを遣わします、聖霊を受けなさい、と言って、彼ら弟子たちのことを大いに励ましてくださいました。  しかし、それでもまだ、弟子たちはすぐに、イエスさまに献身したと言える働きに踏み出せないでいました。ペテロは十二弟子時代の持ち前のリーダーシップを発揮して、俺は魚を獲る働きに行く、と言い出して、弟子仲間をぞろぞろと連れて、真夜中の湖に舟を出しました。しかし、何も獲れませんでした。  夜が明けそめたころ、岸辺から声がします。「子どもたち! 食べるものがありませんね!」話によると、この湖は離れていても音がよく聞こえるらしく、イエスさまが群衆にメッセージをお語りになるにあたり、湖という場所をお選びになったのももっともなことなのだそうです。だから、岸辺と湖面のように、遠く離れていても会話ができました。弟子たちは岸辺の声の主(ぬし)に答えます。「はい、ありません。」すると声の主が言います。「舟の右側に網を下ろしなさい。そうすれば、獲れます。」  彼らは、冗談言っちゃいけねえ、などと疑わず、素直に網を下ろしました。漁師の経験や勘よりも、岸辺の声を信じたのはなぜでしょうか? これは、3年にわたってイエスさまの御声に従順にお従いする訓練ができていたから、御声をキャッチするとそれにひとりでに従えていたからでした。まだ、この声の主がイエスさまだと気づいていなくても、ひとりでにそれが主のみこころだと判断できて、行動できていたわけです。そう、従順の行いが、頭で考えるよりも前に、本能のように身についていたわけです。  すると、獲れるわ獲れるわ! その数なんと153匹! 弟子の一人が叫びます。「主だ!」そう、あの岸辺の声の主は、イエスさまだと分かりました。水にぬれるし、汗をかく、そんな力仕事の邪魔になるからと、すっぽんぽんで漁をしていましたが、ペテロは、イエスさまに会いたい! でもこれじゃ恥ずかしい! と、服をまとって湖に飛び込み、一目散に泳いでイエスさまのおられるところに向かいました。  イエスさまは粋な方です。よくもわたしのことばを無視して、またもこの世の働きに出ていったな、などとお責めになることは、一切なさいませんでした。そうじゃなくて、イエスさまのなさっていたことは、パンと魚を用意して、炭火を起こしてその上で魚を焼いて、朝ごはんを用意する、ということでした。ほら、あなたがいま獲った魚をこの火の上に載せなさい、イエスさまは、彼らの漁の努力が意味のあるものにすることさえしてくださったのです。一晩中の漁のお仕事、よく頑張ったね、そんなふうに励ましてさえくれているようです。  弟子の足を洗ってくださったイエスさまは、ここでも弟子たちのしもべとなってくださいました。相変わらずイエスさまの言うことを聞かないで、勝手なことをしている彼らが、おなかがすいて疲れたら、食べさせてあげる。そのためにパンをこね、魚を獲り、炭火を熾して料理して……どこの世界に、先生をしくじる弟子たちにここまで尽くす、そんな先生がいるでしょうか。  彼らは、このお方がイエスさまだということをわかっていました。十字架に死なれ、お墓に葬られていなくなったのではない。復活していま、ここにともにおられる。あなたはどなたですか、なんて、聞くだけ野暮というものでした。  そしてイエスさまは、その中でもとびきりのしくじりをしたペテロに向かって、おっしゃいます。「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たちが愛する以上に、あなたはわたしを愛していますか。」イエスさまのおっしゃった「愛していますか」、これは欄外の脚注にあるとおり、ギリシャ語の原文では「アガパオー」、つまり、「神の愛で愛していますか」ということです。  しかし、イエスさまを三度も裏切ったペテロに、そんな大それたことがいまさら言えるでしょうか。いわんや、ここにいるほかの人たち以上にあなたを神の愛で愛しています、など、とんでもないことです。ほかの者たちがつまずいても、自分は絶対そうなりません、と大見得を切った者が、いまさらどの口でそんなことを言えるでしょうか。  それでもペテロは、イエスさまがおられると知ったら、上着をまとって精一杯の威儀を正しながら、一目散にイエスさまのもとに駆け寄っていった、イエスさまが大好きな人であることに変わりはありません。「はい、主よ。私があなたを愛していることは、あなたがご存じです。」この「愛している」は、これも欄外の脚注にありますが、「フィレオー」、つまり「兄弟愛」です。神の愛には遠く及ばないけれども、私はあなたを愛しています、それは、わかってくださっていますよね?  そんなペテロに、イエスさまはおっしゃいます。「わたしの子羊を飼いなさい。」ルカの福音書15章4節から7節に出てくる羊飼い、いなくなった羊を一生懸命さがし、見つかったら喜んでその羊を肩に担いで帰り、その喜びをみんなに分かち合う。それほど、いと小さな存在をイエスさまの子羊と見込んで大事にする、イエスさまが何よりも大事にしておられる小さな存在を大事にすることで、イエスさまのことを大事にする、そんな人になってほしい。  でも、イエスさまはなおお尋ねになります。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか。」ほかの人よりも、ではないにせよ、イエスさまはこの問いにおいても「アガパオー」とおっしゃいました。しかし、ペテロは「私がフィレオーの愛であなたを愛することは、あなたがご存じです」とお答えしました。私の愛が神の愛などとんでもない、しかし、それでも私があなたを愛していることは、あなたが知っておられます。イエスさまはその答えをよしとし、「わたしの羊を牧しなさい」とおっしゃいました。ダビデがしたように、群れのことをいこいの水のほとりに導き、緑の草を食べさせる、猛獣どもの手から守りながら。そのように、教会をつくって世話をしなさい。それが、わたしを愛するということです。  しかし、なおイエスさまはペテロを放されませんでした。「ヨハネの子シモン。あなたはわたしを愛していますか。」こんど、イエスさまがお用いになったのは、「フィレオー」です。  そうです。イエスさまは、ペテロが「アガパオー」には遠く及ばないにせよ、「フィレオー」の愛、その愛で、神さまを愛します、イエスさまを愛します、と言えるほどの愛を持っていることを、わかっておられました。ペテロはしかし、この質問に心を痛めました。なぜならば、イエスさまが三度も繰り返して同じ質問をされたからです。しかしこれは、三度にわたってイエスさまのことを「知らない」と言ってみせて、もはやイエスさまの弟子であることも、働き人であることも捨ててしまっていたペテロのことを、本来の召命に回復させてくださるうえで、どうしても必要なお取り扱いでした。三度問われ、三度、ペテロの口からイエスさまへの愛のことばを語らせることで、イエスさまを愛していないということを事実上口にしてしまったその「事実」を、まったくないものにしてくださったのでした。  イエスさまは、ペテロがどんなにご自身を否定したという事実があろうとも、ペテロがほんとうはご自身を愛していることを、だれよりもご存じでした。ペテロよ、もうあなたは、わたしを愛せなかったと自分のことを責めるな、あなたがわたしを愛していることは、わたしがいちばんよく知っているよ。そんなあなたのことを、あなたがわたしのことを愛する以上に、わたしは愛しているよ。だから、わたしはそんなあなただと見込んで、わたしの羊を任せるよ。さあ、お世話しなさい。  イエスさまの羊を養うことのできる資格は何でしょうか? イエスさまを愛すること、これだけです。イエスさまを愛していれば、一生懸命、イエスさまのご命令が何かということを学びますし、そして、そのご命令を守り行おう、そのようにしてイエスさまの喜びとなろうと、これまた一生懸命になるでしょう。そしてそのご命令は、イエスさまの羊を養うことです。  私たちは羊です。しかし、それと同時に羊飼いにもなります。かつて、アメリカのある宣教学の専門家の先生が、日本の教会を訪問して、日本の教会では羊飼いが羊を産んでいる、と評価されましたが、それはもちろん、信徒たちは教職者に伝道や養育を任せっきりにしている日本の教会の現状はよくない、ということではあるものの、別の見方をすれば、そうですよ、何が悪いのですか? と開き直ってもいいおことばです。というのは、私たちはイエスさまを愛するかぎり、だれであれ、羊であると同時に羊飼いだからです。牧師や宣教師だけが羊飼いなのではありません。みんな、イエスさまを愛していれば羊飼いです。  イエスさまを愛して日々、みことばをいただいてお祈りし、イエスさまのみこころを受け取りつづけているならば、私たちはこの教会という羊の群れを愛し、ひとりひとりの羊を愛したい、と思えるようになるでしょう。なぜならば、この羊を大切にすることが、イエスさまが何よりも願っていらっしゃることだからです。  だれかに愛してもらう前に、ケアされる前に、まず自分から愛せるようになりたいものですが、そのためには、神さま、イエスさまがどんなに、私たちのことを愛しておられるか、その愛を毎日、存分に受け取ることです。そうすれば、教会のひと枝ひと枝、羊たちを愛することは主のみこころだ、と心から受け取り、自分から愛しはじめることができるようになります。そうして、お互いに愛し合う共同体として成長するのです。そんな麗しい主のからだなる共同体を、今年度も、2025年度も、この地に形づくっていく者たちとして、私たちが用いられますように、主の御名によって祝福してお祈りいたします。