コラム

牧会コラム週報版 100 2022.8.21

Author
mito
Date
2022-08-28 12:32
Views
871
月刊ディボーション雑誌『リビングライフ』の、先週金曜日(19日)の聖書箇所である創世記10章5節のみことば、「それぞれの地に、言語ごとに、その氏族にしたがって、国民となった」というみことばが心に留まりました。11章のバベルの塔のできごとによって全世界に人々が散らされていくプロセスは、「各地へと」、「言語ごと」、「氏族ごと」であったというわけです。

私はこの箇所を読んで、遠いむかしに日本の地まで散らされたわが先祖、そこから連綿とつながる子孫の末に自分がいることを思いました。私が日本人として日本列島に、日本語を話す民として、日本民族として生きていることは、偶然ではなく、神さまの特別なお取り計らいによることなのだと。

このところこのコーナーでよく取り上げているとおり、私は、韓国ならびに韓国人が、神さまからの特別な祝福を受けていることを長年見聞きしてまいりました。そんな私は妻の前で、「ああ、自分は韓国人に生まれたかった」と、冗談半分(ということは本気半分)に語ったことがありましたが、私を日本人として生まれさせてくださった神さまのみこころを考えるならば、そういうことは軽々しく口にすべきことではありませんでした。

日本のクリスチャンは、多くの方が国際志向ではないかと思いますが(英会話教室のような国際的な取り組みから教会につながる方が多い)、私たち日本のクリスチャンはどんなに頑張っても、日本人であることをやめることはできません。私たちはむしろ、神さまがこの日本の地に、日本語を話す日本民族として、私たちのことを生まれ育たせてくださっているそのみこころを、もっと厳粛に受け止める必要があるのではないでしょうか。

もちろん私たち日本のクリスチャンは、皇民化政策という日本の偶像礼拝化に加担した先祖につながっていて、その先祖の罪を悔い改める必要があるという、民族特有の重荷を持っています。しかし、いかに日本が神道や先祖崇拝の仏教を国教のようにしているからといって、私たちが日本人であることまで恥じる必要は一切ありません。私たちはむしろ、これまでの日本のキリスト教会の歴史の中で、あまり健全な形で立てられることがなかった、日本人のクリスチャンとして生きるとはどういうことかを、ともに探求していく必要があるのではないだろうかと考えます。
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