コラム

コラム・ザ・ゴスペル055 2021.1.10

Author
mito
Date
2021-01-12 06:27
Views
2614
1999年、今から22年前の年末、私は神学生生活の締めくくりに日曜礼拝のメッセージをする機会が与えられ、マタイの福音書24章から、「新ミレニアムは再臨待望で」と題して語らせていただきました。まったく仰々しい題名をつけたもので、今振り返っても赤面の至りですが、みなさまご記憶でしょうか? その年1999年は、かなり以前から「ノストラダムスの大予言」なるものによれば世界の終末が来るとされていた年で、私はその「大予言」をはじめて知った小学生のとき、とても厭世的な気分になり、一生懸命勉強して大人になったところで何になる、という、虚無な思いをいだくようになったりしました。

終末に意識を向けるとき、私たちは最大限に注意すべきことがあります。それは、厭世的になって、この世から逃避するような選択をしないことです。幸い私は、聖書のみことばを信じる信仰が与えられ、世界に対して希望を持つことができるようになりましたが、希望もないままに生きていたらどうなったかだろうか、と、考えるだにぞっとします。

思えばその1999年は、環境ホルモンなるものによる汚染が叫ばれ、『買ってはいけない』という、身近な食料品や日用品による害を説いた本が大売れした年でした。あれから20年あまり、SARS、新型インフルエンザ、東日本大震災とそれに関連する放射能汚染、そして今度は新型コロナウイルス(COVID-19)流行と、日本も世界も危機に瀕してばかりです。このようなとき、私たちは再び来られるイエスさまに対する信仰はいや増すばかりですが、くれぐれも、この世界の悲惨な現実から目をそらしたり、逃げたりしないようになりたいものです。

いちばんいけないのは、神さまは私たちクリスチャンのことを特別扱いしているから、何をしても大丈夫だと考え、放縦に振る舞ったり、あるいは何もしなかったりすることです。私たちはイエスさまによって、世の光、地の塩としての指令を受けている存在です。この暗闇の世が、イエスさまという光を得て、救いの道を歩むためには、まず救われている私たちの証しのわざが不可欠です。その証しの歩みによって、イエスさまの再臨に備える私たちとなりますようにお祈りします。
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