花婿の友人の心得

聖書箇所:ヨハネの福音書3章22節~30節 メッセージ題目;花婿の友人の心得  私はこれまで、いろいろな方の結婚式に出させていただきましたが、式ごとに楽しいアトラクションがあり、それは今も想い出に残っています。ある方は、大学時代の「グライダー」のサークルの仲間たちが、ハンドベルを演奏して祝ってくれました。またある方は、お友だちがフラメンコギターで「亜麻色の髪の乙女」を弾いて祝ってくれました。いわく、「奥さんのことを思う旦那さんの気持ちを歌いました」だそうで、思わず笑ってしまいました。  さて、このアトラクションを演じられたのは、どちらも新郎のご友人でしたが、こういう、ゲストが何かアトラクションをする場合には、マナーというものがあります。それは、「新郎より目立ってしまわない」ということです。よくあることかもしれませんが、新郎の会社の上司がスピーチをする、そのとき、その会社の歴史を長々と述べて、いつまでたってもご飯が食べられない、これは困ります。  今日のメッセージのタイトルは「花婿の友人の心得」とおつけしました。花婿とはだれでしょうか? 花婿の友人とはだれでしょうか? 花婿の友人はどんな態度を取るべきでしょうか? 以下、見てまいりましょう。  22節です。イエスさまはヨハネがしていたように、人々にバプテスマを授けていらっしゃいました。このことからわかることは、バプテスマというものは人がイエスさまのものとして公に歩み出すうえで、主のみこころにかなった必須のものである、ということです。私たちバプテストは、イエスさまへの信仰は水に沈めるバプテスマをもって公にするものである、という立場を堅持して、イエスさまを信じた人にバプテスマを受けることを奨励します。  23節をご覧ください。バプテスマのヨハネも一方で、人々にバプテスマを授けていました。ヨハネが当時のユダヤの社会に大きな影響を及ぼしていたことは、福音書を読み合わせてみても確かにわかることですが、ヨハネのもとにバプテスマを受けにやってくる人たちがなお存在したことが、このみことばからわかります。24節を見ますと、ヨハネはまだ投獄されていなかった、とあり、ヨハネは、ヘロデ王の不法を糾弾することで王の逆鱗に触れ、逮捕、投獄されるまで、公の活動を続けていたことがうかがい知れます。  25節。あるユダヤ人、とありますが、ヨハネの福音書で「ユダヤ人」というと、「ユダヤ人を宗教的に統率する宗教指導者」という意味合いで使われていることが散見されます。   2章13節以下の、イエスさまの「宮きよめ」のみわざを責めた宗教指導者たちのことを、使徒ヨハネは「ユダヤ人たち」と言っています。ですから、バプテスマのヨハネの弟子たちが論争になった相手もまた、ユダヤの宗教指導者、もっといえば、バプテスマのヨハネのこともイエスさまのことも、自分たちの既得権益を脅かす存在として一緒くたに敵視する宗教家ということがほのめかされています。  その論争の内容は、「きよめについて」というものでした。イエスさまとヨハネの共通点は、「バプテスマを執り行う」ということです。バプテスマは人のからだを水に浸すことですが、これは「洗う」ということもまた象徴しています。そのことから一般に「バプテスマ」には「洗礼」という訳語が当てられています。「水に浸す」ということはまた、「罪のけがれを洗いきよめる」という意味もあるわけです。  バプテスマという形でその「きよめ」を人々に施していた、という点で、宗教指導者から見れば、ヨハネもイエスさまも、同じグループにあると見なされていたと言えます。  しかし、ヨハネの弟子は納得しませんでした。それは、26節の事情があったからです。……人々はもう、ヨハネからバプテスマを受けるのではなく、イエスさまの弟子共同体からバプテスマを受けるように、変わっていってしまったのでした。ヨハネの弟子たちは、それが我慢できませんでした。  しかし、このように不満を言う弟子たちに対して、ヨハネは言いました。まず、27節です。ことに主の働きをするのであるならば、天から受けているかどうか、これに尽きるのである、と。イエスさまにしてもヨハネにしても、天から受けた分で働く、ということです。  ほんらい、人々にバプテスマを施すという、いわば神の働きを地上で代行するような働きは、天から与えられた霊的権威をもってするものです。その、天に由来する霊的権威がヨハネから、イエスさまの弟子の群れへと引き移っていく、そのことをあなたがたは認めるべきだ、ということを、ヨハネは弟子たちに説いて聞かせているわけです。  28節のみことばは、ヨハネ自身の告白を、あなたがたは聞いて、証言できる立場にあるだろう、ということです。弟子たちは下手をすると、多くの人が考えていたように、ヨハネこそキリストだ、イエスはヨハネからバプテスマを受けた存在にすぎないから、バプテスマを授けてキリストのように振る舞う権限などないはずだ、と考えかねなかったわけです。ヨハネは、それは絶対にちがう、私がそうではない、と言ったことを、あなたがたははっきり聞いて、証言できるはずだ、と、釘を刺しています。  さて、そこで29節のみことばが意味を持ってきます。ヨハネはここで、イエスさまのことを、花嫁を迎える花婿でいらっしゃる、と語っています。一方でヨハネは自分自身のことを、「そばに立って花婿の声を聞いて大いに喜びに満ちあふれている友人」です。花婿の友人の心得、それは第一に、自分はあくまでも花婿の友人であって、花婿ではない、ということです。メッセージの冒頭でもお話ししたとおり、花婿を立てるために自分のすべきことを粛々と行う、そういう友人です。  花婿の友人の心得、第二にそれは、花婿の言うことに耳を傾ける、ということです。実は、バプテスマのヨハネがイエスさまのおっしゃることばに耳を傾けているという記述は、聖書の中にはそんなに登場しません。イエスさまがヨハネからバプテスマをお受けになる、その理由をヨハネに語り聞かせていらっしゃる、マタイの福音書の一節くらいです。  しかし、ヨハネの弟子までカテゴリーを広げたらどうでしょうか。ヨハネは弟子のアンデレの前でイエスさまを指し示し、「見よ、神の子羊」と言って、アンデレがイエスさまのもとに行くようにさせました。アンデレはこうして、ずっとイエスさまからみことばを聴くことになったのでした。アンデレはこの御声を聞いてもらうべく、彼の兄弟シモンをイエスさまのもとに連れていきました。  弟子の共同体は、師匠から伝授された同じ価値観を持ってしかるべきです。そのためには何といっても、弟子は師匠の声を介して教えを聴く必要があります。しかしバプテスマのヨハネは、アンデレのような弟子に対し、神の子羊なるイエスさまの御声を聴きなさい、と、声を聴く主体を自分から、イエスさまへと振り向けました。これは、ヨハネが、弟子のアンデレにもやはり、花婿の友人であるという自覚を持たせたことになります。  花婿の友人の心得、第三にそれは、「声を聞いて大いに喜ぶ、喜びに満たされる」ということです。つまり、喜ぶ理由は、「自分が有名になった」とか、「自分が偉くなった」といったことにあるのではない、イエスさまがキリスト、救い主、終わりの日の花婿として、みことばを語ってくださる、その御声が聴けることこそ、最高の喜び、究極の喜び、ということです。  イエスさまは、私たちのことを「友」と呼んでくださいました。それは、終わりの日の究極の花婿の「友」にしていただいた、ということです。私たち教会は「花嫁」で、私たちにとって地上の歩みはすべからく「キリストの花嫁修業」であるべきですが、同時に私たちは、花婿なる主イエスのみことばを聴くことに至上の喜びを覚える「友」です。  イエスさまは私たちのことを、しもべとして扱うことはなさいません。秘密のこともちゃんと伝えてくださる「友」です。イエスさまはそれだけ、私たちのことを信頼してくださっているのです。  聖書をご覧ください。ご自身の弟子をご自身の友と見込んで、秘密を明らかにして伝えてくださっている箇所ばかりではないですか。そして、聖書を手にしてお読みする私たちには、イエスさまの弟子になる道はもちろんのこと、イエスさまの「友」になる道が開かれているわけです。  そうです。私たちがみことばをお読みして「大いに喜ぶ」理由、それは、イエスさまが私たちひとりひとりを「友」と見込んで信頼して、秘密の話をしてくださるから、でもあるわけです。  今日の箇所に隠された真理、それは、イエスさまが花婿として、終わりの日に花嫁なる私たち教会を迎えてくださる、ということです。この事実を知っている人が、果たして世界の中にどれほどいるというのでしょうか。ですから、この秘密を聴かせていただいた私たちは、イエスさまが「友」と見込んでくださった、イエスさまの「友」なのです。  しめくくりのみことば、30節をお読みします。こうしてヨハネは、世界の表舞台から消えていきます。これは、謙遜ということ以上の意味があります。およそ神の働きをする者であるならば、だれもがこの態度で生きるべきなのです。これもまた、花婿の友人の心得です。  第一コリント13章10節に、「完全なものが現れたら、部分的なものはすたれるのです。」とあります。預言や異言、知識といった、たしかに神の領域に属しているゆえに素晴しいものであっても、完全なもの、すなわち、愛が現れたならば、すべてすたれる、ということです。  みことばは、神は愛です、と語ります。愛が完全なのは、その愛とは神の愛であるからです。そしてイエスさまこそは、神の愛そのものでいらっしゃいます。友のためにいのちを捨てる愛、しかし友のためによみがえってくださった愛、そんな愛を生きたお方は、古今東西ただひとり、神の御子なるイエスさまだけです。  思えば、バプテスマのヨハネは神の道を説く人であり、それはすばらしいことではあったのですが、神の愛を説くということにおいては、愛なるイエスさまを指し示し、イエスさまのもとに人を送るということ以上のことはしませんでした。そんなヨハネについて、イエスさまは2つの評価をなさっています。これまで世界の歴史上存在したすべての人の中で、バプテスマのヨハネがいちばん偉大な人物だった、ということ、しかしそれと同時に、その偉大さは、天の御国のいちばん小さい者の偉大さにも及ばない、ということです。  それでも私たちは、自分の罪深さや、自分の小ささが見えてならなかったりするでしょうか? 自分は取るに足りない、と思うでしょうか? そんな時は思い起こしましょう。私たちひとりひとりは、バプテスマのヨハネよりも偉大であると、ほかならぬイエスさまが言ってくださっているくらい、偉大な存在にしていただいているということをです。これもまた、花婿の友人の心得です。  また、私たちの人生は、イエスさまが盛んになり、自分は衰える一方という生き方をしてこそ意味があります。私たちがほんとうに、もはや自分が生きているのではなく、キリストが自分のうちに生きておられると心から告白しているならば、それにふさわしい生き方の実を結んでこそしかるべきです。  その生き方を私たちが続ける目的は、そういう生き方をする私たちのことを見て人がどう思おうとも、ひたすらに神の栄光を顕すこと、天に宝を積むことにあります。その生き方を続けていくならば、私たちに主が任せてくださっている人生の領域に、主はすばらしい実を結んでくださいます。そう、主の栄光をです。このように、主の栄光を顕す歩みをみことばから学び、ひとつひとつ守り行うこと、それが花婿の友人の心得であり、同時に、キリストの花嫁として整えられる道です。

主イエスはこの世を愛された

聖書箇所:ヨハネの福音書3章16節~21節 メッセージ題目;主イエスはこの世を愛された  聖書全体をただ1節のみことばに要約すると、それはどの箇所になるだろうか、多くの人は、今日の箇所に含まれている、ヨハネの福音書3章16節とおっしゃいます。これに異論のある方はあまりおられないと思います。私たちと同じ保守バプテスト同盟の牧師で、佐藤彰先生という方をご存じの方も多いと思いますが、佐藤先生のお車のナンバーは、「316」番です。意味は、このヨハネの福音書の3章16節ということです。そんな信仰で車に「316」というナンバーをつけているクリスチャンも多いのではないかと思います。  今日の箇所、16節から21節は、イエスさまとニコデモの対話を受ける形になっています。律法学者、パリサイ人の発想から抜けられないで、救いが行いによらないで上から来る、神さまのみこころによって、ということが理解できなかったニコデモに、イエスさまが懇切丁寧にみことばを教えていらっしゃいます。イエスさまは、ユダヤ人にとって、そして、モーセとその教えをとても大切にする律法学者にとって、とても親しいみことばである、モーセが荒野で青銅の蛇を上げた箇所を引用され、その蛇を仰ぎ見た者が生きたように、人の子であるご自身、イエスさまもまた、上げられなければならない、それは、信じる者がみな、イエスさまにあって永遠のいのちを得るためである、とおっしゃいました。  それを受けての16節以下のみことばであり、英語のものですとか、聖書の翻訳によっては、この16節から21節までのみことばを、イエスさまがニコデモに語り聴かせられたおことばのつづきのように訳し、かぎかっこを21節の後ろで閉じています。それも解釈としてはありなのでしょう。ともかく、これがイエスさまご自身のみことばであれ、ヨハネによる解説であれ、とても大事なみことばであるということに、異論をさしはさむ余地はないと思います。  では、ひとつひとつ見ていきましょう。16節の有名なみことば。このみことばの含んでいる情報は膨大です。まず、主語は「神」です。聖書のみことばは徹頭徹尾「神」のことばであり、「神」についてのことばです。創造主なる唯一の、絶対的な主権者が、という主語。  このお方が何をされたのでしょうか。そう、「愛された」のです。何をでしょうか? 「世を」です。どれほどでしょうか?「そのひとり子をおあたえになったほどに」です。ここからわかることは、創造主にはひとり子がおられるということ、そして、そのひとり子を世にお与えになって、世を愛してくださった、ということです。  その理由も語られています。ひとり子は「御子」であるとあります。絶対者にして聖なるお方のひとり子ですから、「御子」という呼び方が適切でしょう。神が御子を与えてくださったほどだという、その愛にお応えする方法は、「御子を信じる」ことです。  御子を信じたらどうなるでしょうか? 信じる人はひとりとして例外なく、滅びることはありません。永遠のいのちを持ちます。ひとりの例外もありません。そう、神さまの愛は、人を滅ぼさない愛、滅びの代わりに、永遠のいのちを与えてくださるほどの愛、それ以上に、天におられるべきお方、ひとり子イエスさまをこの世に与えてくださるほどの愛です。  「世」というものは、人間社会を指すいわゆる「世間」というレベルではありません。「世」は原語では「コスモス」、宇宙万物、森羅万象を指すもので、途方もないスケールの愛です。しかし、ローマ人への手紙8章19節以下のみことばによると、被造世界の堕落と滅びは神のかたちに造られた神の子ども、人間の堕落に由来することがほのめかされていて、まず、人間の救いがあらゆる被造物の回復に益してしかるべきであるわけです。したがって、神さまの万物に対する愛情は、まず、万物を管理する責任を神さまから託された存在である、人間こそ受けるべきものです。  しかし、神さまが世を愛する一方で、人間は世をも、世にあるものをも愛してはならないこともまた、みことばは語ります。ヨハネの手紙第一2章15節です。  うっかりすると、私たちはこの、人間に戒められた「愛してはならない」という命令を、兄弟愛を意味する「フィレオーの愛」で愛してはならないということか、と誤解しかねません。しかし、原語では、なんとこれは「アガペーの愛」、したがって人間は、神の愛で世を愛してはならない、ということです。  そんな莫迦な、とお思いでしょうか? 私たちは天地万物を統べ治める神ではない、そんな愛で愛することなど初めからできない、と思いますか? ならば、このヨハネ伝3章16節のみことばに示された神の愛とはどういうものかをヒントに考えましょう。  神さまはどのようにして「世」を愛されましたか? ご自身の大事なひとり子のいのちを差し出されるほどに愛してくださいました。このように愛していいのは神さまだけです。なぜならば、それによって失ったいのちを、神さまはよみがえらせてくださるお方だからです。現に、イエスさまは十字架にかかって死なれましたが、復活されました。  しかし、人間はそうはいきません。「いのちをかける」とか「骨をうずめる」などという大層なことばがありますが、学問ですとか、会社ですとか、趣味のような生きがいですとか、そんなものは果たして、それに没頭するあまりいのちを失っても構わないというようなものなのでしょうか? それに没頭するあまり家庭を顧みなくて、子どもが非行に走ったりして家庭が没落する、なんてことになったら、その人にとっての「愛」など何になるのでしょうか?「会社愛」で過労死したら?「愛車」で事故を起こして亡くなったら?「愛人」をつくって双方の家庭を破滅させたら?  だから、いのちをかけて世を愛する資格があるのは、神さまおひとりだけなのです。人は、どんなにだれかのことを愛したとしても、神さまほどの愛を注ぐことなど金輪際できません。そして神さまは、そんなふうにいのちをかけて、世を愛したり、世にあるものを愛してはいけない、と、人に警告されました。  もっとも、キリスト教会の歴史に名を残した働き人の中には、殉教したり、たいへんな迫害をくぐりぬけたり、宣教や教会形成のために塗炭の苦しみを味わったりした人もいました。彼らはいけないことをしたのでしょうか? そういうことではありません。彼らはイエスさまを心の中に受け入れ、肉的な動機、自分の名を上げたい動機の代わりに、イエスさまの栄光を第一の動機として、主への献身を果たした人たちです。言うなれば、主ご自身が彼らのことを、いのちをささげたいと思えるほどの献身へとお導きになったのでした。このような生き方へとひとたび導かれたならば、人間的な思惑でそれを止めることなど、だれにもできません。  17節をお読みしましょう。神さまが御子を世に遣わされたのは、御子によって世をお救いになるためでした。私たちは、宮きよめを行われる荒々しいイエスさまのお姿を目にするとき、いや、イエスさまは救い主であるだけではなく、さばくべき人にはさばきを行なっておられるのではないだろうか、と思いますでしょうか? ところが、イエスさまはそれでも、さばくお方ではないのです。イエスさまはどこまでも、「救う」お方です。だから、一見すると暴力的なイエスさまの宮きよめの振る舞いも、「愛するユダヤ人よ、こんなことをしていては神さまに近づけないだろう! こんなことはやめなさい!」という、救われてほしいゆえの愛情の表れといえます。  その17節を前提にして18節をお読みしましょう。これは時制がいろいろになっていて、少し難しい印象を受けませんでしょうか? 信じればさばかれない、信じない人はすでにさばかれている、どういう時制で解釈すればいいのでしょうか?  これは、こういうことです。ローマ人への手紙3章23節は、すべての人は罪を犯したので、神からの栄誉を受けることができない、と宣言しています。神からの栄誉とは何でしょうか? 神の子どもと認めていただけるほどの栄光、栄誉です。しかし、人間は罪を犯した罪人であり、罪人ゆえに罪を犯す以上、聖い神さまに聖い、罪がないと認めていただけるほどの栄誉など、一切持ち合わせていません。神さまに認めていただけない以上、そんな人間を待っているものは滅びしかありません。  ということは、人間としてこの世に生まれ落ちたならば、だれもが罪を犯す罪人であり、ゆえに、神からの栄誉を受けられずに滅びるしかないわけです。私たちは「滅びる」というと、どんなイメージを持ちますでしょうか?「罪滅ぼし」ということばがありますが、あれは、「よい行いをすることで罪を消す」という意味で、ぜんぜん聖書的なではない、いかにも一般的な日本人が好きそうなことばです。聖書の語る「滅びる」は、「存在が消える」ではありません。むしろ「破滅する」という方がニュアンスが近いでしょう。存在が消えるどころか、地獄に落とされて永遠に苦しむ。これが、罪人が滅びるということなのです。  しかし人間が罪人であるということは、聖い神さまとそのみこころを認めないということであり、それは、神の御子イエス・キリストの御名を信じない、受け入れない、という形で現れます。言い換えれば、私たちが救われるように神さまがイエスさまを私たちのもとに送ってくださったという、その神さまのみこころを否定するわけです。  そうです、人間は全員が、すでにさばかれた存在です。全員が地獄に落ちるべき存在です。しかし、神さまはそんな私たちのことを憐れんでくださり、ひとり子イエスさま救い主と信じ受け入れれば、さばきと滅びから救ってくださるようにしてくださいました。こうして、イエスさまを信じるように神さまが導いてくださり、すでに定まっていた滅びとさばきから救われた人が、私たちも含めて、神の民であるというわけです。  19節、20節のみことばは、さばきというものについて語っています。光なる神さま、イエスさまよりも、闇、罪とサタンに属する勢力を愛すること、それそのものがさばきです。それらのものを愛している以上、滅びのさばきからは一切免れさせてはもらえないからです。そのさばきへと導くものは何かというと、この節のみことばによれば、「行いが悪いこと」、つまり、「悪い行い」です。  悪い行いは何か、ということは、第一コリント6章9節と10節、エペソ人への手紙5章3節から5節、ヨハネの黙示録21章27節など、かなり具体的な形でも聖書のあちこちに書かれていて、私たちはそれが何かを知ることができます。  こういうことが罪であると普段からしっかり押さえておかないと、私たちは日本人的倫理、この世的倫理が、私たちの本来持つべき倫理にとって代わる危険につねにさらされています。なぜならば、私たちクリスチャンはふつう、この日本において善良な市民として振る舞うことをつねに意識しているものだからです。「証しにならない」なんて表現を日本のクリスチャンはよく口にしますが、それは裏を返せば、「未信者からどう見られるか、周りの目を気にして生きよう」という意識がなくもないのでは、と思えます。だからこそ私たちは、「日本社会が罪と規定するもの」ではなく、「聖書が罪と規定するもの」が何かをしっかり押さえ、そこから身を避けて生活するように、語り合い、励まし合い、祈り合っていく必要があるわけです。  ともかく、悪い行いをする者は光の方に来ません。光の方に来たら、罪を行なっているゆえの自分の醜さ、きたなさ、いやさしさが、白日の下に明らかになり、それはきわめて受け入れがたいからです。だからといって彼らは悔い改め、その罪を雪よりも白くしていただこうという発想にはなりません。ますます罪を犯すことに執着します。こうして、彼らは悔い改める機会、罪を赦していただき、きよめていただく機会をますます失い、滅びへとまっしぐらになります。  確かに主は、私たちの心の中を探られる方です。私たちの心の中に罪があるならば、それを見過ごしにはなさいません。しかし、私たちを滅びのさばきに定めるのは、このみことばによれば、「罪の思い」、言い換えれば、「心の中の罪」ではありません。「罪の行い」です。神さまが問題にされるのは「行い」なのです。  ですから、私たちは21節のみことばをあらためて心に留めて生きるべきです。心の中でよい動機、崇高な動機があれば、よい行いができる、とお考えでしょうか? もしそうならば、心の中にその動機が満ちるまで、納得いくまで成長しつづけなければならない、ということになるでしょう。しかし、それを待っていては、私たちはいつまでたってもよい行いなどできません。  だから、真理を行うことが光の方に来る、ということ、大事なのは「行い」です。真理とは何でしょうか。イエスさまご自身が真理です。ですから、心のうちにおられるイエスさまに働いていただくこと、具体的には、真理なるイエスさまに真理のみことばを教えていただき、そのとおりに行動すること、また、真理の霊なる聖霊さまに恥じることのない行動を、聖霊なる神さまに導かれて実践することです。  こうなってくると、単なる善行とレベルが違うことがお分かりだと思います。イエスさまがそれを真理と認めていらっしゃるかどうか、これにつきます。だから、真理をいつも教えていただくのです。  そして、その教えていただいた真理を「時を移さず」実践する、それがともにできるように、お互いが教え合う、それでこそ教会という共同体、キリストのからだなる共同体です。一緒に光の中に入っていき、光の中を歩む、光の中をさらに歩みたくて、光を学び、光をこの世に照らすために、具体的に何をすべきか、日々みことばに教えていただいて、学び、実践する、こうしてますます、光の方に来る、そう、ここでも、「行い」が大事だということがわかります。  繰り返しになりますが、この世を愛する資格があるのは、神さま、イエスさまだけです。主イエスさまは、十字架におかかりになって、私たちを罪と死から贖い出してくださることによって、私たちのことを愛してくださいました。私たちがもし、そのように自分自身を差し出したいほどに愛する、その愛の対象である「世」とは一体何なのでしょうか?「世」と調子を合わせ、「世」に愛されるために自分を犠牲にするならば、それはとても愚かな生き方というべきです。  しかし、私たちがもし、この世を愛していいとしたら、「この世を神さまへと、イエスさまへと導くために愛することをする」、それが私たちの毎日すべきことです。私たちはその、イエスさまのみこころを守り行うために、今日捨てるべき罪の行いはないでしょうか? 今日から守り行うべき真理の行いは何でしょうか? 祈って示していただき、新たな出発をしましょう。

新しく生まれるということ

聖書箇所:ヨハネの福音書3章1節~15節 メッセージ題目;新しく生まれるということ  あれはうちの上の娘が生まれる少し前のことですから、もう16年も前になりますが、高校時代とても仲の良かった友だちが、突然亡くなるということがありました。当時日本は、リーマンショックのあおりをもろに受けていたときで、彼はというと、ある旧財閥系の証券会社で、課長代理の職にありました。もともと彼はその系列の総研で働いていたところ、まったく慣れない証券畑に出向になり、しかし、持ち前の真面目さで、35歳にして課長代理にまで登り詰めました。しかし、リーマンショックです。その責任感の強さ、真面目さが仇になったのでしょうか。まるで彼は、リーマンショックの責任を一身に背負って亡くなったかのようでした。  私は生前の彼に、とにかく福音を伝えようとしましたが、あと一歩のところで伝えきれなくて、ついに彼のことを信仰告白に導けませんでした。そんな悔恨を込めて私は、高校の母体であったお寺を会場に行われた彼の葬儀に出たのですが、抹香臭いことがあまり好きでなかった彼らしい葬儀でした。お香も焚かれず、お坊さんがお経をあげることもなく、参列者がお焼香をすることもありませんでした。  ただ、お焼香の代わりに献花は行われました。ところが、なんとその献花の間、会場の大きなスピーカーから、歌が流れてきました。中島みゆきの「時代」という歌です。彼はオフコースやさだまさしやチューリップが好きで、ニューミュージックの話もよくしていたので、いかにも彼らしいな、と思いましたが、その「時代」の歌詞に、私は胸を締めつけられる思いになりました。「まわるまわるよ時代は回る 別れと出会いを繰り返し 今日は倒れた旅人たちも 生まれ変わって歩きだすよ」この歌がお寺の中で流されたということは、仏教的にはこの死生観が正しいということなのでしょうか。しかし、聖書のみことばはそんなふうに教えているものか。彼は今、いったいどこにいるんだ。あらためて、彼を信仰告白に導けなかったことを、大いに悔い改めさせられました。  今日のテーマは「新しく生まれるということ」です。中島みゆきの歌が受け入れられるような土壌の日本では、イエスさまのこのおことば、聖書の教えも、誤解されかねないのではないでしょうか。新しく生まれる、それは神の国に入るために必要なことです。しかし、新しく生まれるとはどういうことか、どうなることが新しく生まれることなのか、それを押さえておかないで、ただ、日本人的な心で、雰囲気でこのことを捉えてしまうなら、下手をすると、ことは自分に永遠のいのちがあるかどうか、わからなくなってしまう、という、重大な問題になってしまいます。  こういうことを申しますのも、ここ10年、20年の間に、韓国で脅威となり、日本にも上陸して久しいある種の異端は、「何年何月何日にあなたは救われましたか?」とクリスチャンに質問し、うまく答えられないと、それがわかっていないとは、救われていないということです、とおどかし、自分たちこそほんとうの救いに導きます、と、自分たちへとオルグします。その結果、そのクリスチャンは、気がつくとその異端の手先になってしまっているわけです。彼らの信じているものは、イエスさまのようでいて、イエスさまとはまったくちがうものです。そんなことにならないためにも、聖書の語る「救い」ですとか「新しく生まれること」といったものをしっかり押さえておく必要があります。  それでは本文に入りましょう。1節です。……このみことばは、以下15節までつづく場面に登場するニコデモを紹介する節ですが、この箇所からわかることは、彼がパリサイ人の一人だということです。律法を守り行うことによって神からの救いを得るよう教える律法学者、それがパリサイ人で、ニコデモはそのパリサイ人だったということです。  また、ユダヤ人の議員、とあります。日本も近いうちに参議院議員選挙がありますが、あのように、ユダヤにも日本でいえば国会にあたる議会がありました。もちろん、ローマ皇帝やユダヤの分封王ヘロデのような権力者が上に君臨しているにはいますが、ユダヤの議会はその君主のもとにあって、政治的権力を行使する機関でした。最大定員は71名です。  その構成員は、祭司階級のサドカイ人、また、民の代表者である長老、そしてパリサイ人であったわけですが、ニコデモはその中でも、パリサイ人の一員として議員をしていました。つまり、ニコデモは国家の政治的指導者を兼ねた宗教指導者だったわけで、相当高いポジションにいたということになります。  さて、「ニコデモという名の人がいた」という表現は、ちょっと注意が必要です。それは、この箇所でわざわざ「人」と断っていることは、それに先行する2章23節から25節のそれぞれの節に出てくる「人」と関係があるからです。先週も学びましたが、ユダヤ人たちはイエスさまの行われたしるしを見て、イエスさまを信じました。しかし、イエスさまは彼らのその信仰を信頼なさいませんでした。彼らの心の中を見抜いておられ、その信仰が本物ではないことを知っておられたからです。そして、そのような人間に、わざわざご自身のことを何かほめてもらうようなことばなど、イエスさまは一切、必要としていらっしゃいませんでした。  そして、「ニコデモという名の『人』」という表現は、ニコデモもまた、イエスさまが信頼されなかった「人」、心のうちにあるものが何かをイエスさまに知られていたその「人」のひとりであった、ということを意味しています。その前提で2節を読みましょう。  ニコデモはまず、夜、イエスさまのもとを訪ねていきました。これは明らかに、パリサイ人として宗教論争を挑んだり、罠にはめたりするためではありません。イエスさまの教えを聴きに行くためです。しかし、イエスさまの教えを公然と聞くことは、立場上できませんでした。  2000年前のことですから、いかに都会でも、街灯がそこらじゅうを煌々と照らしていたりなどということはありません。ともしびを掲げて、足元もおぼつかない中、夜目(よめ)に隠れてやってきました。イエスさまがすでに、神聖なるエルサレム神殿で派手な大立ち回りを行われたことは、もちろん宗教指導者の知るところです。言ってみればこの青年イエスは、宗教指導者たちに睨まれた危険人物です。そんなイエスさまのことを白昼堂々訪ねることは、ニコデモが議員やパリサイ人としての地位や体面を保つうえで、何ひとつプラスになどなりません。  しかし、ニコデモはほかのパリサイ人とちがい、イエスさまはただの教師、ラビではない、という確信がありました。それで、夜なのにもかまわず、お訪ねするという行動に出ました。ニコデモはまず、イエスさまに、「先生」と呼びかけていますが、これはユダヤ人の宗教教師に対して用いる尊称「ラビ」です。日本の教会では、牧師だけではなく、牧師按手を受けていない伝道師、一般信徒である日曜学校の教師、みんな「先生」と呼ばれますが、韓国では牧師にかぎった呼称で「モクサニム」という呼び方があります。「モクサニム」は、牧師以外には一切使いません。それと同じように、宗教社会であるユダヤで「ラビ」と呼びかけるのはかなり特別なことです。いわんやイエスさまは、公的に宗教家になるための教育を受けたことがないことを、宗教指導者たちは知っていました。そのようなイエスさまに「ラビ」と尊敬を込めて呼びかけているのですから、よほどのことです。  さて、ニコデモがイエスさまのことを「ラビ」とお呼びし、そればかりか「神のもとから来られた教師」とさえ、下にも置かないような美辞麗句を並べている理由は、「しるし」にありました。ニコデモはイエスさまが行われた数々のしるしを見て、人間業では到底できないその奇跡を行われているゆえに、イエスさまが神のもとから来られた「ラビ」であると認めているわけです。ニコデモのこのことばは、そんな「神がかった」すばらしいラビだからこそ、私はもっとあなたから学んで、律法に対する理解を深め、もっといい教師になりたいのです、という、期待感を読み取ることができます。  しかし、そんなニコデモに、イエスさまはおっしゃいます。3節です。あなたはわたしのことを、神から来た教師と見込んで教えを請いに来ていますね。それではあなたに最も大切なことを教えます。人は、新しく生まれなければ、神の国を見ることはありません。  さて、この「新しく」ということばですが、たしかにそれは「新しく」という意味はあるのですが、原語にはもうひとつ、「上から」という意味も含まれています。  新しく生まれる、ということは、日本人が漠然と信じているような、「来世」という概念とは根本から異なります。中島みゆきの歌の「時代」は、いのち果てる人にとっての「来世」を意識した歌ではないかと思いますが、聖書は、そういう漠然とした「来世」ではなく、もっと実際的ないのちの実在を語っています。上から新しく生まれた人が、神の国を見る。そうではない人は、神の国をまだ見ていない。  神の国を見る。それは、「私の」神が「私を」統べ治めるその実際を、「私が」見ている、ということを意味します。たとえば私たちはいま、日本にいますが、これは言い換えれば、「日本国を見ている」ということです。それは地理的なテリトリーということもそうですし。日本語という共通語、また、日本の法律、行政、警察、国防のもとにいるということでもあるわけです。意識するにせよしないにせよ、私たちは有形無形に日本国を「見ています」。  しかし、ユダヤに関してはどうでしょうか。確かに神さまは、イスラエルと契約を結ばれたゆえ、そのイスラエルの末裔であるユダヤにも依然として契約は有効です。しかし、そんなユダヤ人がユダヤの地理的、政治的、宗教的テリトリーの中にいるからといって、ユダヤ人に生まれついたら100パーセント、神の国を見ているということにはなりません。彼らは、イエスさまを神の子として、金輪際認めませんでしたし、ということは、イエスさまの父であり、イエスさまをこの地にみこころをもってお送りになった神さまのことを信じてなどいなかったことになるからです。ユダヤ人の間にはただ、創造主への形ばかりで中身のない信仰があるだけです。彼らも異邦人同様、上から、すなわち神によって新しく生まれなければ、神の国を見ている、すなわち、この地上にあっても神のほんとうのご支配を認めていることにはならないわけです。  そこでニコデモが返します。4節。小学生のとき、友達とふざけて言いあった冗談を想い出します。例の水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか!」(目のところに印籠を持っていって)「入らないよ。」新しく生まれるとはどんなことか、みことばから学んでいる私たちには、ニコデモの言っていることは屁理屈のように聞こえるかもしれませんが、これは、「新しく生まれる」というおことばに、「上から」という意味も含まれていたことを見落としていたことから生まれた勘違いといえるわけです。  また、ニコデモのことばには、霊的なことを、唯物論的に解釈しようとして無理をする人間の限界も見ることができます。みことばというものは子どものようにただ素直に受け入れればいいものを、あれこれ人間的な理屈、解釈を加えるものだから、わかるものもわからなくなってしまいます。そういう人にぴったりのことわざがあります。「下手の考え休むに似たり」。問題は、勉強してきた人ほど、なまじ自分には知恵があると思うものだから、自分のことを「下手」と認められなくて、結果、休むことにも劣るような無駄な考えで時間も体力も浪費する、ということです。  しかし、イエスさまはさすがです。わざわざ夜道を歩いて教えを請いに来た者を「物わかりの悪い者は立ち去りなさい」などと追い返すお方ではありません。もっと懇切丁寧に教えてくださいます。5節です。水と御霊によって生まれる。今日はペンテコステ、御霊、聖霊さまがこの地にくだり、教会が誕生したことをお祝いする日ですが、聖霊なる神さまは人を上から、つまり神によって、霊的に新しく生まれさせてくださいます。  では「水」とは何でしょうか。私たちバプテスト教会がとても大事にする、バプテスマに必須の水のことでしょうか。たしかに、公式に教会のひと枝としてクリスチャンになるには、バプテスマという形で水に全身を浸します。これはバプテスマのヨハネ以来のもので、イエスさま自身もバプテスマをお受けになり、また、イエスさまは弟子たちを主導されて人々にバプテスマを授けさせておられたことから、バプテスマが「新しく生まれること」に必須ということを、イエスさまが認めておられたのはたしかです。  しかし、ここでいう「水と御霊によって」の「水」は、バプテスマという儀式に用いられる「水」という以上の意味があります。  近いうちに私たちはヨハネの福音書の4章を学びますが、そのみことばには、人目を忍んで真昼の暑いさなかに水汲みに来た女の人に、イエスさまがこんなことをおっしゃっている場面が登場します。「この水を飲む人はみな、また渇きます。しかし、わたしが与える水を飲む人は、いつまでも決して渇くことがありません。わたしが与える水は、その人の内で泉となり、永遠のいのちへの水が湧き出ます。」同じくヨハネの福音書の中で、7章にはイエスさまがエルサレム神殿で参詣客に向かって堂々とお語りになるメッセージが登場しますが、このようにおっしゃっています。「だれでも渇いているなら、わたしのもとに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書が言っているとおり、その人の心の奥底から、生ける水の川が流れ出るようになります。」続く節で、それがイエスさまのお受けになる御霊のことを意味していると解説していますが、ともかく、水とは、イエスさまのもとに行って飲むものであり、また、そのことは、御霊と密接な関係があります。  イザヤ書44章3節のみことば、水というものと霊というものを並行して語っています。霊とは神の民イスラエルの子孫に祝福をもって注がれるもの、その一方で、水とは潤いを失った民、渇く民を潤すものです。その水を与えるのがイエスさまであり、イエスさまが来られたことは、このイザヤ44章3節のみことばが成就したことを意味します。つまり、水と御霊によって生まれるとは、御霊の導きにより、いのちなるイエスさまに出会い、イエスさまのみことばをいただき、イエスさまの御名によって祈ることによって、イエスさまと交わり、イエスさまだけが与えてくださる永遠のいのちの中に、永遠にとどまりつづけるものとなることを意味するわけです。  6節。仮に、ニコデモが「そんなことはありますまい」とばかりに質問してみせたようなこと、母の胎から生まれ直した、などということが起きたとしても、それはしょせん、肉によって肉が生まれたことにすぎません。しかし、霊によって生まれることをさせてくださるのは聖霊なる神さまです。人間的ながんばり、たとえば聖書勉強や断食祈祷、多額の献金のようなことを一生懸命やれば、それで100パーセント、霊的に新しく生まれるなどという保証はどこにもありません。しょせんそれが人間的な修行の範囲を出ないものなら、なおさらそうです。  7節。なぜ、ニコデモはこのことを不思議に思ってはならないのでしょうか。それは、目でその存在を見ることを許されない霊なるお方である神さまのことを学び、語り、教える者ならば、霊によって霊なる神さまを理解していてしかるべきである、もし、霊によって神さまとそのみこころを理解できているならば、このようなことをそもそも不思議に思う余地などないからです。しかし、ニコデモは神のことを、まだ肉的なレベルでしか悟れていませんでした。  8節。「霊」ということばは原語で「プニューマ」といいます。これは「風」と同じことばです。イエスさまはコアな弟子たち以外に神の国というものを説明されるとき、たとえをお用いになるのが常でしたが、ここでもたとえを用いていらっしゃいます。しかも、「霊」と同じ「風」です。霊は風とよく似ているというわけです。ぴったりのたとえをお話しになります。風は思いのままに吹く、しかし人には、それがどこからどう吹いているかわからない。御霊もそれと同じ。  風が吹いたら桶屋が儲かる、ということわざは、風が吹いたら埃が舞う、あれよあれよという間に桶屋が儲かる、というわけですが、風は目に見えなくても、それが吹いたら、目に見える環境に確実に影響を及ぼします。そのように、目に見えない御霊が働かれるとき、人に御霊の実が結ばれ、愛する、喜ぶ、平安になる、人に寛容になる、人に親切にする、人に善意をもって行動する、人に誠実になる、柔和になる、自制する、それらのことが実現するような、イエスさまに対する信仰を持って、罪赦され、救われ、神さまの子どもとなり、永遠のいのちをいただき、神の国を見る……聖霊さまは、目に見えなくても、ほんとうにすごいお方なのです。  しかし、それらのみわざを主導されるのは、神さまのみこころです。人間的に何か計画したところで、そのようなことが実際に起こるわけではありません。だれが、いつ、どこで、どのように、なぜ、御霊の働きを体験して信仰を告白し、御霊の実を結ぶか、それは神の主権の中でなされるみわざです。  そういう前提に立つと、私たち、いま信仰を確かに持っている者たちが、いつ、どこで、どのように信仰を持ったかを具体的に、細かく記憶しているかどうかということは、実はそんなに大事なことではないことがわかります。大事なのは、「いま救われているかどうか」、もっといえば、「こんな私のことを神さまが救ってくださったと、いま信じているかどうか」ということです。ですから、その日時を細かく突っ込んでクリスチャンを動揺させるような異端には、くれぐれも引っかからないことです。  しかし、9節をご覧ください。ニコデモはぽかんとしています。それはそうなのです。ニコデモが拠って立ってきた教えは、いかに律法を正しく守り、神に認められる人になれるか、ということであったからです。つまり、救いとは人間の側の努力にかかっている、という前提で神の教えを理解してきたわけです。ニコデモがイエスさまのことを神のもとから来られた教師と見込んで、教えを請いにやってきたということは、私はもっと正しくありたい、もっと正しく律法を守り行いたい、もっと確実に努力したい、そうして救われて神の国を見る者となりたい、という思いがあってのことでした。  しかし、イエスさまのお語りになることは、ニコデモの拠って立つ前提を、根底から覆すものでした。人間の頑張りではなく、神の霊が新しく生まれさせる? そんな莫迦な! ニコデモは茫然としました。  しかし、イエスさまは容赦されません。10節。こんな厳しい言い方でニコデモをお叱りになったのは、この程度の宗教指導者が高い所からユダヤの民を教えているようなら、民がみことばのほんとうに語ることを理解することなど、金輪際ありえないからです。イエスさまは、民が羊飼いのいない羊のように弱り果てて倒れていたのを見て、はらわたもよじれんばかりに深く憐れまれましたが、民がそうなってしまったのは、羊飼いであるべき宗教指導者たちが、正しく羊を養えるだけの力を持ち合わせていなかったからです。ニコデモもまた、ユダヤ人という名の羊の群れを衰えさせた張本人であったのです。イエスさまの怒気を含んだようなおことばは、ご自身の羊を放っておく牧者への怒りの現れでもありました。  11節。イエスさまはここで、「わたしたち」とおっしゃっていますが、これは、「父、御子、御霊」の「わたしたち」とも取れますし、イエスさまがそのおしえを授けた弟子たちと形づくる共同体とも言えます。いずれにせよ、「わたしたち」と複数形になっているのは、ニコデモも含めたユダヤの宗教指導者の陣営と対立しつつ神の側に立つ陣営、ということを意味します。  その「わたしたち」が知っている、見ている、ということは、つまり、イエスさまがご存じで、ご覧になっていることを、神の陣営で共有しているということを意味します。ここにいる私たちもキリストのからだなる教会ですから、もちろん、この「わたしたち」に含まれるべき存在です。  それをニコデモのようなパリサイ人、宗教指導者たちは、神のみこころをだれよりもよく知っているという立場に自分たちのことを置く以上、神の子なるイエスさまがお認めになるレベルで、充分に知って、受け入れている必要がありました。ところが彼らはイエスさまの御目には、まったくそのレベルに達していなかったのでした。  12節。御霊の働きの主体は神の領域に属するものの、その実践される現場は地上です。地上に住む人に御霊は働かれ、信仰を持たせ、新しく生まれさせ、永遠のいのち、神の国に入れてくださるからです。しかし、いやしくも神の律法を取り扱う教師を自称する教師ならば、それよりさらに深い神の奥義、それこそ一般人のレベルでは地上からはうかがい知ることのできない天上における神のみこころに通じているという確信があるべきです。しかし、イエスさまから見れば、地上における御霊の働きもわからない教師たちは、天上のことなど教えてもわかるわけがない、ということです。  13節。天上のことが人に分からないのは、天に上ったことのある人がいないからです。ところがイエスさまは、ご自身は天から下った人だから、天上のことがわかる唯一の人であるとおっしゃいます。その、天上における父なる神さまのイエスさまに対するみこころは何か、それをイエスさまは14節、15節でお語りになっています。  出エジプトの旅程で、神に対して不平を鳴らし、神さまが民を養ってくださる不思議な食べ物「マナ」のことを、言うに事欠いて、「飽き飽きするみじめな食べ物」と言い放ったイスラエルの民に、神は怒りを発せられ、イスラエルのただ中に「燃える蛇」を送られ、それが人にかみついて多くの者が死にました。それを悲しんだモーセが神さまに祈ると、神さまは青銅で蛇をつくり、それを旗竿の上に掲げよと命じられました。それを仰ぎ見た者は蛇の毒が解毒し、死なないですみました。  そのように、青銅の蛇を旗竿の上に掲げて、人を死のさばきから救い出して生かすように、わたしは十字架に上げられて死ぬことによって、そして死とよみから上げられて復活することによって、さらには地上から上げられて御父の右の座に着き、地上の民が救われるようにとりなして祈ることによって、人を救う、それを信じる者はみな、わたしにあって永遠のいのちを持つのである、というわけです。  私たちクリスチャンは、キリスト教という「宗教」を信じて救われているわけではありません。「神さま」を信じていると言えるには言えますが、それはクリスチャンにかぎった話ではありません。いえ、クリスチャンに限った話で「神さま」を信じているといっても、それでも不十分です。十字架、復活、昇天をもって「上げられた」イエスさまを信じていること、それが私たちを救うことです。  私たちの読む聖書は分厚いですから、こんな細かいことが理解できるか、いわんや守り行えるか、と思いますでしょうか。しかし、信仰の道というものは驚くほど簡単、単純なものです。信じるだけ、これだけです。具体的には、みことばに書いてあることをそのまま、そのとおりです、と信じ告白することです。  今日はペンテコステ、聖霊さまがお下りになったことを記念する日ですが、私たちを救いに導く信仰は、聖霊さまが主体的にくださるものです。私たちはだれも、好きこのんでイエスさまを信じたりなどしません。なぜなら、例外なく罪人である私たちを支配する肉の思いは、御霊の願うことに真正面から逆らい、けっして従おうとしない、従いたくない、だから、従うことなどできないからです。  それが、イエスさまを信じていること、ゆえに救われていること、そして、さらに霊的に成長したいと願うことは、これはもう、神さま、聖霊さまのお働きとしか言いようがありません。だから私たちは、神さまにすべてのご栄光をお帰しするのです。この恵みをもって私たちの信仰を成長させてくださり、私たちの周りにいるひとりでも多くの人を救ってくださるように祈りましょう。

宮きよめが必要な私たち

聖書箇所:ヨハネの福音書2章13節~25節 メッセージ題目:宮きよめが必要な私たち  みなさんにお伺いします。みなさんが持っていらっしゃるイエスさまのイメージは、どんな感じでしょうか? 日曜学校ではとにかく、優しいお方、と教えます。「子どもの友はどなたどなた/子どもの好きなイエスさまよ」なんて。そりゃそうです。聖書が、イエスさまは子どもにやさしいお方であると語っているからです。  しかし、このようなイメージが先行すると、福音書にときに現れるイエスさまのお姿に、面食らわないでしょうか? イエスさまに対して、だめですよ、死刑にあうなんておっしゃっちゃ、そんなことありませんから、なんて申し上げる弟子のペテロに、「下がれ、サタン」とおっしゃっています。あのペテロにです。パリサイ人に至っては、「おまえたちはわざわいだ、忌まわしい」ですとか、「あなたがたは悪魔から出たものだ」とか、すごいことをおっしゃっています。でも、これもイエスさまのお姿です。私たちは、自分の好みに合わないお姿なら、イエスさまを受け入れない、と思ってはなりません。  今日の箇所をご覧ください。イエスさまが大暴れです。私たちももし、この過越の祭りでエルサレム神殿にいるひとりだとしたら、そのお姿に震え上がりはしなかったでしょうか。しかし、私たちはこのような、一見するとなぜイエスさまがこんな乱暴なことを、と思うようなプロセスを語るみことばをじっくり観察し、学んでまいりたいと思います。  まず、13節です。ユダヤ人の過越の祭り、と書いてあります。旧約聖書に慣れ親しんでいる私たちならば、ああ、あの、モーセの出エジプト以来の過越の祭り、とわかりますが、ヨハネの福音書はユダヤ文化の外にある異邦人を意識して書いてあるので、「ユダヤ人の」と書いてあるわけです。しかし、これで、これまでのユダヤの宗教的伝統がイエスさまによってまったく新しくされることが暗示されてもいます。これは、先週の聖書箇所の「ユダヤ人のきよめのしきたり」ということばがほのめかす、イエスさまがまったく新しい時代を来たらせられるということとも共通しています。  イエスさまはこの過越の祭りに、エルサレムにいらっしゃいました。これは、ユダヤ人としてあるべき姿を自らお示しになったということです。よく、誤解されることですが、イエスさまは旧約の律法を廃棄されたのではありません。むしろ、成就されたのです。この、イエスさまがみことばを成就されたのは、十字架の上ででした。「完了した」とおっしゃって、そして息を引き取られました。「完了した」というおことばは、聖書の訳によっては「成し遂げられた」と訳されています。それは、律法を成し遂げられた、ご自身のご生涯によって、人間には何をどう頑張ってもできなかった、律法の完成を成し遂げられた、ということです。  しかし、その生涯においては、イエスさまはまず、御父への従順を果たすべく、律法に違反することをあえてなさることはありませんでした。エルサレム神殿が過越の祭りにおいて礼拝する場所である以上、イエスさまはエルサレム神殿に詣でられ、みことばへの従順を果たされたのでした。もちろんそれは、イエスさまの十字架のみわざによって、「完了した」となるまでのことです。以後、人はエルサレム詣でをする必要はなくなりました。この事情については、のちほどあらためてご説明します。  14節です。イエスさまは宮、つまりエルサレム神殿に入られました。するとそこに見たものは、いけにえの家畜や鳥を売る者、また、両替の商売人でした。  彼らは商売人たちでしたが、こういった者たちがここで商売をするようになったことには、それなりの事情がありました。まず、こんなところに家畜がいっぱいいることなどありえるのか、と思われるかもしれませんが、当時のエルサレム神殿の敷地は、とてつもなく広かったそうです。イエスさまの弟子たちが、神殿のその壮麗さを見て、イエスさまに、すごいですねえ、と感動してみせただけのことはあります。そしてその庭となると、さらに広かったわけです。  エルサレム神殿の敷地は、実に5万6千平方メートルもあり、これは、読売ジャイアンツの本拠地、東京ドーム2個分になります。礼拝堂でいえば、韓国のサラン教会という教会が世界で一番大きな敷地を持つ教会で、ギネスブックに載っていますが、エルサレム神殿はそのサラン教会の6倍半にもなる面積だそうですから、エルサレム神殿がどれほど大きいかわかります。だから、たくさんの牛やヒツジ、鳩なども運び入れられるだけの広さがあったわけです。それらの家畜はなにも、神殿の建物の中に入れていたわけではありません。境内の庭のところで売っていました。  家畜は、1歳の傷のないものでなければならないと定まっています。エルサレム詣でをする人は、一生懸命、そのような家畜を選び、大切に連れてきます。道中、傷がついたり、病気になったりしたら、もうそれでささげられないことになるからです。しかし、問題があります。それは、それがいけにえにするにふさわしいかどうかを決めるのは、神殿で働く祭司の側、宗教指導者の側だということです。彼らに少しでも難癖をつけられたら、せっかく苦労して育て、苦労して選び、長い道のりを苦労して連れてきても、何にもなりません。そうなると、神殿の境内で売っている家畜をお金を出して買って、それをささげなければならなくなります。当然、その値段は神殿側が決めるわけで、ここにも、民から搾取する現実がありました。  一方、両替のほうですが、これは、当時ユダヤはローマ帝国の支配下にあり、したがってローマ皇帝の肖像画と銘が刻まれている硬貨を通貨として使っていましたが、宗教指導者たちは、その硬貨に刻まれた肖像画を偶像と見なし、それを神殿への入場料として徴収する神殿税として受け取りませんでした。そこで両替人の登場です。そのローマの硬貨を、ツロの貨幣に両替して、ささげられる状態にしてやろう、というわけですが、ここで彼らは莫大な手数料を取ります。これで宗教指導者たちの懐は潤い、ユダヤの下々は搾取される、というわけです。何のことはない、彼らが取税人をあれほど忌み嫌っているのは、ローマに納める税金に大きく上乗せした額をユダヤ人から徴収し、その差額をポケットに入れるからですが、そんな取税人をさばく宗教指導者も、同じことをしているわけです。取税人が罪人だなどと、どの口が言うのか、といったところです。  15節。イエスさまが怒りました。羊も牛もみな、敷地から追い出されました。注意が必要ですが、イエスさまはたしかにこのとき鞭をつくって家畜を追い出しましたが、家畜を売る者たちをそれで叩いたわけではありません。それでも、大勢の参詣客に提供できるだけのたくさんの家畜を外に出してしまうわけですから、その剣幕たるやすごいものがあったわけです。  そして、両替人のそばに積まれた硬貨をばらばらに散らしました。両替の商売道具である台を倒しました。さぞかしすごい音がしたのではないかと思います。みなさん、覚えがあるでしょう。たいていの音を聞いてもなんとも思わない私たちが、例外的に敏感に反応する音。そう、お金が床に落ちる音です。チャリーン、という音がしたら、そちらの方を向かない人は、まあいないと思います。それが、じゃらじゃらじゃらじゃらっ、という音とともに床に飛び散るのですから、そのインパクトたるや絶大です。これを見た人は、ああ、自分は何ということをしていたのだ、と恐れ入ったでしょうか。あるいは、法外な値段でいろいろ売りつけられないと礼拝もできなかった庶民たちは、心の中で快哉を叫んだでしょうか。  一方でイエスさまは、16節のようにもおっしゃっています。そう、鳩は空に飛ばしたのではなく、かごごと持っていかせました。一応は彼らなりの宗教心を全否定せず、配慮されたと見るべきでしょうか。全否定ならば鳩を空に放ち、もう彼らの元に戻って来させなかったからです。しかし、鳩というものは、もっとも貧しい民がなけなしの金でささげるべきものであり、そんな貧しい人から法外な手数料を取って着服するなど、もってのほかでした。イエスさまはですから、そんな利得の金にまみれたものを神殿から追放されました。  そして、イエスさまがおっしゃったのは、「わたしの父の家を商売の家としてはならない」というおことばです。これはたいへんなおことばです。  というのは、神殿にて礼拝をささげられる、主なる神さまのことをよりにもよって、こともあろうに、父、と、宗教指導者たちのいる前で堂々とお呼びになったからです。しかも、その御父の怒りを代理で実力行使するようなものすごい行動に出られたからです。  彼らにしてみれば、もっともふさわしい形でささげている礼拝が、とんだ妨害を受けたということです。しかも、こともあろうに神聖な神さまを「わたしの父」と呼ぶような、それこそ神をも恐れぬ者によって。こんな冒瀆の罪を犯す者など生かしちゃおけない。彼らはこのときから、イエスさまへの憎しみを募らせはじめたことでしょう。17節。イエスさまの弟子たちはイエスさまのお姿に、詩篇69篇9節のみことばを連想しました。このような、この世の宗教的権威を何ひとつ恐れず、ただ神さまのために情熱をもって振る舞うイエスさまは、やがてその熱心さのゆえに、ユダヤの宗教社会から葬り去られることになるのではなかろうか、しかし、それが主にお従いする者の定めなのではなかろうか。そして実際、イエスさまはほかならぬ、宗教指導者たちによって十字架送りにされました。ある意味、弟子たちが連想したこのみことばが成就したことになったわけです。  18節。怒りにかられたユダヤの宗教指導者たちは、イエスさまに言うわけです。ほお、あんたはこれだけのことをしてくれるなら、自分がメシアだと言いたいんだろうねえ。なら、あんたがメシアだという証拠を見せてもらいたいねえ。宗教指導者たちは、しるしを見せてくれたら喜んであなたを信じます、ということでそう言ったわけではありません。できっこないだろう? できないなら退場してもらいたいねえ、もう二度とユダヤに顔を出すんじゃないよ、というわけです。  これに対してイエスさまは、堂々と宣言されます。19節です。もちろん、私たちは普段から聖書を読んでいますし、その背景となる歴史も学んでいますので、この神殿は壊されて現存せず、また、三日で神殿を建てる、ということが、イエスさまの復活を意味していること、それ以前に、神殿を壊す、とは、イエスさまを十字架につけて処刑する、ということだと知っています。今日の箇所でも21節、22節に語られているとおりです。  しかし、この話を聞いたユダヤ人たちは、そんなことなど知る由もありません。だから、20節のように答えています。この神殿はヘロデ大王の政策の一環で建てられた壮大なもので、この時点で建てるのに46年かかったとありますが、実はこの神殿はまだ完成していませんでした。昨日の夜、テレビで芦田愛菜さんがサグラダファミリアを訪問した様子が放映されましたが、あのように、エルサレム神殿はたしかに壮麗ではあっても、未完の場所だったわけです。完成したのは紀元64年です。しかし、それから7年もしないうちに、エルサレムはローマに攻め入られて陥落し、神殿は完膚なきまでに崩壊させられました。まさに、マタイの福音書24章でイエスさまがおっしゃったとおりです。  しかしそれは同時に、もはや家畜をほふったいけにえをささげることで神との和解をなすのではない、神との和解は、十字架に死なれて3日目によみがえられたイエスさまを通じてなされるもの、イエスさまがただ一度そのことを成し遂げられたゆえ、もはやここにおいて、家畜の血を流す形での罪のためのいけにえは必要なくなった、ということを意味しています。こうなると、このときのように家畜を売りつける者も、両替で多額の利益を得る者も必要なくなります。イエスさまを嘲笑った宗教指導者たちはもはや、国と民族もろともその居場所を失い、イエスさまは死なれても予告どおり復活されて、まことの神殿としてすべての信仰者を礼拝者として神の御前に導いてくださるのですから、皮肉というべきことです。  22節を見てみますと、弟子たちはイエスさまが復活されたとき、イエスさまがこのときおっしゃったみことばがまことだったことを知り、あらためて聖書のみことばを信じましたが、このときのイエスさまのおことばは、宗教指導者だけではなく、弟子たちにも隠されていたようです。復活を経てようやく信じたわけですから、この時点では、弟子たちにもイエスさまのおっしゃった、神殿を三日で立て直してみせよう、というおことばの意味が理解できていなかったということです。  先週もお話ししましたが、人はひとたびイエスさまについていこうとするならば、だれもが弟子に召されています。なぜならば、イエスさまは群衆に対して隠しておいた御国の奥義を、弟子たちには特別に明らかにしていらっしゃいますが、その明らかにされた内容は具体的に聖書のみことばに記されていて、私たちはその聖書を、手にとって読む気さえあればだれでも読めるからです。つまり、聖書の読者はみな弟子なのです。ついでにいえば、イエスさまについていく弟子たちはみな、イエスさまにとっては愛弟子です。それでもちがいがあるとすれば、それは私たちの側の態度のちがいであり、不肖の弟子か、真面目な弟子かのちがいがあるだけです。  この時点で弟子たちがイエスさまのみことばを理解できていなかったように、弟子になってもなお、みことばの意味がまだ分かっていなかった、ということは、充分あり得ることです。だから、何かを学んで悟るようなことがあった場合、ああ、私はクリスチャンを何年やって、こんなことをいまさら悟るのか、などと落ち込まないでいただきたいのです。私たちがすべてを知るのは、天国に行ってからです。それまでもこつこつと聖書を学び、昨日より今日、今日より明日、みことばを新たに悟る弟子となれれば、それでいいと思います。しかし、イエスさまの復活、これは聖書にはっきり書いてあるレベルの事実、また真理ですから、これはイエスさまの弟子として歩みつづけたいなら、絶対に外せないことです。  さて、23節を見ましょう。イエスさまは過越の祭りの間、エルサレムにてさまざまなしるしを行われました。それを見て体験した人々は、イエスさまを信じました。  しかし、それをこんにちで言うところの「リバイバル」と見なすことができるかというと、それはちがいます。なぜでしょうか。24節、25節です。イエスさまはご自身を彼らにお任せにならなかった、とあるからで、彼らの態度を、イエスさまはふさわしい信仰としてお認めにならなかったからです。  この、24節の「任せる」と、23節で人々がイエスさまの御名を「信じた」の「信じる」は、どちらも「ピステュオー」というギリシャ語の動詞であり、「信じる」と同時に「託す」という意味があります。単なる「イワシの頭も信心」なんていうレベルではなく、大事な財産を預ける「信託銀行」というレベルです。  ユダヤ人はイエスさまの行われるしるしを見て、この方こそメシアだ、と思ったでしょう。しかしそれは、彼らなりの期待感を持ってのメシア像であり、それはわれわれ神の民なるユダヤをローマから解放してくれる救い主なる王、というイメージで、少なくともそれは、神さまが地上にイエスさまをお送りになったみこころとまったく異なるものです。ユダヤ人はイエスさまを王と信じ、わが身を託したくなったでしょうが、イエスさまは一貫して、彼らなりのメシア像にご自身を委ねるほどに彼らを信頼することをなさいませんでした。結局、宗教指導者にあおられたユダヤ人たちは、イエスさまを最終的に拒否し、十字架送りにする側に回りましたが、それでよかったのです。イエスさまは全人類が信仰によって救われる道を開くという御父のみこころを成し遂げるためには、ユダヤ人に限定した救い主、それも、からだは救えてもたましいを救うこととは程遠い存在には、絶対になることができなかったのでした。  ここで、私たち自身のことを考えたいと思います。私たちの中にはまだ、イエスさまのことを正しくとらえないまま、救いを求めてしまっている、救われようとしてしまっている部分はないでしょうか? イエスさまが優しいだけではない、人を人とも思わない、愛もなくて自分中心にふるまうような、自称主の民、主の弟子に対しては、怒りをもってお臨みになるお方であるということを、私たちはいま一度考える必要があります。  そもそもユダヤ人は、礼拝というものを真剣にささげたいと思うから、しかし、神殿の聖さを守りたいと思うから、いけにえをささげるうえで参詣者たちに便宜を図ったり、肖像画の刻まれたコインにも神経をとがらせたりしたわけです。その動機はすばらしかったというべきでしょう。しかし、そんな主に従順でありたい動機も、いつの間にか肉的な行動に取って代わられるものです。  私たちもよいクリスチャンでありたい、従順になりたい、と思うでしょう。それはクリスチャンであるなら、だれしもすべからく思うべきことです。そんな思いさえ持てないようでは、そういう人のことをクリスチャンと呼ぶべきか迷うところです。しかし、たとえそんな崇高な意識を持って、口では立派なことを言っていても、行いでは否定してしまっている、そんなことがとても多い、それが私たちなのではないでしょうか。  私たちは第一コリント3章16節のみことばが語るとおり、神の御霊がうちに住まわれる、神の宮です。だから、神の御霊を、私たちの考えや態度、ことばや行いで悲しませてはなりません。そういう存在として神さまは私たちを召され、私たちを導いてくださっています。私たちがもし、イエスさまの嫌われるものを自分のテリトリーの中に入れてしまっているならば、お祈りして、それをイエスさまに取り除いていただくことです。具体的には、「イエスさま、私にはこれこれ、このようなものがありますが、それはあなたさまのみこころにかなわないものです。でも、私はまだそれにしがみつきたい思いがあり、自分の力では取り除けません。イエスさま、それを捨てる力をください。いま、捨てます」とお祈りしてみましょう。  それでもそういうお祈りをしようともせず、頑なに自分の好きなことを押し通し、御声に耳を傾けることさえ拒否するなら、ときにイエスさまは、私たちが痛い目にあうことをお許しになります。お金や健康を失うかもしれません。人前で恥をかいたり、下手をすると信用を失ったりするかもしれません。しかし、もしかしたら、それはイエスさまが私たちのことをとても愛していらっしゃるという、何よりの証拠なのかもしれません。あなたはわたしなしで生きてきたが、それがどんなに厳しいことかわかっただろう。これからはわたしの心を学びなさい。わたしに祈りなさい。わたしはあなたを愛しているから、あなたを癒やし、回復させてあげよう。  ともかく、宮きよめが必要な「鼻持ちならない宗教家」は、私たちのことだと心得ましょう。人前で敬虔なクリスチャンのなりをして、偉いとほめてもらおうとする、あるいは、自分はダメなクリスチャンであるとことさらにアピールして、そんなことないですよ、と言ってもらうことを期待する、そんな私たちは、イエスさまに立ち入っていただき、きよめていただく必要があります。私たちに思い当たることはないでしょうか? 牛や羊や鳩や神殿税に法外な値段をつけるように、私たちは自分にとっての敬虔ななりに、余計なもの、罪深い付属品をつけていないでしょうか? 祈って点検していただきましょう。今日は主の晩餐、そんな私たちにも主のみからだと血潮は開かれていますが、必要なのは悔い改めです。

婚宴の完成

聖書箇所:ヨハネの福音書2章1節~12節 メッセージ題目:婚宴の完成  昨日は何とすばらしい日だったことでしょうか! さだまさしさんの歌で「親父の一番長い日」という歌がありますが、私ならさしずめ、「牧師の一番長い日」でしょうか。私にとって結婚式の司式は、足かけ17年になる牧師生活において、初めてとなりました。そんな昨日は、ほんとうに長かった! 翌日の礼拝、どうしよう……?  種明かしを先にしておきますと、今日の礼拝メッセージは、もうかなり早い段階でつくっておいたものでした。また、先週に続いて狙っていたようですが、ヨハネの福音書の1章の連続講解をしばらくお休みしていて、それを今日から再開しようというタイミングで、なんとこの2章は、結婚式の場面から始まっています。結婚式の翌日に、結婚式のメッセージ、なんてタイムリーなんでしょう!  イエスさまは、水をぶどう酒に変えられた。日曜学校の定番のメッセージ、鉄板のメッセージです。「イエスさまが語るなら 水が変わってぶどう酒になる」なんて歌を、振りつけつきでお友だちが歌うわけですが、だから、イエスさまってすごいね、イエスさまって何でもできるね、という、イエスさまが全能の神さまであることを教える、またとない聖書本文であるわけです。では、ともに学んでまいりましょう。  1節、「それから三日目」とあります。1章43節以下に書かれた、ピリポがイエスさまの弟子となり、ナタナエルをイエスさまに会わせたできごとの、それから3日目、ということです。カナはその、ナタナエルの出身地であり、イエスさまが過ごされたナザレのすぐそばにあります。  このカナで、婚礼がありました。婚礼はまず、婚宴が先になります。昨日の結婚式のように、日本では礼拝としての式が先にあり、それから婚宴となるのが普通ですが、ユダヤにおいては、婚宴が先です。婚宴は何日にも及ぶといい、そのため、婚礼の日取りはあらかじめ村中に知らせ、村中から人が集まる、村の一大イベントとなります。  そこにイエスさまの母マリア、そして兄弟たちがともにいました。ヨセフの名前が書かれていないのは、彼がすでに亡くなっていたことを暗示しています。ヨセフの家業は大工でしたが、大工というと、日本では材木で家を組み立てる人というイメージがあるかもしれません。しかしユダヤにおいては、大工とは石に鑿(のみ)を当てて作業する人です。ヨセフはそういう仕事をしていたので、仕事をするたびに大量の粉塵を吸い込み、公害病として問題になった「石綿肺」、つまり「中皮腫」のような状態になって、長くは生きられなかった可能性があります。  イエスの兄弟たちというのは、ヨセフとマリアの間に生まれた子どもたちで、イエスさまから見れば弟にあたる人たちです。「主の兄弟」ともいいます。男兄弟は4人の名前が聖書に記録されていて、このうち、初代教会の指導者であったことが確かなのは、ヤコブとユダです。ふたりとも、手紙類の著者として新約聖書に名を残しています。  ともかく、マリアや主の兄弟たちがその婚宴にいたことは、彼らがこの婚宴において、かなり大事な役割を果たしていたことを示しています。そんな婚宴に、2節にあるように、彼らにとっては長男であったイエスさまが、弟子たちとともに招待されていたわけです。イエスさまは、係累を断ち切って放浪の旅に出ていかれたわけではないことが、ここからわかります。  3節。この節は、「婚宴のぶどう酒がなくなった」ということ、そして、マリアがイエスさまに「ぶどう酒がありません」と言ったこと、この2つのことが語られていますが、ひとつひとつ見てまいります。まず、婚宴のぶどう酒がなくなるということは、何を意味しているでしょうか。ぶどう酒というものは、ユダヤ人にとって、喜びを盛り上げるために必須のアイテムでした。ぶどう酒のないパーティなど、ユダヤ人にはありえないものでした。  だから、婚宴の主催者である花婿は、威信をかけて、お客がどれくらいやってくるかを計算して、充分な分量のぶどう酒を準備しておくものです。しかし、予想もしなかったようなお客がぞろぞろやってくることもあり得ますし、酒好きなお客が好きなだけ飲んでぶどう酒のストックを減らしてしまう、ということも起こってくるわけです。しかし、理由はどうあれ、ぶどう酒がなくなってしまったら、花婿には、招待客もろくにもてなせない男、という烙印が押されてしまうことになり、彼は以後、カナの村でコソコソと人目を忍んで暮らすしかなくなります。こんなことなら結婚式なんてやらなきゃよかった、というレベルの大しくじりです。  万事休す、となったとき、マリアはイエスさまを捕まえ、「ぶどう酒がありません」と言いました。どうもマリアは、給仕係を責任をもって束ねる立場にあったようです。そんなマリアとしても、ぶどう酒がなくなるのは真っ青になることです。どうしよう……そうだ、イエスに言おう!  当たり前の話ですが、マリアは、イエスさまがただの息子ではない、神の子だ、ということを、だれよりもわかっていました。なにしろ、身ごもったプロセスがプロセスです。その後も、12歳の日にイエスさまがエルサレム神殿にとどまり、神さまを「父」とお呼びしたことを、マリアが心に留めたということが、聖書に記録されています。マリアがイエスさまを全能なる神の御子と思わされることは、おそらくその聖書に記録されていることにとどまらず、子育ての中で、一緒に暮らす中で、何度となく体験してきたことでしょう。  しかしマリアのこのことばは、イエスさまのことをもちろん、全能の神さまと見込み、なんとかしてください、という、願いが込められていた一方で、母親が息子に対して、あなたが神の子ならなんとかしなさいよ、という思いもまた込められていたと言うべきでしょう。なぜならこの箇所には、「マリアは」ではなく「母は」と書いてあり、マリアは「母として」イエスさまに言いつけたことがほのめかされているからです。  これに対するイエスさまのおことばは、聖書の読者には、なんとも意表をつくイメージを及ぼさないでしょうか。4節です。「するとイエスは母に言われた、女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。」えっ、イエスさま、お母さんにそんな言い方していいの! でも、イエスさまがそうおっしゃるんだから、間違っているわけじゃないんだよなあ……いろいろ、もやもやするところでしょう。  まず「女の方」ですが、このことばがどこか突き放したような冷たいニュアンスを読者に対して持っていることは、日本語の聖書だけではなく、韓国語や英語の聖書も同じようです。しかし、このことばは、原語の意味に照らせば、女性に対する一定の敬意を込めた表現であり、日本語の聖書の字面から感じるように、けっして冷たいわけでも、突き放しているわけでもありません。イエスさまは一定の敬意をこめて、お母さんマリアに呼びかけていらっしゃるわけです。  しかし、お母さん、ではなく、女の方、と呼びかけられたことには、なお疑問が残るでしょう。そのうえ、「あなたはわたしと何の関係がありますか」ときています。イエスさまがこんな、一見するとにべもないお返事をなさったのは、そのあとに続くみことばにその理由が語られています。「わたしの時はまだ来ていません。」この「時」とは、イエスさまがメシア、キリストとして栄光をお受けになる、その「時」です。しかし、ほんとうのところ、イエスさまはどのようにして、栄光をお受けになるのでしょうか。究極的には、十字架をもって御父への従順を果たすことで御子としての栄光をあらわされることです。そしてイエスさまのこの栄光は、復活、そして、再臨において、極致へと達します。  その、イエスさまにとっての「時」は、すべて、父なる神さまの「時」への従順をもって実行されます。御父の「時」に沿わないイエスさまの「時」というものはありません。ですからイエスさまは、母親に対して「女の方」とあえておっしゃることによって、ほんとうに従うべきは母親の時ではなく、神さまの時である、言い換えれば、母親のことばではなく、神さまのみことばに従うべきであることをお示しになったのでした。  マリアはこのことばに、イエスさまのことを、自分の息子である以前に、神の御子であると認めるしかありませんでした。しかし、そのマリアのことばは振るっていました。3節のみことばです。……マリアはまず、イエスさまをもはや自分の息子のように、また、ことばはあれですが、自分の所有物のようにみなすのをやめていました。行いをもって従順にお従いすべき神さまと見ていました。この、マリアのことばの変化は、マリアがイエスさまを従わせようとしていたが、イエスさまにマリアが従うようになった、という、ほんらい、神と人との間にあるべき関係へと変えられたことが示されています。  この変化は、私たちが信仰生活を積み重ね、祈りとみことばを通じてのイエスさまとの対話を重ねていくうちに体験するものです。私たちは最初、神さま、イエスさまに対し、自分の願いをかなえてほしい思いで、あれもしてください、これもしてください、という態度で祈ります。それはたしかに、主が全能であることを信じているからそう祈るのですが、主のみこころは実際どうなのか、ということを、あまり考えていません。しかし、みことばを学びつづけることで、神さま、イエスさまのみこころを知るようになったならば、そういろいろなことをやたらと祈ることをしなくなります。むしろ、神さまのみこころは何か、何を願っていらっしゃるか、何を喜んでくださるか、それをひたすら学ぼうとし、そのみこころに従順になれるようにと、祈りが変わってきます。その祈りの生活のほうが、あれこれ願う祈りの生活よりも、はるかに豊かで意義深いものであることは言うまでもありません。  マリアはまた、自分の差配している給仕の人たちを、イエスさまのみことばに従順になるようにさせました。そうです、主のみことばに従順になることは、単に自分個人が従順になることにとどまりません。自分が影響力を持っている人を、主のみことばに対して従順になるようにすること、これぞ、ほんとうの意味での従順です。  6節をご覧ください。ここには、ユダヤ人のきよめのしきたりに用いられる水がめがありました。律法の民であるユダヤ人は、外から家の中に入るときには道の埃で汚れた足を洗ったり、食事のときには手を洗ったり、器を洗ったりと、とにかく洗います。それは、物理的な清潔ということ以上に、宗教的なけがれからのきよめという意味がありました。この水がめを水で満たしなさい、というのです。この水がめはひとつがざっと、80リットルから120リットルは入る大きさです。それが6つですから、どんなに少なく見積もっても500リットルにもなります。このみわざが、単に水を変えてぶどう酒とするということだけなら、わざわざそんな大量の水を汲んでは水がめに入れ、汲んでは水がめに入れ、なんてことをする必要はないでしょう。なんでしたら、何もないところからぶどう酒を出してみせたってよいわけです。何といってもイエスさまは全能なるお方なわけですから。  そうなさらず、この、ユダヤ人のしきたりに欠かせない水がめをわざわざお用いになったのは、理由があったというべきです。イエスさまの弟子たちは、きよめの洗いをしないで食べ物を口にしたことから、パリサイ人、律法学者たちにとがめられました。しかしイエスさまはそのように非難する宗教家たちに対し、あながたがたこそ神の戒めを破っている、と逆に非難されました。そのときイエスさまは、預言者イザヤのことばをお用いになりました。「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。」  これまでの時代、ユダヤ人は、神の律法さえ守り行えばそれでよし、と考えていました。しかし実際のところ、律法を守り行おうとするところには、かえって神さまから離れているという、神の民にあるまじき実際の姿が、あぶり出しになるだけでした。  そのような人間は、きよめてもきよめても、根本的にきよくなることはできません。きよめのしきたりに用いる水がめに満たした水は、結局のところ、きよめることができないのです。それが、イエスさまがおいでになる前の、旧約の時代の民の姿でした。  しかし、イエスさまはこの水を、ぶどう酒に変えられました。このみわざを行われたことは、マリアにおっしゃったおことばと矛盾するのではないか、という疑問については、あとてあらためて触れますが、とにかくイエスさまはこの水を、ぶどう酒に変えられました。  アモス書9章13節のみことばも語るとおり、聖書的に言えば、ぶどう酒とは神さまの祝福の象徴ですが、主イエスさまご自身はぶどう酒というものを、神と人を和解させるためにご自身が流される血潮になぞらえていらっしゃいます。十字架の血潮が注ぎかけられることこそ、人にとって最高の祝福であったのです。人のけがれというものは、きよめの水を用いても根本的にきよめることはできませんでした。しかし、イエスさまの十字架の血潮は、すべての罪とそのけがれから、すべての人をきよめます。イエスさまがこの水がめの水をぶどう酒に変えられたことは、きよめの水できよめることが限界だった旧約時代が、まさしくイエスさまご自身の御手で幕引きされたことを意味していました。  しかも、そのぶどう酒というものがどんなものだったか。8節から10節です。宴会の世話役、すなわち、総責任者は、このぶどう酒を口にして驚きました。こんな良質のぶどう酒を最後のお楽しみに取っておいたとは、あなた、なかなかやりますな! 花婿をべた褒めしました。この世話役の言うとおり、酔いが回ったら、質の悪いぶどう酒を出されてもそれと気づきません。だから、よいぶどう酒から先に出すのが常識ですし、そうしないともったいないから、あとによいものを出すということはしません。ところがこの、イエスさまがおつくりになったぶどう酒ときたら、すっかり酔った人にもはっきりわかるほど、段違いに質のよいものでした。  これもまた、イエスさまの来たらせられる時代は以前のものにまさって素晴らしいことを教えています。ぶどう酒がやがて質の悪いものに取って替わられてもそれが当たり前なように、どんなに新しく、いいものが生み出されたと喜んでいても、どんなものもやがて陳腐になります。しかし、イエスさまは以前の罪によって古びるしかなかった人間を、その世界を、ご自身の救いによって新しく変えてくださいます。けっして滅びることのない、永遠のいのちに生かしてくださいます。そして終わりの日にこの世界に再臨してくださり、私たち主の民、教会を、花嫁として迎えてくださいます。  そう、神さまは世のはじめ、人を男と女に創造されましたが、エバがアダムから取られ、アダムがエバと対面したとき、それは人類最初の結婚式であったと言えましょう。そして、世の終わりも結婚式で大団円です。そう考えると、人類の歴史、神の民の歴史は、結婚式に始まり結婚式に終わります。そうだとすると、11節のみことばにあるとおり、イエスさまが結婚式という場で最初のしるしを行われ、ご自身の栄光を顕されたということは、主のみこころという点で、また、人類の救いのみわざという点で、これほどふさわしい場所はほかになかったとも言えるわけです。イエスさまがこのとき、ここで最初のしるしを行われたのは、マリアに頼まれたから、以上に、このときこそ、御父のみこころにお従いして、ご自身の栄光を顕すべき時だった、ということです。  昨日、私は、牧師先生のお姿に、イエスさまを見ました。そして、ウェディングドレスに身を包んだ姉妹のお姿に、終わりの日にイエスさまに嫁ぐ教会を見ました。これが、イエスさまの栄光だったのだ。カナの婚宴で、宴会の世話役はそのぶどう酒をつくったお方がイエスさまであることを知らず、ひたすら花婿のことをほめました。花婿とは、終わりの日に花嫁なる教会を迎えるイエスさまの象徴。イエスさまはそんな、ご自身の存在をこの地上で現す花婿に、あえて裏方となることによって花を持たせてあげたとは! なんてカッコいいんだ! そう思いませんか!  しかし、やはりほんとうの花婿は、イエスさまです。この、水がぶどう酒に変えられるしるしが、イエスさまがまことの花婿として、世の終わりに究極の栄光をお受けになることを示しました。このみわざを目撃した弟子たちは、イエスさまはやはり神の子キリストだったのだと信じ受け入れました。そう、このように、人がイエスさまを信じるということ、これぞ、イエスさまの栄光が顕される、ということです。  すでに弟子になっている者が、イエスさまを信じる? 信じたから弟子になるんじゃないのか? 順番が逆じゃないのか? そう思いますか? しかし、こういうことは往々にして起こることです。弟子とは、イエスさまについていく人です。弟子というものをそう定義したら、キリスト教の幼稚園や保育園に通い、礼拝をささげているちっちゃな子どもたちも、立派にイエスさまの弟子といっていいと思います。彼らは幼いなりに、イエスさまの言うことを聞こうとします。また、子どもではなくても、何かのきっかけに教会通いを始める求道者も、弟子の歩みを始めていると言えるでしょう。  しかし、やがて彼らも成長するにつれ、イエスさまを受け入れるべき時がやってきます。イエスさまが救い主であることをみことばからきちんと理解するには、それなりに求道生活を送っている必要があります。わからないなりにみことばを学び、わからないなりに礼拝に出席し、わからないなりに聖徒の交わりに加わる。これは立派に、弟子の歩みです。そこから、みことばをしかるべく理解し、イエスさまを信じるに至るのです。  この、弟子として歩む意志を明確に持っている人は、確実に成長します。昨日、ウェディングドレスに身を包んだ姉妹は、2年前の4月、はじめてうちの教会にいらしたときから、もう明確に求道心をもち、真面目に主の弟子としての歩みをしていこうとしていました。  先週のみことばにあるとおり、行って、弟子としなさい。そう、弟子とすることから、人々を救いに導き、その救いにとどまらせるべく、みことばを教えるのです。弟子として歩んでも、イエスさまのことをほんとうに信じられる人はかぎられています。しかし、イエスさまの弟子としての歩みをどうしても続けたい、なぜならば、イエスさまこそが救い主だからだ、そう信じて、イエスさまにしがみつく人たちがひとりでも起こされるとき、その人が主のからだなる教会のひと枝に加えられるとき、イエスさまはご栄光をお受けになります。その、主のからだなる教会もろとも、救われた主の弟子たちがイエスさまのもとに嫁入りするとき、主の栄光は最高に輝くのです。カナの婚宴を完成させられたイエスさまは、終わりの日、この世界を完成してくださいます。その日を待ち望みましょう。

行って弟子としなさい

聖書本文;マタイの福音書28章16節~20節 メッセージ題目;行って弟子としなさい  本日は、ひとりの姉妹にとって、うちの教会で、教会員としておささげになる、最後の主日礼拝です。今週土曜日に結婚式を挙げられ、東京の教会に牧師夫人として嫁いでいかれます。なんとも感慨深いことです。この結婚式のために、みなさまにはもう少し汗をかいていただくことになりますが、ともに、最高の式を御前にささげてまいりたいと思います。主の恵みのお導きの中、頑張ってまいりましょう。  今日の礼拝はそういうわけで、姉妹を派遣する時間という意味も込められています。折しも、マタイの福音書を連続で読んできて、ちょうど、最後の箇所、28章16節から20節となりました。これほど、派遣にふさわしいみことばはあるだろうか、そう考えて、今日のメッセージを準備いたしました。この箇所からは、以前もいくつかのアプローチから語らせていただきましたが、今日はまた、ほかのアプローチからお語りしたいと思います。それはずばり、「派遣」です。  忘れもしません。いまから17年前、2008年8月16日、くしくも、韓国が日本から独立したことをお祝いする8月15日、「独立記念日」の翌日に定めた結婚式、それは「独立」ですとか、「新たな憎しみと対立の始まり」ですとか、そういうものを越えた「明日」から、この日本人と韓国人の夫婦で新たな日韓関係を築いていこう、という意味を、その日付に込めての挙式だったと私はひとり考えていますが、ともかく、この挙式した場所は、韓国でした。  日本の教会で働く日本人の私が韓国で挙式したことは、妻にとっては、イギリスへの神学留学から帰ってきて、しばし親元にとどまり、教会に育んでいただくと同時に奉仕させていただいた、その教会から宣教師として日本に派遣していただくことを意味していました。実際、この式の翌日には、主日礼拝を控えていて、その午後の礼拝の時間をまるまる使って、宣教師派遣式を執り行なっていただきました。そして翌日からは、日本に行き、私がそれまでひとりで(さみしく)暮らしていた、東京は千住大橋のマンションで、一緒の生活が始まったというわけでした。  そんな経験のある私ども夫婦だったので、このたび姉妹の方から、水戸第一聖書バプテスト教会の礼拝堂で挙式します、というお話をいただいたとき、これは派遣する大事な時間になるから、しっかり取り組もう、と心に決め、ここまでまいりました。折しも学ぶことになったマタイ28章16節から20節のみことばをもとに、私たちのことをこの世界に、働きの場所に派遣してくださる主のみこころを、ともに受け取り、用いられてまいりたいと願います。  まず、16節を見ましょう。弟子たちはガリラヤに行き、イエスさまが「この山に登りなさい」と指示しておられた山に登りました。ここで、11人の弟子たちと書かれていますが、イエスさまがこのように、ガリラヤに来なさい、とおっしゃったのは、復活されたご自身に弟子たちが会うことができるように、もっといえば、それで力に満たされ、喜びに満たされ、生きる希望に満たされるように、という、イエスさまのみこころがあったからでした。復活のイエスさまに会うことで、イエスさまがよりにもよって十字架で呪い殺されてしまったことに絶望しきっていた弟子たちは、どれほど喜び、また、これまでのどのときよりも、やる気に満たされることでしょうか。  十字架を前にする体験をした者は、復活もまた体験する必要があります。イエスさまは十字架で敗北されたのではなく、勝利されたと言うべきなのは、復活されたからです。わたしに従ってきた弟子たちよ、わたしの復活を見なさい、わたしの復活にあずかりなさい、こうして、わたしの復活を世界に宣べ伝えなさい……。  さて、11人の弟子とありますので、11人が招集されてここにいるのはたしかなのですが、「11人に限定して集められた」とは書かれていません。3週間前、アリマタヤのヨセフのときにもお話ししましたが、イエスさまの弟子というのは、十二弟子にかぎりませんでした。  そのときもお話ししたとおり、70人の選抜メンバーがいた、ということは、それよりもさらに多くのメンバーがいたことになります。アリマタヤのヨセフもそのひとりだったというわけです。そういうわけで、このガリラヤの山に集まった者たちは、十二弟子以外の弟子もまたともにいた可能性があります。  これはあながち根拠のない話ではありません。というのも、コリント人への手紙第一15章4節から6節に、このようなみことばがあるからです。……このみことばを見てみますと、イエスさまが十二弟子に現れたあとで、500人以上の弟子たちが同席するところにも復活のみからだをもって、おいでになったことがわかります。  四福音書の復活の箇所を突き合わせてみると、十一弟子がこのたびガリラヤの山に登ったとき、それが彼らにとって、復活のイエスさまに初めてお会いしたときではなかったようです。つまり、ヨハネの福音書に書かれているような、イエスさまの復活を十一弟子が目撃した、それよりあとのことと言えるわけです。それをこの第一コリント15章のみことばと合わせて考えると、このガリラヤの山の上での再会には、「500人以上の兄弟たち」が同席していたと考えられます。つまりそれは、12人や70人が選抜される元となる、イエスさまのもともとの弟子たちと考えられるわけです。  そう考えると、17節のみことば、疑う者たちもいた、ということばは、つじつまが合うことになります。イエスさまの復活を目撃していた十一弟子が疑ったとは考えられません。しかし、500人弟子レベルの弟子だったら、どうでしょうか。イエスさまは彼らに対しては、十一弟子のようには、近しく現れてくださいませんでした。だから、彼らの中には、今こうして、みんなして礼拝しているこの人は、ほんとうにイエスさまなのかな、などと考えてしまう人がいてもおかしくありません。  しかし、彼らはイエスさまの弟子だったならば、顔を間違えるはずなどあるだろうか、と思いますでしょうか。あのイエスさまがここにいるなら、それで、復活したことがわかるじゃないか、と。ところが、福音書を読み合わせてみると、復活されたイエスさまが、どうも、十字架におかかりになる前の、みんなが見慣れたお顔とちがっているのではないか、ということが見て取れます。  実際、マグダラのマリアなど、あんなに慕わしいイエスさまを前にしても、その人を園の管理人だと勘違いしてしまったというくらいです。エマオに向かう弟子たちも、そばを行かれる方がイエスさまだとわかりませんでした。これは、イザヤ書53章の預言によれば、風采の上がらないお姿であったかもしれないイエスさまが、復活の栄光の御姿をもって現れて、あまりにもちがっていた、という可能性があります。  ともかく、疑った弟子がいたことは事実です。そうだとすると、イエスさまを礼拝する弟子たちの輪の中にいながらも、そんな人たちは心の中では、こうしてこの人に対して礼拝することは所詮人を礼拝することだから、偶像礼拝だ、神さまのみこころに反したことをしている、などと思ってしかるべきだったことになります。そんな人がこの群れの中にいたことになります。だとすると、その一部の人は復活のイエスさまを前にしてなお、イエスさまを神の子として認めず、イエスさまの受けるべき礼拝もふさわしくささげられていなかったというわけです。これでは、第二のパリサイ人の誕生です。いや、復活を信じていないという点では、第二のサドカイ人というべきか。イエスさまを前にして、神の子と認めることができていないわけですから。  イエスさまがもし、ちがったお姿でその場にいらしていたとするならば、このお方を復活のイエスさまと信じる理由は、「目で見たから」ではありません。当たり前です、目で見えるこの人はイエスさまに見えないんですから。信じることができるのは、「のちに復活されるというみことばを信じたから」、これだけです。だから、そういう点では、復活のイエスさまと実際に同じ空間を共有していた弟子たちも、イエスさまの復活はみことばを読んで信じるしかない、21世紀の日本に生きる私たちも、条件はまったく同じである、と言えるのです。  しかし、イエスさまの復活をみことばによって信じ受け入れている人は、素直にイエスさまを礼拝する恵みにあずかります。このお方をそれこそ18節のとおりに、すべての主と受け入れます。そこから、キリスト者として、神のしもべとして、イエスさまの弟子として、すべての歩みが始まるのです。  復活のイエスさまは、世の終わりまで、「あなたがた」とともにいる、と約束してくださいました。あなたがたとは、イエスさまの弟子たち、そして、その弟子たちの働きから歴史を通じて生み出される、すべての教会と、そのひと枝ひと枝であるクリスチャンたちです。当然ここには、私たちが含まれます。私たちが、ここでイエスさまが約束してくださっているように、世の終わりまで、いつも、イエスさまがともにいてくださる祝福をいただきつづけるのです。  それでは、このイエスさまの祝福の約束にふさわしい者たちは、何を命じられているのでしょうか。主のご命令に従順にもならないで、ただ祝福だけもらって気持ちよくなろうとするのは、あまりにも虫の好い話というべきでしょう。イエスさまは私たちに、神の子どもとなる特権という、最高の祝福をくださるために、十字架にかかって死んでくださり、そして、復活してくださいました。このお方のために私たちは、何かをせずにいられない、となるのが当然ではないでしょうか?   しかし、自分勝手に、これをすれば喜んでもらえるだろう、とやみくもにふるまえばいいのではありません。主を喜ばせたいと願うならば、それにふさわしい、取り組むべきことがあります。それはほかでもない、みことばに書かれている、主のご命令にお従いすることです。主のご命令どおりに具体的に実践することです。  それが、19節と20節に書かれていることです。行って、人々をキリストの弟子としなさい。父、御子、御霊の名において彼らにバプテスマを授けることによって、すなわち、キリストとともに死に、キリストとともに生きることを体感させるバプテスマを授けて、名実ともにキリストとそのみからだなる教会の献身者、言い換えれば、キリストの弟子とするのです。私たちバプテスト教会はこの点に強いこだわりを持っていて、だからこそバプテスマはキリストの死と復活にあずかる者とされているという意味で、水に沈めて引き上げる浸礼にかぎる、という立場を貫徹しています。  また、バプテスマを授けさえすれば、その授けられた人が自動的に一生、主の弟子として献身しつづける生き方ができるようになるわけではありません。バプテスマを授ける主の弟子なる教会とその働き人たちは、そのバプテスマを授けたたましいが、キリストの弟子として一生歩みつづけることができるように、イエスさまが守り行えと命じられたすべての教え、そう、旧新約聖書に過不足なく記録されたすべての教えを、守り行うように教えるのです。  もっとも、ひと口に教えるといっても、それは教会が立てられた地域の地域性や民族性、時代性、歴史、文化によってさまざまな形を取る可能性があります。ゆえに、手法もいろいろです。私はかつてこの教会で、アメリカの韓国人教会発祥で、日本でもいくつかの教会で成功例を見ている「家の教会」という牧会の方法を採り入れることを検討したことがありましたし、また、保守バプテスト同盟のかなり多くの教会が、C-BTEという、信徒が神学的に考えることで教会形成の主体となるように訓練するプログラムを採り入れています。これももとはといえばアメリカで開発されたプログラムです。現在、うちの教会の週報に毎週連載している「バプテスト教理問答書」も、カテキズムという、17世紀のイギリス以来の、プロテスタント教会の伝統的な信仰教育の方法を踏襲しています。  私自身はといえば、1999年に神学校の最終学年にいたとき、サラン教会という教会で有給の神学生をしながら、主任牧師の玉漢欽牧師のもとにいて、その牧会チームの実践した「弟子訓練」というものを信徒に交じって体験し、同時に、弟子訓練を日本の諸教会に普及させる働きのお手伝いをしていました。この、サラン教会の実践していた弟子訓練は、教会というものの本質に忠実であろうとした極めて壮大な取り組みであり、韓国のみならず、日本も含めた、世界の多くの教会に影響を与えました。  しかし、それから四半世紀以上が経過して私自身が感じることは、弟子訓練という「教え方」以上にもっと大事なものは、「教える人」自身がほんとうに主の弟子になり切れているかどうか、ということであるということです。そしてさらに気づかされたことは、主の弟子は、プログラムさえよかったらそれでひとりでに生み出されない、ということです。これは、サラン教会発祥の弟子訓練にかぎらず、家の教会にも、C-BTEにも、カテキズムにも、同じことが言えると思います。  それは、テモテへの手紙第一4章6節に書かれているとおりです。このみことばは、この働きをしなければ、下手をするとあなたは救われません、という意味ではありません。もともとテモテは救われています。救われているからこそ、主の働きをすることができる、当たり前です。  しかし、この働きを続けることで、テモテのことを救ってくださった主のその救いを完成する歩みをする、だからこの働きを続けなさい、ということもまた真実です。それは、人々を救いに導き、救いにふさわしい生活のうちにとどまらせる、という、それこそ牧会と教会形成の歩み、言い換えれば、人をキリストの弟子とする歩みです。  「イエスさまの十字架をひとたび信じさえすれば救われるんだから、何をしても許される!」とうそぶき、自堕落な生活をしているならば、そういう人の語るみことばなど、中身のないむなしいものにしかなりません。そりゃ、ヘブル人への手紙13章5節のみことばに照らせば、救いを失うということはないのでしょうが、救われた喜びにふさわしい生き方から程遠い歩みをしているなら、そういう人に救いの喜びなどあり得るでしょうか。そんな歩みを、神さまは喜んでおられるでしょうか。  だから、まず自分自身を主の弟子として訓練する歩みをしようとしないで、自分こそが主の弟子の模範であるかのように振る舞うなら、それはごまかし、ハッタリでしかありません。自分自身を主の弟子として訓練もしないで、人様のことを訓練してみたところで、ほんとうの意味で弟子訓練の教会形成ができるはずもありません。その後、弟子訓練による教会形成というコンセプトの普及が、驚くほど衰退したのは、まさにここに理由があったからだと考えます。  私は弟子訓練による教会形成の召命をいただいて26年になりますが、その間、私自身も何度となく主の訓練に入れられ、弟子訓練が主の召命ならそれに従順になりたいものの、その導き手としてまだまだふさわしくない自分自身の姿を何度となく思わされ、そのたびに主のあわれみにすがりつつ、ここまでまいりました。この、自分自身の体験から心から申しあげたいのは、「まず私たちが主の弟子になりましょう、そうすれば、主が私たちのことを、人様を主の弟子にする働きにお用いになる道が開かれます」ということです。  私はかつて、弟子訓練を標榜する教会プログラムに、私なんかよりよほど一生懸命に取り組んでいた人たちが、もはやその頃の信仰告白など見る影もない歩みを今やしているのをいろいろ見聞きしていて、それを考えるにつけ、弟子訓練は人生の一時期に集中して取り組みさえすればそれで充分なんて、そんなものじゃないなあ、としみじみ思います。そう、人はみことばという鏡で自分の姿を見て、こんな自分じゃいけないと悔い改めるのはいいものの、みことばを離れたら、いとも簡単に、そんな自分であることを忘れてしまうものです。  だから、みことばは毎日お読みし、毎日行いつづける必要があるのです。みことばにかなわない悪い習慣が確実に自分の生活の中に陣取っていると知ったならば、悔い改めて、聖霊さまの助けによって、主のあわれみにすがってそこから離れ、もっとみこころにかなった歩みをすることに時間とお金を使うように、生活の優先順位を変えていただくべく祈って、取り組む必要があります。  ディボーションというものはだから必要なので、それに取り組むことでなにやらたましいがきれいになり、ほかのクリスチャンよりも霊的ステージが上がって、より主の弟子らしくなり、神さまに認められるようになるとかなんとか考えるならば、それはディボーションというものを根本的に勘違いしていることになります。みことばに教えられても、そのおしえを具体的に生活の中で実践しないディボーションなど、ディボーションと呼んではいけません。  さて、このように、自分も弟子となり、それゆえに人様を主の弟子にしていくためには、言うまでもなく、このみことばが語るとおり、「行く」必要があります。ここに立派な礼拝堂が立っているから、道行く人はいずれ、悩みがあったら立ち寄るだろう、なんて料簡では、いつまでたっても主の弟子は生まれません。そもそもその態度でいつづけることは、主への不従順です。行かなくてはならないのです。  ここに、結婚という人生屈指の決断を通じて、それも牧師夫人という大事な働きに献身するために、東京という、ここ茨城町とは比べ物にならないほど多くの人が密集している都会に、行く、姉妹がいらっしゃいます。  私も36年になるクリスチャン生活をとおして、日本や韓国を中心に数えきれないほどのクリスチャンに出会ってきましたが、バプテスマをお受けになって2年とひと月ほどの、これほどの短い間に、ここまでの決断に導かれた方をほかに知りません。しかも、そういう方が、この水戸第一聖書バプテスト教会から派遣されようとは、この派遣に教会のみなさまとともに立ち会わせていただこうとは、何という恵みだろう、と思います。  これから姉妹は、東京に行かれますので、来週の主日からは東京の教会で礼拝に出席されるようになります。水戸第一聖書バプテスト教会の教会員として、ここ茨城町長岡の礼拝堂でともに主日礼拝をささげることも、主日のお交わりのときを持つことも、今日までです。それはさびしいと思うべきでしょうか。もちろん、さびしいと思う私たちの気持ちまで否定することはありません。しかし、ここから、姉妹を花の大都会、東京で素晴らしい宣教の働き、教会形成の働き、すなわち、キリストの弟子を見出し、訓練する働きに遣わすことができるのですから、私たちは涙をこらえて、心から喜びましょう。派遣されるのは主です。私たちはそのみこころに従順になるのみです。主に栄光がありますように。  そして、私たちにも、東京ほど遠くはないにしても、主がお遣わしになっている、生活の現場があることを覚えましょう。そこで用いていただくことを祈り求めましょう。そしてふと、姉妹のことを思い出すことがあったら、負けずに弟子づくりの働きに用いられるものとなるように祈りましょう。  私たちも、人々をキリストの弟子とする働きに、そして、キリストの弟子として歩ませつづける働きに、派遣されています。だから私たちは、そういう立場であることを絶えず確かめ合いましょう。そして、その歩みをするために、日々お祈りし、みことばをいただいて、御霊なる神さまの助けをいただきましょう。

救霊の敵、それは不信仰

聖書箇所:マタイの福音書28章11節~15節 メッセージ題目:救霊の敵、それは不信仰  以前、このメッセージの時間にお話しした、吉永小百合さんと大泉洋さんのダブル主演の映画「こんにちは、母さん」。東京スカイツリーの近くにある「墨田聖書教会」という教会、東京の下町にあるカマボコ兵舎をリノベーションした面白い礼拝堂がメインの舞台として登場するあたり、時代設定が令和でも作品に漂う雰囲気がかなり懐かしいという、不思議な作品なのですが、それもそのはず、監督があの、山田洋次さんです。  山田洋次さんの代表作といえばなんといっても「男はつらいよ」です。あの主人公、寅さんはやたら名言の多いキャラクターですが、その中でも代表的な名言といえば、私はこれだとおもいます。「それを言っちゃあおしめえよ。」旅からふらりと、おいちゃんの団子屋に顔を出して、しばらく居座ったと思ったら、寅さんのことだからまたまた不始末をしでかす。怒ったおいちゃんが、寅さんの育ちのことをあげてなじる。すると、それを聞いて心底傷ついた寅さんが言う。「それを言っちゃあおしめえよ。」そして、また旅に出てしまう。  聖書は、人間的な常識では、理解しようにもできない記述に満ちています。箴言のような、人類に普遍的な道徳律を説くみことばはともかく、創世記1章1節からして、もう、無神論、進化論という、この世界の常識と正面衝突します。しかし、そういう箇所をあげて、「聖書に書いてあることなんて、ありゃ、嘘だよ……」なんて言っては、「それを言っちゃあおしめえよ」です。永遠のいのちを探求する歩みを、そんなことで「おしめえ」にしないでいただきたいのです。  イエスさまの復活、このみことばを、イエスさまの十字架の記述とともに、真実と受け入れることができたならば、その人は救っていただけます。永遠のいのちをいただけます。事はたましいの救いという重大なことなのです。私たちは、みことばを疑わずに信じ受け入れる信仰を保たせていただけるならば、実に幸いなことです。  さて、その、イエスさまの復活の記述。先週学びましたみことばで、イエスさまのお墓へと墓参りに来ていた女性たちが、復活のイエスさまに出会うという恵みを体験したできごとから学びました。実は、このお墓は、番兵が警固していました。  なぜ、番兵がここにいたのか? というと、そう、マタイの福音書27章62節から66節に、その事情が語られています。……まず、62節。祭司長とパリサイ人がピラトに陳情に行きました。そう、ぐるになってイエスさまを十字架に葬り去った、ユダヤの宗教社会を牛耳る存在です。その日は備え日の翌日とあります。これは、安息日である土曜日のことです。本来ならこの日には、宗教指導者が会合を持つことはしません。しかし、この日にかぎっては、彼らは集まりました。当然、この会合は彼らにとっては「仕事」に類するものでしょう。あれほど、安息日を犯してはならないと語っておいて、自分たちは肝心なときには仕事をするのか、と突っ込みのひとつも入れたくなりますが、ともかく彼らはともに集まり、63節、64節のとおりに陳情しました。  彼ら宗教指導者たちは恐れていました。何を恐れたのでしょうか。それは、イエスさまがおっしゃった「わたしは三日後によみがえる」というおことばがかなったように、お墓が開いてイエスさまのご遺体がなくなることです。それによって、イエスさまの弟子たちが、イエスさまのおことばどおりのことが起きたぞと言いふらして、今度こそユダヤの民心を宗教指導者たちから離れさせ、宗教指導者たちの既得権がすっかりなくなってしまうことになりかねません。   ピラトは、宗教指導者たちの言うことを聞き入れ、番兵に墓を守らせる許可を出しました。これは、新改訳聖書ではローマの番兵、聖書協会共同訳ではユダヤの番兵のように読めますが、どちらにせよ、ピラトのローマ総督としての権威によって派兵し、墓を封印し、警固させたことは確かです。  ピラトがイエスさまを十字架につけた理由は、ユダヤ人の機嫌を取るためであったことは、みことばの語るとおりですが、このときもまた、ユダヤ人の機嫌を取ることで、事を収めようとした様子がうかがえます。  また、ピラトにとっては、別の意味での保身の表れともいえるでしょう。カエサルのほかにいなかったはずの王が実は生きていた、これこそがユダヤ人の王だ、と、いよいよ民衆が信じるようなことにでもなったら、こんどこそピラトの首が危なくなります。ピラトとしてはなんとしてでも、そんな事態が起きてはなりません。3日間でいい、墓さえしっかり守り切れれば、このピンチはしのげる、ピラトにはそんな計算もあったわけです。  しかし、結果はどうなったでしょう。大きな地震が起こって、封印もろともお墓は開いてしまいました。中にはイエスさまはおられませんでした。その代わり、稲妻のように輝く顔で、雪のように白い衣をまとった御使いが現れました。あまりの光景に、番兵たちは恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになりました。気絶したということでしょう。百戦錬磨の屈強な番兵を倒すほどの、栄光に輝く主の臨在です。  しかし、気絶したとはいえ、イエスさまのご遺体が納められていたはずのお墓がたいへんなことになったことは、番兵自身がよくわかっていました。これはちゃんと報告しなければならないことです。しかし彼らは、ピラトのところではなく、祭司長ら、宗教指導者たちのところに行きました。  もし、のこのことピラトのところに行って報告でもしようものなら、彼らはその責任を問われるに決まっています。下手をすると死刑です。そんな彼らは宗教指導者のところに行きました。元はといえば宗教指導者たちが、常識的に考えてもあり得ないようなこと、イエスが3日目に墓から出ていくかもしれない、などと騒ぎ立てなければ、同じくあり得ないようなこと、墓を3日間も大真面目に警固する、なんてことをしなくて済んだわけです。それで夜を徹して墓を警固したら、地震が起こって墓が開くわ、自分たちは気絶してしまうわ、おかげでイエスさまのご遺体がなくなったことの責任を問われることになるわ……踏んだり蹴ったりとはこのことです。どうしてくれるのですか、と、そのように仕向けた者たちに直訴することにもなるわけです。  また一方で、番兵たちは、輝く御使いという、世にも不思議な存在を見ています。宗教指導者たちはこういうことの専門家でもありますから、彼らにこの事実を知ってもらい、それがイエスさまのみことば、ご自身が三日目によみがえるというみことばの成就であるかどうかということ、ゆえに、彼らがこれまでの考えを変えて、イエスさまこそは、聖書に預言された救い主、王の王ではないだろうか、ということを考えさせる材料を提供する、という意味もありました。  番兵のこのことばに、祭司長たちは民の長老たちとともに集まり、協議しました。その結果、彼らがしたことは、多額の金を用意し、それで番兵たちを買収することでした。番兵たちにはこう言い含めました。13節です。  しかし、もしこの指導者たちが言うようにピラトに伝わったら、番兵を出してやったピラトの面目は丸つぶれです。今度こそ番兵は責任を取らされることにもなりかねません。そんな番兵たちに、祭司長たちは、心配するな、私たちがピラトをうまく説得してやる、と言います。  ピラトが、ユダヤの民心を買おうとイエスさまを十字架につけたことはすでにお話ししたとおりですが、それに飽き足らなかったユダヤの指導者たちは、番兵を出せ、さもなくばもっとユダヤは混乱するぞ、と、ピラトをコントロールしたわけでした。そんな彼らには、この空(から)の墓の件に関してもピラトを手玉に取ることなどできるはずだ、という計算があったものと思われます。  彼らの思惑は当たりました。この謀議の結果、ユダヤ人の間には、イエスさまのご遺体を弟子たちがやって来て盗み、それを、イエスさまがみことばどおりに復活したと言いふらしているだけだ、という噂が、広く伝わることになったのでした。そしてこの噂の存在は、いかにもありそうな話だ、というわけで、初代教会の福音宣教に対する大きな妨げとなったであろうと考えられます。  ここで、問題にしなければならないことは何でしょうか。それは、これほどまでの証拠、証言を前にしてもなお、イエスさまの復活を頑として認めず、そればかりか、嘘の話を拡散して、人々にイエスさまの復活を信じないようにさせた、宗教指導者たちの頑ななまでの不信仰です。  このたくらみをした者たちは祭司長たちが中心だったようですが、イエスさまへの不信仰ということにおいては祭司長たちに引けを取らない、パリサイ人に対し、イエスさまはこんなことをおっしゃっています。マタイの福音書23章13節。彼らは、イエスさまの復活を聞き及び、それがイエスさまのおっしゃっていたとおりのことだったことを認めざるをえなかったのに、それをかたくなに拒否し、しかもそればかりか、人々に嘘を吹き込みました。こうなると人々は、無学な十二弟子と宗教指導者たちのどちらの言うことを信じるのか、という選択を迫られることになり、そうなると、高い地位を得ている宗教指導者は極めて有利でしょう。しかしその結果、人々は金輪際、復活のイエスさまに出会えないことになってしまいます。  みことばを教える立場の人は、なぜ責任が重大なのでしょうか。それは、決して大げさな話ではなくて、その人が教えるみことばの教えいかんによって、それを聞いた人のいのちが左右されるからです。ヤコブの手紙3章の戒めは、それゆえに重大な意味を持ちます。  聖徒はみことばの教師をそうと信頼して教えを受けるわけですが、その際、眉にたっぷりつばをつけて聴くような態度は基本的に取りません。そんなことは神さまに喜ばれないとわかっていますし、だいいち、失礼です。だから、みことばに素直に耳を傾けます。しかしその分、信徒は教師の語ることばに、その霊的状況が大きく左右されることになってしまいます。けっして眉に唾をつけるとかではなく、普段からきちんと聖書を学ぶ癖をつけて、聖書的ではないメッセージを聞き分ける訓練ができている人ならいいのですが、みんながみんなそういう人というわけにはなかなかいきません。詐欺師的な教師は、そこに目をつけて、信徒が素直で熱心なわりに自主的に聖書を学ぼうとしないのをいいことに、でたらめなことを教えます。  その結果、特に教師が並外れたカリスマ性を持つような人だったりしたら、信徒はぞろぞろとついてくるかもしれません。しかし、その語ることばがイエスさまの福音を指し示していなかったならば、信徒たちはもちろん、そういう間違った導きをした、教師もまたさばかれることになります。  そのように、さばかれるに値する導きを教師がしてしまうのは、教師自身の中に、みことばの啓示する福音を正しく受け入れようとする心がなく、自分の聖書解釈に固執する、頑なさがあるからです。頑なな人はどうしようもありません。いかに正しい聖書解釈を聞かされても、正しいのはあくまで自分の聖書解釈だと信じ込み、そのとおりに振る舞うのですから、どうしようもありません。そしてこういう人は迷惑なことに、人のこともこの教えに染めていくわけです。これは、福音宣教の強敵です。  このような、ゆがんだ聖書解釈に固執するならば、それこそマタイ23章13節のように、この聖書解釈を聞かせた人もろとも救いから漏れてしまうわけですが、そういう意味でも、よく「異端」と言われているものが実に罪深いわけです。「異端」にもそれなりの超常現象が伴うこともありえると私は思いますが、だからといってそれがイエスさまのみわざかといえば、それはそうとはかぎらない、というべきでしょう。ヨハネの手紙第一4章に書かれているとおりです。彼らは、どうだ、ここに神の臨在があるぞ、とばかりに、論より証拠で迫りますが、みことばにふさわしい「論」のない「証拠」など、どんなことがあっても信じ受け入れてはなりません。自分が救いを失いかねませんし、もっといえば、私たちがもし仮にそうなってしまったら、そんな私たちに影響を受けた人たちのことも、もろとも滅びに追いやることになるからです。  さて、イエスさまの復活が事実だと都合が悪い、というのは、この箇所に限っていえば、ユダヤの宗教社会の既得権益を握っていた層でしたが、およそ私たちクリスチャンが戦うべき相手は、イエスさまの復活が事実だと都合が悪いと考える存在です。それは一見すると、この祭司長たちのような目に見える勢力と思えますが、そのようにとらえるならば、それは氷山の一角です。  エペソ人への手紙6章12節にあるとおりです。そう、私たちの戦う相手はサタンであり、その手下である悪霊どもです。彼らにとって、イエスさまが復活されたという事実ほど、都合の悪いものはありません。なぜならばイエスさまの復活によって、自分たちが永遠に敗北した、永遠に滅ぼされたことが確定したからです。以来、サタンどもは2000年にわたって、いかにしたらイエスさまが復活したことを人々に気づかせないようにできるだろうか、人々に認めさせないようにできるだろうか、あらゆる策略を弄してきました。  そう考えると、イエスさまの復活を否定する異端ですとか、自由主義神学ですとか、無神論に根差したこの世の常識ですとか、そういったものは、それを信じ受け入れさせることによって、人々をイエスさまの復活のいのちにあずからせなくし、一人でも多く、自分と永遠の滅びをともにさせようとするサタンの策略であることが見えてきます。むろん、彼らに愛がないとは言いません。思いやりがないとは言いません。彼らにだっていい人はいっぱいいます。しかし、もっとも大事な、イエスさまの復活に対する信仰を持つことができないほどに、彼らは頑なにさせられているのです。  ここに私たちは、神さまの恵みを求める信仰を持つべきであることが教えられます。あのパウロを見てみましょう。初代教会を破壊して回ったパウロが救われ、使徒となるなど、ステパノの石打ちの現場にいた人たちは、いったい想像できたでしょうか。まったく、神さまの恵みではないですか。  私たちは周りの人たちを見て、たやすく諦めてはいませんか。こんな人が救われるなんてありえない、とか。しかし、そんな思いになるなら、まず私たち自身が、復活のイエスさまをはっきり見ているか、目が閉ざされていないか、目が閉ざされた自分のことをなんやかんや言って正当化していないか、振り返ってみましょう。そして、祈りのうちに、イエスさまの復活の力に満たしていただきましょう。  およそ、私たちの生活というものは、復活のイエスさまのいのちが生きることです。ガラテヤ人への手紙2章20節にあるとおりです。そこから、人々を、復活のいのち、永遠のいのちへと生かすのです。この魅力ある生き方は、イエスさまの復活という事実が突きつけられてもなお頑なに認めず、そればかりか、その事実を嘘のニュースを拡散することで否定し、人々を救わせないようにした宗教指導者の生き方の対極にあるものです。  最後に、ヨハネの福音書9章39節の、イエスさまのみことばをお読みします。私たちがイエスさまの復活を信じ受け入れる、見えるものとしていただき、さばきから免れさせていただいていることに感謝するとともに、人々が復活のイエスさまを見ることができるように、主の恵みを祈り求めましょう。

十字架の体験は人を変える

聖書箇所;マタイの福音書27章57節~60節 メッセージ題目;十字架の体験は人を変える  前にも申し上げたことの繰り返しになりますが、初めてお聞きになる方もおられるので、まあ、おつきあいください。私の高校時代、倫理の授業の先生は、奥村晃作先生という、歌人としても名を成した方でした。短歌を作る人です。ご本人の話によれば、先生はあの「サラダ記念日」の俵万智さんを見出したらしいです。そのことを先生が授業で自慢しておられたとき、ほんとかな、なんて失礼なことを思ったりしましたが、そんな方が哲学や宗教のことをお話しになるのですから、授業は面白くないわけがありませんでした。  ある日の授業のことです。奥村先生はイエスさまの話をしていました。イエスはね、十字架にかかって死んだんだよ。で、墓に入って、生き返ったんだよ。先生がそうおっしゃったとたん、男子校のことですから、男子ばかりのクラスはどっと笑いに包まれました。私はその少し前に、病気をして入院していたとき、神さまの恵みを感じて大きく変えられる、という体験をしていただけに、まことに居心地の悪いものを感じました。  それからひと月ほどしたときでしょうか、やはり倫理の授業で、奥村先生はおっしゃいました。哲学の命題の話だったと思います。「人間はだれもが死ぬ。これはたしかだよね。」すると、外池(とのいけ)君という友達が、すかさず質問しました。「じゃあ、イエス・キリストは?」外池君の質問に、またもやクラスは沸きました。先生は顔を引きつらせながら、おっしゃいました。「うーん、そうだな……。まあ、僕はクリスチャンじゃないけど、でも、聖書に書いてあることは、ほんとうだと思っているよ。」私の通った高校は芝高校といい、もともとが浄土宗のお坊さんの養成学校という、バリバリの仏教の学校で、私はそんな環境でつねにアウェーの思いをしていただけに、奥村先生のあのときのことばは、神さまがそんな私にひとときくださった恵みのようだったと、今にして思います。  そう、クリスチャンではない倫理の先生もおっしゃるとおり、聖書はほんとうのことを書いていて、その聖書に、イエスさまが墓からよみがえられたことが書いてある以上、イエスさまのご復活は、ほんとうのことです。ある関西のミッションスクールの卒業生に聞いた話ですが、聖書の授業で、イエスさまの復活は信じなくてもいいとか、そんなことを先生が言っていたというのですが、とんでもない話です。そんな先生は、奥村先生の爪の垢でも煎じて飲めばいい。そういう人がどんなに自分のことをクリスチャンだと名乗ったり、聖書の教師だと主張したりしても、私たちはその手の人とは距離を置いて、聖書が誤りなき神のみことばであると、高らかに告白しなければなりません。聖書が真理、真実であるということは、この世の常識に忠実であるという意味ではけっしてありません。聖書のみことばは、この世の常識をはるかに凌駕するものです。イエスさまの復活は、その最たるものです。  キリスト教の象徴として真っ先に思い浮かぶものは「十字架」でしょう。しかし、こんな象徴もあるのをご存じでしょうか? そう、空(から)の墓です。ふたの石のどけてある、岩に穴が掘ってある状態の、空っぽのお墓の図です。言うまでもなく、復活を指しています。  西暦1054年にキリスト教会は東西に分立しましたが、西方教会(ローマ・カトリック)が十字架に主眼を置く一方、東方教会(オーソドックス)は復活に主眼を置くようになりました。私たちプロテスタントも源流をたどれば西方教会の流れにありますから、どうしても復活よりは十字架のほうを強調する傾向があると思います。いえ、十字架を強調することはとても大事なのですが、復活も同じくらい強調して、しすぎることはないはずです。プロテスタントはいかに西方教会の流れにあるとはいえ、やはり立ち帰るべきは聖書という原則がありますから、聖書が語る以上、復活はとても大事なものであるわけですから、プロテスタントのキリスト教会ではこの「からの墓」が復活のシンボルとして用いられるようになりつつあります。  そういう、からの墓。しかし、ということは、イエスさまの入るべきお墓を提供した人がいた、ということです。  イエスさまは神の御子、王の王です。しかし、実際のイエスさまはというと、ご自身おっしゃっていたとおり、「狐には穴があり、空の鳥には巣があるが、人の子には枕するところもありません」というお方です。立派なお墓など、とんでもないことです。ところが不思議なようにして、イエスさまにはお墓が備えられました。あの、十字架という、超極悪人を呪い殺す刑罰を受けた受刑者ですよ。そんな受刑者は、少なくとも世間一般からしたら、超極悪人ってことですよ。そのなきがらが、岩を掘ってつくられた、それも新品のお墓に納められたんですよ。神さまのみわざは計り知れないものがあります。  その、お墓のもともとの持ち主は、アリマタヤという町の出身のヨセフという人でした。聖書には何人か、ヨセフが出てきます。いずれも、とても重要な人物です。創世記に出てくる、ヤコブの息子のヨセフ。イエスさまの母、マリアと結婚し、イエスさまの地上の父の役割を果たしたヨセフ。初代教会を立て上げるのに尽力し、特に、使徒パウロを見出し、育て上げたという功績のあるヨセフ(だれのことだかわかりますか? そう、「バルナバ」です)。そんな、綺羅、星のごときヨセフに肩を並べる人、アリマタヤのヨセフはそんな人です。  アリマタヤのヨセフは、4つの福音書すべてに登場します。しかし、その場面は、イエスさまの十字架の直後しかありません。4つの福音書を突き合わせてみると、アリマタヤのヨセフがどんな人物で、どんなことをしたかが見えてきます。今日はマタイの福音書の記述を軸に、イエスさまの十字架を体験したヨセフがどのようになっていったか、それが私たちにどんな教訓を与えているか、ほかの福音書からも引用しながら、ともに学んでまいりたいと思います。   第一に、イエスさまの十字架を体験したヨセフは、その意識と態度が変わりました。  イエスさまは十字架の上で、あまりにもむごたらしいお姿をさらされました。どうだ、こいつはこんなみっともないやつなんだぞ、見ろよ、見ろよ、そんな権力者たちの高笑いが聞こえてくるようです。しかし、イエスさまがこのような刑罰を受けるべき悪いことはおろか、一切の悪いことなどなさらなかったことは、わかる人にはわかっていました。それは、イエスさまの横で同じように十字架にかけられていた極悪人でした。  その極悪人も最初のうちは、十字架の上で、みんなと一緒になってイエスさまをののしりました。だが、彼は明らかに変わっていきました。その隣で、同じように十字架の上で呪い殺しの刑罰にあわれているイエスさまが、その極限の苦しみにあわされながら、なお御父に、神の子であるわたしのことをこのような目にあわせている人間たちのことをどうか赦してください、と祈られる、その御声を聞きました。その瞬間、彼はこのように十字架刑にあうことをお許しになっている神さまのみこころは当然だ、それ以上に、その罪をお赦しになるイエスさまは真実な神の御子だ、このお方が御国につくとき、俺のことを思い出してくれるだけで、俺は救っていただける、この受刑者は、イエスさまの十字架を前にして、たちどころに変えられ、そしてイエスさまは約束どおり、彼のことをパラダイスに入れてくださいました。  十字架はまた、「嘲る者たち」を「悲しむ人たち」に変えました。イエスさまが十字架につけられたのは、明るい時間のことです。しかし、正午の真昼、なんと全地は暗闇に覆われました。その暗闇の中、イエスさまは御父に向って絶叫されました。「わが神、わが神、なぜわたしをお見捨てになったのですか。」そしてイエスさまは大声をあげて絶命されました。それは、十字架刑を執行する現場の総責任者である、ローマの百人隊長、異邦人をして、この方はまことに正しい方であった、神の子であった、と言わしめるほどのできごとでした。この一連のできごとに、十字架刑を見物に来ていた野次馬たちは、胸を叩いて悲しむ者たちへと変えられました。  彼らは何を悲しんだのでしょうか。もし、私がその場にいたユダヤ人だとしたら、こんなことを思ったかもしれません。今からちょっとお話しすることは、あくまでフィクションです。私が長年聖書を読んできて編み出した「空想」に類するものですから、話半分に聞いてください。  イエスとかいう野郎。このユダヤの王のようにみんなに期待させといて、ローマに対して何もできない食わせ物。十字架の上でくたばれ。醜い姿をさらしやがれ。ざまあみろ、いい気味だ。  ……え?「父よ、彼らをお赦しください」だと? 父って、まさか、神さまか?  ……おいおい、どんどん暗くなってきたぞ! 真っ暗闇だ! まさか!   ……うわ! 大地震だ! なんだ!? あそこの墓の中からぞろぞろ人が生き返って出てきてるぞ! え? 百人隊長のやつ、「この人はまことに神の子であった」だと?  ……そうか、イエスさまって、神さまだったのか。それなのに俺は、何も知らないで、イエスさまを十字架につけろなんて騒いでみたり、十字架についたら「いい気味だ」なんて考えたり。ああ、俺はなんて醜いんだ! けがれているんだ! でも、イエスさまはこんな俺のことを、赦してくださいって、神さまに祈ってくださったのか! ああ、神の子を十字架につけた俺だと思うと、なんだか、とても苦しいよ、悲しいよ……。  アリマタヤのヨセフはどうだったのでしょうか。マタイの福音書27章57節によれば、彼はイエスさまの弟子でした。イエスさまの弟子は十二弟子にかぎりません、そのほかにも70人の選抜メンバーがいましたし、ということはそれよりもずっと多くの弟子たちがいたことになります。ヨセフもその、たくさんいたイエスさまの弟子のひとりでした。  そんな彼は、ユダヤの最高議会の議員でした。そんな彼はもちろん、イエスさまの弟子なわけですから、イエスさまを十字架につけよというユダヤの指導者たちの計画や行動には同意していなかった人でした。ルカの福音書23章51節が語るとおりです。しかし、彼はどんなにその計画や行動に反対の立場でも、なぜそれに反対なのかを言うことができないでいました。  それは、ヨハネの福音書19章38節から、その理由を知ることができます。そう、彼は、ユダヤ人を恐れてそのことを隠していたのです。実際、同じヨハネの福音書の9章22節で、イエスさまのことをキリストであると告白する者は、会堂から追放されてしまう、つまり、ユダヤの信仰共同体から除名されてしまう、という、恐るべき事情がありました。そんなことになりでもしたら、ユダヤの議員の地位からも追放されます。それについて与えられてきた富も名誉も失いかねません。そりゃあ、隠したくなるのもうなずけようというものです。  だが、彼がそのことを隠したことは、結果として、イエスさまを十字架送りにする手助けをしたことにしかなりませんでした。彼はイエスさまの十字架を前にして、自分のせいでイエスさまがこんなになってしまったことを、激しく悔いたことでしょう。そして、イエスさまは死んでしまわれました。  ヨセフは、最後まで十字架から逃げずに、血潮を流しきって絶命されたイエスさまのそのお姿に。罪人であるわが身を嘆き悲しんで胸を叩いたその群衆のひとりとして、心動かされました。イエスさまが神の御子の地位を捨て去られたならば、どうして自分は、たかだかユダヤの議員くらいの地位など捨てられないことがあるだろうか。自分がイエスさまの弟子であることを公にして、それで不利益を被ったっていいじゃないか。  クリスチャンとして勇気を持つことは、十字架を体験することがどうしても必要になります。ヨセフは何も、後代のクリスチャンたちに英雄扱いされたくて、蛮勇を振るおうとしたわけではありません。ただ、十字架の体験が彼をその勇気へと駆り立てたのでした。  私たちにしてもそうです。クリスチャンの偉人伝に登場するような人を見て、私たちもそうなりたい、そうありたい、と思うのは結構なことなのですが、それが人にほめられるためとか、自分が気持ちよくなるためとか、要するに神さまのみこころとは関係ないところにその動機があるならば、それはたまたまクリスチャンの人が自己実現しようとしているということであって、神さまの栄光のために働こうとしているということではありません。  もし、人が、自分を罪と死から救い、永遠のいのちを与えてくださった神さま、イエスさまのために働こうと思うならば、その永遠のいのちを与えてくださった唯一の道である、イエスさまの十字架を体験する、それも一回こっきりの体験ではなく、いつ、いかなるときも、つねに体験する、これでなければ、到底、神さまの働きはできないのです。  しかし、イエスさまの十字架を体験するならば、人は変わります。たとえば学校でも職場でも外食でもいいです、人前でご飯を食べるとき、お祈りをすることさえしり込みするような人も、イエスさまの十字架の前に立つ体験をしつづけるならば、祈ることもできるように変わります。伝道もできるようになります(ただし、気をつけなければならないのは、「パフォーマンス」をするから天国に近づける、ということでは決してない、ということです。それは信仰ではなく行いを誇ることで、それで天国に近づけると思ったら大間違いです。イエスさまの救いを体験しているから、堂々と証ししようとなるのです。順番を間違えてはいけません)。  ともかくそうなれた人は、以前の自分の姿を考えたら、うそ! というほど変わっています。イエスさまの十字架、神のあり方を捨てきったそのお姿を見るなら、私たちも神の人として変えられていきます。そのように変えられた私たちは、主のご栄光を輝かせる器として用いられるようになっていきます。主をほめたたえます。  第二のポイントです。第二に、イエスさまの十字架を体験したヨセフは、その行動が変わりました。  まず、ヨセフは、イエスさまのご遺体を十字架から取り降ろし、それを葬らせていただきたいと、ピラトに直訴しました。そう、ヨセフは、イエスさまのために何か行動できたらいいな、と思っただけではありません。実際に行動に移したのです。それも大胆にも、ピラトに直訴するという挙に出たのでした。  もちろん、ピラトのような権力者に申し出ることができたのは、ヨセフがユダヤの議員という、特別な高い地位にあったことも大きかったわけですが、それにしても、いかにピラトの命を受けた死刑執行人の百人隊長が「この方はまことに神の子であった」と告白しようとも、このイエスという受刑者は、呪い殺しという極刑を受けた、いわば極悪人扱いされた人です。そんな極悪人の受刑者のことを引き受け、墓に葬りますとは、正気の沙汰ではない話です。しかし、何をどう思われようともかまわず、ヨセフはピラトに直訴しました。  するとピラトは、ヨセフのその申し出を二つ返事で受けました。おそらくピラトとしても、イエスさまを正しい人と知りながらもユダヤ人のご機嫌取りをして十字架送りにしたことへの、激しい後ろめたさがあったものと思われます。もちろん、ピラトのそんな葛藤を、ヨセフは知る由もありませんでしたが、ピラトとしては、もう十字架にイエスさまのなきがらがかかったままにならないで、しかもそれを手厚く葬ってくれる人が現れたなんて、渡りに船、願ったりかなったりといったところだったのではないでしょうか。どうぞ、どうぞ、とばかりに、ヨセフになきがらの葬りを委ねました。  ヨセフは、イエスさまの十字架に近づき、木の上からご遺体を取り降ろしました。普通ならばだれもやりたくないことです。十字架にかかった受刑者は、呪い殺された証しとして、ぶっとい鞭で打たれまくってぐちゃぐちゃ、血まみれになっています。そんな死体に触れることは、普通に考えたら、生理的に嫌なだけではなく、霊的にもけがれを受けると理解されることです。いわんやそれをきちんと葬るなんて、だれがやりたがるというのですか。  しかし、ヨセフにとってイエスさまは、呪い殺されるべき極悪人ではありませんでした。ヨセフ自身のすべての罪も含めた、あらゆる人という人のすべての罪を身代わりにお受けになったお方でした。この、目の前の血まみれで絶命されたお姿は、ヨセフの目にはかぎりなく麗しいものでした。血まみれだから避けるのではない、血まみれだから近づく、抱きしめる。  ヨセフはていねいにご遺体を取り降ろし、遺体を腐敗臭から守る香料とともに、このためにわざわざ新たに買ったきれいな亜麻布にくるみました。この作業はしかし、ヨセフがひとりで行なったのではありません。このときなんと、30キロ以上にもなる大量の香料のかたまりを持ってイエスさまのもとに馳せ参じた人がいて、彼とともに葬りの作業をしました。その人はニコデモ、永遠のいのちを求めてイエスさまのもとにひそかに質問しに行った人であり、イエスを逮捕せよと息巻く議会において、そのやり方に異議を唱えるなど、パリサイ人の中では異色の存在でしたが、彼もやはり、イエスさまの十字架を前にして、パリサイ人の既得権をかなぐり捨てて、イエスさまのために精一杯のことをしました。  韓国の名の知れたある牧師がむかし、ニコデモは所詮、イエスさまにつかず離れずの態度を取って終わった人間だった、イエスさまが太陽だとしたら、その周りを回る惑星のようなものだった、などということを言っていましたが、それはとんでもない的外れの批判です。考えてみてください。30キロにもなる香料を持って十字架のあるゴルゴタの丘まで行ったら、いやでも目立ちます。30キロは十字架の重さにはもちろん及びませんが、それでもそんな重いものを持って丘に登っていく行動は、もはや、イエスさまを十字架送りにしたパリサイ人の一味の取るべきものではありませんでした。ニコデモもまた、イエスさまの十字架を前にして完全に変えられたのです。間違ってはなりません。ニコデモはすごい人になったんです。  ご遺体を汚らわしいと思うどころか、かぎりなく麗しいみからだとして、丁重にお包みする。もはやそこには、人々の上に君臨し、偉そうに支配する、議員やパリサイ人の姿はどこにもありませんでした。あるのはただ、キリストに黙々とお仕えする、しもべとしての姿だけでした。  クリスチャンが神さまのご栄光をあらわす行動は、おそらくすべてが広い意味で「奉仕」と言えるものではないでしょうか。なぜなら、本来肉に従って生きたがる人間にとってこの上なく不自然な行動は、神に仕えること、ゆえに人に仕えることだからです。これも、人間的な我慢や頑張り、使命感でなんとかしようとすると、必ず限界がきます。それは、肉にしたがってボランティアをしている状態だからです。とても厳しいことを言わせていただくと、そんな動機で頑張る人は、頑張って神に仕える行為をしている「自分に酔っている」だけなのかもしれません。いえ、これはさばいて言っているのではありません。私自身がこの頑張りに酔うような態度をつづけ、破綻したことが何度もあるからです。一度や二度で済まないなんて、われながら愚かだと思いますが、燃えつきから立ち直るたびに気づかされることは、自分が肉の思いで物事に取り組んでいた、ということです。  奉仕というものは、イエスさまの十字架への感謝に満たされ、その恵みになんとしてでもお応えしたいという、その強い動機が先に立たなければ、取り組むべきものではないとさえ言えます。お掃除でも食事づくりでもいいですけれども、教会奉仕をみんなしているけど、自分はやる気が起こらない、やる意味が分からない、そう思うなら、やることはありません。  ところが逆に、奉仕するほんとうの理由は正確に分かっているわけではないけれども、なんだか奉仕したい、教会のみなさん、働かせてください、という方も、教会にお越しになるかもしれません。そういう方はどんどん奉仕していただきたいと思います。いい汗を流していただきたいと思います。あんがい、奉仕をすることによって、その背後におられるイエスさまに出会い、その十字架の意味を知る、ということも起こってくる、これは私が、長年、いろいろな教会や宣教団体でいろいろな方々を見てきて言えることです。  今日、結婚式に備えて礼拝堂の整理という奉仕活動をみんなで行いますが、ぜひその、からだを動かしている間に心に留めていただきたいことは、私たちはイエスさまの十字架の恵みによって、こうして主のからだなる教会においてご奉仕する、労働の喜びをいただいている、ということです。折に触れて、イエスさまの十字架を想い出しましょう。  また、普段の生活で、私たちはあらゆる取り組みをしますが、そのすべてが、自分の名をあげるための働きではなく、イエスさまのご栄光をあらわす働きである、ゆえに、その力の源はイエスさまの十字架にあることを心に留め、なにごとも祈りつつ取り組んでまいりましょう。  第三のポイントです。第三に、イエスさまの十字架を体験したヨセフは、その価値観が変わりました。  なんともちょうどいいことに、ゴルゴタの丘のすぐそばの園の、その中に、ヨセフは自分のお墓を持っていました。しかし、よくそんなことができるな、というところではないでしょうか? ヨセフはもともと、神の国を待ち望んでイエスさまの弟子になった人だったと、マルコの福音書15章43節は語ります。そんな彼もさすがに、イエスさまが十字架に死なれることによって神の国を成し遂げられるということまでは予測していなかったはずです。だからヨセフの持っていたお墓は、いかにヨセフが金持ちで、しかもイエスさまの弟子だったとはいえ、イエスさまのために用意したものではもともとありませんでした。当たり前の話ですが、ヨセフ自身か、ヨセフの家族のために用意したものです。  しかし、ヨセフはこのお墓、奇しくもゴルゴタの丘のすぐ近くにあった自分のお墓に、真っ先にイエスさまをお迎えしました。人の最期を麗しく飾る存在、岩を掘ってつくった立派なお墓、そのためにお金だってかなりかけたでしょう、それをヨセフは惜しげもなく、イエスさまに差し出したのでした。  その、イエスさまはお墓というものに関して、こういうことをおっしゃっています。マタイの福音書23章27節。「わざわいだ、偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは白く塗った墓のようなものだ。外側は美しく見えても、内側は死人の骨やあらゆる汚れでいっぱいだ。」この時代のユダヤは、日本のように火葬をするわけではありません。遺体はどうしたって腐っていきます。それでもヨセフが自分のお墓にイエスさまをお納めしたのは、イエスさまは赤の他人では決してない、私の主だ、という信仰があったからです。真っ先にお墓に入っていただこう、という、彼の最高のささげものであったわけです。  彼は生前、イエスさまが死なれて三日後によみがえるとお語りになったおことばを、当然、イエスさまの弟子として聞いていたはずです。しかし、十二弟子さえもそのことが信じられなかったのが実際のところであり、十二弟子にしてそうならば、ヨセフのレベルの弟子がどこまで、復活信仰を持っていたかを推し量るのは困難です。だから、イエスさまは葬られても3日目に復活する、お墓は空になる、とまで信じて、このようなささげものをしたのかと聞かれたら、それは「わかりません」としか言えません。しかし確実なのは、ヨセフのこのささげものが結果として、お墓が空っぽになった、だから、神の御子イエスさまが復活されたという、何よりもの動かぬ最大の証拠を全人類に突きつけることになりました。だとすると、ヨセフは史上最大級のささげものを、イエスさまにおささげしたことにならないでしょうか。  このようなささげものをすることを可能にしたのは、ヨセフの価値観が完全に、この世から、神の国とその義を求める信仰へと転換されたことです。その転換はもちろん、イエスさまの十字架を体験することによってもたらされました。  私たちも礼拝において、献金という形でささげものをいたします。私たちはしかし、「この程度しかささげられないで申し訳ない」とか「この程度ささげれば充分だ」とか、はたまた「こんなにささげたのだから神さまはきっと私を祝福してくださる」とか、そんなことを考えて献金袋にお金を入れていないでしょうか。  そんな態度で献金する前に、よく考えていただきたいのです。果たして、私がささげものをするのは、イエスさまの十字架に感謝してなのか。イエスさまの十字架に対してふさわしい感謝の表現ができるほど、私はイエスさまの十字架のことをわかっているだろうか。イエスさまの十字架を体験し、感謝しているだろうか。大事なのは献金の額ではありません。かつて私は、貧しいやもめがわずかな額でも生活費のすべてを差し出したのをイエスさまがほめておられる、だからイエスさまが見ておられるのは「金額」ではなくて「率」だ、なんてメッセージを聴いたこともありますが、それもぜんぜん違います。いちばん大事なのは、イエスさまの十字架を通じて神さまと交わることを許された私たちが、誠意を込めておささげすることです。  だから、献金の時間には、まずは祈っていただきたいと思います。けっして、人間的に無理をしたりしてはいけませんし、反対に、余った小銭を処理しがてら、なんて料簡でもいけません。私たちがもし、イエスさまの十字架への感謝のしるしとして、神さまに示されたという確信をもっておささげするならば、それは最高のささげもの、そこから主は、30倍、60倍、100倍の祝福をくださいます。…

究極の過越

聖書箇所;ルカの福音書22章7節~20節 メッセージ題目;究極の過越  私もクリスチャン生活が長くなると、いろいろな教会で「主の晩餐」(この呼び方は保守バプテスト同盟の教会で用いられることが多く、基本的に「聖餐式」と呼ばれます)にあずかってきました。これ、執り行う方法もいろいろでして、パンも普通の食パンにかぎらず、カレー屋さんの「ナン」のような素材だったり、薄いクラッカーのようなものだったり、ウエハース、というより、「えび満月」ってお菓子(わかりますか?)の、まったく味がついていないような素材だったり、大きな塊から少しずつちぎったり。韓国の場合は、カステラみたいに黄色くて甘い味がついたものが多かったです。  ぶどう汁も、アルコールの入ったワインを使ったものも体験しています。それまで私はぶどうジュースの甘い味に慣れていたので、それを口にして、苦い、というか、辛い、というか、不思議な感じがしたものです。ほかにも、ぶどう汁の入った大きな入れ物に、例の味のしない「えび満月」みたいなのを浸したり。この場合は、ぶどう汁を「飲む」ということはしません。  私は教会に通いはじめて、バプテスマを受けるまでに1年以上かかりました。それは中学生の多感な時期で、礼拝で何が嫌だって、聖餐式の時間でした。周りはというと、聖餐のパンとぶどう汁を口にしている。自分はあずかるわけにはいかない。あれ、ほんとに小さなものなんですが、欲しいって思うんですよね。  その後、私も晴れてバプテスマを受け、聖餐にあずかれるようになりましたが、聖餐式、主の晩餐のほんとうの意味、というより、有難さを知るようになったのは、韓国に神学留学をしてからでした。日本の教会が大切にしていない、という意味ではありません。韓国教会の場合、もっとダイナミック、というより、動的な感じなのです。韓国教会が主の晩餐をそのようにダイナミックに大切にしている、そのリアルな現場に、私も主の晩餐にあずかる立場で何度も立ち会わせていただき、その素晴らしさを体験したものでした。  これは、私が実際居合わせたことがないケースですが、やはり日本からいらしていた神学生の奥さんから、こんなことを聞きました。すごいのよ、うちの教会の聖餐式では、聖餐にあずかったおばあさんの信徒が、うわーん! って大泣きするのよ。私は韓国で暮らしていて、もう、おばあさんのその霊的な感覚が、とてもよくわかるようになっていました。  主のみからだをいただけるんですよ。血潮をいただけるんですよ。この罪人が! もったいないことではないですか。あの、「アメイジンググレイス」の聖歌のように、「驚くばかりの恵みなりき この身のけがれを知れるわれに」……生きていて、みことばと祈りの生活を積み重ねれば積み重ねるほど、自分自身のけがれ、みにくさ、きたなさ、至らなさ、そういったものが見えてならなくなり、耐えがたくなる。それなのに、イエスさまはすべて赦してくださっている。そんな私たちに、ご自身のみからだと血潮を口にすることを許してくださっている。何と感謝なことでしょうか。  さて、この「主の晩餐」、この名前は、主イエスさまが制定された晩餐という意味であるわけですが、その主の晩餐の制定を宣言されたみことばが、今日お読みしたみことばです。イエスさまが、これはわたしのからだです、とおっしゃる以上、それは単なるパンではなく、主のみからだとしていただくのです。これはわたしの血です、とおっしゃる以上、単なるぶどう汁ではなく、主の血潮としていただくのです。  このように信仰を持っていただくには、主が定められたみことばに従順に従うことが前提であり、私どもが、信仰告白をもって父・御子・御霊の名によりバプテスマを受けている人に配餐を限定しているのは、その従順ということにおける秩序という事情があるからです。けっして差別しての意図ではありません。というより、そういうことをきちんと理解したうえで礼拝に集ってくださるならば、それはとても感謝なことです。  さて、イエスさまはこの、弟子たちとともに囲んだ食卓において、極めて意味深なおことばを語っていらっしゃいます。まず、イエスさまは、15節のようにおっしゃっています。そう、この食卓を弟子たちと囲むことを、イエスさまご自身が、切に願っていらっしゃったのでした。  なぜ、彼らとともに食事をすることを切に願っておられたのでしょうか? それはルカの福音書22章28節から30節のみことばをお読みすると、イエスさまのそのお気持ちをお察しすることができます。  たとえ火の中水の中、ということばがありますが、イエスさまにどこまでもついていきたい、という願いは、クリスチャンならばだれもが持つものでしょう。しかし、いざイエスさまについていこうとすることは、簡単なことではありません。現にイエスさまは、このおことばをお語りになった直後、シモン・ペテロが、イエスさまのことをいざというときに知らないと言う、と予告され、そして、そのとおりになりました。  そんな弟子たちはしかしそれでも、イエスさまと苦難をともにすることが許されてきましたし、また、「今はついてくることができません。しかしのちにはついてきます」とイエスさまに言っていただいているとおり、このときのペテロがそうだったように、大事なときにつまずくような失敗をするにせよ、最後にはイエスさまについていくものである、というわけです。  そんなあなたたちと、わたしはこの過越の食事、最後の晩餐をともにすることを、心から願っていたのですよ、というわけです。イエスさまについていくことは、ただ、イエスさまの恵みがあって、はじめてできることです。いったい、イエスさまについていっても何もないと思うような人間、この世の価値観がすべてと思うような人間が、イエスさまに喜んでついていくことなどあり得るでしょうか? そんな人間が、イエスさまについていけたならば、それはひとえに、恵みというべきことですし、そのように恵みをいただいた人と、イエスさまは、ご自身の肉と血潮にあずからせる、究極の食卓をともにすることをお喜びになったのでした。  もうすこし、イエスさまのおことばを見てみましょう。特に、16節、18節のみことばに注目します。イエスさまのこのおことばからは、2つのことが重なって見えてきます。まず、この過越の食事は、イエスさまにとっては、この地上における最後のものであったということです。すなわち、イエスさまは一夜明ければ不当な裁判にかけられ、十字架にかかって死なれます。しかし、三日目によみがえられ、復活の御姿をもって弟子たちに現れてくださいます。しかし、それは40日の間のことで、イエスさまは天に昇られます。すなわち、この過越の次の年の過越のときには、もうイエスさまは弟子たちの前にはいない、弟子たちとともに過越の食事をすることはできない、というわけです。  また、特にこれは18節のみことばからわかることですが、こういう意味もあります。言うまでもなく、過越の祭りというものはイスラエルの民たる者ならば、年に一度は必ず守るべき大事なものです。そんなイエスさまは、「ぶどうの実からできたものを飲むことはない」とおっしゃっています。これは、もはやあなたがたとぶどう酒を囲んだ宴をともにすることはない、という意味もさることながら、それこそストレートに「ぶどうの実でできたものを飲まない」という意味でもあるわけです。つまり、次の年の過越の祭の前にイエスさまが「ぶどうの実でできたもの」を口にされることによって、早くも神の国が実現することが暗示されているわけです。  そのことは、ヨハネの福音書19章28節から30節に明らかです。イエスさまは十字架のうえで最期をお迎えになるにあたり、ぶどう酒をお受けになりました。もっとも、このぶどう酒というものは、飲んで陽気になるようなものとは程遠いものです。ほかの箇所を読むと、苦みを混ぜたぶどう酒とあります。十字架の上で脱水状態になるため、どうしても水分を欲しがる受刑者が口にすると、あまりに苦く、苦痛がさらに増し加わるという、残酷な効果があるとも言われています。また一方では、あまりに苦しい十字架刑のその苦しみを軽減する、麻酔の役割をするとも言われています。しかし、いずれにせよ、楽しむために口にするぶどう酒ではなかったのはたしかなことです。  それでもイエスさまはこのとき、たとえぶどう酒と呼べるような代物ではなかったとはいえ、ぶどうの実でできたものを口にしておられるわけです。このとき、何が起きたのでしょうか?  そうです。イエスさまが予告されたとおり、過越が神の国において成就したのです。過越というものはもともと、神の義が示されていながら神を認めず、神の民であるイスラエルを虐げる一方だったエジプトに対し、神さまが怒りのさばきをお下しになったこと、そう、王の子どもから奴隷の子ども、家畜の子に至るまで、長子という長子をことごとく死なせられた、その怒りを、門とかもいに血を塗ったイスラエルの家については過ぎ越された、そのことを記念した祭りでした。たしかにこのとき、イスラエルには格別のあわれみが注がれ、神を神としないゆえに神の民であるイスラエルを虐げたものに、神さまは死をもって怒りを注がれたわけですが、残念なことに、それからも人は罪を犯すことをやめませんでした。それは、こうしてあわれみによって怒りを過ぎ越していただいたイスラエルの民とて例外ではありませんでした。すべての人は罪を犯したので神からの栄誉を受けることができなくなった、それが人というものでした。  そんな人にとって、イエスさまは究極の過越の子羊として、ご自身を十字架の上におささげになりました。考えてみましょう。人の罪はどれほどのものであったか。神の御子を十字架につけて、あらゆる呪いを浴びせ、なぶり殺しにするほど、それほど人の罪は極限に達していました。  ルカの福音書23章、27節以下をお開きください。群衆は十字架につけられるイエスさまを嘲笑いに集まっていた中、イエスさまについてきた女性たちは、泣いて悲しみながら、ゴルゴタの丘に向かうイエスさまのあとをついていきました。しかし、イエスさまはおっしゃるのです。  神のいのちが通う神の民イスラエルのことを、イエスさまは、青葉を茂らせる生きた木になぞらえられました。そんなイスラエルに、途方もないさばきが待ち受けているというのです。それは、みことばにおいて何百年にもわたって預言されていたキリストがこの地に来られたというのに、いざこの地に来られたキリストを一切認めず、十字架送りにさえするほどの大罪を犯したからです。  そしてイエスさまはおっしゃいます。「枯れ木には、いったい何が起こるでしょう。」生木になぞらえられたイスラエルさえ焼き滅ぼす神の怒りの炎がこの地に臨んだならば、神のいのちから断絶された異邦人、すなわち、イスラエル以外のすべての民は、ひとたまりもなく滅びるしかありません。もはやこの地上に生きることを許される人間など、ひとりとしていないことになります。  しかし、あれから2000年経った現在、イスラエルの民はたしかに壮絶な苦しみを何度も体験してきましたが、現実として、なお世界に影響を与える民族として生きつづけています。異邦人なる者たちは言うまでもありません。みな、生きています。増え広がっています。それにその民の中から、まことの神さまを信じて永遠のいのちをいただいた人は数知れず。私たちももちろん、それに含まれているわけです。死んだり滅びたりすべきだった私たちは、なぜこうして祝福のうちに生きているのでしょうか。  それは、この怖ろしい予告をされたイエスさまが、十字架につけられたとき、御父に祈られたからです。34節。おそらく、このときほど、神の怒りが地上に臨んだ時はなかったのではないでしょうか。もはや神の民であるはずのイスラエル人、ユダヤ人さえも、一切免れることのなかった神の怒りが、全人類に臨んだ瞬間ではなかったでしょうか。その怒りを、イエスさまは十字架の上で両手を広げ、受け止め、すべての人をその怒りから守ってくださいました。  そうです。十字架こそは、究極の神の怒りを過ぎ越す、究極の過越です。十字架という、この究極の過越を前にしては、もはや新たになにがしかの血が流される必要はありません。イエスさまの十字架によって私たちは神さまと新しい契約、永遠に破棄されることのない契約を結び、十字架をもってほんとうに到来した神の国に入れていただき、神の国を生きるものとしていただいたのです。  私たちがイエスさまのお定めになったとおり、パンと杯にあずかるということは、私のために、そして、私たち教会のために、イエスさまが十字架の上でみからだを裂き、血潮を流してくださった、そのみわざに感謝することです。それをいただくというこは、私、そして私たち教会が、十字架にかかられたイエスさまとひとつ、ということです。  しかし、イエスさまは十字架におかかりになり、死なれて、それで終わりではありませんでした。イエスさまは復活されました。私たちがあずかる主の晩餐はまた、復活され、今も生きておられるイエスさまと囲む、喜びの晩餐でもあるのです。  十字架と復活はコインの表裏のようなもので、どちらが欠けてもほんとうの意味でイエスさまというお方を体験していることにはなりません。もし、私たちが、教会生活において、喜びということばかり追求してしまっているようならば(それももちろん大事なことですが)、どこかで立ち止まって、こんな罪人の私のために十字架におかかりになったイエスさまの恵みに思いを馳せるときが必要でしょう。  今日いただく主の晩餐は、もちろん、復活のイエスさまとともに味わう喜びの晩餐にはちがいありませんが、今日に関しては、イエスさまが苦しみをもって私たちを神の怒りから過ぎ越させてくださり、それゆえに神の国が実現した、そのみわざを分かち合わせていただくものとして、厳かな心でいただきたいものです。

しくじり先生マルコ

聖書箇所;マルコの福音書14章51節~52節 メッセージ題目;しくじり先生マルコ  「しくじり先生」というテレビ番組があります。有名人の失敗から学びましょう、という内容の深夜放送で、一時期はゴールデンタイムに放送していたので、ご覧になったという方もいらっしゃると思います。たとえば、2015年4月20日の放送の先生は、あの「ホリエモン」、堀江貴文さんで、題して「世の中舐めすぎて逮捕されちゃった先生」、メンタリストのDaiGoさんは、「メンタリストなのにメンタルがボロボロになっちゃった先生」といった具合です。人の振り見て我が振り直せ、ということばがありますが、これほどの有名人でも致命的な失敗をしたことは、それを見る視聴者に、そうか、そういう失敗をしなければいいのか、という教訓を与えます。また一方で、こんな人でもこんな失敗をしたのか、と、勇気づける効果もあります。  「しくじり」ということばは、落語家の上下関係の中でよく使われることばです。これは、ただの失敗を指すわけではありません。落語をけいこするとき、人に聞かせるためではなく、あとで自分で聞くために自分のしゃべりを録音していて、うっかりして、携帯の電源を切るのを忘れて鳴ってしまった、録音がやり直しになってしまった、ああめんどくさい、となることは、「しくじる」ではありません。「しくじる」とは、弟子に対する師匠ですとか、噺家に対する席亭やお客さんですとか、目上の人の気持ちを害する失敗をしたときのことをいいます。  私は落語を聴くことだけではなく、落語家の人間関係にまつわる本を読むのも大好きです。古今亭駒治師匠という、いま45歳くらいの、鉄道に関する新作落語で知られた方がいます。彼の師匠は、もうだいぶ前に亡くなりましたが、古今亭志ん駒という落語家です。志ん駒師匠は憧れの古今亭志ん生に弟子入りする前提で、なんと7年にわたって、海上自衛隊で壮絶な訓練を受けた人です。ロープの結び方のテストのとき、目隠しをされてロープを持たされ、もやい結びですとか、結び方の名前のとおりに正しく結べないと、思いきり頭を殴られる、とか、そんな生活をしていたわけです。そんな志ん駒師匠はやがて志ん生の家に寝泊まりして、師匠や、二階に同居していた息子の志ん朝の身の周りの世話をするようになりますが、そんな内弟子生活の厳しさなど、屁でもなかったと言います。  そんな志ん駒のもとに弟子入りする駒治さんも、ほんとに変わった人だと思いますが、基本的に駒治さんに対しては優しかったそうです。しかしあるとき、こんなことがありました。志ん駒が柳亭市馬という落語家と一緒に地方で仕事があり、まだ前座で、志ん駒師匠のおつきだった駒治さんが一緒に行ったとき、駒治さんが旅館で朝起きると、横で寝ているはずの志ん駒と市馬がいない。そう、彼らは朝風呂に入りに行っていたのです。駒治さん、まずい、と思いましたが、もう遅い。風呂から帰ってきた志ん駒に、駒治さんは大目玉を食らいました。「前座というものは師匠が起きる前に、そばで控えているもんだ。」さすが、予定の5分前には準備万端でいるべきという、海上自衛隊の精神のしみ込んだ志ん駒らしいエピソードですが、こういうのが「しくじる」です。  しかし、志ん駒も、いかに前座修業が屁でもなかったとはいえ、「しくじる」ことをしなかったわけではありません。あるとき、志ん駒は仕事で遠出した先から、師匠の志ん生に宛てて手紙を書きました。それはいいのですが、どういうわけだか、宛名を志ん生の本名の、「美濃部孝蔵様」と書いて出した。師匠宅に帰ると、志ん生は志ん駒に言いました。「あのねえ、僕は君のお旦でも何でもないんだよ。」お旦、わかりますか? パトロン、要するにお金を出してくれる人。志ん生ともなると小言も粋だなと思いますが、ともかく、この失敗も「しくじる」に含めていいでしょう。  しかし、そういう失敗、しくじりを笑って言えるのは、それだけそのような経験を糧にして、芸も人格も成長したからでしょう。私もしくじりだらけの人生ですが、振り返ってみると、そんなことを平気でしていたような者も、神さまの恵みで成長させていただいたなあ、としみじみ思うものです。主に感謝いたします。  さて、今日は、そんな私たち、主の恵みによって成長させていただく私たちにとっての「しくじり先生」がどのように成長していったか、私たちはそのしくじりと成長からどんな教訓をいただけるか、聖書から学んでまいりたいと思います。  今日のしくじり先生は、「マルコ」です。聖書に登場するマルコはひとりであり、四つの福音書の中でいちばん最初に書かれたと推測される、マルコの福音書を記録した人です。  福音書の記者は、マタイ、ヨハネもそうですが、自分の記録する福音書の本文の中で、書き手である自分のことを「私」とは基本的に書きません。ルカはそれとはちがい、「私」と書いていますが、彼はそもそもイエスさまの公生涯の頃には、イエスさまや弟子たちと一緒にいないので、イエスさまの公生涯に対する直接の目撃者として書いているわけではありません。  マルコはどうでしょうか。実は、さきほどお読みいただいた箇所に出てくるあの「ある青年」、つかまりそうになって、服を残して裸で逃げた青年、あれは記者自身であるマルコだという説が極めて強いのです。たしかに、唐突にあのような記述が、あの場面に挟まっているのは、よく考えれば妙です。しかし、記者であるマルコは、うまく自分自身を隠しながら、自分のしでかした失敗をさりげなく語っている、というわけです。  もし、この青年がマルコだとするならば、マルコは、一度はイエスさまについていこうとしたのに、いざつかまりそうになったら、イエスさまに連座することを恐れて、裸をさらしてみっともない姿で逃げた若者、ということになります。いかにも、イエスさまをしくじった者のように見えます。新約聖書を順番に読んでいて、最初に登場するマルコがもしこの若者のことだとしたら、ほんとうにみっともないしくじりをした者、という印象を受けます。  来週の棕櫚の聖日に受難週が始まります。イエスさまの受難を前にして逃げ出したマルコのしくじりは、受難週を控え、あらためてイエスさまの十字架に思いを巡らせるべき私たちに、いろいろなことを教えます。その後のマルコの歩みは、聖書のあちこちに記録されていますので、すべて見て、それから、マルコのしくじりから私たちが学ぶべきことを、ともに考えてまいりましょう。  マルコの名前が聖書に初めて登場するのは、題名以外に名前が明らかに出てこないマルコの福音書を除き、使徒の働きの12章です。マルコはヨハネという名前の別名でした。十二使徒のヨハネと区別する意味で、マルコとふつう呼びます。ときに、ユダヤを治めていたヘロデ王は、キリスト教会に迫害の魔の手を伸ばし、使徒ヤコブを虐殺しました。十二弟子で最初の殉教者となったわけです。ヘロデのこの行為は、ユダヤ人の気に入り、それでヘロデは、今度はペテロを処刑しにかかりました。ペテロは逮捕され、翌日には処刑、というタイミングで、天使が現れ、ペテロの両手両足をつないでいた鎖が解け、牢獄の鉄の扉が次々と開かれ、天使に導かれたペテロは無事、牢獄から逃げ出すことができました。  このとき、エルサレム教会はペテロのことを覚え、一生懸命に祈っていました。それはそうです。エルサレムで大成長を遂げた教会は、その役員会の一員であるステパノが正しいことを演説したばかりに、ユダヤ人たちから石打ちによって虐殺されました。それによって教会は散り散りになりました。今度はヤコブが殺されました。そしてペテロが逮捕だとは、もう、教会はどれほどの困難に直面していたことでしょうか。みな、ひとところに集まり、祈るしかありませんでした。  このとき、教会員たちが集まっていたのが、マルコの母親であるエルサレム教会員、マリアの家でした。教会員たちが集まれるくらいですから、相当な大きさの建物だったわけで、裕福な家庭だったことが垣間見えます。ロデという名前の召使いが雇われていたことからも、この家の裕福さが裏づけられます。そんな家を開放して教会員をヘロデの魔の手からまるごとかくまうのですから、マルコの母マリアは単に裕福なだけではなく、いのちをかけて教会を守るほどに、極めて献身的であったわけです。マルコはそのように、裕福で献身的な家庭に育った若者だった、ということがわかります。  ヤコブを殺し、ペテロにまで手をかけようとしたヘロデは、結局、神さまにさばかれて死ぬことになります。そのあと、宣教のみわざが拡大していく過程で、エルサレム教会にて奉仕したバルナバとサウロ、つまりパウロは、マルコを連れ出して、自分たちに託された異邦人宣教の働きに同行させます。この宣教チームはアンティオキアを振り出しに、セレウキア、キプロス島のサラミスとパポス、パンフィリアのベルゲと巡回していきますが、そのベルゲで、マルコは宣教チームから離れて、エルサレムに帰ってしまいました。  このチームは働きを終え、アンティオキアに戻ります。その後、エルサレムからやってきた、割礼は救いのために必須の儀式であると教える者たちに対処するため、パウロとバルナバがエルサレムに赴き、その問題を解決して再度アンティオキアに戻ってくるというできごとののち、パウロは、自分たちが宣教した地域の兄弟たちがどうなっているか見にいきましょう、と、バルナバに提案します。それにバルナバは同意しましたが、その際、マルコを連れいていこうとしました。しかし、パウロは、宣教チームから勝手に離れるような行動をした者は、連れて行くべきではない、と主張しました。  その結果、パウロとバルナバの間に激しい対立が起こり、結局、彼らは別々に宣教チームを組んで旅立つことになりました。つまり、マルコは、宣教チームから離れたということでパウロをしくじったことになります。  パウロは、彼の手による初期の手紙を読めば感じられることと思いますが、性格や宣教のポリシーに、厳しい傾向を持っています。コリント人への手紙第一など、いかに異邦人の生活習慣に毒されたコリントの人たちを対象にしたとはいえ、「あなたたちは、私がそっちに行かないと高をくくっているようだが、私は行くぞ。そのとき、むちを持っていこうか、それとも、愛と優しい心で行こうか」なんて、恐いことを言っています。バルナバとの決裂は、それよりも以前のできごとで、マルコのように、自分勝手に宣教チームから離れて故郷に帰るような甘い考えを持つ者には、厳しい宣教の働きなど務まるまい、という、パウロならではの厳しさが垣間見えます。  しかし、神さまは厳しい、義なるお方であるの同時に、愛なるお方です。バルナバはというと、神の愛によって行動しようとしました。人の罪を赦す神の愛、充分に成長するまで待ってあげる神の愛……その愛によって、宣教チームをしくじったマルコのことを受け入れ、宣教チームに同行させることによって、マルコが一人前の働き人になるように、整えようとしました。  さて、その後、マルコはどうなったでしょうか? それ以降、マルコの名前の登場する箇所は、聖書に出てくる順番に、コロサイ4章10節、第二テモテ4章11節、ピレモン24節、第一ペテロ5章13節です。いずれも、パウロの第二次宣教旅行の始まった、紀元48年ごろから、だいたい14年後以降に書かれています。  その間、パウロは2度の宣教旅行に出て、地中海の地域に教会を立てつづけ、宣教と牧会の働きに励みました。しかし、紀元57年ごろ、パウロは逮捕され、以後、獄中において後進の指導に当たったり、手紙を託(ことづ)けて各地の教会を牧会したり、弟子を育てたりしました。その手紙の中に、マルコの名前が合計3回登場します。ひとつひとつ見てみると、興味深いことがわかってきます。  まず、コロサイ4章10節によれば、マルコはバルナバのいとこだったことがわかります。なるほど、どうりでバルナバは、マルコのことを責任をもって育てようとしたのか、と考えられます。しかし同時に、このときマルコは、パウロとともに獄中にいて、しかもパウロとともに、コロサイ教会に対して、よろしく言うような関係にあったこともわかります。そう、それまでにマルコは、パウロと和解し、のみならず、パウロの同労者として、パウロとくびきをともにする立場にまでなっていました。そういう立場になっていたことは、ピレモンへの手紙24節からもわかります。  そして、パウロにとって最後の書簡である、第二テモテ4章11節によると、パウロはテモテに、あなたが訪ねて来るときには、どうかマルコのことも伴ってほしい、彼は私の働きの役に立つから、と言っています。そう、パウロにとって、実に助けになる人物となっていたのでいた。  付け加えますと、マルコはペテロにとっても、「私の子」と呼ばれる立場になり、ペテロが諸教会に書簡を送るにあたり、ともに「よろしく」のあいさつをする立場にもなっています。そう、紀元62年ごろには、ペテロからも、パウロからも充分に認められる働き人となっていました。  そんなマルコが福音書をものしたのは、50年代中盤とも、60年代中盤とも言われています。パウロの第三次宣教旅行の時期、あるいは、パウロが獄中にあって、64年から67年の間と類推される、殉教の時期と重なります。  そう、マルコはしくじって、一度はパウロから離れざるをえなくなりましたが、それからほどなくして、福音書という、イエスさまの生涯を鮮やかに伝記形式で描いた書をものすという働きに用いられ、かくして、使徒たちから認められる働き人として成長し、用いられるようになりました。その働きがどれほどのものであったか、それは、逮捕され、投獄されるほどの働きであったことからも、大いに評価されるものであったわけです。  この、マルコの生涯から、3つの教訓を私たちはいただくことができます。  第一に、主の働き人は、時に大きなしくじりをもたらすことがあるということです。本来、主にあって一致して働くべき場にあって、勝手に行動してチームワークを乱してしまう。教会にせよ、宣教チームにせよ、そういうことをしてしまい、リーダーをしくじってしまうことは、往々にしてあるものです。その結果、宣教チームが分裂してしまったわけですから、マルコも大変なことをしたものです。そういうしくじり、失敗をしてしまい、主のみこころを損なうこと……それは、主にお従いすべき私たちも、ついしてしまう、私たちはそういう、弱い者、失敗をしがちなものであることを、謙遜に認める必要があります。  第二に、そんなしくじりをする者にチャンスを与えて働き人として立ててくれる人を、主は備えてくださる、ということです。パウロをしくじったマルコが整えられ、福音書を書けるほどの働き人になれたのは、バルナバの存在があったからです。バルナバはもともと、主の教会を迫害した大物の律法学者だったパウロを怖がって、仲間に入れようとしなかったエルサレム教会にあって、積極的にパウロを受け入れ、パウロがエルサレム教会の仲間になれるように、教会に働きかけた人です。バルナバなしには、パウロはあのような働き人になることなどありえませんでした。その愛によって、今度はマルコのことを受け入れ、育てたわけです。  このように、人を育てることができるのは、自分のことを愛してくださるお方、自分の罪を赦してくださるお方、イエスさまの、その愛と赦しを知っているからです。イエスさまが愛してくださったように、人を愛する。イエスさまが赦してくださったように、人を赦す。イエスさまが育ててくださるように、人を育てる。このようにして、あとに続く人は育っていくのです。  そして第三に、マルコは最終的にパウロと和解し、パウロに認められ、のみならず、パウロの同労者にまでなりました。これは、主の働き人はしくじってそれで終わりなのではなく、しかるべき働き人と和解し、一致するように導かれ、ともにキリストのからだなる教会を立て上げる働きに用いられていく、という希望を、私たちに与えてくれます。神さまは私たちのことを、しくじってそれで終わる小人物とみなされません。神の国の働きのために大いに用いられる、そのひとりとしてくださいます。  私たちは自分自身の小ささを見て、それで私たち自らを評価してはなりません。神さまの偉大さ、そして、私たちを選んでくださる、その愛に目を留め、神さまを信頼して歩みましょう。  さて、最後に、そんなマルコが挿入した謎の2節に戻りましょう。それがマルコ自身のことを指すにせよ、そうではないにせよ、この若者のしくじりをわざわざ記録したマルコのその動機を考えてみましょう。  いちどは、イエスさまについていこうとするけれども、十字架を前にしたら、裸の恥をさらすような、みっともない姿で逃げ出してしまう。それが、私たちなのです。  十字架を負われるのは、イエスさまおひとりです。私たちは、イエスさまに並んで十字架を負うような、救い主になることも、ユダヤ人の王になることも、一切許されていない存在です。しかし、そんな私たちも、「あとにはついてきます」とイエスさまに約束していただいています。私たちはイエスさまのあとを、自分の十字架を背負ってついていくことが、もったいないことに、許されている者とされています。私たちはそうなれるように、あたかもバルナバがマルコのことを整えたように、兄弟姉妹の交わりの中で、整えていただきつつ、今日も歩んでいる存在です。感謝しましょう。  受難週が近づいています。私たちはマルコのように、主の十字架を負うことの許されていない存在です。主の十字架は、主イエスさまだけが私たちのために背負ってくださいました。しかし。私たちはイエスさまが十字架におかかりになり、私たちを罪と死から贖ってくださるほどに。私たちを愛してくださったゆえ、私たちもその愛にお応えするように招かれています。兄弟姉妹を愛するということをもってして、主のその愛にお応えするのです。  まず、主の愛を覚え、静かに思い巡らしましょう。私たちには背負えない十字架を、主が背負ってくださり、人のすべての罪をその身に負われ、ことごとく赦してくださった、それゆえに、私の罪も赦していただいたことに感謝しましょう。その愛によって、私自身が整えていただいていることに感謝しましょう。その愛によって、兄弟姉妹を愛せるように、主の恵みを求めてまいりましょう。