「それでもみこころに導かれる」

聖書箇所;ヨナ書1:1~17/メッセージ題目;「それでもみこころに導かれる」 先月でマルコの福音書の連続講解が切りのいいところで終わったので、今月は夏のスペシャルというわけではないが、別の箇所から学ぶ。今月はヨナ書から学びたい。 ヨナは、ニネベという都市に行って宣教せよと神から命令が下ったにもかかわらず、その命令から逃げ、まったく方向のちがうタルシシュという町に行く船に乗った。すると、その船が荒波に遭い、ついにはヨナが荒波を鎮めるために海に投げ込まれるという、短いながらも波乱万丈の物語、ヨナ書はこんなドラマティックなシーンから始まっている。 ヨナは、ニネベに行けという神さまのご命令に従いたくなかった。それはなぜか、そのことを正確に理解するために、まず、ヨナが行くように召されたニネベという都市と、聖書のほかの箇所に書かれたヨナの活動について、まず学ぼう。 ニネベという都市は、ヨナの活動した紀元前8世紀当時の中東社会で最強の国家だったアッシリア最大の都市で、のちにヒゼキヤ王時代のユダを攻撃したセナケリブ王の時代に、アッシリアの首都になった。 アッシリアは周辺国家に圧力を加え、アッシリアに比べればはるかに弱小国のイスラエル王国も抑圧された。ただ、その当時のイスラエルはみこころにかなったよい国とは言えなかった。歴代の王たちは揃いもそろって偶像礼拝者だった。ソロモン王の死後に南北に分裂したイスラエルは、南王国のユダはまだよい王がいたが、北王国イスラエルは、聖書の評価から見れば落第生の王ばかりだった。 ヨナについては聖書にこのような記述がある。列王記第二14章23節から27節。……北イスラエル王国にはヤロブアムという王が2人いたが、こちらのヤロブアムは2世のほう。ヤロブアムもまたほかのイスラエルの王同様、偶像礼拝をするような悪い王だったが、それでも、イスラエルの領土を回復するために主に用いられた人物だった。 もともと、イスラエルの領土が減らされたのは、列王記第二10章の32節から33節までをお読みすると、ハザエル王の統治するアラムの攻撃によるものだったが、それは32節にあるとおり、主のご主権によることだった。 なぜ、このような懲らしめを、主は愛するご自分の民であるはずのイスラエルに対して加えられたのか? それは、直前の10章31節のみことばにほのめかされている。 この箇所の「ヤロブアム」とは、分裂王国となったイスラエルの初代の王であったヤロブアム1世のこと。ヤロブアムは、イスラエルを統合するために、金の子牛の偶像をつくって礼拝させるという、イスラエルの王にあるまじき罪を犯した。一方エフーは、ヤロブアム一世、ナダブ、バシャ、エラ、ジムリ、オムリ、アハブ、アハズヤに続き、10番目に北イスラエルの王になった人物で、アハブ王とその妻イゼベルによるバアル神信仰をイスラエルから追放したということで、その子孫が四代目までイスラエルの王座に着くことを主から約束されるという祝福をいただいた。 しかしエフーは、ヤロブアムの罪、すなわち金の子牛礼拝をやめさせなかった。依然として偶像礼拝者であり、イスラエルを偶像礼拝の道に引き込んでいた。イスラエルの領土が削られたのは、そのような王の主に対するいいかげんな態度、偶像を愛する態度に対する懲らしめであった。 そのようにしてアラムを通して領土が削られたイスラエルの王たちは、たしかにエフーの子孫、アハズ、ヨアシュ、そしてこのヤロブアム二世が代々に王座に着いて、主の祝福の預言は成就していた。しかし、やはり主の与えられた預言は四代目まで王座が続く(四代目までしか王座が続かない)というものだったように、エフーの王朝を終焉させてしまうほど、ヤロブアム2世の偶像礼拝はひどかった。 しかし、希望もあった。このとき、ヤロブアム2世に、アラムに対し戦いを仕掛けよ、そうすれば領土を回復すると預言したのが、このヨナだった。イスラエルの存亡にかかわるような危機的な状態の中で、神の民イスラエルの預言者としての矜持にかけて、王に預言を伝え、果たしてその預言どおり、イスラエルに回復をもたらした主の器、それがヨナだった。 そういうわけで預言者ヨナは、イスラエルを盛り上げるうえで大きく用いられた人物だった。イスラエルという国に対する愛国心ももちろんあったゆえに預言者でありつづけた。その愛国者らしい一面を念頭に置いて考えるべきことだが、今度はそんな彼が、まったくちがうことに用いられようとしていた。 それは、イスラエルを呑みこむような強大国アッシリア最大の都市、ニネベに行って、主のみことばを宣教せよというものだった。理由は2節にあるとおり、「彼らの悪が神の前に上ってきたから」ということだった。 もはやどうにもならないほど主に対する悪に満たされたニネベ……そこに、神のことばを伝えに行け……いや、あんな敵国、神の敵の民族に、救いのことばを伝えるなんて、そんなことができるものか! ヨナは神に反抗し、3節の行動に出た。 ニネベは、イスラエルの首都サマリヤから北東に1000キロほど行った内陸の都市である。しかし、タルシシュは、地中海を経て西の果てに行った場所であり、今日のスペイン南部と推測されている。ヨナの取った行動はまるで、北海道に行けと言われたのに、フィリピンとか、まったくちがう国に向かったようなものである。 ヨナがそのようにまったく違った方向に向かった動機が、「主の御顔を避けたから」であると、みことばには2度も繰り返して語られている。主のみこころは何であるか、ヨナははっきりわかっていたが、従いたくなかった。主の民を苦しめるアッシリアのニネベの者たちに、貴重な福音など伝えるものか! しかし、ヨナの乗った船は大きな嵐に遭い、難破しそうになった。4節のみことばにあるとおり、神さまが大風を海に吹きつけられたからである。この嵐は、神さまがご自身に反抗するヨナひとりを取り扱うために備えられたものでした。ひとりの人を悔い改めに立ち帰らせる神の大きなみこころは、時にものすごい形をとって現される。主はあらゆる環境を用いても、ひとりの人を本来の道に引き戻される。私たちも例外ではない。私たちを取り巻くあらゆる環境を用いて、主はご自身のみこころを私たちに現してくださる。 しかし、船に乗っている人は、それを知る由もない。乗組員たちは、それぞれの信じている神に祈ったり、船の積み荷を海に捨てて被害を小さくしようとしたりした。ところが、肝腎のヨナはと言えば……船底に降りていって、そこで横になって寝入っていた。まるで、これで死ねるなら死んでもいい、とでも思っているようである。 主の御顔が見えなくなった人は、自分のいのちも、人のいのちも、何とも思うことができなくなる。しかし、主はヨナと、船に乗る人たちを捨て置かれなかった。主は船長を用いられた。彼は船底に降りていき、そこで横になっているヨナを見つけ、何を寝ているのか、起きて、われわれが滅びなくて済むように、あなたの信じる神に祈れ、と命じた。 7節に入り、場面は急展開する。舟に乗る者たちは、このわざわいは船にいるだれかのせいで起こったものだと、霊的な感覚から感づいていたようである。そこで、みなでくじを引き、だれのせいでこうなったのかを知ろうと発案する。 くじを引くと、そのくじはヨナに当たった。そこで彼らは、ヨナの正体をあれこれ尋ねた。ヨナはその問いに、自分はヘブル人、つまりイスラエル人であり、海と陸をつくられた天の神、主を恐れる者であると明かした。 この答えに一同は恐れた。天地万物をお造りになった神を礼拝し、そのみこころを知る者が、なぜこのような海をも揺り動かす神のわざわいを引き起こしたのか! しかし、そうこうしているうちに、海はますます荒れてきた。このままではだれも助からない。一同はヨナに、あなたのことをどのようにすれば海が鎮まるか、と問いかけた。ヨナは、この嵐は自分のせいで起こったのだから、私を捕らえて、海に投げ込んでください、と答えた。 しかし、そんな人のいのちを粗末にするようなことは、いかに嵐に遭っていのちの危機に瀕している彼らにも、簡単にできることではなかった。彼らは努力して、船を陸に戻そうと、一生懸命船をこいだ。しかし、海はますます荒れる一方だった。 ついに彼らは、自分たちがこれまで信じてきた神々ではなく、天地万物の創造主に祈りをささげた。14節。 ヨナは、自分のことを海に投げ込んでほしいと言ったが、自分から海に飛び込んで人身御供のようになろうとしたわけではなかった。船乗りたちに自分のいのちをゆだねたのであった。しかし船乗りたちはここにきて、天地万物を統べ治められると同時に、人のいのちを主管しておられる神への、限りない恐れを抱いた。どうか、あなたを恐れるこの男を海に投げ込んだからと、その血の責任を私たちに問わないでください! そして彼らは、ついにヨナを海に投げ込んだ。すると……聖書の表現をそのまま用いると、「激しい怒りがやんで、海は凪になった」。 この荒海は、神の激しい怒りを具現するものであった。しかし、神の怒りは、ヨナのみならず、「それぞれの神」を礼拝する者たちに対しても向けられていたのではなかったか? だが神は、ヨナというひとりのしもべの犠牲を通して、この偶像礼拝者たちを、まことにご自身を恐れ、礼拝する者たちへと変えられた。16節。彼らは主を恐れ、主にいけにえをささげて礼拝している。 さて、マタイの福音書12章38節以下に、イエスさまがご自身をヨナになぞらえるエピソードが出てくる。パリサイ人や律法学者はイエスさまに、しるしを見せてほしいと迫ったが、イエスさまは、ヨナのしるしのほかにはしるしは与えられないと語られ、それに続き、ご自身のことを、ヨナよりもまさったものである、すなわち窮極のヨナはイエスさまである、とお語りになった。 ヨナ書第1章を見てみると、ヨナがイエスさまの象徴であることが表れている。ヨナは、ご自身に反逆する人を滅ぼそうとする御父の怒りをなだめるために、荒海に投げ込まれた。 しかし、それで神の怒りは和らぎ、海は静かになった。イエスさまの十字架というなだめの供え物によって、御父の怒りが和らぎ、人が御父と和解する道が開かれたことと同じである。実際、ヨナを海に投げ込んだ彼らは、それぞれが信じていた神々に礼拝することをやめ、まことの神を礼拝する者たちへと変えられた。 しかし、ヨナはあくまでイエスさまのモデルにすぎない。イスラエルから罪深いニネベに遣わされ、彼らを悔い改めさせる使命を帯びたヨナは、たしかに、天の御国から罪深いこの世に遣わされ、彼らを悔い改めさせる使命を帯びたイエスさまの象徴であったが、イエスさまが御父に従順に歩まれたのに対し、ヨナの心は反抗心でいっぱいだった。 それでも、神さまはヨナのことを見捨てず、また、ヨナによって宣教され、悔い改めていのちを得るべきニネベのことを見捨てず、ヨナに取り扱いの御手を伸ばされることをやめられなかった。神の取り扱いは時に、とても厳しいものになるかもしれない。時にはこの時のヨナのように、周りの人に相当な迷惑をかけてしまうこともあるかもしれない。 しかし、信じていただきたい。神はこのような大いなる取り扱いを通してでも、ご自身の愛を私たちに知らせ、ご自身の使命に立ち帰らせてくださる。私たちは従順になる上で葛藤するでしょう。イエスさまでさえ、十字架を前にして血の汗を流して葛藤されました。いわんや私たちが、主のみこころに従順に従う上で葛藤せずにはいられようか? しかしそれでも、神は私たちのことを、みこころに従う祝福が得られるように、絶えず愛のうちに導いてくださる。 私たちには今、どのようなみこころが与えられているだろうか? 従順になれなくて葛藤していないだろうか? しかし信じよう。ヨナが信じ、私たちの信じているお方は、天地万物を創造された創造主であり、それとともに愛のお方であり、私たちが今考えているよりも、はるかに偉大なお方である。 私たちの偉大な信仰が私たちをりっぱな人にするのではない。私たちは相変わらずみっともなくても、神が私たちのことを限りなく愛して、私たちを通して働いてくださる。私たちは葛藤しながらでも、主のよきみこころを信じて、従っていこう。主が私たちを通して働いてくださるという、この信仰を持ち、今日も、そして明日からも、終わりの日までも、この国の救いのために、ともに用いられていこう。主はヨナを愛されたように、私たち働き人を愛してくださる。

「イエスさまの家族になるために」

聖書箇所;マルコの福音書3:20~35/メッセージ題目;「イエスさまの家族になるために」 落語の演目に「宗論」というものがある。家の宗旨が浄土真宗の商家の若旦那が、キリスト教にかぶれて言動がおかしくなり、そこから宗教をめぐって親子の間で言い争いが起こるという内容。まるで西洋人の宣教師のようにしゃべる若旦那の言動で笑いを取る噺だが、これはクリスチャンが寄席に行って聴かされると、拷問に近い。しかし同時に、世間一般のキリスト信仰に対するイメージを、その観衆の笑いから知ることができるのも事実である。 キリストを信じるのは頭のおかしい人? しかし、これは実は格好いい。松原湖バイブルキャンプのシーズンだが、今から32年前、松原湖で私にメッセージを語ってくださったアーサー・ホーランド宣教師は、「私はキリストの頭のおかしな人になる!」と高らかに宣言し、みな喝采し、自分もまたそのように、イエスさまのために狂った人になりたいと願ったものだったが、アーサーがそのように言った根本の理由は、「イエスさまも周りから頭のおかしな人扱いされたから」ということだった。まさに今日のみことばの語るとおりである。 私の親しくさせていただいている西村希望先生という方が牧会されている、東京の町田にある「みどり野キリスト教会」は、またの名を「ジーザスファミリー」という。実にいいネーミングだが、私たちキリストのからだなる教会は、すべからく「ジーザスファミリー」、イエスさまの家族であるべきである。 しかし、イエスさまの家族になるには、この「気がおかしい」イエスさまと一緒の家族扱いされることを覚悟するばかりか、むしろ喜ぶくらいでなければならなかろう。私たちは、イエスさまのゆえに周りからどう見られても大丈夫だろうか? 使徒の働き5章41節をご覧いただきたい。私たちは御名のゆえに辱められるならば、それは使徒と同じ扱いを受けたということであり、イエスさまの受けられた辱めを身に受けること、名誉なこと、喜ぶべきことである。 今日の本文を見てみると、イエスさまの家族、つまり、母マリアとイエスさまの肉の弟たちが、イエスさまのお働きのうわさを聞いて、イエスさまのことを連れ戻しにやってきたとのことであった。そのようにイエスさまのことが心配だったのは、イエスさまがおかしくなったと聞いたからであった。ここに書かれているとおり、律法学者たちがイエスさまのことを、悪霊につかれていると評価したように、彼らもそう思わされていたことだろう。 イエスさまの育たれた家の家族たちは、イエスさまがお弟子たちを連れて、これほどまでに人気を博しておられるのを知って、戸惑ったことだろう。父ヨセフなき今、大工の家の稼ぎ頭の長男として働いてこられたイエスさまが、今やなさっていることといえば、大工ではなく、人々に神の国を説いて回るお働きである。しかもその教えていることは群衆を惹きつけている一方で、宗教社会を牛耳っている律法学者たちからは目をつけられるようなことであり、これはおかしい、と思ったわけである。 実際、イエスさまがみことばを語られた場に居合わせた律法学者たちは、宗教界の中心地であるエルサレムからはるばるガリラヤまでやってきて、この新しい教えを聞いてみたわけだったが、彼らは、このようにお語りになるイエスさまのことを、悪霊に取りつかれていると判断を下した。イエスさまはそんな彼らの問題点をはっきり指摘された。 そのとき、この家族はイエスさまのおられる場所までやってきて、イエスさまを連れ戻そうとしたのだが、イエスさまは、だれでも神のみこころを行う人がご自身の家族であるとお語りになり、彼ら肉の家族は神のみこころを行っていないゆえに、ご自身の家族と呼ぶわけにはいかないことを言外にお示しになった。 本日の箇所は以上の流れであるが、少しずつ見ていこう。20節。イエスさまも弟子たちも、押し寄せる群衆を霊的に養うために、食事をする暇もなかった。しかし、イエスさまの一行は、あえて食事をしないで彼らやせ衰えた群衆を養うことを選ばれたと見るべきである。この働きに献身するには「狂う」しかない。 私の恩師である、亡くなった玉漢欽牧師は、ご自身が提唱され、実践された牧会のありかたである「弟子訓練」というものは、それこそがまことであると信じきって「狂わなければ」やれるものではないとおっしゃった。しかし、弟子訓練とは単なる牧会の一方策ではない。やはりその頃の私の恩師、神学校の卒業論文の指導をしてくださった鄭聖久教授によれば、弟子訓練とは、信徒がキリストの足跡に従い、生活の中で具体的にキリストに似ていくようにすること、それだけではなく、みことばを分かち合ってほかの信徒に勇気と希望を与え、みことばを黙想してキリストの生き方に似ていくようにすることであるから、一般に「牧会」と呼ばれているものはことごとく「弟子訓練」なのであって、玉先生の牧会されるサラン教会のように、信徒リーダーが小グループでの信徒集団を牧会する、そのリーダーを2年かけて特定のコースで育成する、というものだけが弟子訓練ではないことになる。それでも、玉先生が「弟子訓練は狂ってこそできるもの」とおっしゃったことは、牧会全般が「狂ってこそ」できるものだということである。 イエスさまのご一行も、そういう意味では「狂っていた」。彼ら群衆を放っておけなかったからである。マタイの福音書9章36節をご覧いただきたい。彼らはときの宗教指導者たちからまともに教えを受けていなかったために、間違った律法主義の軛の重さにあえぎ、倒れ果てていた。イエスさまは彼らのことをご覧になって、はらわたもよじれんばかりに深くあわれまれた。そんな彼らが押し寄せてくるならば、食べるために休憩を取ることも忘れるくらい、狂ったように神の国を伝えること、彼らのわずらいをいやすことに専念せざるを得なかった。 21節。だが、イエスさまのそのような姿は、群衆の信仰心をいやが上にも増し加える一方で、イエスさまのことを昔から知っている人や、イエスさまの教えに脅威を感じていたパリサイ人の間に、イエスさまはおかしい、おかしくなったといううわさが広がる原因となった。このことに、イエスさまの育たれた家の家族の者たちは恐れを感じた。こんなことをしていないで、早く家に帰ってきてほしい。大工の仕事をしてほしい。 マリアは、どのようにしてイエスさまをみごもり、この世に送り出したか、忘れたのだろうか。そう考えるとこのことは、われわれにとっても相当な警告のメッセージとなる。神さまのみことばの恵みを受け、献身した、また、献身する家族を生み出した、ところが、世間の噂とか、経済的な厳しさとか、人間関係の葛藤とか、献身者について回る問題を見聞きしたり、あるいは自分自身が体験したりして、最初に神さまが与えてくださった召命のインパクトを忘れてしまう、こういうことはあるものである。 本日の箇所でいえば、イエスさまにはどのような評判があったのだろうか? 22節。エルサレムの律法学者は、どの律法学者よりも権威があると見なされていた。東京大学の教授たちが田舎までやってきて、そこで繰り広げられていることに判断を下すようなものである。群衆よ、おまえたちが熱狂しているイエスという者の正体は、悪霊に取りつかれた者だ、さあ、目を覚ませ……そんなことを言うかのようである。 だが、イエスさまのこのお働きが悪霊に由来すると判断することには、実はただごとではない問題があった。23節から26節。ごもっとも、である。悪霊が追い出されているとすれば、それは悪霊によるものではないことが、このみことばによってわかる。 その次が27節のみことばだが、イエスさまがいきなりこのようにお語りになることに、私たちは唐突な印象を受けないだろうか? しかし、このみことばにはちゃんと意味がある。このみことばは、パリサイ人たちもよく知っていたはずの、イザヤ書49章のみことばがその背景にあるおことばである。 イザヤ書49章の24節から26節。もはや手の施しようもないほどに強力に、神の敵サタンとその軍勢に捕らえられていた神の民を、イエスさまが神の側へと奪い返してくださった。このことによって、イエスさまが彼らの救い主、贖い主であることをお示しになった、ということである。聖書の専門家を自任するパリサイ人よ、あなたがたはこのみことばを知っているはずだ。それを知っていて、わたしのしているこの働きを見ても、わたしが救い主、贖い主であることがわからないか? 悪霊の働きだと言い切るか? その流れで28節、29節を見るべきである。人はどんな罪も赦していただける。たとえそれが、神さまを冒瀆する罪であったとしてもである。では、聖霊を冒瀆する罪とは何だろうか? 聖霊さまとは第一コリント12章3節に書かれているとおり、イエスさまを主と告白させてくださる、神さまの霊である。このお方を、絶対に受け入れてはならない悪霊だと言うならばどうなるだろうか? その人は絶対に救われない。自分が救われないばかりか、これからイエスさまを信じようとする人を大いに惑わし、下手をするとその人はもう、イエスさまを信じなくなるかもしれない。 いかにイエスさまの人気が妬ましかろうと、イエスさまのみわざにおいて働かれる聖霊さまを悪霊だと呼び、自分も救われず、救われようとする人の門戸も閉ざすような振る舞いをするならば、寅さんじゃないが「それを言っちゃあおしめえよ」。どんなに人を救いたいと願っていらっしゃる神さまも、そういう者を救うことはできない。そして、そういう者は神の働きをしているつもりでも、実は百害あって一利なしの宗教者にすぎない。 イエスさまの肉の家族は、イエスさまに対する世間の評判に揺れ動いていた。しかし、33節から35節を見ると、イエスさまはそのような、神のみこころよりも世間様の方に目が向く者よりも、ご自身のもとに神のみこころを求め、ご自身とともに神のみこころを行う者こそ、ご自身のまことの家族であるとおっしゃった。イエスさまの肉の家族は、イエスさまのこの一貫した姿勢に、のちに教えられることになる。イエスさまが十字架にかかられたとき、マリアはそのお姿をしっかり見届け、のちに初代教会の中心メンバーになった。弟のヤコブもユダも初代教会の指導者として、聖書の「ヤコブの手紙」「ユダの手紙」を書いた。 私たちもイエスさまの家族になりたいだろうか? いや、すでに家族なのだが、イエスさまの家族だと周りから見られることを、恥じず、誇りとしたいだろうか? それには、パリサイ人のような、主のお働きに対する上から目線の評論家になってはならない。十二使徒のような大きな働きをしようとしなくていいから、むしろ、イエスさまから離れないで、イエスさまの教えをつねに受け、イエスさまと交わる者となろう。イエスさまはそのような群衆を、神のみこころを行う者と言ってくださり、ご自身の家族と呼んでくださった。私たちもまず、イエスさまから離れないでいよう。

「主の弟子に召される意味」

聖書箇所;マルコの福音書3:13~19/メッセージ題目;「主の弟子に召される意味」 私が初めて出会ったクリスチャンの方、それは、母が英会話を習いに通っていた、埼玉の浦和の宣教師館に住んでいた、若い方々だった。世界のいろいろなところから集まっていた彼らのことを見て、私は中学生なりに、神さまにお従いするということは、このように、海を越えてでも引っ越すことさえする、という強烈な印象を持った。 主の弟子になるということは、そのように、主が命じられるところどこへでも行くことである。私もそのみこころにお従いして、ここまで来て、この7月で茨城に来て9年目になった。しかし、主の弟子になるということは、牧師や宣教師のような特定の献身者にかぎったことではない。だれにでも開かれている道である。私たちが手にしている聖書、これは、群衆のレベルでは理解できなかったイエスさまのたとえ話の解き明かしが、そのまま収録されていて、読めばちゃんとみこころを理解できるようになっていて、それはすなわち、みことばを読む者を神さまが主の弟子としてくださっているということである。 今日のメッセージは、特に14節と15節のみことばに集中したい。これは、イエスさまが弟子を、使徒として召された3つの理由を語るみことばである。順に見ていって、私たちが主の弟子として召されたことにはどのような意味があるか、学ぼう。 イエスさまが弟子を召されたのは、彼らをご自身のそばに置かれるためだった。イエスさまの弟子とはひとことで言って、イエスさまのそばに置いていただいている存在である。さて、この箇所は「彼らをご自分のそばに置くため」とあり、メジャーな日本語訳聖書はだいたい、このように、イエスさまが彼ら弟子たちをみそばに置かれた、と訳している。韓国語聖書もそうである。ところが英語の聖書になると、「they might be with Him」、「they should be with Him」と、主語が彼ら弟子たちになっている。「弟子たちがイエスさまとともにいるため」とも、「弟子たちがイエスさまのそばに置かれるため」とも読める。いずれにせよ、主語は弟子たちである。 これは何を意味するだろうか? これは、イエスさまが強制的に12人をご自身の弟子としてみそばに置かれたということではない。彼らが自主的にイエスさまのそばにいるように導かれた、ということである。自由な決断をもってついて行く人たち、それが十二弟子、十二使徒だったということである。それはヨハネの福音書6章の最後の部分を見てもわかることで、多くの弟子たちがイエスさまのみことばの難解さについていけず、もはやイエスさまにお従いすることをやめた一方で、十二弟子はイエスさまのそばにいるという選択をしたことからも明らかである。 ただし、もっと大きく考えると、一見すると彼らの判断と選択と決断でイエスさまについていったようであっても、彼らをお選びになったのはイエスさまである(ヨハネ15:16)。彼らの選択と決断さえも、全能なる神さま、イエスさま、聖霊さまのお導きの中にあった。だから、彼らはイエスさまについていったことを自分の責任で下した判断として自信を持っていいのと同時に、神さまが選んでくださったのだからその従順に確信を持っていい、ということである。 イエスさまのそばにいるということは、イエスさまから何もかも学ぶ、ということである。イエスさまの振る舞い、語られるおことば、それに四六時中触れているならば、弥が上にもイエスさまに似てきてしまう。イエスさまがみそばに彼らを置かれるということは、わたしを見なさい、わたしに似なさい、わたしの真似をしなさい、そうすればあなたがたは、キリストの似姿として御父に用いていただける、という、親心にも似たみこころが込められているゆえのお導きである。 イエスさまのそばにいる群れが12人、というのは、十二使徒に始まる新約の教会は旧約のイスラエルの十二部族に象徴される神の民である、という意味があり、また、12人という小さな共同体は、イエスさまが行き届いた訓練を行う上で理想的な人数である、ということであるともいえる。私がサラン教会で1999年に体験した弟子訓練の班は、牧師1人、社会人10人、神学生だった私1人と、合計12人だったが、彼らが主の弟子として大いに成長していく姿を、私は今も覚えている。12人が理想の人数と確信したものだった。 弟子たちはイエスさまからともに学び、ともに似ていくのと同時に、弟子どうしお互いから学ぶ。それは模範になったり、反面教師になったりの繰り返しだろう。ペテロとアンデレ、ヤコブとヨハネはそれぞれ兄弟だが、共同体に入ってともに訓練されることによって、それまでに分からなかった彼らのよさ、また、弱点を知ることになり、よりいっそう、お互いのために祈るようになったことだろう。さらにこの4人はガリラヤ湖の仕事仲間でもあり、もともとあった絆がイエスさまとの関係をとおしてより強固になったり、人間的な怒りがからんで弱くなったり、といったことを繰り返したことだろう。 もっと極端なのが取税人出身のマタイと熱心党のシモン。熱心党とは実際に存在したユダヤの民族運動の一派であり、彼らはユダヤ教の中でも特に排他的で国粋主義的な性格を持っていた。彼らは神の力によるユダヤの政治的独立の名目で戦い、歴史家のヨセフォスによれば、紀元6年にローマによるユダヤの人口調査に反対して起こされた、ガリラヤ人ユダによる闘争がその運動の歴史的始まりであるが、人口調査はユダヤ人たちが宗主国ローマのカエサルに納税するために行われたものであることを考えると、熱心党の人間からしたら、取税人ほど受け入れられない存在はなかろう。 あまり政治の話を主日礼拝の場でしたくはないが、保守派と社会派、右派と左派の対立は、たいへんなものである。このような政治的見解の違い、というより対立が、教会の中に持ち込まれたら、キリストにあってひとつになるべき教会は瓦解してしまう。私たちが大事にすべきは、政治的信条や自らの神学的な立場以上に、イエスさまにあって一つとしていただいているどうしが、ともにイエスさまに導いていただくことである。熱心党にせよ取税人にせよ、一方は排他的、一方は裏切り者と、みこころにかなっていないが、イエスさまはそのような彼らの罪を取り扱われる。一方で、熱心党員の持つ熱心さや取税人の持つ抜け目のなさを、主は御国の拡大のために用いられる。立場のちがいではなく、イエスさまの弟子という同じ立場にしていただいていることこそ、弟子たちにとって大事なことである。 彼らはイエスさまのそばに置かれ、整えられたら何をするのだろうか? 宣教をする。イエスさまに遣わされてみことばを宣べ伝える。イエスさまの弟子たち、イエスさまによってこの世に遣わされた者たちがすべきことは、みことばを宣べ伝えることである。 みことばを宣べ伝えることは、イエスさまの弟子に召されている人ならば、だれもがするように召されている。牧師や宣教師だけではない。ただ、極めて宗教アレルギーの強い日本において、ことばをもちいてみことばを人々に伝えることは、簡単なことではない。それなら私たちは、みことばを宣べ伝えることをあきらめるのだろうか? 時が良くても悪くても、と語られていることが、福音宣教である。ただし、人や場所にこだわりつづけることも、ときにはやめる決断も必要になることがある。イエスさまは十二弟子におっしゃっている。「一つの町で人々があなたがたを迫害するなら、別の町へ逃げなさい。」「だれかがあなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家や町を出て行くときに足のちりを払い落としなさい。」 どこかに必ず、私たちの語ることばに耳を傾けてくれる人がいると信じて、私たちは行くべき人のところに行き、その人にみことばが語れるように祈ることである。わが家は今月で茨城町に住んで9年目になったが、ここまで続けてこられたのは、みことばに耳を傾けてくださる人が今もなおおられるからである。 もちろん、みことばを語るということは、みことばを生きるということが大前提になる。人々が私たちの良い行いを見るならば、天におられる私たちの父なる神さまをほめたたえるようになる。神の栄光を顕す生き方、罪から自由にされている生き方、世の光地の塩として生きる生き方、その素晴らしい証しの生き方を可能にするものは、聖書が神のみことばであると告白する信仰である。イエスさまを主と証しするみことばに対する信仰、それは行いを生む。 行いのない信仰は宣べ伝えられない。だからこそ私たちこそ、まず自分自身がみことばに教えられる必要がある(ローマ2:21)。その生き方はわずかずつでも世の中を主のみこころにかなうようにつくり変え、人々はその中で、主イエスさまを信じるように導かれる。 では、具体的に、みことばを宣べ伝えると、どのようなことが起こるだろうか? 悪霊が追い出される。なぜかといえば、みことばを宣べ伝えるべくイエスさまが召された主の弟子は、悪霊を追い出す権威が授けられたからである。実際弟子たちは、悪霊を追い出した。そのことによって神の国はイエスさまによってこの地に来たらされたことが明らかになった。それほどの御国の権威が与えられている者、それがイエスさまの弟子である。 悪霊というものは迷信でも、空想の産物でもない。このところ東京の新宿に「トー横」と呼ばれるエリアがあり、そこで10代の若者がたむろして非行に走る者も跡を絶たない、しかもそのような子どもたちを食い物にする悪い大人もいることが報道されているが、ああいう闇の世界を見て、その背後に悪霊が存在することが私たちにはわかるのではないだろうか? そういう闇の世界、サタンと悪霊の支配する世界は、都会の繁華街にかぎらない。テレビやレンタルDVD、スマートフォンをとおしてでも容赦なく、われわれのお茶の間に侵入してくる。 みことばが宣べ伝えられると悪霊が追い出されるのは、第一に、みことばを聴いた人は悪霊の支配する領域よりも主の支配される神の国に関心が行くため(聖化)、第二に、みことばを聴いた人は霊的に武装することで悪魔と悪霊が逃げ去るため(霊的武装)、みことばを聴いた人はほかの人のことを悪霊の支配する領域から主の支配される神の国に移そうと努めるため(伝道)である。だからまず私たちがその宣教者なる弟子としてのアイデンティティを確かに持ち、悪霊に親しむことをやめ、みことばに親しみ、みことばをいかにしたら自分のことばとして語れるか、よく学ぶことである。

「みことばは群れを導く」

聖書箇所;マルコの福音書3:7~12/メッセージ題目;「みことばは群れを導く」 現在、韓国に行くにはビザが取りにくい。コロナが落ち着いて韓国に行けるようになったとたん、東京の韓国領事館の前には徹夜の行列ができた。それで領事館は方針を変え、事前にパソコンで予約をした者だけが行けるようにしたが、それにしてもパソコンで予約を取るのは至難の業である。どうしてこのようなことになるかというと、それだけ韓国に行きたい人が多いからである。「嫌韓」などと言われて久しいが、どっこい、韓国は大人気なのである。 大人気。それはこのみことばに描かれている当時のイエスさまがそうだった。7節と8節のみことばを見てみると、南から、北から、東から、何十キロも百何十キロも旅をして、人々がイエスさまのもとに押し寄せているのがわかる。いやはや、何という人気であろうか。 しかしこのとき、イエスさまはどうだったかといえば、みわざを行われて殺されそうになっていた、その陰謀から逃れるようにしてガリラヤ湖に退いておられた。また、退くということは、休息を取るということでもあった。先週、先々週のみことばでも学んだとおり、イエスさまは安息日の主として、安息日にも善を行う働きをなされた。しかし、イエスさまも肉体を身に帯びた完全な人であられたので、休息を必要としておられた。 私たちも休むべきときには休む必要がある。その休みの場こそ、この礼拝の場である。ここには御父との交わりがある。「疲れた者、重荷を負っている者」である私たちが、その重荷をイエスさまの御前に降ろし、休むことのできる場である。休息、安息というものは、疲れたからとごろごろしていて得られるものでもなければ、がつがつと趣味に没頭することで得られるものでもない。主の御前で得るものである。このときのイエスさまと弟子たちも、その安息を目指してガリラヤ湖に退いていた。 しかし、群衆はイエスさまを放っておくことはしなかった。そこらじゅうから押し寄せた。イエスさまは休むどころではなかったのである。さて、私たちは今こうして、イエスさまも休息を必要としていらっしゃったことを見たわけだが、私たちももし、この群衆のひとりだったら、どのように行動しただろうか?「神の子といえど休息が必要だから、会いに行くのを控えよう」と思うだろうか? 私だったら、この群衆に交じって、少しでもイエスさまの近くに行けるように、押し合いへし合いすることだろう。なにしろここにいらっしゃるのは、神の子である。創造主である。永遠のいのちを与えてくださる方である。罪と死から救ってくださる救い主である。どうしたって会いたい。 私たちはそういうお方だとイエスさまのことを理解しているゆえに、イエスさまに会いたいと切望する。しかし、このイスラエルの各地から、異邦人の地からさえ集まってきた群衆は、イエスさまのことをそこまで理解していただろうか? 9節と10節。彼らは、イエスさまが中風の者をいやされたり、悪霊を人から追い出されたり、片手の萎えた者をいやされたりといった、そのような癒しのわざを行う癒し主であることを知っていた。 自分たちも癒してほしい、そんなお力があるならばせめて触りたい……私の卒業した東京の大学の近くには、「おばあさんの原宿」と呼ばれる商店街があり、加齢によりからだがいうことを聞かなくなったお年寄りが跡を絶たなかったが、彼らは、イエスさまのことをそのような、「ご利益」のあるお方と考えたにすぎなかったならばどうだろうか。このお方ならばローマの圧政からわれら神の民を解放してくださる王となられる、私もこの王さまに近づこう、と思った程度で、イエスさまのことを正しく理解していなかったとしたらどうだろうか。 ご利益信仰というものは突き詰めれば、人間中心の信仰である。病気がいやされるのはまことに結構なことだが、それを求めるのは自分の欲望を満足させるためであり、いやしてくださるお方に献身し、その素晴らしさを生涯宣べ伝えるためではない。 ただ、それなら、イエスさまは彼らに関わられなかったのだろうか? そうではない。やはり関わっておられた。ただし、彼らの望む方法によってではなく、イエスさまの定められた方法によって彼らに関わられた。それは「みことばを教える」ということによってである。 彼ら群衆がほんとうに求めるべきは、「神の国とその義」であった。神さまが統べ治める御国がこの地に来るように、御国を生きる民として召されている以上、いにしえから語られてきたみことばをどのように消化し、具体的に実践すべきか……。 イエスさまは無知蒙昧で自分のことばかり考えていたような民に教えてくださることによって、民に対するみわざを果たされた。彼らがもし、イエスさまに触れたとして、それで病がいやされたとして、その体験は一時的なものにすぎない。イエスさまがほんとうはどのようなお方かわかっていない以上、そうなのである。だから彼らは、イエスさまの語られるみことばによって、そのみことばを自分たちに語ってくださるイエスさまがどのようなお方なのか、知る必要があった。 イエスさまが彼らを教えられたのは、神さまとはどのようなお方かを語られることにより、彼らにとっては、機械的にしか信じることのできなかったお方が、実はお交わりできるほどすぐ近くにおられ、宗教生活のひずみで負いすぎるほどの重荷を負わせられ、疲れ切っていた自分たちの、その重荷を代わりに負ってくださり、解放してくださるお方ということを学び、神さまとの新しい関係に入れられるためであった。 私たちにとって、神さま、イエスさま、聖霊さまがどのようなお方であるかを普段からみことばから学び、このお方とつねに交わりを持っていないならば、神さまというご存在が頭の理解だけのものになってしまい、疲れ、重荷から解放してくださるイエスさまの慰めを体験できない。十字架にかかってくださるほどに私を愛してくださったイエスさまの愛が自分のためのものだと受け取り切れない。 私たちは体験のあるなしで信仰生活の喜びのあるなしを測ってはならない。みことばに普段から聴いて、みことばは神さま、イエスさま、聖霊さまをどのようなお方だと証言しているかを、しっかり受け止めていく必要がある。ディボーションや聖書通読は、それをしないと罰が当たるというような性質のものではない。しかし、ディボーションや聖書通読をすることで、神さまがどのようなお方かを正しく理解するならば、このお方がともにいてくださる恵みを私たちはきちんと体験でき、神さまに感謝できるようになる。 さて、イエスさまを証しするのはみことばであり、私たちはみことばを聞く必要があるが、このケースはどうだろうか? 11節、12節。イエスさまはこの者の証しを禁じられた。しかし、私たちは思わないだろうか?「あなたは神の子です」ということは正しいではないか、何がいけないのか?」なぜ禁じられたのだろうか? それは、その証しめいたことばを語った者が、「汚れた霊ども」であったからである。けがれた霊は人から追い出され、神の子に滅ぼされるまさにこの瞬間、このことばを言った。問題なのは「何を言うか」ではない。「誰が言うか」である。異端の教祖もイエスさまは神の子であると言う(だからこそ彼らは「キリスト教」を標榜する)。しかし、それが正しいからと、私たちはその教祖を信用するだろうか。むしろ、そんな証言は私たちキリスト者にとって、百害あって一利なしである。 同じことで、イエスさまが神の子であると証言するのが悪霊であるならば、それはイエスさまの栄光を顕したことにならない。神の名がみだりに口にされているという事態である。異端のような惑わす者、悪魔と悪霊に導かれた群れは、イエスさまの御名を用いるが、信じてはいけない。第一ヨハネ4章1節から3節のみことばで判断できる。彼らはイエスさまを語っても、イエスさまを主とする生き方に人を導くことはしない。異端というものはキリスト教会の外部のみならず、内部からも起こってくるものだけに、このみことばを心に留めてしっかり警戒する必要がある。そのようなものがいかにイエスさまを語ろうとも、一切信頼してはならない。 しかし、悪霊はなぜこのタイミングでこのような暴露をしたのだろうか? それは、イエスさまのみこころどおりに導かれるべき群衆を混乱させるためという意図もあった。群衆はただでさえイエスさまのことを正しく理解していなかった。彼らを神のもとに導くのは、神の子なるイエスさまのみことばであるべきで、間違っても、神の敵であるサタンと悪霊どものことばであるべきではなかった。 私たちはまだまだナイーブである。もし自分が、堅い食べ物はまだ充分に食べられないと思うならば、読むべきはこの世の常識の本ではない。みことばである。みことばの乳を求めよ(Ⅰペテロ2:1~2、ヘブル5:12~14)。生き方指南のような本はもっともらしいことを書いてはいるが、所詮聖書には遠く及ばない。なぜかといえば、その生き方指南の源はみことばではないからである。彼らもときにはみことばにかなっているようなことを言うから、役に立つと思えるかもしれないが、イエスさまを主と告白させるみことばではない以上、ほんとうの意味で私たちの霊とたましいを生かすことはできない。 イエスさまは、群れなしてご自身のもとに来られた善男善女をどう導かれたか、といえば、それはみことばによってである。私たちは今、手に手にみことばをもっている。これはすごいことである。それは、群衆が一斉にイエスさまの同じみことばを聞けた状態と同じことである。私たちはともに耳を傾けることで成長する。ともに耳を傾けることでひとつとなる。ともに耳を傾けることでともに御国を理解し、ともに御国を生きる者となる。こうして私たちは、「群れ」から「弟子」へと成長させていただける。

安息日に行われた『善』」

聖書箇所;マルコの福音書3:1~6/メッセージ題目;「安息日に行われた『善』」 東京に住んでいた頃、うちの娘はたまに深夜になると高い熱を出すことがあった。そのとき感謝だったのは、娘のかかりつけの病院が深夜でも救急外来をしていていたことだった。タクシーに乗って連れて行ったものだった。しかし、「夜だからやっていません!」なんてなったら、どうなるか? まことに、診療時間外にも開いている病院というものはありがたかった。 イエスさまの当時、口伝えの律法の解説(口伝律法/くでんりっぽう)であるミシュナーと呼ばれるものによれば、よほどいのちにかかわる状態にでもなっていなかったならば、安息日に患者を治すことは許されていなかった。たいていの病院がそうするように、深夜や日曜祭日は「診療時間外」とするようなもの。しかし、パリサイ人はこれを利用して、イエスさまに迫った。 しかしイエスさまはあえて彼らパリサイ人に対しても、会堂に集まった群衆に対しても、ご自身が安息日の主として振る舞われた。イエスさまが行われたことは「善」であった。その善とは何だろうか? 今日は主の日、私たちクリスチャンにとっての安息の日であるが、イエスさまはこの日、どのような「善」を私たちに施してくださっているのだろうか? 1節と2節。片手の萎えた人が会堂にいることはどういう意味があるだろうか? 神の御前に出る祭司の部族、レビ族についての規定に、このようなものがある。レビ記21章17節~21節。このように、神の働きをすることが、律法において戒められているのがこのような障害を持つ人々である。 聖書の世界では、やんごとない人が目に見える障害を持つことは特筆される事態である。旧約聖書のサムエル記第一と第二に、メフィボシェテという王族が登場する。彼はサウル王の孫で、ダビデの無二の親友ヨナタン王子の息子に当たるが、もはやサウルもヨナタンも死に、王家の権威が去った彼は、幼いときの事故がもとで足に障害を負った人であることが繰り返し述べられている。聖書を読むと、その障害を持つゆえの悲惨さが強調されているかのようである。 そのような人は本来、神の愛を実践するように召されている神の民の共同体においては、手厚く守られ、ケアされるべきである。だが、彼らはなんと、イエスさまを試みて、あわよくば葬り去ろうとするための「手段」としか考えていなかった。 イエスさまはこの人に対して何をなさろうとしただろうか? 3節のみことば。彼をいやすことはひそかに行われたのではない。このお働きの結果もし、群衆がイエスさまを王として立てようとしたのだったら、イエスさまはあえて表立った行動はなさらなかっただろうが、ここではそうではない。王どころか、葬り去ろうとしたのである。イエスさまはこのパリサイ人のチャレンジを、堂々と受けて立とう、とばかりに、彼らの真ん中にその人を立たせ、みわざを行われることを宣言されたのである。イエスさまはもちろん、彼らが罠を仕掛けたつもりでいたことはご存じだった。しかし、イエスさまは彼に対する愛の行いをなさることを第一とされた。 4節のみことばを見てみよう。今回のメッセージをつくるにあたり、イエスさまの用いられたこの表現はいわゆる「修辞法」というものであるという解説に出会った。つまり、「安息日に律法にかなっているのは善を行うことである」という真理を宣言するために、あえてそれを二者択一の質問形式にして、パリサイ人たちに投げかけているというわけである。もちろん彼らは、「安息日には悪を行うものだ」と答えることなどできない。 しかし、この質問はこうも言える。あなたがたパリサイ人は、安息日に悪を行なっているではないか。すなわち、神の子キリストを試しているではないか。隣人に対する愛がないではないか(もし愛していて、わたしをいやし主と信じているならば、「イエスさま、ちょうどよいところに来てくださいました! どうか彼のことをいやしてください!」と言うべきではないか)。しかも、あとでわかるとおり、あなたたちはこのわざを行う私のことを、政治権力と宗教権力で結託して、葬り去ろうとするではないか。これが、あなたたちが安息日に行なっている「悪」である。彼らは、自分たちが善を行なっていないで、悪を行なっていることをわかっていた。 イエスさまはまた、別の角度から彼らに問われた。「いのちを救うことですか、それとも殺すことですか。」彼の手の障害は、いますぐに生命にかかわるものではないかもしれない。しかし、イエスさまは彼のいのちが救われていないことを見抜かれた。またこのいのちがもし救われていないならば、そのままにすることはすなわちそのいのちを殺すことであると喝破された。イエスさまに出会っていないならば、そのいのちは救われていないで、結果として殺されてしまうのである。そして、イエスさまへの道を妨げるということは、そのいのちを殺すことになるのである。 この問いにも彼らは答えることはできなかった。もし、彼らが「安息日にはいのちを救うことがみこころにかなっています」というならば、彼らはイエスさまのみもとに喜んでその人を差し出しただろう。そんなことは彼らにはできなかった。だからといって、「安息日には殺すことがみこころです」などということなど、できようもなかった。 5節。イエスさまはこの頑なな彼ら、卑怯な彼らをご覧になり、お怒りになられた。よく、巡回伝道者の岸義紘先生は、メッセージの前後のお祈りを始めるにあたって「やさしいイエスさま」と呼びかけられる。もちろん、イエスさまはやさしいお方なのだが、このようにご自身に対して素直ではないばかりか、敵対するような者たちに対しては、怒りを持たれるお方である。 しかし、どうか私たちは、イエスさまの怒り、神さまの怒りを極端に恐れ、恐れるあまり、神さま、イエスさまから遠ざかるようなことはしないようにしたい。私たちは自分で思うほど、不信仰でもなければ頑なでもない。それが証拠に、私たちは現実に今こうしてみことばに耳を傾けている。私たちにはイエスさまのみことばを受け入れる備えができているのではある。あとは、素直にみことばを受け入れさせてくださいと、へりくだって祈ることが大事である。そんな私たちのことをイエスさまはお怒りにならない。 イエスさまは彼に向かい、「手を伸ばしなさい」とおっしゃった。ここで、イエスさまのしたことは善で、パリサイ人のいたことは悪ということまでは分かったが、彼は何をするのだろうか? 彼もまた、イエスさまのみことばに従順であることによって、いやし主なるイエスさまの栄光を顕すことにおいて、善を行なった。イエスさまは癒してくださる、いや、いやしてくださったということを信じて、そのとおりに手を伸ばす、ということを彼はした。 このとき、彼のしたことは、「イエスさまのみことばを信じる」、「イエスさまのみことばを信じてそのとおりに行動に移す」ということだった。信仰ということは行いが伴うことである。行いが伴わないならば、それを信仰ということはできない(ヤコブ2:14~18)。行いの伴った信仰を示す、ということは、何やら難しいこと、実践困難なことのように思う必要はない。この夏は松原湖バイブルキャンプが行われ、当教会に関係するお友だちも出席するが、松原湖は最終日の前の夜にキャンプファイアーを囲み、自分の証しをすることを常とする。その決心に至ることは、主の恵みによって「すでにできた」ことであり、あとはそれをみんなの前で公にすることである。緊張するかもしれないが、そのように発表することは信仰の実践である。 そのような「信仰の実践」が、私たちにもかつてなかっただろうか? 燃えていたのはむかしのことで終わらせてはならない。いまからでも「信仰の実践」によって、自分に信仰という恵みが与えられていることを証しするものが、私たちのうちにないだろうか? 6節。イエスさまがこのようにみわざを行われたことはまた、みことばを正しく実践されたということである。パリサイ人が何とみことばを解釈しようとも、それがイエスさまの御目に「悪を行うこと」と映るならば、それは悪である。イエスさまがどのようにみことばを解釈され、みことばを行われるかが大事である。 結果としてイエスさまは、このみわざのゆえに、いのちを狙われることになった。正しいみこころによる正しいみわざが、ご自身を十字架に追い立てたかのようである。しかし、十字架を負われることはみこころであられた。私たちを救うこと、いやすこと、そのようにして愛することはみこころであった。主に従順であった人の存在は主を証ししたのと同時に、イエスさまを十字架につけようという、主の敵の思いを駆り立てた。 しかしそれなら、私たちは主に従順であってはいけないのだろうか? 主と、主のからだなる教会を傷つけるかもしれないからと、信仰の行動、従順の行動を手控えるべきだろうか? そうではない。イエスさまは十字架に死なれただけではない。よみがえって、死と悪魔に勝利された。私たちも勝利している。だから、「私を強くしてくださる方によってどんなことでもできる」(ピリピ4:13)と確信して、堂々と信仰による従順の行い、主の働きに用いられていこう。主はそんな私たちを、主のからだなる教会もろとも守ってくださる。

「安息日の意味」

聖書朗読;マルコの福音書2:23~28/メッセージ題目;「安息日の意味」  23節。これは泥棒ではない。やってよかったことである。それをしてもよいという根拠は、申命記23章25節にある。つまり、彼らのしていることは、時間的にせよ経済的にせよ、余裕がなくて、お弁当を腰に下げる備えもない者に対する救済のみこころを示される主のあわれみに、すがることであった。  主が定められたということは、おなかがすいたら遠慮なく取って食べなさい、ということであり、それをもし、畑の持ち主が拒むならば、その持ち主こそとがめられることになる。おなかがすいた神の民は、そうやっていのちをつなぎなさい、と解釈するならば、これは神の民としてこの地に生きることを命じられた私たちに対する、命令でさえある。  では、何がよくなかったのだろうか。「それを安息日にした!」ということ。確かに安息日には、仕事をしてはいけない。しかし、その「仕事」というものは拡大解釈されて、律法学者が「仕事」と決めたことなら、それはしてはいけないことになっていた。要するに、聖書そのものが大事なのではなく、聖書解釈が大事になっていたのである。  そのような律法解釈と運用は、本来ならば神の民を幸せにするためのものであったはずである。だがいつのまにか、律法(というよりその解釈)を守り行わないことを、ことさらに悪いこととみなし、人を縛るようになった。  その規則の中に人が生きるならば安全、というよりも安心である。先週学んだ「古いぶどう酒がよい」と言うような人は、まさにこの古い規則に安住する人であるが、そのような人が幅を利かせているかぎり、人は自由にはなれない。カナンに向かうために苦しい思いをするくらいならば、いっそエジプトの不自由ながらもまあ生活が保障されているほうがいい、となってしまう。しかしそれは、ほんとうの自由を知らない人の発言である。私たちも伝道をするとき、現状に安住したがる人を相手にするときがいちばん厄介である。  しかしイエスさまは、私たちのことを自由にしてくださる真理なるお方である。人を不自由にする言説に対しては、聖書の故事を引いて、神さまはいのちを保つために非常の措置を講じることをよしとしてくださった、と説いてくださる。  私たちはつい、「宗教」をしてしまう。韓国の教会ではよく言われていることで、日本ではあまり言われていなことかもしれないが、そういう場合は共同体の中に「宗教の霊」というものが働いている、と判断される。安息日には「仕事」をしない、というのは、「宗教」であって、主との生きた交わりはそこにはない。もし、その交わりがあるならば、そのようなことを言って人を不自由にさせる、ひもじい思いをさせてまともに動けなくしてしまう、ということは、けっしてあり得ない。  付け加えれば、イエスさまは、主の宮よりも大いなるわたしが、責任を取る、という態度でいらっしゃる。マタイ12:5~6を見ると、「宮よりも大いなるもの」とあるが、それはイエスさまのことである。イエスさまとともにいる弟子たちは、宮で働く祭司に等しい者、いや、それ以上の光栄を受けた者であるということである。民数記28:9~10を見ると、祭司は安息日に自分の仕事を堂々と果たしている。そのように、安息日に祭司がするべきことをしていないと、イスラエルの民は安息日を守れない。つまり、霊的命脈を保てないのである。  同じことで、イエスさまにつき従う弟子たちが、自分のいのちを保つ行動をしていないと、弟子の共同体は保てず、それはひいては、世界を祝福する宣教の働きは展開していかない、ということになる。彼らはいやしいから食べたのではなく、いのちをつなぐために食べた。ここで倒れるわけにはいかない。主に従順であるゆえに彼らは食べた。それをイエスさまはよく理解していらっしゃった。  27節。私たちも何かの行いをするとき、動機が問われる。自分の宗教的満足のゆえか、主の栄光を顕すべく用いられるためか。安息日というものは「守らなければならないから守る」のではない。それは「宗教」である。そうではなく、「守ると幸せだから守る」となると素晴らしい。そのようにして私たちは、主の喜びを実現するものとなる。  28節。イエスさまは、なぜご自身が安息日に働かれるかという理由を語っていらっしゃる。ヨハネの福音書5章17節。「わたしの父は今に至るまでも働いておられます。それでわたしも働いているのです。」ここにイエスさまは、安息日の主として働いていらっしゃる。安息日であろうとも、イエスさまは働きをやめられない。このお方とともに働くことは、安息日をけがさないという消極的な言い方をするのではなく、主の御業のお手伝いをするという、積極的な言い方をするべきではないだろうか?  私たちは「働かない」ということを金科玉条のように守ることで安息を得られるのではない。それはかえって窮屈であり、安息とは程遠い。イエスさまの与えられた安息とは、そのようなものではない。たとえ、律法学者の目には、安息日を犯す行動のように見えることでも、「働く」ことによって、キリスト者はほんとうの安息を得て、また、人を安息に導くのである。  私たちは安息日を守れないことをもし気に病んでいるとしたら、それは「宗教的な理由」であってはならない。「神が心配してくださる」そのみこころが、私たちが安息を守ることによって実現するため、つまり、神さまとのより深いつながりを持つためであることを心に留めよう。この主の日、安息の日に、主の宮よりも大いなるイエスさまがともにいてくださり、疲れた者、重荷を負った者である私たちを休ませてくださることに、感謝しよう(マタイ11:28)。

「天上の結婚式に向かって」

聖書朗読;マルコの福音書2:18~22/メッセージ題目;「天上の結婚式に向かって」 今日の本文は、先週学んだ「レビのパーティとそれに対するパリサイ人の反応、そしてそれに対するイエスさまのお答え」に続く本文である。この本文の続き方は、並行箇所であるマルコの福音書、マタイの福音書、ルカの福音書で共通していて、したがって、このパーティの席上におけるパリサイ人とイエスさまの問答と、ひとつづきになっている以上、それにつづく断食に関する問答は、レビ(マタイ)のパーティの席上で、続けて行われた可能性がある。 ここでイエスさまは3つのたとえを話されたが、そのお話が、レビのパーティの席上でなされたとすると、この中で最初に話された、「花婿に付き添う友人は断食できない」という話に包括されよう。服と継ぎきれのたとえ、ぶどう酒と皮袋のたとえが、花婿に友人が付き添う結婚式の話と関連を持っているわけである。 レビのお別れパーティは、結婚式というと唐突な印象を受けるだろうか。しかし、人はイエスさまを信じ受け入れたならば、教会のひと枝となり、教会は終わりの日に花嫁として、花婿なるイエスさまと永遠に結ばれる。レビは単にお別れパーティをしたのではない。自分はキリストのからだのひと枝として、イエスさまと永遠に結ばれることを、このパーティにおいて宣言したのである。よってこのパーティは、結婚披露宴の性質を帯びていた。 その上でイエスさまの一番目のたとえを見てみよう。まず、ヨハネの弟子たちやパリサイ人たちは断食をすることを常としていたが、断食もしないで飲み食いを楽しむイエスさまは、「見ろ、大食いの大酒飲み、取税人や罪人の仲間だ」と人々に陰口をたたかれるお方であった(マタイ11:19)。しかし、イエスさまは何と言われようとも、このような「罪人」たちを受け入れるという「行い」をもって、みことばの示す知恵、愛の正しさを証明された。 その愛という知恵の正しさを証明するのは、イエスさまにつき従った人々である。彼らはイエスさまが振る舞われるように、自分たちも振る舞う。この人たちのことを、イエスさまはここで「花婿に付き添う友人」と表現していらっしゃる。彼らは晴れ着を着て、新しいぶどう酒に酔うのである。 しかし、聖徒が断食をする場合があるならば、それはいつなのかということについても、イエスさまは語っていらっしゃる。それは「花婿が取り去られた時」であるというわけである。私たちは十字架を覚えるとき、イエスさまが私たちから取り去られる悲しみもまた思うものである。 だが、その悲しみは、私たちのためというより、むしろ、イエスさまが見えないで、依然として悲しみの中にある隣人を思ってのものであるべきだ。それが、「泣く者とともに泣く」ということ(ローマ12:15)。その人にとっては、イエスさまがともにおられることなどとても実感できず、悲しむしかない。まるで、復活のイエスさまがいま目の前におられるのに、悲しみのあまりイエスさまが見えなくなっていたマグダラのマリアのようである。 こういう人には、イエスさまがともにおられますよ、と言ったところで、何の慰めになるだろうか。ただ、一緒に泣くしかない。それは神さまのご命令である。妻は今、祖国韓国を覚えて、折に触れて断食する生活をしているが、それは近年いろいろ乱れている、韓国を思う主の悲しみにともにあずかることであろうと、そばで見ていて思う。 断食の祈りとは、そのような、人を思い、とても物を食べることもできないような悲しみ、苦しみを実感するところから生まれてくるものであるべきだ。間違っても、宗教的聖さを求め、何やら霊的ステージが上がったような気分になるために肉体をいじめ抜くことが断食だなどと思ってはならない。それは自己満足というものであり、パリサイ人の断食と同じである。 本文に戻ると、イエスさまは服のたとえを語っておられる。これは、結婚式の晴れ着をほうふつとさせる。この晴れ着は新しい。繕わなければとても着ていられないような、ぼろい服ではない。そんな服では結婚式にも出られなかろう。だが、旧来のやり方に固執するような人々は、そのやり方を脱ぎ捨てることはあくまでしないで、「これは新しい教えだ」と思うことの「いいとこどり」をするのである。十字架と復活、罪の赦し、これは新しい教えだが、それは受け入れておく一方で、自分がこれまで固執してきた宗教行為は決してやめることをしない。 このようなことをルカの福音書では、真新しい服から布切れを引き裂いて古い服に継ぎを当てる、と表現している。そんなことをすると、せっかくの真新しい服はだめになるし、継ぎを当てた古い服を洗濯したら、真新しい服から取った布切れは縮み、それでもって古い服は破れてしまう。そういうわけで、福音という「新しい教え」は、古い服を脱ぎ捨てることをしないまま、いいとこどりするようなことをしてはいけないのである。 結婚式の文脈でこのことをイエスさまが語っておられることに注目したい。あなたはぼろい服を「これは晴れ着だ」と言い張って、結婚式に着ていくだろうか? いや、晴れ着というものは、パーティを主催した側から渡されるものであり、その結婚式を主催したのが王さまならば、下賜品ということになる。それを着ないで宴席に連なろうとするのは、王に対する侮辱である(マタイ22:2,8~13)。 王がうるさいと思うなら、ならば、と、王の下賜品の晴れ着を引き裂き、自分の服に継ぎを当てるだろうか? 表面的に取り繕うことしかしない、形だけの信仰生活も、これと同じではないだろうか? 神との交わりのない、形だけの教会生活、それは、せっかくイエスさまが来たらせてくださった新しい時代には合わない。 もうひとつ、ぶどう酒についても見てみよう。花婿に付き添う友人が、結婚パーティで花婿の出したものを飲み食いしないならば、彼は友達ではない。ちゃんと飲み食いし、気持ちよくなることが、招いてくれた花婿に対する礼儀である。 イエスさまが最初に行われた奇蹟は、水をぶどう酒、それも最上のぶどう酒に変えられるというものだった。そのみわざを行われたのは、ほかならぬ、イエスさまの招かれた結婚式の場でだった。このことからわかることは、イエスさまは結婚というものを大切にされ、その席上でぶどう酒により楽しむことを大いに奨めていらっしゃる、ということである。しかし、私たちはこの、イエスさまが奨めてくださるぶどう酒というものに、みことばをとおして深い意味を見出すものである。 来週になると、私たちは主の晩さんのグラスを傾ける。それは、主ご自身が守り行えと命じたもので、私たちはこのぶどう汁を口に含むとき、イエスさまの十字架と復活を覚えるものである。これは十字架の悲しみに終わらず、復活と臨在の喜びに至るものである。これは言ってみれば、御国にて花婿なるキリストと花嫁なる教会が結ばれる結婚式の、いわば予行演習である。予行演習だからといって重要ではないわけではない。予行演習をしっかりするならしただけ、天の御国での実際の結婚式の感激は大きい。 毎回うたっているとおりである。「懐かしくも見失せし主は、まもなく再び来たりたまわん。そのときまで十字架を負わん、救いの恵みを喜びつつ。」 この、十字架と復活というまったく新しい教えは、力がある。発酵しつづけるぶどう酒のようである。これはよく伸びる新しい皮袋に入れないと、もたない。古くてぼろい皮袋に入れたらそのぶどう酒の発酵する力で、皮袋は破け、ぶどう酒もだめになる。十字架と復活という福音、イエスさまの教えというまったく新しいものを受け入れるには、心の一新によって自分を変えていただかなければならない(ローマ12:2)。これは一生ものの取り組みである。うかうかしていると私たちは、あっという間に古い皮袋になってしまう。毎週の礼拝と毎日の聖書通読でイエスさまの教えに絶えず触れることは、新しい皮袋をいただくことである。これをしていないと、イエスさまの福音を受け入れることに耐えられなくなる。 ところで、並行箇所のルカの福音書5章39節に、「古いぶどう酒」のたとえが出てくる。もともと慣れ親しんだものがいい、新しいものなんて必要ない、と言ったら、その人は何も、新しい皮袋になる必要はない。しかし、そういう人は成長しない。成長するうえでの痛みは伴わないかもしれないが、成長することに伴う、主に用いられる喜びは味わえなくなってしまう。 私たち教会はイエスさまの花嫁として、終わりの日にともに御前に立つ。それまでの私たちの人生は、ともに取り組む花嫁修業である。美しい花嫁となるために、日々みことばに従い、愛を実践しつつ、新しい服を着て、新しい皮袋にしていただこう。 ❤祈りましょう。「主よ、私にとって      は困難なことですが、それは同時に、この困難な取り組みをとおしてキリストの似姿に変えられる、花嫁修業です。このことに取り組む力を私にください。」

「罪に病む者は癒される」

聖書本文;マルコの福音書2:13~17/メッセージ題目;「罪に病む者は癒される」 今日の箇所には、パーティが出てくる。 私にとって忘れられないパーティ、それは、2008年9月15日の祝日に、当時働いていた東京の韓国人教会で行なった、「結婚記念パーティ」である。私はそれを、たんなる自分たちの結婚のお祝いにしたくなかった。未信者の親戚や友人が参加するからだった。そのため、パーティは第一部と第二部に分け、第二部を立食パーティにする一方で、第一部は礼拝形式のセレモニーのようにし、現在、愛知県で牧師をしている友人にメッセージをしてもらい、奥様に通訳をしていただいて、教会の韓国人信徒にもわかるようにした。そんなパーティの目的は、イエスさまを証しすることだった。 本日出てくるパーティも、イエスさまを証しするパーティだった。というより、主人公はイエスさまだったとさえ言える。このパーティの楽しい雰囲気に冷や水をぶっかけるような者がいたが、イエスさまはそれに対し、実に素晴らしいフォローをなさった。 先週学んだのは、中風の人の癒やしについてだった。イエスさまが罪を赦す救い主であることを、この中風の人を実際に癒やされることをとおして、主ははっきりと証しされた。その驚くべきことを目撃したガリラヤの人たちはどうしただろうか? 13節。イエスさまのおられるところについて行ったのである。イエスさまはそこで、みことばを教えられた。 ガリラヤ湖。そこはイエスさまがみことばを教えられただけにとどまらず、弟子に対して、ご自身が全能なる神さま、お従いすべきお方であることをお示しになった場所でもある。群衆はことばだけでイエスさまの語られる神の国を知ったのではない。湖の魚さえも支配される全知全能のお方、このお方が王である神の国を、圧倒的なしるしとともに彼らは体験したのだった。私たちにとって、みわざを体験する「場所」というものは大事である。そこに帰るたびに、神さまが実際に働かれたことを思い起こし、献身を新たにするからである。私たちはそこでみことばを新たに学ぶのである。 14節を見てみよう。このようにイエスさまの話題で持ちきりでも、レビは仕事をしなければならなかった。カペナウムという地はヘロデ・アンティパスの領土とピリポの領土の境目に当たる交通の要衝であり、それだけお金の行き来が盛んだった。取税人であった彼はそれだけ通行税を取り立てることができ、金持ちだった。もちろん、普段からも住民から税を取り立て、しかも好きなように増税して、ふところに入れていた。 しかし、金持ちという結果が伴おうとも、彼はユダヤ教の宗教共同体においては除け者となっていた。ユダヤ教の宗教共同体にいる者たちは、何が悲しくてローマに貢がなければならないだろうか。この取税人は同じ民族のくせをして、金を取り立てていい気になって。まさしく、ユダヤ教の宗教共同体から蛇蝎のごとく嫌われたのが、この取税人であった。 しかし、あえて彼らを「弁護」する試みをすれば、彼らはそうしないと生きていけなかった。あながち卑屈すぎたからとか、野心のかたまりだったからというものでもなかろう。あまりこういうことは言いたくないが、彼らの存在によりユダヤ教の支配する地域において行政上の秩序が保たれたのも事実ではある。実際彼らは、彼らの納めた税金により、ローマ帝国の庇護を受けていた。しかしそれは、ユダヤ教の価値観からすれば、我慢のならないことであり、やはり彼ら取税人は、必要悪とすら扱ってはもらえなかった。 そんな彼は、イエスさまのうわさを聞いてはいただろう。しかし、それだけでは接点のつくりようがない。うわさの主(ぬし)、ヒーローのことを私たちはみな知っていても、彼らにはとても近づきになれないもの、それと同じである。 だが驚いたことに、イエスさまはご自身のほうからレビにお近づきになった。「わたしについて来なさい。」この日から、彼は取税人であることをやめ、イエスさまの弟子となった。弟子とはどうやってなるものだろうか? 私の好きな落語の世界でいえば、この師匠のもとに弟子入りしたい! という強い動機づけがまず必要で、何度断られても弟子入りをお願いする。その結果、弟子入りを認められるわけだが、師匠は、自分から頼んで弟子になってもらったわけじゃない、というスタンスは崩さない。そういう意味で厳しいことを、弟子の側もよく理解している。 しかし、イエスさまの弟子になることというのは、イエスさまからお選びになってはじめて可能になることである(ヨハネ15:16)。イエスさまが弟子にしてくださるということは、あなたはわたしについていける、と、イエスさまが見込んでくださったということを意味している。私たちは恐れずについて行っていい。私たちはすばらしい弟子になれる。 15節。この食卓は単なる食卓ではない。取税人や罪人も大勢招かれた食卓である。罪人が具体的にどういう人を指すのかは書いていないが、はっきりしているのは、ユダヤ教の戒律を守っていない人、ということである。安息日を守らない、とか、きよめのしきたりを守らない、というのも、彼らの宗教的な教えに従えば、罪人という扱いになってしまう。しかし、たとえば羊飼いのように、安息日に羊を置いて礼拝に出かけることもできないような人は、どうしよう 人間的な宗教の戒律は、どこかではみ出す人をつくってしまうのである。しかし、この人たちは、自分が「はみ出している」ことを恥じていて、だからこそ、イエスさまをお招きした食卓にこうして受け入れていただいていることに、どれほど感謝していることだろうか。まさしく、罪の増し加わるところには、恵みも満ちあふれるのである。自分はだめだ、罪深い、と思うなら、行き先はただひとつ、イエスさまのところだ。「あたしは罪深いから、神さまに救われる資格なんかないよ」といってはいけない。むしろ逆だ。「あたしは罪深いから、神さまに救っていただくしかないよ」、こう言ってほしい。 しかし、このようなイエスさまの寛容さに、異議を唱えた者がいた。16節。それはパリサイ派の律法学者、宗教指導者であり、自他ともに認める聖書の専門家だった。弟子たちに言ったのが彼らの姑息なところで、イエスさまには正面切って言えなかった。弟子たちのようなイエスさまの共同体のコアメンバーにゆさぶりをかけ、イエスさまの信用を落とそうとしたわけである。 彼らとしては、こんな罪人どもと食卓をともにするのが救い主だなんて、許せなかった。しかし、彼らが「聖書」の基準と信じてきたものは、実を言うと、「聖書解釈」でしかなかった。その聖書解釈を金科玉条のように大事にしていたが、イエスさまの評価はどうだったか。 17節。イエスさまが用いられたこのことわざは当たり前のようだが、実に深いことばである。というのも、世界には自分が病気であることを謙遜に認めない者が多くいるからである。私のことを例に挙げると、私は6年ほど前からコンタクトレンズをやめ、眼鏡をかけている。信徒の方から、目がひどく充血していると聞き、眼科に行ってみたら、眼圧もとても高く、緑内障になりかかっているという。もうコンタクトレンズがつけられなくなった。しかし、コンタクトレンズのほうが眼鏡よりもカッコイイなどとうぬぼれて、眼科にも行かなかったらどうなるか。下手をすると失明する。事程左様に、自分が病んでいることを認め、それに見合った治療をしてもらうことは大事である。だがそのためには、うぬぼれを捨てなければならない。 そんなにもわたしを信じないで、わたしのすることにけちをつけるようなあなたは、律法を宗教的に守り行うことで神さまに認められようとしているね。しかし、わたしはそんなあなたのことなど招こうにも招けないよ。わたしが招くのは、自分が罪に病んでいると心底恥じながら認め、だからこそわたしに救ってほしいと心から願う者だ。 しかし、この願いは救われた時だけのものではない。一生続く願いであるべきだ。私の友人のゴスペルバンド「ジェニュイン・グレイス」に、こんな歌詞の曲がある。「あなたの力求めていたのに/いつの間にか小さな自分を誇っていた」そう、救われた感激はいつか薄れるほど、私たちは自己中心であり、自分の努力を誇りたがるものである。私たちはいとも簡単にパリサイ人になってしまう。聖書にあれだけパリサイ人の記述が多いのは、それが私たちのことを指しているからだと考えたことがあるだろうか? こんな罪人がイエスさまに招いていただいた、その感激を思い出そう。 私たちがもっとも思い出すべきものは何だろうか? ヨハネの黙示録2章、2節から5節の、エペソ教会への警告を読めばわかるとおり、思い出すべきは初めの愛、イエスさまの十字架の愛である。この愛に立ち帰りさえすれば、パリサイ人のように自分を誇り、人をさばくことはなくなる。逆に言えば自分を誇り、人をさばいているかぎり、その人はイエスさまの十字架がわかっていないのである。つねに十字架の愛、初めの愛に立ち帰り、このお方が私を弟子にしてくださったことに感謝しよう。

「罪赦される奇蹟」

聖書本文;マルコの福音書2:1~12/メッセージ題目;「罪赦される奇蹟」  1節と2節のみことば。カペナウムで大きなイエスさまのみわざを目撃し、イエスさまにすっかり夢中になってしまった人々……彼らはイエスさまに去られてしまって、さびしい思いをしていたかもしれない。それはもちろん、イエスさまには、カペナウムにかぎらず、ガリラヤ全域に神の国を宣べ伝えようというみこころがあったからで、彼らはそのようなイエスさまを引き止めておくことはできなかったからだが、なんとイエスさまがまた戻ってくるという。アンコール! 追加公演の知らせを聞いて喜ぶファンのようだったのではないだろうか。  彼らカペナウムの人たちの熱狂が、ほんものの知識に基づくものとなるためには、どうならなければならなかっただろうか? これは私たちにとっても無縁な問いかけではない。私たちは、何らかの奇蹟を見たことで得られる感情的な高まりを、神さまのご臨在そのものと勘違いしてしまうことがある。もしそう思ってしまうならば、私たちの感情的な高まりが冷めてしまうならば、もはや神さまに対する信仰さえも冷めてしまう、ということにならないだろうか?  カペナウムの人たちもそうなる危険を抱えていた。イエスさまが再びカペナウムに来られたのは、そのような彼らをフォローするためであったと言えよう。彼らは奇蹟を見ただけでとどまらず、みことばの教えをいただいて「学ぶ」必要があったのである。「学ぶ」、これが大事。 むかし神学生時代に奉仕していた教会の牧師先生がおっしゃっていたが、教会は「学校、それも、一生卒業のない学校」。当教会は伝統的に学校の教師が多かったから、学校で学ぶことの大切さを信徒はみな身にしみて知っている。教会に行かないでみことばを読むのは、学校に行かないで家庭学習で済ませるのと同じで、充分に学べない。やはりこの公の会堂にともに集まり、ともに学ぶことが大事である。  イエスさまは、人の家におられた。これは、かつて病気のいやしや悪霊追い出しのみわざを行われたシモン・ペテロの家の可能性が高い。イエスさまのおられるところには、人が群れなして集まってきた。ここでイエスさまはみことばを語られた。まさに「家の教会」。  そこへ、だれがやって来ただろうか? 3節のみことば。中風。全身がまひして寝たきりである。ただ死を待つしかない絶望的な状況。しかし彼は人々に愛されていた。彼の中風は、イエスさまにきっと治していただける! そう考えた人が彼の周りにいて、彼のことを何としてでもイエスさまのもとに連れて行きたいと思い、行動に移したことになる。 あるいはもしかすると、この中風の人は病の床で、カペナウムにて大きなみわざを行われたイエスさまのうわさを何らかの形で耳にし、「イエスさま……、イエスさま……」とうめいていたのかもしれない。それを聞いた周りの人たちが、「よし、わかった!」と、直ちに行動に移した。そういうことではないだろうか。並行箇所であるマタイの福音書によると、寝床のまま持ち上げて連れて行ったとある。よほどひどい病だったのだろう。  だが、彼らがいざその家に着いてみると、もう人がわんさか押し寄せていて、とても近づくことなどできない。どうしよう……彼らはあまりに奇抜な方法を思いついた。4節。  一応解説すると、この時代のこの地方の家は、壁や天井が土やわらでできたやわらかい材質だったので、屋根瓦をはがすような「工事」にはならなかった。それでも大変に骨が折れる作業にはちがいなく、寝床を吊り降ろせるだけの穴をあけたら、イエスさまも群衆も、壁土をたっぷり頭に浴びたことだろう。ここには書いていないが、群衆は絶対戸惑ったはずである。ただぽかんとしていただろうか。「俺たちはありがたい話を聞いていたんだ! 邪魔をするな!」という怒号が飛び交っただろうか。 だが、イエスさまは全能の神さまである。すぐに彼らの必要に即して、何とおっしゃったか。5節。なんと、イエスさまはお叱りにならなかったばかりか、彼らの、情熱、行動、協力の伴った信仰を見て、「子よ、あなたの罪は赦された」とおっしゃった。 先週のメッセージで、聖霊なる神さまは「厚かましいくらいに」執拗に求めるべきお方であると学んだ。この一週間、私たちはそのように、聖霊なる神さまを「厚かましく」求めただろうか?  本日の箇所は、まさに「厚かましく」イエスさまを求めた人々の記録である。考えてみてほしい。彼らはひとんちの屋根を破壊したのである。もし、これが仮に、イエスさまのお弟子さんであるシモン・ペテロの家だったとしても、住居を破壊したことに変わりはない。まさしく、目的のためなら手段を選ばない、それが彼ら。 だが、この箇所が教えているのは、ひとんちの屋根を壊して迷惑だ、というような話ではない。ひとりの人がイエスさまに救っていただく信仰を語っている。自分が動けなければ、人に動いてもらおうとする信仰の情熱と行動、それが協力を生むのである。  さて、イエスさまはまず、彼の病気をお癒しにならなかった。それは、彼にとって、というより、人にとって、いちばん解決しなければならない問題は、病気がいやされること以前に、罪が赦されることだからである。どんなに奇跡的に病気がいやされようと、そのたましいが罪赦され、救われなかったならば、その人には何の益になるだろうか。いっときの癒やしは体験できても、その行き先は永遠の滅びである。  イエスさまのもとに来る者は、何をいちばん必要としているか? イエスさまによって罪赦されることであるべきである。それ以外の単なるこの世での成功、お金持ちになること、健康になること、人から愛される人になること、そういうことも祝福と言わないわけではないが、イエスさまに第一に求めるべきはそういうことではない。救い、これこそがイエスさまに求めるべきことである。 この中風の男は、死を意識するような病の床で、どれほど「救い」ということを意識したことだろうか。このまま死んだら自分はどこに行くのか……もし天国に行けると信じていたら、彼はこんなしんどい思いをしてまで、イエスさまのところに連れて行ってほしがっただろうか。人は、死の向こうにある世界が天国であると信じていなかったならば、死というものはあまりにも怖い。だから、イエスさまに出会わなければならないのである。 考えてみてほしい。私たちはイエスさまに救っていただいて、天国に入れられている自分の姿しか想像がつかないだろうが、多くの人はそもそも、天国に入るとはどういうことか、天国にはどうしたら入れるのか、まったくわからないのである。そういう人がふとした拍子に「自分の死」というものを意識したら、その恐ろしさはどれほどのものだろうか。 だから私たちは、人々にイエスさまを伝えるのである。イエスさまだけがまことの救い主、罪を赦してくださる方であると。 しかし、宗教指導者たちには、イエスさまのこのおことばが受け入れられなかった。6節と7節。旧約聖書には、メシアの時代になると人々に癒やしの恵みが与えられることが語られているが、そもそも彼らには、この目の前におられるお方がメシアだとは信じられなかった。神を冒涜する食わせ物、こんな者はいなくなってしまえ、そう思ったことだろう。 しかし、イエスさまは彼らの心のうちを見抜かれた。8節と9節。これは、あっけにとられるお答えである。もし、「起きて歩け」と言って、そのとおりにならなかったら、それは詐欺師ということになる。しかし、この目にみえるわざは、イエスさまが癒し主であることを立証し、それゆえにイエスさまは神さま、すなわち、罪を赦し、人を救うお方だということを立証する。それが10節のみことばの意味である。 そして11節と12節。イエスさまはみことばどおりにみわざを成された。このことに彼ら群衆は「こんなことは、いまだかつて見たことがない」と喝采したが、この「いまだかつて見たことがない」ことには、二重の意味がある。それは病の癒しと罪の赦しである。カペナウムの人々がもし、病のいやしだけを見て喝采したならば、彼らはほんとうの意味で神に栄光を帰していない。「罪が赦された」ことが現実のものとなった、目で見えた、このことに彼らが驚いたのなら、彼らの驚きは本物である。 私たちはこの「罪の赦し」のために一丸となって生きる共同体である。ひとりの人をイエスさまのもとに連れて行く。3節をもう一度見てほしい。一見すると、この中風の人を連れてきたのは4人だけのように見えるが、「人々」とあるので、実際はもっといたのかもしれない。倒れ伏している人がいればみんなで情熱をもって、協力して、救霊のために行動する、そのような共同体として成長しよう。 。名前はまだない。どこで生れたか頓と見当がつかぬ。何でも薄暗いじめじめした所でニャーニャー泣いていた事だけは記憶している。

「聖霊を求めよ」

聖書箇所;ルカの福音書11:5~13/メッセージ題目;「聖霊を求めよ」 本日は聖霊降臨節、聖霊なる神さまについてのメッセージをします。 この箇所でイエスさまは、ご自身の弟子と話していらっしゃる。弟子とはだれだろうか? イエスさまが友と呼んでくださった存在(ヨハネ15:13~15)。そんな「あなた」にとっての「友」は、イエスさま(三位一体の神さま)。 深夜の訪問客もあなたの友なら、その訪問客をもてなすために行く先もあなたの友のところである。三位一体の神さま(の象徴/友)をもてなすために、三位一体の神さま(の象徴/友)のもとに深夜訪れる、という図式が透けて見える。 イエスさまのこのお話は、神さまに求めるということを語っているのだから、パンの持ち主が神さまの象徴というのはおかしくない。では、その一方で、「神さまをもてなす」というのはどうだろうか? 一見するとおかしいような印象を受けるかもしれないが、創世記18章で、アブラハムが主なる神さまをもてなす場面が出てくるので、つじつまは合う。 その訪問客のことをどれほど思っているか、それが、ほとんど恥知らずのような厚かましい願いになる(原語:アナイデイア)。単なる友達ならばここまで願うだろうか? やはりこの訪問客は、「戸の外に立って叩く」イエスさまの象徴と考えてよかろう。イエスさまは客なのである(ルカ19:7、黙3:20)。 三つのパンをめぐって、「あなた」の存在は消えている。ただ「友」のために労しているだけ。三つのパンを食べるのはあなたではない。ただし、三つのパンをもって友を養えたという事実は残る。これが大事なのである。 あなたは、神さまに栄光を帰すために、神さまから力をいただく存在。その力をいただくためなら、深夜のしつこい願い、厚かましくも恥知らずの願いもいとわない。深夜だと思ったり、しつこいと思ったり、われながら恥ずかしいと思ったりするならば、やめるだろう。しかし、神に力をいただきたい思いはその申し訳なさにまさってこそである。 では、ここでイエスさまがおっしゃっている、パンにあたるものが「聖霊」なのはどういうことだろうか? そこで、父と子どものたとえを見てみよう。ここでたとえとして用いられているものは、すべて「食べ物」である。 父が子どもに与えるものは、パン、魚、卵。栄養たっぷりの食べ物である。間違っても、石や蛇やサソリのような、食べたらからだをおかしくする物は与えない。子どものからだを喜びとおいしさのうちに成長させる食べ物を父が与えるように、父なる神さまが私たちに与えてくださるのが、聖霊さまだというのである。 聖霊さまによって私たちはふさわしく成長する。聖霊とは「イエスは主」と告白させてくださる、救いに導く霊(ローマ10:9)。聖霊によらなければ「イエスは主」と言うことはできない。(Ⅰコリント12:3)「イエスは主」と言うのは、たんなることばだけの問題ではない。いかにことばで「イエスは主」と告白していても、行いがふさわしくなっていないならば、それは到底「告白している」とは言えない。 私たちは生活すべてをとおして、どんなときも、全身全霊で「イエスは主」と語れる境地にともに達したい。そうして神さまを喜ばせ、それによって永遠に神を喜びたい。それを可能にしてくださるのが、聖霊なる神さまである。聖霊は神から出て、私たちの救いの達成は聖霊なる神によってなり、救われた者は神に至り、神は永遠に栄光をお受けになる。 主にあって喜ぶこと、生きることは、主の願いであり、またご命令である。私たちが求めるべきは聖霊さまである。聖霊に満たされるならば御霊の実を結ぶ(ガラテヤ5:22~23)。しかし、御霊の実を結ぶ生き方が魅力的だから聖霊を求め、聖霊に満たされようとするのは本末転倒である。御霊に満たされるのは神のご命令である(エペソ5:18)。命令だから私たちは神さまに従順にお従いするため、聖霊を切に求めるのである。 真夜中に訪ねてくるお方がイエスさまで、このお方が求めておられることが、パンを召し上がること以上に、私たちが御霊に満たされることであるならば、私たちは必死に神さまに、御霊を求めるであろう。私たちが求めつづけ、捜しつづけ、門をたたきつづけるごとく、聖霊をくださるように神さまに求めるならば、神さまは必ず、私たちをみこころにかなう者へと変えてくださる。 求めよ、さらば与えられん、ということばは、なんでも努力すれば手に入れられるという意味では決してない。何を求めるかが大事である。聖霊、すなわち神さまご自身を求めることこそみこころだから、聞いていただけるのである。 ただし、聖霊に満たしてくださいというこのお祈りが聞いていただけない場合がある。それは、不信仰にも疑うから(ヤコブ1:6~8)、また、自分の肉を満足させようなどと言う、悪い動機で願うからである(ヤコブ4:3)。 さあ、私たちは御霊に満たしてくださいと祈ろう。まだまだ私たちは御霊に逆らう肉が生きていて、悲しいことに神さまのみこころを行いきれていない。「イエスは主」という告白も、所詮口ばかり。そのような私たちの罪を告白し、悔い改め、聖霊さまに導いていただくように祈ろう。生活のすべてで「イエスは主」と告白できる者になれるように、聖霊さまを求めよう。