コラム

牧会コラム週報版 081 2022.4.3

Author
mito
Date
2022-04-09 15:59
Views
1333
先週火曜日の「リビングライフ」誌の聖書箇所は、エマオ途上の弟子たちが復活のイエスさまとともに歩きながら、イエスさまにみことばを解き明かしていただく、という内容です。彼らはイエスさまの十字架と、空(から)になった墓という事実は知っていましたが、イエスさまの復活という事実にまでは思いが至っていませんでした。それゆえに、彼らは憂いに沈んでいました。

それでも彼らのそばにおられたのは、ほかならぬ復活のイエスさまでした。しかし彼らにはわからなかったのでした。それは、「彼らの目がさえぎられていた」からだと、聖書は語ります。彼らが、ともに歩んでおられるお方がイエスさまだとわかるには、目の覆いが取り除けられることを必要としました。

イエスさまは私たちとともに歩んでくださっていますが、私たちはなんと、不信仰ゆえにイエスさまが見えなくなることの多いものでしょうか。私たちもまた、目の覆いを取り除けていただくことを必要としています。私たちクリスチャンは、イエスさまから目を離さないで歩むことが求められている存在ですが(ヘブル12:2)、そんな私たちでも、ときにイエスさまが見えなくなることはあるものです。イエスさまはそのような私たちのことを、このエマオ途上の弟子たちをお叱りになったように、不信仰とおっしゃるかもしれません。しかし、主が私たちの不信仰を明らかにしてくださったならば、私たちのすることは、悔い改めて、主を見させてくださいと、大胆に主の御前に出ることです。

忘れないでください。私たちがイエスさまを見られなくなっても、イエスさまが私たちのことをご覧になれなくなることは、ただの一瞬もありません。私たちはときに、主が見えなくなって、憂いに沈むこともあるでしょう。しかし、そのような者が主と交わるべく御前に導かれたならば、その喜びはどれほどのものでしょうか。テサロニケ第一5章16節から18節にあるとおりの、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝するクリスチャンであることは、素晴らしいことですが、そうなるのは律法的な取り組みでは無理なことです。しかし、私たちから肉の覆いが取り除けられ、主と交わりつづけるならば、そのみことばのご命令にふさわしく生きることが、必ずできるようになります。
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