コラム
コラム・ザ・ゴスペル005 2020.1.26
Author
mito
Date
2020-05-03 17:04
Views
4503
イエスさまの十二弟子の中には、復活を決して信じようとしなかった者がいました。トマスです。復活のイエスさまに出会った弟子たちの群れにたまたまいなかったことが彼の疑いの原因でしたが、イエスさまはそんなトマスにも現れてくださり、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい」と諭されました。ようやくトマスはイエスさまの復活が事実であることを受け入れ、「私の主、私の神よ」と告白しましたが、イエスさまは、「あなたはわたしを見たから信じたのですか。見ないで信じる人たちは幸いです」とおっしゃいました(ヨハネの福音書20:24~29)。
私たちはもちろん、イエスさまと直接顔と顔を合わせてお会いしたわけではありません。しかし、目に見えるだれに出会ったよりも、はるかに深い交わりを持ち、だれのことよりもイエスさまのことをもっと知りたいという思いに導かれています。何とも不思議ですが、これが信仰というものの持つ力です。
イエスさまのことを「見ないで信じる人たち」。見かけや生い立ちは至って平凡です。それが私たちです。しかし、神の霊なる聖霊によって、イエスさまを「見ないで」信じる信仰に導かれ、日々お交わりを持っている……神さまのこの特別な選びのゆえに、私たちは神さまの御名をほめたたえずにはいられません。
私たちはこの教会という場所で、この「目に見えない」ご存在に霊の目が開かれる信仰の歩みをともに歩む、そんな仲間たちに巡り会い、互いの交わりを通して信仰が深められるように召されています。そういう意味でも、教会の兄弟姉妹はだいじな存在です。
私たちはもちろん、イエスさまと直接顔と顔を合わせてお会いしたわけではありません。しかし、目に見えるだれに出会ったよりも、はるかに深い交わりを持ち、だれのことよりもイエスさまのことをもっと知りたいという思いに導かれています。何とも不思議ですが、これが信仰というものの持つ力です。
イエスさまのことを「見ないで信じる人たち」。見かけや生い立ちは至って平凡です。それが私たちです。しかし、神の霊なる聖霊によって、イエスさまを「見ないで」信じる信仰に導かれ、日々お交わりを持っている……神さまのこの特別な選びのゆえに、私たちは神さまの御名をほめたたえずにはいられません。
私たちはこの教会という場所で、この「目に見えない」ご存在に霊の目が開かれる信仰の歩みをともに歩む、そんな仲間たちに巡り会い、互いの交わりを通して信仰が深められるように召されています。そういう意味でも、教会の兄弟姉妹はだいじな存在です。
