ともに生きる私たち
聖書箇所:詩篇133篇1節~3節 メッセージ題目:ともに生きる私たち 私は2014年7月に当教会に牧師として就任して以来、一貫して「ともに」ということを語ってまいりました。教会は牧師とか役員とか、だれか特定の人の頑張りで保たせるべきものではない。みんながイエスさまの弟子に召されている以上、みんなでともに立て上げる、教会とは、そういうものではないか・・・・・・。 私は学生時代から聖書を読み、そして、キャンプですとか、学生時代に経験した宣教団体ですとか、韓国の教会や神学校の生活、そういったことをとおして、聖書に書かれているこの「ともに」という麗しい姿は、決して理想論、絵に描いた餅などではない、ここに実際にあるではないか、そうだ、こういう麗しい教会を、やがて自分は日本に立てる働きをしていかなくては・・・・・・私はずっと、そう願って、そしてここまでまいりました。 うちは小さな群れ、そう、イエスさまの十二弟子とどっこいどっこいの数ですが、イエスさまがあの12人、ユダを除いたら11人から、世界の福音化という壮大な御業を行われたように、主は私たちという共同体から、必ず大きな御業を起こしてくださると、信じて祈ってまいりましょう。アーメンでしょうか? さあ、そこで私たちは、では、生い立ちも性格もみんなちがう私たちが、イエスさまを信じ、バプテスマを受けた、という、ただそのことにゆえに、この水戸第一聖書バプテスト教会という群れに集められているというならば、私たちはどのようにして、私たちが「ひとつ」であること、「ともに」生きる存在とされていることを味わい、感謝しようか? となるべきでしょう。 今日は、主の晩餐をともに囲む、麗しい主の日です。あらためて、私たちを一つにしてくださり、ともに生きる喜びに生かしてくださっている神さまをほめたたえつつ、主の晩餐に臨むにあたり、ひとつのみことばから学んでみたいと思います。 まず、表題からまいりましょう。都上りの歌、です。都とはエルサレムであり、神の御名の置かれた大いなる都です。神の民はこの都にて、大いなる礼拝を神さまにおささげします。その大いなる礼拝をささげるために、高い山の上にある町、エルサレムへと、文字どおり「上る」のです。 礼拝をささげるために「上る」、その先には、神の民がともに礼拝をささげている現場があります。そこに行くならば、神のすべての民が平等に、同じ喜びをもって御前に進み出ます。そして、この詩を詠んでいるのはダビデ、偉大な王さまです。ダビデは、民の中でも自分だけは王だから特別だ、という、傲慢な態度で御前に進み出るようなことはしませんでした。逆にダビデは、神の民イスラエルを代表する王として、率先して御前に出て礼拝をささげ、民もその姿に倣うように、模範を示しています。 この時点では、壮麗なエルサレム神殿は建てられていませんでした。それは、ダビデがその神殿建造の働きをすることを、神さまがお許しにならなかったからです。しかしダビデの心には、やがてエルサレムに神殿が建造され、いよいよ大いなる礼拝がささげられるようにという、壮大なビジョンが常にありました。彼はその働きを息子ソロモンに託し、神殿はエルサレムに建つというビジョンを胸に、天国に旅立ちました。 都上りは今日でいえば、私たちがこうして、遠近各地よりこの、茨城町長岡の礼拝堂に集まるようではないでしょうか。みなさん、わくわくしていますか? ともに礼拝をおささげできること、ともにお交わりできることに、喜びと期待を抱きつつ、今日、ここまでいらっしゃいましたか? いやが上にも盛り上がるために、いいことをお教えします。運転しながら、お祈りするのです。また、賛美をするのです。聖句を暗唱するのです。それは、私たちがキリストを主とし、神の霊に満たされるという歩みを実践することでもあります。マナーのひどいドライバーに遭遇して、つい、口から「ナントカカントカ!」と、悪口のひとつも飛び出しそうになるでしょうか? それは、礼拝に向かう姿として、いかにもふさわしくなりません。御霊に満たされましょう。その上で、車でいらっしゃるときに、お祈りする、賛美する、聖句を暗唱するといったことは、極めて有効な手段です。複数でいらっしゃるときは、もちろん、主にある交わりをしっかり持ちましょう。 さあ、そのように期待しつつ、ともに御前に行けるのは、なぜなのでしょうか? 1節です。そう、兄弟たちがひとつになってともに生きることは、最高に幸せなこと、そして、最高に楽しいことだからです。 この詩を詠んだダビデにとって、兄弟という存在は、もともと楽しいとか、幸せとか言える対象ではありませんでした。前に学びましたサムエル記第一16章、サムエルが、サウルに代わる王を立てるために、神さまによってエッサイの家に導かれたときのこと。エッサイには子どもが8人いましたが、サムエルに面会させたのは最初、上の7人でした。末っ子のダビデはあのサムエルさまに会わせてもらえるという大事な晴れの場に、最初は同席させてもらうことも許されなかったわけです。これでは、兄弟のうちでどんな扱いを受けていたかも、推して知るべきです。実際、詳しくは来週学びますが、ペリシテとの戦争に従軍していた上3人の兄たちから、ダビデは邪険に扱われています。 しかし、そんなダビデは後に、勲功を挙げつづけることに嫉妬したサウルにいのちを狙われ、放浪の旅の末、アドラムの洞穴に避難しました。すると、そこに彼の兄弟たち、父の家の者たちが集まってきたのでした。このとき、聖書の表現をそのまま引用すると、「困窮している者、負債のある者、不満のある者たちもみな、彼のところに集まって来た」のでした。この群れは400人の大部隊になりました。 兄たちはもはや、ダビデのことを邪険に扱ったり、いたずらに恐れたり、などしませんでした。ともに生きることに活路を見いだしたのです。ダビデもこうして始まった兄たちとの生活に、ようやく、ほんとうの意味で兄弟がひとつになってともに生きることの実際を、実感しつつ体験できたわけです。 アドラムのこの生活は、ダビデが肉の兄弟にはじまり、弱さを抱えている人たち、しかし、だからこそ神に拠り頼むことを目指す人たちと、主にある兄弟として共同体を形づくる、そういう、イスラエルの国家形成、民族形成の原点となったのでした。 私たちのことを考えましょう。いったい私たちのだれが、神と人の前に「しみじみしている」でしょうか? どこもかしこも病んでいて、傷だらけ、いいところなんてぜんぜんない、それが私たちではないでしょうか? しかし、神さまはそんな私たちのことを選んでくださり、私たちが神さまを愛することを、このようにここに集め、兄弟姉妹としてくださった、お互いを愛することによって、守り行えるようにしてくださったのでした。目に見える兄弟を愛してこそ、私たちは目に見えない神を愛するのです。 私たちは病んでいるから、傷ついているから、時にお互いの愛しにくさが感じられて、受け入れにくくなることもあります。そんなとき、私たちのすることは、この私こそ病んでいる、しかし神さまは、こんな私を愛し、受け入れてくださった、だから私も、少しでも、周りのだれかのことを愛せるようにしてください、愛しにくいあの人のことを愛せるようにしてください、そのように心からお祈りすることです。また、お互いがその、主の弟子としてふさわしい生き方ができるように、お互いのために祈ることです。 さあ、その、兄弟がともに生きる祝福を、ダビデはどのように表現していますでしょうか? 2節です。貴い油。これは、聖霊さまを象徴しています。この油が注がれた人は、祭司として、また、王として、聖別されている人ということです。 ダビデもかつて、油注がれた経験があります。先ほども申しました、エッサイの家にサムエルが訪問したとき、サムエルは野に出て羊を飼っていたダビデを呼びにやらせ、彼の頭に油を注ぎました。そんな、油注ぎという体験をしたダビデは、ひげにしたたるまで、服にしたたるまで、たっぷり聖霊の油注がれた、祭司の中の祭司、アロンの祝福を連想しています。この油注ぎとは、兄弟がともに生きる幸せ、また楽しさだというのです。 実は、先ほどのアドラムの洞穴の話に戻りますと、ダビデはアドラムの洞穴に身を隠す前、サウルの一味から逃れて、ガテの王アキシュのもとに身を避けました。しかし、ガテといえば、あのゴリヤテの出身地です。よりにもよってそんなところに身を避けてしまったダビデは、なお具合の悪いことに、こいつはイスラエルのあの有名なダビデですよ、と、家来たちの手によって、アキシュ王の前に引き出されてしまいました。 すると、ダビデはここで、大芝居を打ちました。頭がおかしいふりをして、柱に傷をつけたり、自分のひげによだれを垂らしたりしました。そう、このときダビデは、ひげという男の象徴、人間の尊厳を示すものを、あろうことか、そんなプライドもかなぐり捨ててでも自分の身を守るために、よだれでべとべとにして汚したのです。ダビデはこのとき、どれほどの絶望に陥っていたことでしょうか。彼は孤独でした。神からも見捨てられたと思ったことでしょう。 そんな彼を癒やしたものが、アドラムにはじまる、まことのイスラエルの共同体、神の民であったわけです。アロンを聖別してまことの祭司に立てた聖霊の油は、主の民という共同体の中に、豊かに流れ、民を潤すのです。 私たちは何者でしょうか? 第一ペテロ2章9節の語るとおりです。私たちは聖霊により聖別され、聖霊の満たしと導きをつねにいただいて、みことばを守り行うべく召されている存在です。私たちはその生き方、語ることばと行いをもって、周りにいるどんな人々に対しても、私たちを召してくださった神さまの素晴らしさを人々に伝えるのです。私たち共同体が聖霊の油注ぎを受けるだけではありません。その油注ぎを、私たちは人々へと流す使命が与えられています。 もうひとつ、この「兄弟たちが一つになってともに生きる幸せ、楽しさ」は、「ヘルモンからシオンの山々に降りる露のようだ」とあります。これは、少し解説します。 ヘルモンというのは山の名前で、ダビデが統治した時代において、イスラエル領の最北端に聳えていました。ヘルモン山は、現在でいえばレバノンとシリアの国境にあります。標高は海抜2800メートルを超え、イスラエルから北の方を見ると、その山は一年中雪に覆われていて、イスラエルを見下ろすかのようです。私はインターネットで検索し、イスラエルからのその景色を見てみましたが、白く巨大なその峰々、その雄壮さはものすごいものがあります。言ってみれば、国と民族に伸べられた主の祝福を象徴する山と言えるでしょう。日本にとっての富士、茨城にとっての筑波、いや、それ以上の、民族に対する祝福の象徴。 この雪解けが結ぶ露、そして湧き水が、最終的にはヨルダン川になり、神の民を潤します。ついでに言えば、あのイエスさまの「変貌山」のできごとは、その前におけるイエスさまのご一行の旅程から考えて、「変貌山」はこの「ヘルモン山」であっただろうと考えられています。イスラエルの最高峰、もっとも天に近い場所ですから、天から降りてきたモーセとエリヤにイエスさまが会われるには、たしかにふさわしい場所です。 そうだとすると、このヘルモン山ほど、神の祝福を民に流す象徴としてふさわしい場所はありません。この麗しいヘルモン、天に由来するいのちの真清水を受けて、民の共同体を潤す。その祝福、真清水に潤される祝福は、兄弟がともに住むことにはじまります。 さて、それがなぜヘルモンの露のようか。それは、主がそこに、とこしえのいのちの祝福を命じられたからだ、ということです。 面白い表現だと思いませんか? とこしえのいのちの祝福を、「命じる」なんですよ? これは、「とこしえのいのちの祝福を人々に分け与えるように命じる」という意味もさることながら、「とこしえのいのちを受ける祝福を命じる」、そして「とこしえのいのちを生きる祝福を命じる」ということになります。 とこしえのいのち、永遠のいのちというものを、イエスさまはヨハネの福音書17章3節で定義していらっしゃいます。これはどういうことか、説明します。人間はみな、もともとが、神から離れた罪人です。しかし人間には、生まれつき「宗教心」とでもいうべきものが備わっています。神を求める心です。問題は、その宗教心すらも、自己中心の罪に汚染されていて、私たちはいかに神を求めても、そこには自己中心の願望が投影されてしまっていて、正しい形で神さまを知り、神さまと交わることができなくなってしまっています。 だから私たちは、聖書のみことばをお読みすることによって、イエスさまというお方を通じて、正しい形で神さまを知り、神さまと交わる必要があります。実に聖書のみことばは、父なる神さまがご自身を証しされた、誤りなき不変の真理です。私たち人間はいかに求めても、まことの神さまに到達することはできません。ただ、神さまの側からご自身を啓示してくださっている、そのみことばを知り、そして学ぶことによって、私たちは初めて神さまに出会い、永遠のいのちを生きつづけることができます。 永遠のいのちって何でしょうか? 永遠に、まことのいのちである神さまとともに生きる、ということです。その生き方は、そのまことの神さまを神として生きる、主にある兄弟姉妹との交わりを持ちつづけること、ここからはじまりますし、またそのことによって、その生き方を体験しつづけることができます。私たちのこの存在、そして、主とともに生きる、主にあって交わる、この生き方をもって、人々にまことのいのち、とこしえのいのちを指し示してまいりましょう。

