羊飼いのクリスマスを、私たちにも。

聖書箇所;ルカの福音書2:8-20/メッセージ題目;羊飼いのクリスマスを、私たちにも。 みなさん、クリスマスおめでとうございます。 クリスマスといいますと、みなさんはどのようなイメージをお持ちですか? なにやら美しい、なんだかわくわくする、そんなイメージを思い浮かべる方が多いのではないかと思います。 昨年来のコロナ下で、そんなことも言っていられない……私たちは憂鬱な毎日を過ごしてきました。せめてクリスマスくらいは、ぱーっと明るくなりたいものです。でも、クリスマスはなんでうれしいのでしょうか? なんでめでたいのでしょうか? イエス・キリストは、2000年前のユダヤでお生まれになりました。当時ユダヤは、ローマ帝国の属国でした。なにやら世界史の授業みたいで恐縮ですが、ちょっとおつきあいください。イエスさまのお誕生のとき、ローマ帝国では、皇帝アウグストゥスによって、すべての国民は本籍地に行って住民登録をするように命じられていました。ユダヤの人も例外ではありませんでした。 それでマリアとヨセフも、家のあるナザレからはるかかなたのベツレヘムまで、旅をしてきたのでした。彼らの先祖はイスラエルの歴史に名高い王さまダビデ、そのダビデの町がベツレヘムなので、彼らはベツレヘムまで行かなければなりませんでした。 そして、マリアのおなかの中には、赤ちゃんがいました。そう、その赤ちゃんこそイエスさまです。そのような中ではるか荒野を旅しなければならなかったのでした。余計に大変でした。 やっとのことで、彼らはベツレヘムにたどり着きました。でも、どこに行っても、宿屋は満員で、どこにも泊まることはできませんでした。しかたがなくて泊まったのは、馬小屋です。そのとき、マリアは赤ちゃんを産みました。馬小屋の中でイエスさまは生まれました。世界で最初のクリスマス、それは、いま私たちの知っているクリスマスとは程遠い、真っ暗で臭くて汚い馬小屋のできごとでした。 その、世界で最初のクリスマスに立ち会えた人たち、それは、羊飼いたちでした。今日私たちが生きている社会にも差別というものがあります。同じように、当時のユダヤにも差別はありました。羊飼いというものは、社会からのけ者にされている人たちの就く仕事でした。犯罪者、罪人扱いされている人たち。ほかのユダヤ人と一緒に礼拝に行くこともできない、嘘つきというレッテルを貼られている人たち。だから、裁判で証言することもできない。住民登録のことを申しましたが、ほかのユダヤ人とちがって、羊飼いは住民登録もさせてもらえませんでした。要するに羊飼いとは、ユダヤの宗教の世界からは疎外され、ローマ帝国の国民扱いもしてもらえない人たちだったのです。差別されて、疎外されている人たち。 その日もそんな羊飼いたちは、夜通し、羊の番をしていました。羊泥棒や野獣から群れを守るために、眠ることもできません。そんな時……突然、天使が現れ、まばゆい光にあたりが照らされました。羊飼いたちは突然のできごとに、恐ろしくなりました。 しかし、天使は恐がっている羊飼いたちに言いました。恐がってはいけません。私は、うれしいニュースを伝えに来たのです。……きょう、ダビデの町、ベツレヘムで、あなたがたのために、救い主、主キリストがお生まれになりました。その救い主は、布にくるまって飼い葉桶の中に寝かされている赤ちゃんです。 馬小屋の中、飼い葉桶の中に寝かされている赤ちゃんだなんて、なんて貧弱な格好なことでしょうか。でも、このお姿が、救い主の印だというのです。神の御子という天の輝く栄光を捨て、馬小屋のような、社会の最底辺のようなところに赤ちゃんとしてお生まれになったお方、このお方こそ、私たちのことを罪から救ってくださる救い主です。羊飼いたちはそれをその目で見たのです。 この世の最底辺に追いやられていた羊飼いたちにとって、それはどんなに大きな慰めとなったことでしょうか! 私たちはこのように、この世の最底辺まで降りてきてくださったキリストを礼拝するために、本日クリスマス礼拝のひと時をお持ちしているのです。 そして天使のことばに引き続いて、大勢の天使が現れ、神さまをほめたたえる讃美の歌を大合唱します。天においてはすばらしい栄光が神にあるように、地上においては神のみこころにかなう人に、平和があるように! やがて天使たちは天に帰っていきました。あたりは再び真っ暗になりましたが、羊飼いたちは互いに言いました。さあ、ベツレヘムに行こう。主が私たちに知らせてくださったこのできごとを見に行こう。羊飼いたちは急いで行きました。あとは、赤ちゃんがいる馬小屋を探すだけです。ほどなくして、羊飼いたちはマリアとヨセフ、そして生まれたばかりのキリストを捜し当てます。みんな、天使の告げたとおりでした。羊飼いたちは神をほめたたえながら帰っていきました。 この世は、出世すること、お金持ちになること、人に認められることを、人生の目標、また最高の価値のように教えます。しかし、あの時代の羊飼いたちは、どんなに頑張ってもそのような人になることができませんでした。彼らは、絶望を宿命と受け入れて生きるしかありませんでした。しかし、神さまは、そんな羊飼いのことを、救い主のお生まれに立ち会うように選んでくださったのでした。彼らはどれほどうれしかったことでしょうか! そして、羊飼いを選んでくださった神さまは、私たちのことも選んでくださいます。これが、聖書のメッセージです。この教会に普段集う私どもは、神さまに選んでいただいた者であるという自覚をもって日々過ごしております。自分たちは選んでいただいたけれども、それはなにかいっしょうけんめい努力したからとか、なにかいい行いをしたからではありません。ただ、神さまが一方的に私たちを選んでくださり、イエス・キリストの救いを信じる信仰を持たせてくださったと信じています。私たちは、神さまが私たちのすべての罪のために、ひとり子イエス・キリストを十字架につけてくださったことを信じるだけで救われるのです。救われるためには信じるだけ、そこには何の行いもいりません。 そして、この信仰を持てることは、神さまの一方的な恵み、プレゼントです。だから、神さまとその救いを信じているからといって、私たちは何か自分が特別だとか、自分のことを誇ることなどできません。ただ謙遜に、神さまが私たちを愛してくださるこのあふれる愛と恵みにあふれて、神さまと隣人にお仕えするのみです……。救い主の誕生に立ち会わせていただいた羊飼いのように、私たちも、特別に選んでいただいたことに感謝して、神さまをほめたたえる生き方を目指しております。 私どものこの生き方は、世の中の多くの人の目指すような、出世することとか、お金持ちになることとかとは、異なる生き方であるかもしれません。しかし私たちは、この生き方こそが、最高の生き方であると信じています。 羊飼いを最初のクリスマスをお祝いする人に選んでくださった神さまは、今日ここにいらっしゃいました私たちを、ほんとうの意味でクリスマスをお祝いするために、特別に選んでくださいました。みなさん、ぜひとも今日は、この礼拝の場所を、神さまが私たちに備えてくださったお祝いの場所として、喜びをもって受け入れていただければ幸いです。