コラム
変化球聖書人物伝~メフィボシェテ
Author
mito
Date
2020-12-20 07:31
Views
4089
※この文章は、2020年12月の月報から転載したものです。
メフィボシェテは、主に不従順だったサウルの犠牲になったような人物です。彼はサウルの王子ヨナタンの息子にあたり、本来ならば王位継承権においてきわめて優先的な地位にあった者です。しかし、イスラエルがペリシテとの戦いにおいてサウルとヨナタンを失ったとき、まだ5歳だったメフィボシェテはあわてて逃げた乳母の手から落ちるという事故に巻き込まれ、足に重い障がいを負ってしまいました。さらに、サウルのあとを継いでイスラエルの王になったイシュ・ボシェテ(メフィボシェテの叔父)は殺され、イスラエルの全家はサウル家に代わってダビデを王に鼎立し、もはやメフィボシェテには居場所がなくなってしまいました。
しかし、ダビデはヨナタンとの友情のゆえに、メフィボシェテに、自分の食卓、すなわち王の食卓にともにあずかることを許しました。これはダビデの一方的な厚意によるものでしたが、このときメフィボシェテは自分のことを、「(ダビデの)しもべ」と言い、また、「この死んだ犬のような私」とも言っています。滅んだ王家とはいえ、仮にも王家に連なっていた者とは思えないような発言です。
このようなメフィボシェテに関する記述は、その後数度にわたって聖書に登場します。ダビデは、もともとがサウルのしもべだったツィバとその家族を、メフィボシェテのしもべにならせました。ところがこのツィバは、のちに、ダビデが息子アブサロムのクーデターに遭って逃亡の身となったとき、ダビデのもとを訪ね、メフィボシェテは、今日イスラエルの全家はサウルからダビデに移されていた王権を、サウル家の後継者である私メフィボシェテに還してくれると言っていたと、ダビデに言いつけ、それを真に受けたダビデは、メフィボシェテの所有する財産の所有権をすべてツィバのものとするという決定を下しました。
その後、アブサロムは死んでそのクーデターは未遂に終わり、ダビデはエルサレムに再び王として帰還しました。そのとき、メフィボシェテはダビデに謁見し、実は自分はダビデ王と行動をともにするつもりだった、だが、ツィバは自分のことを王に中傷したのである、それでも、王のお気に召すままに自分を取り扱っていただきたい、自分は先王の一族ゆえ、死刑になるべき者なのに、寛大にも王の食卓に連ならせていただいている、これ以上訴えるべきことはない、と申し出ました。それを聞いたダビデは、メフィボシェテよ、くどくどと自分のことを言うな、私の考えは決まっている、ツィバとあなたで財産を分けよ、と命令を下しました。だがメフィボシェテは、あなたさまが無事にお帰りになったのですから、財産はツィバがみな取ってもいいのです、と言って、自分は王権を狙ったことに関しては潔白であると主張した一方で、財産欲しさにダビデに謁見したわけではないことを告白しました。
私はこれを「弱者の美学」と呼びたいと思います。メフィボシェテが障がい者となったのは、サウルの一族に生まれたせいだからとも言えます。しかも、せっかくダビデの好意で手にできた財産も、ダビデをだましたしもべのせいで完全に巻き上げられました。まさに踏んだり蹴ったりです。だが、メフィボシェテはそんな最弱の身の上を受け入れ、ダビデを神のように見上げて、ダビデの存在だけで満足しているかのように見えます。
私たちがメフィボシェテから学ぶことがあるとすれば、弱い身であるゆえに、意地悪なツィバのごとき世の波風に翻弄され、時には損をするようなこともありながらも、ダビデに象徴されるイエス・キリストのみを見つめ、あわれみにすがることで満足する生き方をすることではないでしょうか。結局メフィボシェテは、主従逆転したツィバではなく、父ヨナタンとの友情に根ざしたダビデの恵みを受けて生きることができたように(Ⅱサムエル21:7)、私たちも、つねに主につく者を裏切ってはばからないこの世のものではなく、この世を支配しておられるイエスさまの恵みのゆえに生きていることを、感謝して生きる必要があるのではないでしょうか。
メフィボシェテのこの「弱者の美学」は、時代が下り、パウロに受け継がれました。「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。……私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(Ⅱコリント12:10)私たちもまた、この「弱者の美学」を喜んで受け継ぎ、キリストに拠り頼んで強くしていただく恵みを体験するものとなりますようにお祈りいたします。
メフィボシェテは、主に不従順だったサウルの犠牲になったような人物です。彼はサウルの王子ヨナタンの息子にあたり、本来ならば王位継承権においてきわめて優先的な地位にあった者です。しかし、イスラエルがペリシテとの戦いにおいてサウルとヨナタンを失ったとき、まだ5歳だったメフィボシェテはあわてて逃げた乳母の手から落ちるという事故に巻き込まれ、足に重い障がいを負ってしまいました。さらに、サウルのあとを継いでイスラエルの王になったイシュ・ボシェテ(メフィボシェテの叔父)は殺され、イスラエルの全家はサウル家に代わってダビデを王に鼎立し、もはやメフィボシェテには居場所がなくなってしまいました。
しかし、ダビデはヨナタンとの友情のゆえに、メフィボシェテに、自分の食卓、すなわち王の食卓にともにあずかることを許しました。これはダビデの一方的な厚意によるものでしたが、このときメフィボシェテは自分のことを、「(ダビデの)しもべ」と言い、また、「この死んだ犬のような私」とも言っています。滅んだ王家とはいえ、仮にも王家に連なっていた者とは思えないような発言です。
このようなメフィボシェテに関する記述は、その後数度にわたって聖書に登場します。ダビデは、もともとがサウルのしもべだったツィバとその家族を、メフィボシェテのしもべにならせました。ところがこのツィバは、のちに、ダビデが息子アブサロムのクーデターに遭って逃亡の身となったとき、ダビデのもとを訪ね、メフィボシェテは、今日イスラエルの全家はサウルからダビデに移されていた王権を、サウル家の後継者である私メフィボシェテに還してくれると言っていたと、ダビデに言いつけ、それを真に受けたダビデは、メフィボシェテの所有する財産の所有権をすべてツィバのものとするという決定を下しました。
その後、アブサロムは死んでそのクーデターは未遂に終わり、ダビデはエルサレムに再び王として帰還しました。そのとき、メフィボシェテはダビデに謁見し、実は自分はダビデ王と行動をともにするつもりだった、だが、ツィバは自分のことを王に中傷したのである、それでも、王のお気に召すままに自分を取り扱っていただきたい、自分は先王の一族ゆえ、死刑になるべき者なのに、寛大にも王の食卓に連ならせていただいている、これ以上訴えるべきことはない、と申し出ました。それを聞いたダビデは、メフィボシェテよ、くどくどと自分のことを言うな、私の考えは決まっている、ツィバとあなたで財産を分けよ、と命令を下しました。だがメフィボシェテは、あなたさまが無事にお帰りになったのですから、財産はツィバがみな取ってもいいのです、と言って、自分は王権を狙ったことに関しては潔白であると主張した一方で、財産欲しさにダビデに謁見したわけではないことを告白しました。
私はこれを「弱者の美学」と呼びたいと思います。メフィボシェテが障がい者となったのは、サウルの一族に生まれたせいだからとも言えます。しかも、せっかくダビデの好意で手にできた財産も、ダビデをだましたしもべのせいで完全に巻き上げられました。まさに踏んだり蹴ったりです。だが、メフィボシェテはそんな最弱の身の上を受け入れ、ダビデを神のように見上げて、ダビデの存在だけで満足しているかのように見えます。
私たちがメフィボシェテから学ぶことがあるとすれば、弱い身であるゆえに、意地悪なツィバのごとき世の波風に翻弄され、時には損をするようなこともありながらも、ダビデに象徴されるイエス・キリストのみを見つめ、あわれみにすがることで満足する生き方をすることではないでしょうか。結局メフィボシェテは、主従逆転したツィバではなく、父ヨナタンとの友情に根ざしたダビデの恵みを受けて生きることができたように(Ⅱサムエル21:7)、私たちも、つねに主につく者を裏切ってはばからないこの世のものではなく、この世を支配しておられるイエスさまの恵みのゆえに生きていることを、感謝して生きる必要があるのではないでしょうか。
メフィボシェテのこの「弱者の美学」は、時代が下り、パウロに受け継がれました。「私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで自分の弱さを誇りましょう。……私が弱いときにこそ、私は強いからです。」(Ⅱコリント12:10)私たちもまた、この「弱者の美学」を喜んで受け継ぎ、キリストに拠り頼んで強くしていただく恵みを体験するものとなりますようにお祈りいたします。
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