行って弟子としなさい
聖書本文;マタイの福音書28章16節~20節 メッセージ題目;行って弟子としなさい 本日は、ひとりの姉妹にとって、うちの教会で、教会員としておささげになる、最後の主日礼拝です。今週土曜日に結婚式を挙げられ、東京の教会に牧師夫人として嫁いでいかれます。なんとも感慨深いことです。この結婚式のために、みなさまにはもう少し汗をかいていただくことになりますが、ともに、最高の式を御前にささげてまいりたいと思います。主の恵みのお導きの中、頑張ってまいりましょう。 今日の礼拝はそういうわけで、姉妹を派遣する時間という意味も込められています。折しも、マタイの福音書を連続で読んできて、ちょうど、最後の箇所、28章16節から20節となりました。これほど、派遣にふさわしいみことばはあるだろうか、そう考えて、今日のメッセージを準備いたしました。この箇所からは、以前もいくつかのアプローチから語らせていただきましたが、今日はまた、ほかのアプローチからお語りしたいと思います。それはずばり、「派遣」です。 忘れもしません。いまから17年前、2008年8月16日、くしくも、韓国が日本から独立したことをお祝いする8月15日、「独立記念日」の翌日に定めた結婚式、それは「独立」ですとか、「新たな憎しみと対立の始まり」ですとか、そういうものを越えた「明日」から、この日本人と韓国人の夫婦で新たな日韓関係を築いていこう、という意味を、その日付に込めての挙式だったと私はひとり考えていますが、ともかく、この挙式した場所は、韓国でした。 日本の教会で働く日本人の私が韓国で挙式したことは、妻にとっては、イギリスへの神学留学から帰ってきて、しばし親元にとどまり、教会に育んでいただくと同時に奉仕させていただいた、その教会から宣教師として日本に派遣していただくことを意味していました。実際、この式の翌日には、主日礼拝を控えていて、その午後の礼拝の時間をまるまる使って、宣教師派遣式を執り行なっていただきました。そして翌日からは、日本に行き、私がそれまでひとりで(さみしく)暮らしていた、東京は千住大橋のマンションで、一緒の生活が始まったというわけでした。 そんな経験のある私ども夫婦だったので、このたび姉妹の方から、水戸第一聖書バプテスト教会の礼拝堂で挙式します、というお話をいただいたとき、これは派遣する大事な時間になるから、しっかり取り組もう、と心に決め、ここまでまいりました。折しも学ぶことになったマタイ28章16節から20節のみことばをもとに、私たちのことをこの世界に、働きの場所に派遣してくださる主のみこころを、ともに受け取り、用いられてまいりたいと願います。 まず、16節を見ましょう。弟子たちはガリラヤに行き、イエスさまが「この山に登りなさい」と指示しておられた山に登りました。ここで、11人の弟子たちと書かれていますが、イエスさまがこのように、ガリラヤに来なさい、とおっしゃったのは、復活されたご自身に弟子たちが会うことができるように、もっといえば、それで力に満たされ、喜びに満たされ、生きる希望に満たされるように、という、イエスさまのみこころがあったからでした。復活のイエスさまに会うことで、イエスさまがよりにもよって十字架で呪い殺されてしまったことに絶望しきっていた弟子たちは、どれほど喜び、また、これまでのどのときよりも、やる気に満たされることでしょうか。 十字架を前にする体験をした者は、復活もまた体験する必要があります。イエスさまは十字架で敗北されたのではなく、勝利されたと言うべきなのは、復活されたからです。わたしに従ってきた弟子たちよ、わたしの復活を見なさい、わたしの復活にあずかりなさい、こうして、わたしの復活を世界に宣べ伝えなさい……。 さて、11人の弟子とありますので、11人が招集されてここにいるのはたしかなのですが、「11人に限定して集められた」とは書かれていません。3週間前、アリマタヤのヨセフのときにもお話ししましたが、イエスさまの弟子というのは、十二弟子にかぎりませんでした。 そのときもお話ししたとおり、70人の選抜メンバーがいた、ということは、それよりもさらに多くのメンバーがいたことになります。アリマタヤのヨセフもそのひとりだったというわけです。そういうわけで、このガリラヤの山に集まった者たちは、十二弟子以外の弟子もまたともにいた可能性があります。 これはあながち根拠のない話ではありません。というのも、コリント人への手紙第一15章4節から6節に、このようなみことばがあるからです。……このみことばを見てみますと、イエスさまが十二弟子に現れたあとで、500人以上の弟子たちが同席するところにも復活のみからだをもって、おいでになったことがわかります。 四福音書の復活の箇所を突き合わせてみると、十一弟子がこのたびガリラヤの山に登ったとき、それが彼らにとって、復活のイエスさまに初めてお会いしたときではなかったようです。つまり、ヨハネの福音書に書かれているような、イエスさまの復活を十一弟子が目撃した、それよりあとのことと言えるわけです。それをこの第一コリント15章のみことばと合わせて考えると、このガリラヤの山の上での再会には、「500人以上の兄弟たち」が同席していたと考えられます。つまりそれは、12人や70人が選抜される元となる、イエスさまのもともとの弟子たちと考えられるわけです。 そう考えると、17節のみことば、疑う者たちもいた、ということばは、つじつまが合うことになります。イエスさまの復活を目撃していた十一弟子が疑ったとは考えられません。しかし、500人弟子レベルの弟子だったら、どうでしょうか。イエスさまは彼らに対しては、十一弟子のようには、近しく現れてくださいませんでした。だから、彼らの中には、今こうして、みんなして礼拝しているこの人は、ほんとうにイエスさまなのかな、などと考えてしまう人がいてもおかしくありません。 しかし、彼らはイエスさまの弟子だったならば、顔を間違えるはずなどあるだろうか、と思いますでしょうか。あのイエスさまがここにいるなら、それで、復活したことがわかるじゃないか、と。ところが、福音書を読み合わせてみると、復活されたイエスさまが、どうも、十字架におかかりになる前の、みんなが見慣れたお顔とちがっているのではないか、ということが見て取れます。 実際、マグダラのマリアなど、あんなに慕わしいイエスさまを前にしても、その人を園の管理人だと勘違いしてしまったというくらいです。エマオに向かう弟子たちも、そばを行かれる方がイエスさまだとわかりませんでした。これは、イザヤ書53章の預言によれば、風采の上がらないお姿であったかもしれないイエスさまが、復活の栄光の御姿をもって現れて、あまりにもちがっていた、という可能性があります。 ともかく、疑った弟子がいたことは事実です。そうだとすると、イエスさまを礼拝する弟子たちの輪の中にいながらも、そんな人たちは心の中では、こうしてこの人に対して礼拝することは所詮人を礼拝することだから、偶像礼拝だ、神さまのみこころに反したことをしている、などと思ってしかるべきだったことになります。そんな人がこの群れの中にいたことになります。だとすると、その一部の人は復活のイエスさまを前にしてなお、イエスさまを神の子として認めず、イエスさまの受けるべき礼拝もふさわしくささげられていなかったというわけです。これでは、第二のパリサイ人の誕生です。いや、復活を信じていないという点では、第二のサドカイ人というべきか。イエスさまを前にして、神の子と認めることができていないわけですから。 イエスさまがもし、ちがったお姿でその場にいらしていたとするならば、このお方を復活のイエスさまと信じる理由は、「目で見たから」ではありません。当たり前です、目で見えるこの人はイエスさまに見えないんですから。信じることができるのは、「のちに復活されるというみことばを信じたから」、これだけです。だから、そういう点では、復活のイエスさまと実際に同じ空間を共有していた弟子たちも、イエスさまの復活はみことばを読んで信じるしかない、21世紀の日本に生きる私たちも、条件はまったく同じである、と言えるのです。 しかし、イエスさまの復活をみことばによって信じ受け入れている人は、素直にイエスさまを礼拝する恵みにあずかります。このお方をそれこそ18節のとおりに、すべての主と受け入れます。そこから、キリスト者として、神のしもべとして、イエスさまの弟子として、すべての歩みが始まるのです。 復活のイエスさまは、世の終わりまで、「あなたがた」とともにいる、と約束してくださいました。あなたがたとは、イエスさまの弟子たち、そして、その弟子たちの働きから歴史を通じて生み出される、すべての教会と、そのひと枝ひと枝であるクリスチャンたちです。当然ここには、私たちが含まれます。私たちが、ここでイエスさまが約束してくださっているように、世の終わりまで、いつも、イエスさまがともにいてくださる祝福をいただきつづけるのです。 それでは、このイエスさまの祝福の約束にふさわしい者たちは、何を命じられているのでしょうか。主のご命令に従順にもならないで、ただ祝福だけもらって気持ちよくなろうとするのは、あまりにも虫の好い話というべきでしょう。イエスさまは私たちに、神の子どもとなる特権という、最高の祝福をくださるために、十字架にかかって死んでくださり、そして、復活してくださいました。このお方のために私たちは、何かをせずにいられない、となるのが当然ではないでしょうか? しかし、自分勝手に、これをすれば喜んでもらえるだろう、とやみくもにふるまえばいいのではありません。主を喜ばせたいと願うならば、それにふさわしい、取り組むべきことがあります。それはほかでもない、みことばに書かれている、主のご命令にお従いすることです。主のご命令どおりに具体的に実践することです。 それが、19節と20節に書かれていることです。行って、人々をキリストの弟子としなさい。父、御子、御霊の名において彼らにバプテスマを授けることによって、すなわち、キリストとともに死に、キリストとともに生きることを体感させるバプテスマを授けて、名実ともにキリストとそのみからだなる教会の献身者、言い換えれば、キリストの弟子とするのです。私たちバプテスト教会はこの点に強いこだわりを持っていて、だからこそバプテスマはキリストの死と復活にあずかる者とされているという意味で、水に沈めて引き上げる浸礼にかぎる、という立場を貫徹しています。 また、バプテスマを授けさえすれば、その授けられた人が自動的に一生、主の弟子として献身しつづける生き方ができるようになるわけではありません。バプテスマを授ける主の弟子なる教会とその働き人たちは、そのバプテスマを授けたたましいが、キリストの弟子として一生歩みつづけることができるように、イエスさまが守り行えと命じられたすべての教え、そう、旧新約聖書に過不足なく記録されたすべての教えを、守り行うように教えるのです。 もっとも、ひと口に教えるといっても、それは教会が立てられた地域の地域性や民族性、時代性、歴史、文化によってさまざまな形を取る可能性があります。ゆえに、手法もいろいろです。私はかつてこの教会で、アメリカの韓国人教会発祥で、日本でもいくつかの教会で成功例を見ている「家の教会」という牧会の方法を採り入れることを検討したことがありましたし、また、保守バプテスト同盟のかなり多くの教会が、C-BTEという、信徒が神学的に考えることで教会形成の主体となるように訓練するプログラムを採り入れています。これももとはといえばアメリカで開発されたプログラムです。現在、うちの教会の週報に毎週連載している「バプテスト教理問答書」も、カテキズムという、17世紀のイギリス以来の、プロテスタント教会の伝統的な信仰教育の方法を踏襲しています。 私自身はといえば、1999年に神学校の最終学年にいたとき、サラン教会という教会で有給の神学生をしながら、主任牧師の玉漢欽牧師のもとにいて、その牧会チームの実践した「弟子訓練」というものを信徒に交じって体験し、同時に、弟子訓練を日本の諸教会に普及させる働きのお手伝いをしていました。この、サラン教会の実践していた弟子訓練は、教会というものの本質に忠実であろうとした極めて壮大な取り組みであり、韓国のみならず、日本も含めた、世界の多くの教会に影響を与えました。 しかし、それから四半世紀以上が経過して私自身が感じることは、弟子訓練という「教え方」以上にもっと大事なものは、「教える人」自身がほんとうに主の弟子になり切れているかどうか、ということであるということです。そしてさらに気づかされたことは、主の弟子は、プログラムさえよかったらそれでひとりでに生み出されない、ということです。これは、サラン教会発祥の弟子訓練にかぎらず、家の教会にも、C-BTEにも、カテキズムにも、同じことが言えると思います。 それは、テモテへの手紙第一4章6節に書かれているとおりです。このみことばは、この働きをしなければ、下手をするとあなたは救われません、という意味ではありません。もともとテモテは救われています。救われているからこそ、主の働きをすることができる、当たり前です。 しかし、この働きを続けることで、テモテのことを救ってくださった主のその救いを完成する歩みをする、だからこの働きを続けなさい、ということもまた真実です。それは、人々を救いに導き、救いにふさわしい生活のうちにとどまらせる、という、それこそ牧会と教会形成の歩み、言い換えれば、人をキリストの弟子とする歩みです。 「イエスさまの十字架をひとたび信じさえすれば救われるんだから、何をしても許される!」とうそぶき、自堕落な生活をしているならば、そういう人の語るみことばなど、中身のないむなしいものにしかなりません。そりゃ、ヘブル人への手紙13章5節のみことばに照らせば、救いを失うということはないのでしょうが、救われた喜びにふさわしい生き方から程遠い歩みをしているなら、そういう人に救いの喜びなどあり得るでしょうか。そんな歩みを、神さまは喜んでおられるでしょうか。 だから、まず自分自身を主の弟子として訓練する歩みをしようとしないで、自分こそが主の弟子の模範であるかのように振る舞うなら、それはごまかし、ハッタリでしかありません。自分自身を主の弟子として訓練もしないで、人様のことを訓練してみたところで、ほんとうの意味で弟子訓練の教会形成ができるはずもありません。その後、弟子訓練による教会形成というコンセプトの普及が、驚くほど衰退したのは、まさにここに理由があったからだと考えます。 私は弟子訓練による教会形成の召命をいただいて26年になりますが、その間、私自身も何度となく主の訓練に入れられ、弟子訓練が主の召命ならそれに従順になりたいものの、その導き手としてまだまだふさわしくない自分自身の姿を何度となく思わされ、そのたびに主のあわれみにすがりつつ、ここまでまいりました。この、自分自身の体験から心から申しあげたいのは、「まず私たちが主の弟子になりましょう、そうすれば、主が私たちのことを、人様を主の弟子にする働きにお用いになる道が開かれます」ということです。 私はかつて、弟子訓練を標榜する教会プログラムに、私なんかよりよほど一生懸命に取り組んでいた人たちが、もはやその頃の信仰告白など見る影もない歩みを今やしているのをいろいろ見聞きしていて、それを考えるにつけ、弟子訓練は人生の一時期に集中して取り組みさえすればそれで充分なんて、そんなものじゃないなあ、としみじみ思います。そう、人はみことばという鏡で自分の姿を見て、こんな自分じゃいけないと悔い改めるのはいいものの、みことばを離れたら、いとも簡単に、そんな自分であることを忘れてしまうものです。 だから、みことばは毎日お読みし、毎日行いつづける必要があるのです。みことばにかなわない悪い習慣が確実に自分の生活の中に陣取っていると知ったならば、悔い改めて、聖霊さまの助けによって、主のあわれみにすがってそこから離れ、もっとみこころにかなった歩みをすることに時間とお金を使うように、生活の優先順位を変えていただくべく祈って、取り組む必要があります。 ディボーションというものはだから必要なので、それに取り組むことでなにやらたましいがきれいになり、ほかのクリスチャンよりも霊的ステージが上がって、より主の弟子らしくなり、神さまに認められるようになるとかなんとか考えるならば、それはディボーションというものを根本的に勘違いしていることになります。みことばに教えられても、そのおしえを具体的に生活の中で実践しないディボーションなど、ディボーションと呼んではいけません。 さて、このように、自分も弟子となり、それゆえに人様を主の弟子にしていくためには、言うまでもなく、このみことばが語るとおり、「行く」必要があります。ここに立派な礼拝堂が立っているから、道行く人はいずれ、悩みがあったら立ち寄るだろう、なんて料簡では、いつまでたっても主の弟子は生まれません。そもそもその態度でいつづけることは、主への不従順です。行かなくてはならないのです。 ここに、結婚という人生屈指の決断を通じて、それも牧師夫人という大事な働きに献身するために、東京という、ここ茨城町とは比べ物にならないほど多くの人が密集している都会に、行く、姉妹がいらっしゃいます。 私も36年になるクリスチャン生活をとおして、日本や韓国を中心に数えきれないほどのクリスチャンに出会ってきましたが、バプテスマをお受けになって2年とひと月ほどの、これほどの短い間に、ここまでの決断に導かれた方をほかに知りません。しかも、そういう方が、この水戸第一聖書バプテスト教会から派遣されようとは、この派遣に教会のみなさまとともに立ち会わせていただこうとは、何という恵みだろう、と思います。 これから姉妹は、東京に行かれますので、来週の主日からは東京の教会で礼拝に出席されるようになります。水戸第一聖書バプテスト教会の教会員として、ここ茨城町長岡の礼拝堂でともに主日礼拝をささげることも、主日のお交わりのときを持つことも、今日までです。それはさびしいと思うべきでしょうか。もちろん、さびしいと思う私たちの気持ちまで否定することはありません。しかし、ここから、姉妹を花の大都会、東京で素晴らしい宣教の働き、教会形成の働き、すなわち、キリストの弟子を見出し、訓練する働きに遣わすことができるのですから、私たちは涙をこらえて、心から喜びましょう。派遣されるのは主です。私たちはそのみこころに従順になるのみです。主に栄光がありますように。 そして、私たちにも、東京ほど遠くはないにしても、主がお遣わしになっている、生活の現場があることを覚えましょう。そこで用いていただくことを祈り求めましょう。そしてふと、姉妹のことを思い出すことがあったら、負けずに弟子づくりの働きに用いられるものとなるように祈りましょう。 私たちも、人々をキリストの弟子とする働きに、そして、キリストの弟子として歩ませつづける働きに、派遣されています。だから私たちは、そういう立場であることを絶えず確かめ合いましょう。そして、その歩みをするために、日々お祈りし、みことばをいただいて、御霊なる神さまの助けをいただきましょう。