インマヌエルを祝う

聖書箇所;サムエル記第二6:12~23 メッセージ題目;インマヌエルを祝う クリスマス、私たちの救い主、イエスさまの誕生をお祝いする日です。来週日曜日はいよいよ、クリスマス礼拝の日です。その日私たちは、どんなに喜ばしく礼拝をおささげすることでしょうか! イエスさまのお誕生を預言したみことば、イザヤ書7章14節は、このように語ります。 「それゆえ、主は自ら、あなたがたに一つのしるしを与えられる。見よ、処女がみごもって いる。そして男の子を産み、その名をインマヌエルと呼ぶ。」インマヌエルとは、神はわれらとともにおられる、という意味です。神の子イエスさまは肉体を取って人となられ、人々の間に住まわれました。まさに、ともにおられる神であり、このお方がお生まれになることが、イエスさまがお生まれになる700年以上も前に預言されていたのでした。 この、ともにおられるイエスさまのお誕生をお祝いするのがクリスマスですが、私たちはともにおられるイエスさまの、その臨在の御前に、どのような姿勢で進み出るべきでしょうか? さきほどお読みいただいたみことばは、一見するとこの「インマヌエル」なるイエスさまと関係がないように見えますが、実は大いに関係があります。そのことを以下説明したいと思います。 ダビデが運び入れたのは、神の箱というものでした。神の箱は、神の臨在の象徴です。モーセの時代に、神の律法にしたがって、すでにつくられていました。これは礼拝の対象となる偶像のようなものではありませんでしたが、イスラエルはこの神の箱をとても大事にしておりました。 神の箱とは神さまの臨在そのものとも言うべき存在でした。単なる象徴を超えた存在です。そういう点で神の箱とは、インマヌエル、神はわれらとともにおられる、と唱えられるイエスさまの予表、さきがけとも言える存在です。 このたび迎えるクリスマス、それがインマヌエルなるイエスさまのお誕生をお祝いすることであるならば、私たちもそのお祝いに馳せ参じる礼拝者として、このダビデの祝宴から学ぶことができます。この祝祭を巡る3つの立場から、私たちはいかなるお祝いをするのがふさわしいか学びたいと思います。 第一にダビデの立場、それは「礼拝に導く人」です。 この祝祭を主導しているのは、祭司のような宗教指導者ではありませんでした。ダビデでした。ダビデが王としてのリーダーシップを発揮しつつ、この祝祭を導いていたのでした。 しかし、ダビデは王としての権威をまとった形で、この祝祭を導いていたのではありませんでした。亜麻布のエポデを身に着けていた、とあります。王服ではありません。祭司としての服装です。祭司、つまり礼拝者として、神さまの臨在の前に出ていっていた、ということです。 しかし、このエポデは祭司が身に着けるようなきらびやかなものではなく、亜麻布でできていました。亜麻布のエポデといえば、まだ幼い日のサムエルが祭司の見習いとして身にまとっていたものでもあります。つまり、王さまとはいえ、子どものような礼拝者、主に仕える者としての姿勢を、その服装からして存分に示したのでした。 あなたがたは、王である祭司、というみことばが、ペテロの手紙第一にあります。王である祭司、これが私たちなのです。まさに、王であり祭司である姿で神さまの御前に出たダビデの姿は、この私たちの象徴とも言えます。 さて、では、主の民を祝祭に導くダビデの立場は、教会に当てはめればだれになるでしょうか? 私はここで、祝祭に導くダビデとは、私たちひとりひとりであると申し上げさせていただきたいのです。今申し上げましたとおり、あなたがたは王である祭司、と語られている以上、私たちは王の役割を果たし、祭司の役割を果たす存在です。そんな私たちは、このダビデを模範とするのです。そのダビデが民を導いて、率先していけにえをささげ、力のかぎり喜びおどるならば、私たちひとりひとりこそが人々を祝祭に導く存在と言えるはずです。 イエスさまのお誕生、インマヌエル、主が私たちとともにいてくださる、ということは、私たちにとって、人々を喜びに巻き込みたくなるほどの大きなできごとです。あの、民に率先して跳ね回るダビデは、私たちの目指す姿なのです。このクリスマス、すでにイエスさまによって救われている者たちとして、人々を喜びに導き、喜びに巻き込む礼拝を率先してささげる私たちとなりますように、主の御名によってお祈りいたします。 第二の立場です。それは民の立場、ともに礼拝をささげる人々です。 ダビデはこの、主の箱を運び入れることを、ひとりで行なったのではありません。イスラエルの全家とともに、群衆とともに行いました。つまりこれは、王家の祝福にとどまることではなく、イスラエル全体の祝福ということであったのです。イスラエルはこの祝福をいただいているものとして、ダビデの町に集まり、ともにこの祝祭に参加したのでした。 ともに礼拝をささげる人たちも、いろいろな人たちがいました。神の箱を担ぐ祭司たち、角笛のような楽器で賛美を盛り上げる人たち、祭壇をつくる人たち……しかしなんといっても、だいじなのは、ともに礼拝をささげ、盛り上げる群衆たちでした。ここでわかることは、礼拝において奉仕者とともに大事なのが、そのものずばり、「礼拝者」の存在、ということです。 私たちは普段の生活において、自分が礼拝者であるという意識を持っていますでしょうか? 当教会は何年にもわたって、聖書通読を奨めてまいりましたが、それは、普段の生活においても、私たちがみことばの前に整えられ、きよい、生きた供え物として人生を送ることを願っていらっしゃる神さまのみこころにお応えすることを目指すからです。私たちの生き方そのもの、それが礼拝というわけです。 その礼拝の究極のかたち、それが、今こうしてともにおささげしている礼拝です。安息日として、この日曜日、主の日を聖別し、しっかり礼拝をおささげすることで、私たち主の民がともに礼拝者の群れとして整えられるのです。 さて、このように神の箱の前で歓声を上げた民のことをもう少し考えてみましょう。彼らはひとりでは、このような礼拝をささげることはできませんでした。ともに! これが大事なのです。礼拝は、ひとりでつくるものではありません。もちろんそれは、礼拝というものが信徒のみなさんのいろいろな奉仕を必要としているということでもあります。しかしそれ以前に、礼拝開始の時間からともに礼拝をささげる、このことがとても大事であると、あらためて申し上げさせていただきたいのです。あえて多くのことを要求することはいたしません。ともにその場に座り、礼拝をささげるだけで充分です。インマヌエルなるイエスさまがともにいてくださっているという喜び、それを礼拝という場でみなさんが体験してくださるならば、こんなにうれしいことはありません。 第三の立場、それは、ミカルです。礼拝をささげず、冷笑的になる人です。 ミカルは、このパレードが入ってきたとき、どこにいたのでしょうか? 窓から見下ろしていた、とあります。高い所にいて、そこで心の中でダビデのことをさげすんでいたわけです。まさに、上から目線です。そしてミカルは、ダビデを心の中でさげすむにとどまりませんでした。戻ってきたダビデに、言い放ちました。20節です。…… ミカルとはもともと何者だったのでしょうか。先王サウルの王女です。サウル王の王女として、蝶よ花よと愛でられてきた人です。それだけプライドもありました。かつては勇士として名を馳せるダビデに惚れて結婚した者でしたが、その愛情はサウル王家の王女としてのプライドに勝つことはありませんでした。裸踊りする王さま? くだらないわ! ダビデは、そんなミカルの心を見抜いていました。それで、このように言いました。21節です。……ダビデは、ミカルの父親であるサウル王、そしてミカルの属する家系を精いっぱい尊重しつつ、それでも私を王として選んでくださった神さまの御名をほめたたえ、喜び踊るのであると語ります。 それに続きダビデは、ミカルのさげすむことばを引き取るようにして、逆説的なことを語ります。22節です。……私は神さまの前に、もっと、もっと、子どものようになるだろう。あなたはますます、そんな私のことをさげすみ、卑しめるだろう。しかし、あなたの言うところの女奴隷たちは、そんな私のことをますます敬うのである。 女奴隷たちは、自分が低くされていることをよくわかっています。そんな彼女たちは、神さまが素晴らしいあまり、自分のところにまで、いや、自分より低いところにまで下りてきてくれるダビデのことを、なんてすばらしい王さま! と、敬わずにはいられないのである、ということです。その尊敬の念は、王女であり、王妃であることを鼻にかけて、夫である王のことも見下すようなプライドの塊ミカルには、決して湧き上がってこないでしょう。 23節、6章を締めくくるみことばによれば、ミカルには死ぬまで子どもがなかった、とあります。当時のイスラエルの常識からすれば、子どもがないということは恥でした。神さまの祝福が臨んでいない、ということを象徴するようなことです。このことは、2つの可能性を考えさせます。ひとつは、このミカルの発言がきっかけで、神さまはミカルから子をなすという祝福を取り去られた、ということ、もうひとつは、このできごとをきっかけにダビデとの間の愛情がすっかり冷め、もはや夫婦関係を持つどころではなくなってしまった、ということです。 しかしいずれにせよ、このようなことを考えるミカルから、ダビデとサウルの血を同時に引く子どもが生まれなかったことは事実であり、それは考えようによっては祝福でした。このようなミカルに育てられた王子は、いったいどのような子どもに育つでしょうか。それが長じてイスラエルを治める王になったら、イスラエルはいったいどうなったことでしょうか。 さて、ミカルにおける、神の臨在インマヌエルに対する冷笑的な態度、これはなんと、約1000年後に、そっくり同じ場所、ダビデの町で繰り返されることになりました。ダビデの町、そう、それはベツレヘムです。この時もダビデの町は、人々であふれていました。しかしそれはイエスさまのお誕生をお祝いするためではなく、ローマ帝国の住民登録という、至って人間的な用件を人々が済ますためでした。この人々はみな、その本籍地がベツレヘムにあったということは、先祖はこのダビデの町の人だったということであり、この神の箱が運び込まれたとき、その盛り上がる群衆の中に、彼らの先祖はいたということになります。しかし時が下り、ほんとうのインマヌエルなるイエスさまがベツレヘムに来られたとき、人々は宿屋の部屋を譲ってあげることさえしませんでした。暗くて汚い馬小屋に、救い主を追いやったのです。 これが、人というものの姿です。救い主が生まれようと、神さまがインマヌエルの恵みをくださろうと、人はとても冷笑的なのです。ダビデの町ベツレヘムで、インマヌエルなる神の臨在を前にしても冷笑的な態度を取ったミカルは、1000年後の、イエスさまを受け入れなかったベツレヘムの人の姿であり、さらにそれから2000年後の私たちの姿ではなかったでしょうか。ほんとうならインマヌエルの恵みの前に喜びおどるべきなのに、喜ぶこともせず、心が覚めてしまっている。関係ないよ、勝手にやれば? という態度になってしまっている。私たちはいつの間にか、そんな中で、ただ年中行事だからという理由で、惰性のようにクリスマスをお祝いすることで済ませてはいなかったでしょうか? イエスさまは、そんな私たちなのをすべてご存知の上で、それでもそんな私たちを赦すため、十字架にかかってくださるために、この世界に生まれてくださいました。何と大きな愛でしょうか! そして、なんともったいないことでしょうか! これほどまでに私たちは神さまに愛されています。こんな私たちと、イエスさまは一緒にいてくださいます。インマヌエルの恵みです! このクリスマス、ともに喜びましょう!