婚宴の完成

聖書箇所:ヨハネの福音書2章1節~12節 メッセージ題目:婚宴の完成  昨日は何とすばらしい日だったことでしょうか! さだまさしさんの歌で「親父の一番長い日」という歌がありますが、私ならさしずめ、「牧師の一番長い日」でしょうか。私にとって結婚式の司式は、足かけ17年になる牧師生活において、初めてとなりました。そんな昨日は、ほんとうに長かった! 翌日の礼拝、どうしよう……?  種明かしを先にしておきますと、今日の礼拝メッセージは、もうかなり早い段階でつくっておいたものでした。また、先週に続いて狙っていたようですが、ヨハネの福音書の1章の連続講解をしばらくお休みしていて、それを今日から再開しようというタイミングで、なんとこの2章は、結婚式の場面から始まっています。結婚式の翌日に、結婚式のメッセージ、なんてタイムリーなんでしょう!  イエスさまは、水をぶどう酒に変えられた。日曜学校の定番のメッセージ、鉄板のメッセージです。「イエスさまが語るなら 水が変わってぶどう酒になる」なんて歌を、振りつけつきでお友だちが歌うわけですが、だから、イエスさまってすごいね、イエスさまって何でもできるね、という、イエスさまが全能の神さまであることを教える、またとない聖書本文であるわけです。では、ともに学んでまいりましょう。  1節、「それから三日目」とあります。1章43節以下に書かれた、ピリポがイエスさまの弟子となり、ナタナエルをイエスさまに会わせたできごとの、それから3日目、ということです。カナはその、ナタナエルの出身地であり、イエスさまが過ごされたナザレのすぐそばにあります。  このカナで、婚礼がありました。婚礼はまず、婚宴が先になります。昨日の結婚式のように、日本では礼拝としての式が先にあり、それから婚宴となるのが普通ですが、ユダヤにおいては、婚宴が先です。婚宴は何日にも及ぶといい、そのため、婚礼の日取りはあらかじめ村中に知らせ、村中から人が集まる、村の一大イベントとなります。  そこにイエスさまの母マリア、そして兄弟たちがともにいました。ヨセフの名前が書かれていないのは、彼がすでに亡くなっていたことを暗示しています。ヨセフの家業は大工でしたが、大工というと、日本では材木で家を組み立てる人というイメージがあるかもしれません。しかしユダヤにおいては、大工とは石に鑿(のみ)を当てて作業する人です。ヨセフはそういう仕事をしていたので、仕事をするたびに大量の粉塵を吸い込み、公害病として問題になった「石綿肺」、つまり「中皮腫」のような状態になって、長くは生きられなかった可能性があります。  イエスの兄弟たちというのは、ヨセフとマリアの間に生まれた子どもたちで、イエスさまから見れば弟にあたる人たちです。「主の兄弟」ともいいます。男兄弟は4人の名前が聖書に記録されていて、このうち、初代教会の指導者であったことが確かなのは、ヤコブとユダです。ふたりとも、手紙類の著者として新約聖書に名を残しています。  ともかく、マリアや主の兄弟たちがその婚宴にいたことは、彼らがこの婚宴において、かなり大事な役割を果たしていたことを示しています。そんな婚宴に、2節にあるように、彼らにとっては長男であったイエスさまが、弟子たちとともに招待されていたわけです。イエスさまは、係累を断ち切って放浪の旅に出ていかれたわけではないことが、ここからわかります。  3節。この節は、「婚宴のぶどう酒がなくなった」ということ、そして、マリアがイエスさまに「ぶどう酒がありません」と言ったこと、この2つのことが語られていますが、ひとつひとつ見てまいります。まず、婚宴のぶどう酒がなくなるということは、何を意味しているでしょうか。ぶどう酒というものは、ユダヤ人にとって、喜びを盛り上げるために必須のアイテムでした。ぶどう酒のないパーティなど、ユダヤ人にはありえないものでした。  だから、婚宴の主催者である花婿は、威信をかけて、お客がどれくらいやってくるかを計算して、充分な分量のぶどう酒を準備しておくものです。しかし、予想もしなかったようなお客がぞろぞろやってくることもあり得ますし、酒好きなお客が好きなだけ飲んでぶどう酒のストックを減らしてしまう、ということも起こってくるわけです。しかし、理由はどうあれ、ぶどう酒がなくなってしまったら、花婿には、招待客もろくにもてなせない男、という烙印が押されてしまうことになり、彼は以後、カナの村でコソコソと人目を忍んで暮らすしかなくなります。こんなことなら結婚式なんてやらなきゃよかった、というレベルの大しくじりです。  万事休す、となったとき、マリアはイエスさまを捕まえ、「ぶどう酒がありません」と言いました。どうもマリアは、給仕係を責任をもって束ねる立場にあったようです。そんなマリアとしても、ぶどう酒がなくなるのは真っ青になることです。どうしよう……そうだ、イエスに言おう!  当たり前の話ですが、マリアは、イエスさまがただの息子ではない、神の子だ、ということを、だれよりもわかっていました。なにしろ、身ごもったプロセスがプロセスです。その後も、12歳の日にイエスさまがエルサレム神殿にとどまり、神さまを「父」とお呼びしたことを、マリアが心に留めたということが、聖書に記録されています。マリアがイエスさまを全能なる神の御子と思わされることは、おそらくその聖書に記録されていることにとどまらず、子育ての中で、一緒に暮らす中で、何度となく体験してきたことでしょう。  しかしマリアのこのことばは、イエスさまのことをもちろん、全能の神さまと見込み、なんとかしてください、という、願いが込められていた一方で、母親が息子に対して、あなたが神の子ならなんとかしなさいよ、という思いもまた込められていたと言うべきでしょう。なぜならこの箇所には、「マリアは」ではなく「母は」と書いてあり、マリアは「母として」イエスさまに言いつけたことがほのめかされているからです。  これに対するイエスさまのおことばは、聖書の読者には、なんとも意表をつくイメージを及ぼさないでしょうか。4節です。「するとイエスは母に言われた、女の方、あなたはわたしと何の関係がありますか。」えっ、イエスさま、お母さんにそんな言い方していいの! でも、イエスさまがそうおっしゃるんだから、間違っているわけじゃないんだよなあ……いろいろ、もやもやするところでしょう。  まず「女の方」ですが、このことばがどこか突き放したような冷たいニュアンスを読者に対して持っていることは、日本語の聖書だけではなく、韓国語や英語の聖書も同じようです。しかし、このことばは、原語の意味に照らせば、女性に対する一定の敬意を込めた表現であり、日本語の聖書の字面から感じるように、けっして冷たいわけでも、突き放しているわけでもありません。イエスさまは一定の敬意をこめて、お母さんマリアに呼びかけていらっしゃるわけです。  しかし、お母さん、ではなく、女の方、と呼びかけられたことには、なお疑問が残るでしょう。そのうえ、「あなたはわたしと何の関係がありますか」ときています。イエスさまがこんな、一見するとにべもないお返事をなさったのは、そのあとに続くみことばにその理由が語られています。「わたしの時はまだ来ていません。」この「時」とは、イエスさまがメシア、キリストとして栄光をお受けになる、その「時」です。しかし、ほんとうのところ、イエスさまはどのようにして、栄光をお受けになるのでしょうか。究極的には、十字架をもって御父への従順を果たすことで御子としての栄光をあらわされることです。そしてイエスさまのこの栄光は、復活、そして、再臨において、極致へと達します。  その、イエスさまにとっての「時」は、すべて、父なる神さまの「時」への従順をもって実行されます。御父の「時」に沿わないイエスさまの「時」というものはありません。ですからイエスさまは、母親に対して「女の方」とあえておっしゃることによって、ほんとうに従うべきは母親の時ではなく、神さまの時である、言い換えれば、母親のことばではなく、神さまのみことばに従うべきであることをお示しになったのでした。  マリアはこのことばに、イエスさまのことを、自分の息子である以前に、神の御子であると認めるしかありませんでした。しかし、そのマリアのことばは振るっていました。3節のみことばです。……マリアはまず、イエスさまをもはや自分の息子のように、また、ことばはあれですが、自分の所有物のようにみなすのをやめていました。行いをもって従順にお従いすべき神さまと見ていました。この、マリアのことばの変化は、マリアがイエスさまを従わせようとしていたが、イエスさまにマリアが従うようになった、という、ほんらい、神と人との間にあるべき関係へと変えられたことが示されています。  この変化は、私たちが信仰生活を積み重ね、祈りとみことばを通じてのイエスさまとの対話を重ねていくうちに体験するものです。私たちは最初、神さま、イエスさまに対し、自分の願いをかなえてほしい思いで、あれもしてください、これもしてください、という態度で祈ります。それはたしかに、主が全能であることを信じているからそう祈るのですが、主のみこころは実際どうなのか、ということを、あまり考えていません。しかし、みことばを学びつづけることで、神さま、イエスさまのみこころを知るようになったならば、そういろいろなことをやたらと祈ることをしなくなります。むしろ、神さまのみこころは何か、何を願っていらっしゃるか、何を喜んでくださるか、それをひたすら学ぼうとし、そのみこころに従順になれるようにと、祈りが変わってきます。その祈りの生活のほうが、あれこれ願う祈りの生活よりも、はるかに豊かで意義深いものであることは言うまでもありません。  マリアはまた、自分の差配している給仕の人たちを、イエスさまのみことばに従順になるようにさせました。そうです、主のみことばに従順になることは、単に自分個人が従順になることにとどまりません。自分が影響力を持っている人を、主のみことばに対して従順になるようにすること、これぞ、ほんとうの意味での従順です。  6節をご覧ください。ここには、ユダヤ人のきよめのしきたりに用いられる水がめがありました。律法の民であるユダヤ人は、外から家の中に入るときには道の埃で汚れた足を洗ったり、食事のときには手を洗ったり、器を洗ったりと、とにかく洗います。それは、物理的な清潔ということ以上に、宗教的なけがれからのきよめという意味がありました。この水がめを水で満たしなさい、というのです。この水がめはひとつがざっと、80リットルから120リットルは入る大きさです。それが6つですから、どんなに少なく見積もっても500リットルにもなります。このみわざが、単に水を変えてぶどう酒とするということだけなら、わざわざそんな大量の水を汲んでは水がめに入れ、汲んでは水がめに入れ、なんてことをする必要はないでしょう。なんでしたら、何もないところからぶどう酒を出してみせたってよいわけです。何といってもイエスさまは全能なるお方なわけですから。  そうなさらず、この、ユダヤ人のしきたりに欠かせない水がめをわざわざお用いになったのは、理由があったというべきです。イエスさまの弟子たちは、きよめの洗いをしないで食べ物を口にしたことから、パリサイ人、律法学者たちにとがめられました。しかしイエスさまはそのように非難する宗教家たちに対し、あながたがたこそ神の戒めを破っている、と逆に非難されました。そのときイエスさまは、預言者イザヤのことばをお用いになりました。「この民は口先ではわたしを敬うが、その心はわたしから遠く離れている。」  これまでの時代、ユダヤ人は、神の律法さえ守り行えばそれでよし、と考えていました。しかし実際のところ、律法を守り行おうとするところには、かえって神さまから離れているという、神の民にあるまじき実際の姿が、あぶり出しになるだけでした。  そのような人間は、きよめてもきよめても、根本的にきよくなることはできません。きよめのしきたりに用いる水がめに満たした水は、結局のところ、きよめることができないのです。それが、イエスさまがおいでになる前の、旧約の時代の民の姿でした。  しかし、イエスさまはこの水を、ぶどう酒に変えられました。このみわざを行われたことは、マリアにおっしゃったおことばと矛盾するのではないか、という疑問については、あとてあらためて触れますが、とにかくイエスさまはこの水を、ぶどう酒に変えられました。  アモス書9章13節のみことばも語るとおり、聖書的に言えば、ぶどう酒とは神さまの祝福の象徴ですが、主イエスさまご自身はぶどう酒というものを、神と人を和解させるためにご自身が流される血潮になぞらえていらっしゃいます。十字架の血潮が注ぎかけられることこそ、人にとって最高の祝福であったのです。人のけがれというものは、きよめの水を用いても根本的にきよめることはできませんでした。しかし、イエスさまの十字架の血潮は、すべての罪とそのけがれから、すべての人をきよめます。イエスさまがこの水がめの水をぶどう酒に変えられたことは、きよめの水できよめることが限界だった旧約時代が、まさしくイエスさまご自身の御手で幕引きされたことを意味していました。  しかも、そのぶどう酒というものがどんなものだったか。8節から10節です。宴会の世話役、すなわち、総責任者は、このぶどう酒を口にして驚きました。こんな良質のぶどう酒を最後のお楽しみに取っておいたとは、あなた、なかなかやりますな! 花婿をべた褒めしました。この世話役の言うとおり、酔いが回ったら、質の悪いぶどう酒を出されてもそれと気づきません。だから、よいぶどう酒から先に出すのが常識ですし、そうしないともったいないから、あとによいものを出すということはしません。ところがこの、イエスさまがおつくりになったぶどう酒ときたら、すっかり酔った人にもはっきりわかるほど、段違いに質のよいものでした。  これもまた、イエスさまの来たらせられる時代は以前のものにまさって素晴らしいことを教えています。ぶどう酒がやがて質の悪いものに取って替わられてもそれが当たり前なように、どんなに新しく、いいものが生み出されたと喜んでいても、どんなものもやがて陳腐になります。しかし、イエスさまは以前の罪によって古びるしかなかった人間を、その世界を、ご自身の救いによって新しく変えてくださいます。けっして滅びることのない、永遠のいのちに生かしてくださいます。そして終わりの日にこの世界に再臨してくださり、私たち主の民、教会を、花嫁として迎えてくださいます。  そう、神さまは世のはじめ、人を男と女に創造されましたが、エバがアダムから取られ、アダムがエバと対面したとき、それは人類最初の結婚式であったと言えましょう。そして、世の終わりも結婚式で大団円です。そう考えると、人類の歴史、神の民の歴史は、結婚式に始まり結婚式に終わります。そうだとすると、11節のみことばにあるとおり、イエスさまが結婚式という場で最初のしるしを行われ、ご自身の栄光を顕されたということは、主のみこころという点で、また、人類の救いのみわざという点で、これほどふさわしい場所はほかになかったとも言えるわけです。イエスさまがこのとき、ここで最初のしるしを行われたのは、マリアに頼まれたから、以上に、このときこそ、御父のみこころにお従いして、ご自身の栄光を顕すべき時だった、ということです。  昨日、私は、牧師先生のお姿に、イエスさまを見ました。そして、ウェディングドレスに身を包んだ姉妹のお姿に、終わりの日にイエスさまに嫁ぐ教会を見ました。これが、イエスさまの栄光だったのだ。カナの婚宴で、宴会の世話役はそのぶどう酒をつくったお方がイエスさまであることを知らず、ひたすら花婿のことをほめました。花婿とは、終わりの日に花嫁なる教会を迎えるイエスさまの象徴。イエスさまはそんな、ご自身の存在をこの地上で現す花婿に、あえて裏方となることによって花を持たせてあげたとは! なんてカッコいいんだ! そう思いませんか!  しかし、やはりほんとうの花婿は、イエスさまです。この、水がぶどう酒に変えられるしるしが、イエスさまがまことの花婿として、世の終わりに究極の栄光をお受けになることを示しました。このみわざを目撃した弟子たちは、イエスさまはやはり神の子キリストだったのだと信じ受け入れました。そう、このように、人がイエスさまを信じるということ、これぞ、イエスさまの栄光が顕される、ということです。  すでに弟子になっている者が、イエスさまを信じる? 信じたから弟子になるんじゃないのか? 順番が逆じゃないのか? そう思いますか? しかし、こういうことは往々にして起こることです。弟子とは、イエスさまについていく人です。弟子というものをそう定義したら、キリスト教の幼稚園や保育園に通い、礼拝をささげているちっちゃな子どもたちも、立派にイエスさまの弟子といっていいと思います。彼らは幼いなりに、イエスさまの言うことを聞こうとします。また、子どもではなくても、何かのきっかけに教会通いを始める求道者も、弟子の歩みを始めていると言えるでしょう。  しかし、やがて彼らも成長するにつれ、イエスさまを受け入れるべき時がやってきます。イエスさまが救い主であることをみことばからきちんと理解するには、それなりに求道生活を送っている必要があります。わからないなりにみことばを学び、わからないなりに礼拝に出席し、わからないなりに聖徒の交わりに加わる。これは立派に、弟子の歩みです。そこから、みことばをしかるべく理解し、イエスさまを信じるに至るのです。  この、弟子として歩む意志を明確に持っている人は、確実に成長します。昨日、ウェディングドレスに身を包んだ姉妹は、2年前の4月、はじめてうちの教会にいらしたときから、もう明確に求道心をもち、真面目に主の弟子としての歩みをしていこうとしていました。  先週のみことばにあるとおり、行って、弟子としなさい。そう、弟子とすることから、人々を救いに導き、その救いにとどまらせるべく、みことばを教えるのです。弟子として歩んでも、イエスさまのことをほんとうに信じられる人はかぎられています。しかし、イエスさまの弟子としての歩みをどうしても続けたい、なぜならば、イエスさまこそが救い主だからだ、そう信じて、イエスさまにしがみつく人たちがひとりでも起こされるとき、その人が主のからだなる教会のひと枝に加えられるとき、イエスさまはご栄光をお受けになります。その、主のからだなる教会もろとも、救われた主の弟子たちがイエスさまのもとに嫁入りするとき、主の栄光は最高に輝くのです。カナの婚宴を完成させられたイエスさまは、終わりの日、この世界を完成してくださいます。その日を待ち望みましょう。

行って弟子としなさい

聖書本文;マタイの福音書28章16節~20節 メッセージ題目;行って弟子としなさい  本日は、ひとりの姉妹にとって、うちの教会で、教会員としておささげになる、最後の主日礼拝です。今週土曜日に結婚式を挙げられ、東京の教会に牧師夫人として嫁いでいかれます。なんとも感慨深いことです。この結婚式のために、みなさまにはもう少し汗をかいていただくことになりますが、ともに、最高の式を御前にささげてまいりたいと思います。主の恵みのお導きの中、頑張ってまいりましょう。  今日の礼拝はそういうわけで、姉妹を派遣する時間という意味も込められています。折しも、マタイの福音書を連続で読んできて、ちょうど、最後の箇所、28章16節から20節となりました。これほど、派遣にふさわしいみことばはあるだろうか、そう考えて、今日のメッセージを準備いたしました。この箇所からは、以前もいくつかのアプローチから語らせていただきましたが、今日はまた、ほかのアプローチからお語りしたいと思います。それはずばり、「派遣」です。  忘れもしません。いまから17年前、2008年8月16日、くしくも、韓国が日本から独立したことをお祝いする8月15日、「独立記念日」の翌日に定めた結婚式、それは「独立」ですとか、「新たな憎しみと対立の始まり」ですとか、そういうものを越えた「明日」から、この日本人と韓国人の夫婦で新たな日韓関係を築いていこう、という意味を、その日付に込めての挙式だったと私はひとり考えていますが、ともかく、この挙式した場所は、韓国でした。  日本の教会で働く日本人の私が韓国で挙式したことは、妻にとっては、イギリスへの神学留学から帰ってきて、しばし親元にとどまり、教会に育んでいただくと同時に奉仕させていただいた、その教会から宣教師として日本に派遣していただくことを意味していました。実際、この式の翌日には、主日礼拝を控えていて、その午後の礼拝の時間をまるまる使って、宣教師派遣式を執り行なっていただきました。そして翌日からは、日本に行き、私がそれまでひとりで(さみしく)暮らしていた、東京は千住大橋のマンションで、一緒の生活が始まったというわけでした。  そんな経験のある私ども夫婦だったので、このたび姉妹の方から、水戸第一聖書バプテスト教会の礼拝堂で挙式します、というお話をいただいたとき、これは派遣する大事な時間になるから、しっかり取り組もう、と心に決め、ここまでまいりました。折しも学ぶことになったマタイ28章16節から20節のみことばをもとに、私たちのことをこの世界に、働きの場所に派遣してくださる主のみこころを、ともに受け取り、用いられてまいりたいと願います。  まず、16節を見ましょう。弟子たちはガリラヤに行き、イエスさまが「この山に登りなさい」と指示しておられた山に登りました。ここで、11人の弟子たちと書かれていますが、イエスさまがこのように、ガリラヤに来なさい、とおっしゃったのは、復活されたご自身に弟子たちが会うことができるように、もっといえば、それで力に満たされ、喜びに満たされ、生きる希望に満たされるように、という、イエスさまのみこころがあったからでした。復活のイエスさまに会うことで、イエスさまがよりにもよって十字架で呪い殺されてしまったことに絶望しきっていた弟子たちは、どれほど喜び、また、これまでのどのときよりも、やる気に満たされることでしょうか。  十字架を前にする体験をした者は、復活もまた体験する必要があります。イエスさまは十字架で敗北されたのではなく、勝利されたと言うべきなのは、復活されたからです。わたしに従ってきた弟子たちよ、わたしの復活を見なさい、わたしの復活にあずかりなさい、こうして、わたしの復活を世界に宣べ伝えなさい……。  さて、11人の弟子とありますので、11人が招集されてここにいるのはたしかなのですが、「11人に限定して集められた」とは書かれていません。3週間前、アリマタヤのヨセフのときにもお話ししましたが、イエスさまの弟子というのは、十二弟子にかぎりませんでした。  そのときもお話ししたとおり、70人の選抜メンバーがいた、ということは、それよりもさらに多くのメンバーがいたことになります。アリマタヤのヨセフもそのひとりだったというわけです。そういうわけで、このガリラヤの山に集まった者たちは、十二弟子以外の弟子もまたともにいた可能性があります。  これはあながち根拠のない話ではありません。というのも、コリント人への手紙第一15章4節から6節に、このようなみことばがあるからです。……このみことばを見てみますと、イエスさまが十二弟子に現れたあとで、500人以上の弟子たちが同席するところにも復活のみからだをもって、おいでになったことがわかります。  四福音書の復活の箇所を突き合わせてみると、十一弟子がこのたびガリラヤの山に登ったとき、それが彼らにとって、復活のイエスさまに初めてお会いしたときではなかったようです。つまり、ヨハネの福音書に書かれているような、イエスさまの復活を十一弟子が目撃した、それよりあとのことと言えるわけです。それをこの第一コリント15章のみことばと合わせて考えると、このガリラヤの山の上での再会には、「500人以上の兄弟たち」が同席していたと考えられます。つまりそれは、12人や70人が選抜される元となる、イエスさまのもともとの弟子たちと考えられるわけです。  そう考えると、17節のみことば、疑う者たちもいた、ということばは、つじつまが合うことになります。イエスさまの復活を目撃していた十一弟子が疑ったとは考えられません。しかし、500人弟子レベルの弟子だったら、どうでしょうか。イエスさまは彼らに対しては、十一弟子のようには、近しく現れてくださいませんでした。だから、彼らの中には、今こうして、みんなして礼拝しているこの人は、ほんとうにイエスさまなのかな、などと考えてしまう人がいてもおかしくありません。  しかし、彼らはイエスさまの弟子だったならば、顔を間違えるはずなどあるだろうか、と思いますでしょうか。あのイエスさまがここにいるなら、それで、復活したことがわかるじゃないか、と。ところが、福音書を読み合わせてみると、復活されたイエスさまが、どうも、十字架におかかりになる前の、みんなが見慣れたお顔とちがっているのではないか、ということが見て取れます。  実際、マグダラのマリアなど、あんなに慕わしいイエスさまを前にしても、その人を園の管理人だと勘違いしてしまったというくらいです。エマオに向かう弟子たちも、そばを行かれる方がイエスさまだとわかりませんでした。これは、イザヤ書53章の預言によれば、風采の上がらないお姿であったかもしれないイエスさまが、復活の栄光の御姿をもって現れて、あまりにもちがっていた、という可能性があります。  ともかく、疑った弟子がいたことは事実です。そうだとすると、イエスさまを礼拝する弟子たちの輪の中にいながらも、そんな人たちは心の中では、こうしてこの人に対して礼拝することは所詮人を礼拝することだから、偶像礼拝だ、神さまのみこころに反したことをしている、などと思ってしかるべきだったことになります。そんな人がこの群れの中にいたことになります。だとすると、その一部の人は復活のイエスさまを前にしてなお、イエスさまを神の子として認めず、イエスさまの受けるべき礼拝もふさわしくささげられていなかったというわけです。これでは、第二のパリサイ人の誕生です。いや、復活を信じていないという点では、第二のサドカイ人というべきか。イエスさまを前にして、神の子と認めることができていないわけですから。  イエスさまがもし、ちがったお姿でその場にいらしていたとするならば、このお方を復活のイエスさまと信じる理由は、「目で見たから」ではありません。当たり前です、目で見えるこの人はイエスさまに見えないんですから。信じることができるのは、「のちに復活されるというみことばを信じたから」、これだけです。だから、そういう点では、復活のイエスさまと実際に同じ空間を共有していた弟子たちも、イエスさまの復活はみことばを読んで信じるしかない、21世紀の日本に生きる私たちも、条件はまったく同じである、と言えるのです。  しかし、イエスさまの復活をみことばによって信じ受け入れている人は、素直にイエスさまを礼拝する恵みにあずかります。このお方をそれこそ18節のとおりに、すべての主と受け入れます。そこから、キリスト者として、神のしもべとして、イエスさまの弟子として、すべての歩みが始まるのです。  復活のイエスさまは、世の終わりまで、「あなたがた」とともにいる、と約束してくださいました。あなたがたとは、イエスさまの弟子たち、そして、その弟子たちの働きから歴史を通じて生み出される、すべての教会と、そのひと枝ひと枝であるクリスチャンたちです。当然ここには、私たちが含まれます。私たちが、ここでイエスさまが約束してくださっているように、世の終わりまで、いつも、イエスさまがともにいてくださる祝福をいただきつづけるのです。  それでは、このイエスさまの祝福の約束にふさわしい者たちは、何を命じられているのでしょうか。主のご命令に従順にもならないで、ただ祝福だけもらって気持ちよくなろうとするのは、あまりにも虫の好い話というべきでしょう。イエスさまは私たちに、神の子どもとなる特権という、最高の祝福をくださるために、十字架にかかって死んでくださり、そして、復活してくださいました。このお方のために私たちは、何かをせずにいられない、となるのが当然ではないでしょうか?   しかし、自分勝手に、これをすれば喜んでもらえるだろう、とやみくもにふるまえばいいのではありません。主を喜ばせたいと願うならば、それにふさわしい、取り組むべきことがあります。それはほかでもない、みことばに書かれている、主のご命令にお従いすることです。主のご命令どおりに具体的に実践することです。  それが、19節と20節に書かれていることです。行って、人々をキリストの弟子としなさい。父、御子、御霊の名において彼らにバプテスマを授けることによって、すなわち、キリストとともに死に、キリストとともに生きることを体感させるバプテスマを授けて、名実ともにキリストとそのみからだなる教会の献身者、言い換えれば、キリストの弟子とするのです。私たちバプテスト教会はこの点に強いこだわりを持っていて、だからこそバプテスマはキリストの死と復活にあずかる者とされているという意味で、水に沈めて引き上げる浸礼にかぎる、という立場を貫徹しています。  また、バプテスマを授けさえすれば、その授けられた人が自動的に一生、主の弟子として献身しつづける生き方ができるようになるわけではありません。バプテスマを授ける主の弟子なる教会とその働き人たちは、そのバプテスマを授けたたましいが、キリストの弟子として一生歩みつづけることができるように、イエスさまが守り行えと命じられたすべての教え、そう、旧新約聖書に過不足なく記録されたすべての教えを、守り行うように教えるのです。  もっとも、ひと口に教えるといっても、それは教会が立てられた地域の地域性や民族性、時代性、歴史、文化によってさまざまな形を取る可能性があります。ゆえに、手法もいろいろです。私はかつてこの教会で、アメリカの韓国人教会発祥で、日本でもいくつかの教会で成功例を見ている「家の教会」という牧会の方法を採り入れることを検討したことがありましたし、また、保守バプテスト同盟のかなり多くの教会が、C-BTEという、信徒が神学的に考えることで教会形成の主体となるように訓練するプログラムを採り入れています。これももとはといえばアメリカで開発されたプログラムです。現在、うちの教会の週報に毎週連載している「バプテスト教理問答書」も、カテキズムという、17世紀のイギリス以来の、プロテスタント教会の伝統的な信仰教育の方法を踏襲しています。  私自身はといえば、1999年に神学校の最終学年にいたとき、サラン教会という教会で有給の神学生をしながら、主任牧師の玉漢欽牧師のもとにいて、その牧会チームの実践した「弟子訓練」というものを信徒に交じって体験し、同時に、弟子訓練を日本の諸教会に普及させる働きのお手伝いをしていました。この、サラン教会の実践していた弟子訓練は、教会というものの本質に忠実であろうとした極めて壮大な取り組みであり、韓国のみならず、日本も含めた、世界の多くの教会に影響を与えました。  しかし、それから四半世紀以上が経過して私自身が感じることは、弟子訓練という「教え方」以上にもっと大事なものは、「教える人」自身がほんとうに主の弟子になり切れているかどうか、ということであるということです。そしてさらに気づかされたことは、主の弟子は、プログラムさえよかったらそれでひとりでに生み出されない、ということです。これは、サラン教会発祥の弟子訓練にかぎらず、家の教会にも、C-BTEにも、カテキズムにも、同じことが言えると思います。  それは、テモテへの手紙第一4章6節に書かれているとおりです。このみことばは、この働きをしなければ、下手をするとあなたは救われません、という意味ではありません。もともとテモテは救われています。救われているからこそ、主の働きをすることができる、当たり前です。  しかし、この働きを続けることで、テモテのことを救ってくださった主のその救いを完成する歩みをする、だからこの働きを続けなさい、ということもまた真実です。それは、人々を救いに導き、救いにふさわしい生活のうちにとどまらせる、という、それこそ牧会と教会形成の歩み、言い換えれば、人をキリストの弟子とする歩みです。  「イエスさまの十字架をひとたび信じさえすれば救われるんだから、何をしても許される!」とうそぶき、自堕落な生活をしているならば、そういう人の語るみことばなど、中身のないむなしいものにしかなりません。そりゃ、ヘブル人への手紙13章5節のみことばに照らせば、救いを失うということはないのでしょうが、救われた喜びにふさわしい生き方から程遠い歩みをしているなら、そういう人に救いの喜びなどあり得るでしょうか。そんな歩みを、神さまは喜んでおられるでしょうか。  だから、まず自分自身を主の弟子として訓練する歩みをしようとしないで、自分こそが主の弟子の模範であるかのように振る舞うなら、それはごまかし、ハッタリでしかありません。自分自身を主の弟子として訓練もしないで、人様のことを訓練してみたところで、ほんとうの意味で弟子訓練の教会形成ができるはずもありません。その後、弟子訓練による教会形成というコンセプトの普及が、驚くほど衰退したのは、まさにここに理由があったからだと考えます。  私は弟子訓練による教会形成の召命をいただいて26年になりますが、その間、私自身も何度となく主の訓練に入れられ、弟子訓練が主の召命ならそれに従順になりたいものの、その導き手としてまだまだふさわしくない自分自身の姿を何度となく思わされ、そのたびに主のあわれみにすがりつつ、ここまでまいりました。この、自分自身の体験から心から申しあげたいのは、「まず私たちが主の弟子になりましょう、そうすれば、主が私たちのことを、人様を主の弟子にする働きにお用いになる道が開かれます」ということです。  私はかつて、弟子訓練を標榜する教会プログラムに、私なんかよりよほど一生懸命に取り組んでいた人たちが、もはやその頃の信仰告白など見る影もない歩みを今やしているのをいろいろ見聞きしていて、それを考えるにつけ、弟子訓練は人生の一時期に集中して取り組みさえすればそれで充分なんて、そんなものじゃないなあ、としみじみ思います。そう、人はみことばという鏡で自分の姿を見て、こんな自分じゃいけないと悔い改めるのはいいものの、みことばを離れたら、いとも簡単に、そんな自分であることを忘れてしまうものです。  だから、みことばは毎日お読みし、毎日行いつづける必要があるのです。みことばにかなわない悪い習慣が確実に自分の生活の中に陣取っていると知ったならば、悔い改めて、聖霊さまの助けによって、主のあわれみにすがってそこから離れ、もっとみこころにかなった歩みをすることに時間とお金を使うように、生活の優先順位を変えていただくべく祈って、取り組む必要があります。  ディボーションというものはだから必要なので、それに取り組むことでなにやらたましいがきれいになり、ほかのクリスチャンよりも霊的ステージが上がって、より主の弟子らしくなり、神さまに認められるようになるとかなんとか考えるならば、それはディボーションというものを根本的に勘違いしていることになります。みことばに教えられても、そのおしえを具体的に生活の中で実践しないディボーションなど、ディボーションと呼んではいけません。  さて、このように、自分も弟子となり、それゆえに人様を主の弟子にしていくためには、言うまでもなく、このみことばが語るとおり、「行く」必要があります。ここに立派な礼拝堂が立っているから、道行く人はいずれ、悩みがあったら立ち寄るだろう、なんて料簡では、いつまでたっても主の弟子は生まれません。そもそもその態度でいつづけることは、主への不従順です。行かなくてはならないのです。  ここに、結婚という人生屈指の決断を通じて、それも牧師夫人という大事な働きに献身するために、東京という、ここ茨城町とは比べ物にならないほど多くの人が密集している都会に、行く、姉妹がいらっしゃいます。  私も36年になるクリスチャン生活をとおして、日本や韓国を中心に数えきれないほどのクリスチャンに出会ってきましたが、バプテスマをお受けになって2年とひと月ほどの、これほどの短い間に、ここまでの決断に導かれた方をほかに知りません。しかも、そういう方が、この水戸第一聖書バプテスト教会から派遣されようとは、この派遣に教会のみなさまとともに立ち会わせていただこうとは、何という恵みだろう、と思います。  これから姉妹は、東京に行かれますので、来週の主日からは東京の教会で礼拝に出席されるようになります。水戸第一聖書バプテスト教会の教会員として、ここ茨城町長岡の礼拝堂でともに主日礼拝をささげることも、主日のお交わりのときを持つことも、今日までです。それはさびしいと思うべきでしょうか。もちろん、さびしいと思う私たちの気持ちまで否定することはありません。しかし、ここから、姉妹を花の大都会、東京で素晴らしい宣教の働き、教会形成の働き、すなわち、キリストの弟子を見出し、訓練する働きに遣わすことができるのですから、私たちは涙をこらえて、心から喜びましょう。派遣されるのは主です。私たちはそのみこころに従順になるのみです。主に栄光がありますように。  そして、私たちにも、東京ほど遠くはないにしても、主がお遣わしになっている、生活の現場があることを覚えましょう。そこで用いていただくことを祈り求めましょう。そしてふと、姉妹のことを思い出すことがあったら、負けずに弟子づくりの働きに用いられるものとなるように祈りましょう。  私たちも、人々をキリストの弟子とする働きに、そして、キリストの弟子として歩ませつづける働きに、派遣されています。だから私たちは、そういう立場であることを絶えず確かめ合いましょう。そして、その歩みをするために、日々お祈りし、みことばをいただいて、御霊なる神さまの助けをいただきましょう。

救霊の敵、それは不信仰

聖書箇所:マタイの福音書28章11節~15節 メッセージ題目:救霊の敵、それは不信仰  以前、このメッセージの時間にお話しした、吉永小百合さんと大泉洋さんのダブル主演の映画「こんにちは、母さん」。東京スカイツリーの近くにある「墨田聖書教会」という教会、東京の下町にあるカマボコ兵舎をリノベーションした面白い礼拝堂がメインの舞台として登場するあたり、時代設定が令和でも作品に漂う雰囲気がかなり懐かしいという、不思議な作品なのですが、それもそのはず、監督があの、山田洋次さんです。  山田洋次さんの代表作といえばなんといっても「男はつらいよ」です。あの主人公、寅さんはやたら名言の多いキャラクターですが、その中でも代表的な名言といえば、私はこれだとおもいます。「それを言っちゃあおしめえよ。」旅からふらりと、おいちゃんの団子屋に顔を出して、しばらく居座ったと思ったら、寅さんのことだからまたまた不始末をしでかす。怒ったおいちゃんが、寅さんの育ちのことをあげてなじる。すると、それを聞いて心底傷ついた寅さんが言う。「それを言っちゃあおしめえよ。」そして、また旅に出てしまう。  聖書は、人間的な常識では、理解しようにもできない記述に満ちています。箴言のような、人類に普遍的な道徳律を説くみことばはともかく、創世記1章1節からして、もう、無神論、進化論という、この世界の常識と正面衝突します。しかし、そういう箇所をあげて、「聖書に書いてあることなんて、ありゃ、嘘だよ……」なんて言っては、「それを言っちゃあおしめえよ」です。永遠のいのちを探求する歩みを、そんなことで「おしめえ」にしないでいただきたいのです。  イエスさまの復活、このみことばを、イエスさまの十字架の記述とともに、真実と受け入れることができたならば、その人は救っていただけます。永遠のいのちをいただけます。事はたましいの救いという重大なことなのです。私たちは、みことばを疑わずに信じ受け入れる信仰を保たせていただけるならば、実に幸いなことです。  さて、その、イエスさまの復活の記述。先週学びましたみことばで、イエスさまのお墓へと墓参りに来ていた女性たちが、復活のイエスさまに出会うという恵みを体験したできごとから学びました。実は、このお墓は、番兵が警固していました。  なぜ、番兵がここにいたのか? というと、そう、マタイの福音書27章62節から66節に、その事情が語られています。……まず、62節。祭司長とパリサイ人がピラトに陳情に行きました。そう、ぐるになってイエスさまを十字架に葬り去った、ユダヤの宗教社会を牛耳る存在です。その日は備え日の翌日とあります。これは、安息日である土曜日のことです。本来ならこの日には、宗教指導者が会合を持つことはしません。しかし、この日にかぎっては、彼らは集まりました。当然、この会合は彼らにとっては「仕事」に類するものでしょう。あれほど、安息日を犯してはならないと語っておいて、自分たちは肝心なときには仕事をするのか、と突っ込みのひとつも入れたくなりますが、ともかく彼らはともに集まり、63節、64節のとおりに陳情しました。  彼ら宗教指導者たちは恐れていました。何を恐れたのでしょうか。それは、イエスさまがおっしゃった「わたしは三日後によみがえる」というおことばがかなったように、お墓が開いてイエスさまのご遺体がなくなることです。それによって、イエスさまの弟子たちが、イエスさまのおことばどおりのことが起きたぞと言いふらして、今度こそユダヤの民心を宗教指導者たちから離れさせ、宗教指導者たちの既得権がすっかりなくなってしまうことになりかねません。   ピラトは、宗教指導者たちの言うことを聞き入れ、番兵に墓を守らせる許可を出しました。これは、新改訳聖書ではローマの番兵、聖書協会共同訳ではユダヤの番兵のように読めますが、どちらにせよ、ピラトのローマ総督としての権威によって派兵し、墓を封印し、警固させたことは確かです。  ピラトがイエスさまを十字架につけた理由は、ユダヤ人の機嫌を取るためであったことは、みことばの語るとおりですが、このときもまた、ユダヤ人の機嫌を取ることで、事を収めようとした様子がうかがえます。  また、ピラトにとっては、別の意味での保身の表れともいえるでしょう。カエサルのほかにいなかったはずの王が実は生きていた、これこそがユダヤ人の王だ、と、いよいよ民衆が信じるようなことにでもなったら、こんどこそピラトの首が危なくなります。ピラトとしてはなんとしてでも、そんな事態が起きてはなりません。3日間でいい、墓さえしっかり守り切れれば、このピンチはしのげる、ピラトにはそんな計算もあったわけです。  しかし、結果はどうなったでしょう。大きな地震が起こって、封印もろともお墓は開いてしまいました。中にはイエスさまはおられませんでした。その代わり、稲妻のように輝く顔で、雪のように白い衣をまとった御使いが現れました。あまりの光景に、番兵たちは恐ろしさのあまり震え上がり、死人のようになりました。気絶したということでしょう。百戦錬磨の屈強な番兵を倒すほどの、栄光に輝く主の臨在です。  しかし、気絶したとはいえ、イエスさまのご遺体が納められていたはずのお墓がたいへんなことになったことは、番兵自身がよくわかっていました。これはちゃんと報告しなければならないことです。しかし彼らは、ピラトのところではなく、祭司長ら、宗教指導者たちのところに行きました。  もし、のこのことピラトのところに行って報告でもしようものなら、彼らはその責任を問われるに決まっています。下手をすると死刑です。そんな彼らは宗教指導者のところに行きました。元はといえば宗教指導者たちが、常識的に考えてもあり得ないようなこと、イエスが3日目に墓から出ていくかもしれない、などと騒ぎ立てなければ、同じくあり得ないようなこと、墓を3日間も大真面目に警固する、なんてことをしなくて済んだわけです。それで夜を徹して墓を警固したら、地震が起こって墓が開くわ、自分たちは気絶してしまうわ、おかげでイエスさまのご遺体がなくなったことの責任を問われることになるわ……踏んだり蹴ったりとはこのことです。どうしてくれるのですか、と、そのように仕向けた者たちに直訴することにもなるわけです。  また一方で、番兵たちは、輝く御使いという、世にも不思議な存在を見ています。宗教指導者たちはこういうことの専門家でもありますから、彼らにこの事実を知ってもらい、それがイエスさまのみことば、ご自身が三日目によみがえるというみことばの成就であるかどうかということ、ゆえに、彼らがこれまでの考えを変えて、イエスさまこそは、聖書に預言された救い主、王の王ではないだろうか、ということを考えさせる材料を提供する、という意味もありました。  番兵のこのことばに、祭司長たちは民の長老たちとともに集まり、協議しました。その結果、彼らがしたことは、多額の金を用意し、それで番兵たちを買収することでした。番兵たちにはこう言い含めました。13節です。  しかし、もしこの指導者たちが言うようにピラトに伝わったら、番兵を出してやったピラトの面目は丸つぶれです。今度こそ番兵は責任を取らされることにもなりかねません。そんな番兵たちに、祭司長たちは、心配するな、私たちがピラトをうまく説得してやる、と言います。  ピラトが、ユダヤの民心を買おうとイエスさまを十字架につけたことはすでにお話ししたとおりですが、それに飽き足らなかったユダヤの指導者たちは、番兵を出せ、さもなくばもっとユダヤは混乱するぞ、と、ピラトをコントロールしたわけでした。そんな彼らには、この空(から)の墓の件に関してもピラトを手玉に取ることなどできるはずだ、という計算があったものと思われます。  彼らの思惑は当たりました。この謀議の結果、ユダヤ人の間には、イエスさまのご遺体を弟子たちがやって来て盗み、それを、イエスさまがみことばどおりに復活したと言いふらしているだけだ、という噂が、広く伝わることになったのでした。そしてこの噂の存在は、いかにもありそうな話だ、というわけで、初代教会の福音宣教に対する大きな妨げとなったであろうと考えられます。  ここで、問題にしなければならないことは何でしょうか。それは、これほどまでの証拠、証言を前にしてもなお、イエスさまの復活を頑として認めず、そればかりか、嘘の話を拡散して、人々にイエスさまの復活を信じないようにさせた、宗教指導者たちの頑ななまでの不信仰です。  このたくらみをした者たちは祭司長たちが中心だったようですが、イエスさまへの不信仰ということにおいては祭司長たちに引けを取らない、パリサイ人に対し、イエスさまはこんなことをおっしゃっています。マタイの福音書23章13節。彼らは、イエスさまの復活を聞き及び、それがイエスさまのおっしゃっていたとおりのことだったことを認めざるをえなかったのに、それをかたくなに拒否し、しかもそればかりか、人々に嘘を吹き込みました。こうなると人々は、無学な十二弟子と宗教指導者たちのどちらの言うことを信じるのか、という選択を迫られることになり、そうなると、高い地位を得ている宗教指導者は極めて有利でしょう。しかしその結果、人々は金輪際、復活のイエスさまに出会えないことになってしまいます。  みことばを教える立場の人は、なぜ責任が重大なのでしょうか。それは、決して大げさな話ではなくて、その人が教えるみことばの教えいかんによって、それを聞いた人のいのちが左右されるからです。ヤコブの手紙3章の戒めは、それゆえに重大な意味を持ちます。  聖徒はみことばの教師をそうと信頼して教えを受けるわけですが、その際、眉にたっぷりつばをつけて聴くような態度は基本的に取りません。そんなことは神さまに喜ばれないとわかっていますし、だいいち、失礼です。だから、みことばに素直に耳を傾けます。しかしその分、信徒は教師の語ることばに、その霊的状況が大きく左右されることになってしまいます。けっして眉に唾をつけるとかではなく、普段からきちんと聖書を学ぶ癖をつけて、聖書的ではないメッセージを聞き分ける訓練ができている人ならいいのですが、みんながみんなそういう人というわけにはなかなかいきません。詐欺師的な教師は、そこに目をつけて、信徒が素直で熱心なわりに自主的に聖書を学ぼうとしないのをいいことに、でたらめなことを教えます。  その結果、特に教師が並外れたカリスマ性を持つような人だったりしたら、信徒はぞろぞろとついてくるかもしれません。しかし、その語ることばがイエスさまの福音を指し示していなかったならば、信徒たちはもちろん、そういう間違った導きをした、教師もまたさばかれることになります。  そのように、さばかれるに値する導きを教師がしてしまうのは、教師自身の中に、みことばの啓示する福音を正しく受け入れようとする心がなく、自分の聖書解釈に固執する、頑なさがあるからです。頑なな人はどうしようもありません。いかに正しい聖書解釈を聞かされても、正しいのはあくまで自分の聖書解釈だと信じ込み、そのとおりに振る舞うのですから、どうしようもありません。そしてこういう人は迷惑なことに、人のこともこの教えに染めていくわけです。これは、福音宣教の強敵です。  このような、ゆがんだ聖書解釈に固執するならば、それこそマタイ23章13節のように、この聖書解釈を聞かせた人もろとも救いから漏れてしまうわけですが、そういう意味でも、よく「異端」と言われているものが実に罪深いわけです。「異端」にもそれなりの超常現象が伴うこともありえると私は思いますが、だからといってそれがイエスさまのみわざかといえば、それはそうとはかぎらない、というべきでしょう。ヨハネの手紙第一4章に書かれているとおりです。彼らは、どうだ、ここに神の臨在があるぞ、とばかりに、論より証拠で迫りますが、みことばにふさわしい「論」のない「証拠」など、どんなことがあっても信じ受け入れてはなりません。自分が救いを失いかねませんし、もっといえば、私たちがもし仮にそうなってしまったら、そんな私たちに影響を受けた人たちのことも、もろとも滅びに追いやることになるからです。  さて、イエスさまの復活が事実だと都合が悪い、というのは、この箇所に限っていえば、ユダヤの宗教社会の既得権益を握っていた層でしたが、およそ私たちクリスチャンが戦うべき相手は、イエスさまの復活が事実だと都合が悪いと考える存在です。それは一見すると、この祭司長たちのような目に見える勢力と思えますが、そのようにとらえるならば、それは氷山の一角です。  エペソ人への手紙6章12節にあるとおりです。そう、私たちの戦う相手はサタンであり、その手下である悪霊どもです。彼らにとって、イエスさまが復活されたという事実ほど、都合の悪いものはありません。なぜならばイエスさまの復活によって、自分たちが永遠に敗北した、永遠に滅ぼされたことが確定したからです。以来、サタンどもは2000年にわたって、いかにしたらイエスさまが復活したことを人々に気づかせないようにできるだろうか、人々に認めさせないようにできるだろうか、あらゆる策略を弄してきました。  そう考えると、イエスさまの復活を否定する異端ですとか、自由主義神学ですとか、無神論に根差したこの世の常識ですとか、そういったものは、それを信じ受け入れさせることによって、人々をイエスさまの復活のいのちにあずからせなくし、一人でも多く、自分と永遠の滅びをともにさせようとするサタンの策略であることが見えてきます。むろん、彼らに愛がないとは言いません。思いやりがないとは言いません。彼らにだっていい人はいっぱいいます。しかし、もっとも大事な、イエスさまの復活に対する信仰を持つことができないほどに、彼らは頑なにさせられているのです。  ここに私たちは、神さまの恵みを求める信仰を持つべきであることが教えられます。あのパウロを見てみましょう。初代教会を破壊して回ったパウロが救われ、使徒となるなど、ステパノの石打ちの現場にいた人たちは、いったい想像できたでしょうか。まったく、神さまの恵みではないですか。  私たちは周りの人たちを見て、たやすく諦めてはいませんか。こんな人が救われるなんてありえない、とか。しかし、そんな思いになるなら、まず私たち自身が、復活のイエスさまをはっきり見ているか、目が閉ざされていないか、目が閉ざされた自分のことをなんやかんや言って正当化していないか、振り返ってみましょう。そして、祈りのうちに、イエスさまの復活の力に満たしていただきましょう。  およそ、私たちの生活というものは、復活のイエスさまのいのちが生きることです。ガラテヤ人への手紙2章20節にあるとおりです。そこから、人々を、復活のいのち、永遠のいのちへと生かすのです。この魅力ある生き方は、イエスさまの復活という事実が突きつけられてもなお頑なに認めず、そればかりか、その事実を嘘のニュースを拡散することで否定し、人々を救わせないようにした宗教指導者の生き方の対極にあるものです。  最後に、ヨハネの福音書9章39節の、イエスさまのみことばをお読みします。私たちがイエスさまの復活を信じ受け入れる、見えるものとしていただき、さばきから免れさせていただいていることに感謝するとともに、人々が復活のイエスさまを見ることができるように、主の恵みを祈り求めましょう。