コラム

牧会コラム週報版 114 2022.11.27

Author
mito
Date
2022-11-27 13:30
Views
921

牧会コラム週報版 114 武井俊孝

 列王記第二のみことばを見ると、イスラエルの預言者エリシャのもとにアラムの将軍ナアマンが、自分のツァラアトを治してほしいと赴いたとき、エリシャは会ってもくれず、あなたはヨルダン川で7度身を洗えばきれいになると伝言しただけでした。これに対し、ナアマンはプライドを傷つけられたと思い、一度は激怒しましたが、従者の説得によって翻意し、エリシャの言うとおりにすると、彼のツァラアトは癒やされました。

 ナアマンがエリシャに求めたように、人々は教会にいろいろ期待するかもしれませんが、究極的に言えば、私たちはイエスさまの十字架による救いという福音以上のものを提供することはできません。その代わり、私たちの提供するイエスの御名は、金銀にもまさるすばらしいものです。

 私たちは、隣人にこのすばらしいみことば、福音を宣べ伝えるため、「あらゆるしかた」をもって取り組みます。そのためには「ユダヤ人にはユダヤ人のように、ギリシア人にはギリシア人のように」なろうというパウロの姿勢が必要です。しかし、私たちが彼らに合わせてサービスをするのも、どこまでも彼らに福音を宣べ伝えることがその目的であることを忘れてはなりません。いま教会の取り組みとしては、子ども英語教室をしていますし、このクリスマスには2週にわたるコンサートを企画していますが、それはどこまでも、参加される方々に福音を宣べ伝えることがその大きな目的であることを忘れてはなりません。

 ナアマン将軍のエピソードが私たちに教えるもうひとつのことは、私たち自身が、神さまの望まれる形以外の取り組みに流れてしまう弱さを持っている、ということです。神さまが望んでおられるみこころははっきりしているのに、自分のこだわりでその具体的なみこころを受け取れなくなってしまう……そういうことはあるものです。たとえば、だれかを赦すのがみこころだとわかっていても、いや、その人を赦さないでも主に受け入れていただけるにはどうすればいいか、などと考えたりします。もちろん、赦すことは簡単ではありませんが、赦す人になれるためにお祈りするというプロセスは必須であり、主はそのようにご自身に祈ることを求めていらっしゃいます。これは一つの例ですが、私たちはこだわりで主のみこころを制限せず、私たちを通して主に自由に働いていただけるようになりたいものです。

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