コラム

牧会コラム週報版 090 2022.6.5

Author
mito
Date
2022-06-06 15:35
Views
1133
先週のこの欄で、私がときに韓国教会に嫉妬のような感情を覚えることがあると率直に書きましたが、そのような感情を特に覚えるときがあるとすればそれは、韓国のクリスチャンの方々が神さまの御前に堂々と出ていく態度を見るときではないかと思います。あそこまで声を上げ、感情のかぎりをつくしてお祈りしていらっしゃるならば、そのお祈りは聴かれないはずなどない、と思えてしまうほどの迫力です。私もそのような韓国教会の環境で長年育てられてきた分、負けじと(?)声を上げてお祈りします。

そのようなお祈りが韓国でなされてきたのは、あながち、とかく感情表現を豊かにしがちな民族性、国民性に起因するからだけとは言えないと思います。ソウル日本人教会牧師の吉田耕三先生は、韓国に来る日本人のスタディツアーを案内されるとき、その最後にソウルの北にそびえる「北漢山」という山を指さし、こうおっしゃるのを常としていました。「この山の向こうが北朝鮮です。国が分断されている現実をご覧ください。あそこからいつ兵士が攻めてくるかわかりません。国家としての主権がないことがどんなに大変なことかわかりますか? 韓国の方があれだけ熱心に祈るのは、単なる感情的な理由からではないのがわかるでしょう。」韓国のクリスチャンにとっての祈りは、同胞と切り離され、いのちの危険と隣り合わせな分、日本人の私たちが考えるよりずっとリアルであり、シビアです。

私たちが祈れないのは、自分の置かれている環境を、祈らなければとても乗り越えられないほどシビアな現実ととらえきれていないからということもあるからではないでしょうか? もし、ゲツセマネの園にて、ペテロ、ヤコブ、ヨハネが、イエスさまの置かれていらっしゃる現実をしっかり認識していたならば、目はらんらんと輝いて、眠るどころではなく祈れていたことでしょう。しかし、そんな彼らも、のちには復活し昇天されたイエスさまにしっかりついていけたように、私たちのことも必ず、どんなときにも祈れるように神さまが成長させてくださいます。

しかし、これは、祈ることを切望する飢え渇きに裏打ちされたたゆまぬ努力がないと、不可能なことです。私たちは祈りたいでしょうか? それなら祈りましょう。神さまは祈ることを切望し、祈ることに執拗に取り組む者に、祈りの霊なる聖霊なる神さまの満たしと導きを、必ず与えてくださり、大いに祈れる者としてくださいます。
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