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牧会コラム週報版 179 2024.3.24
「みっともない姿」
マルコの福音書におけるイエスさまの受難の場面には、興味深い記述が出てきます。全文写すと次のとおりです。「ある青年が、からだに亜麻布を一枚まとっただけでイエスについて行ったところ、人々が彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、裸で逃げた。」(新改訳聖書2017、マルコの福音書14:51~52)
笑うに笑えない醜態をさらした彼の正体は、この福音書を記したマルコ自身だとも言われていますが、それはともかく、いざイエスさまについていこうとするところでつまずき、みっともない姿をさらしてしまうことというのは、私たちには往々にしてあるものです。
この青年の場合、イエスさまと弟子たちの前で大見得を切ってみせてまでイエスさまについていくと誓ったペテロとはちがい、もっとふらふらと、そこまでの考えもなくついて行こうとしたのかもしれません。しかし、そんな彼も逮捕されそうになると逃げました。
しかし、人のすべての罪を負って十字架におかかりになるのは、イエスさまおひとりで充分でした。それは、「あなたが下さった者たちのうち、わたしは一人も失わなかった」というイエスさまのみことばが成就するためで(新改訳聖書2017、ヨハネ18:9。参考/ヨハネ17:12)、イエスさまはすべてを働かせて、それこそ青年やペテロの「びびる」感情さえもお用いになって、すべての人を守ってくださいました。そうして、青年を含めた弟子たちは、復活のイエスさまを宣べ伝える証人になり、私たちに至るまで、人々は福音の恵みにあずかってまいりました。
私たちはイエスさまにお従いするにあたって、お従いしきれなくてみっともない姿をさらし、自己嫌悪に陥ることもあるでしょう。しかし、イエスさまが、たとえ青年がみっともない姿をさらそうとも、ご自身とともに十字架につくことを決してお許しにならず、それこそその正体がマルコだったなら、主がその後のマルコを、それこそ福音書を記せるほどに大きく用いてくださったように、主は私たちのみっともない失敗の果ての悔い改め、従順を受け入れてくださいます。恐れずに歩みましょう。
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