コラム

コラム・ザ・ゴスペル050 2020.12.13

Author
mito
Date
2020-12-13 07:54
Views
2951
学生時代のことです。ある外国人の宣教師が集会で、礼拝に出たら眠くなるようなクリスチャンのことを嘆きながら、こんなことをおっしゃいました。「しかし、神さまの御前でないのに集中するときがあります。テレビの『御前』で……。」聴衆一同大受けでしたが、私はむしろ、これは言い得て妙だ、と思ったものでした。なるほど、御前か、たしかにテレビは、視ている人にとっては神さまに等しいものなのかも……。

テレビは、視ている人を釘づけにしながら、いとも簡単に印象操作をします。たとえばコロナ。もちろん、私たちが衛生に気をつけるべきなのは言うまでもないことですが、それ以上に、私たちは神さまが守ってくださるという信仰よりも、もしかしたらやられてしまうかも、という、不安な思いが優先してはいないでしょうか。それは不信仰ということになりはしないでしょうか。なぜならば、それは神さまよりもテレビのほうをありがたがり、真理、真実だと思うことだからです。その不信仰を形成することに、テレビは何役も買っていることを忘れてはなりません。

私は何も、テレビを視てはいけない、と言いたいのではありません。なにごともバランスが大事だ、ということです。私たちはこの世に生きているゆえに、この世の動向を知ることも大事です。ニュース番組だって視る必要があるでしょう。しかし、ニュース番組というものは、テレビ局、製作者の主観が入ってくるものだということも忘れてはいけません。それを見分ける力(リテラシー)が備わっているならば、もちろん視ることはむしろ推奨されるべきことですが、まずいのはテレビから流れる情報を鵜呑みにして、結果、神さまを見失うことです。

私たちがディボーションや聖書通読の時間を持つことがなぜ必要かといえば、私たちに対する神さまのみこころはそうしないと知ることができず、結果私たちが、みこころを守り行うことができなくなるからです。しかし、みこころを守り行うべく毎日みことばと祈りに親しんでいるなら、結果として、リテラシー、この世を見極める目が養われてまいります。私たちみながこのリテラシーを身に着け、賢く生きていくことができますようにとお祈りします。
Total 261
Number Title Author Date Votes Views
261
週報フォトエッセイ 2024.6.9
mito | 2024.06.09 | Votes 0 | Views 263
mito 2024.06.09 0 263
260
牧会コラム週報版 188 2024.6.2
mito | 2024.06.02 | Votes 0 | Views 312
mito 2024.06.02 0 312
259
週報フォトエッセイ 2024.6.2
mito | 2024.06.02 | Votes 0 | Views 292
mito 2024.06.02 0 292
258
牧会コラム週報版 187 2024.5.26
mito | 2024.05.28 | Votes 0 | Views 247
mito 2024.05.28 0 247
257
週報エッセイ 2024.5.26
mito | 2024.05.28 | Votes 0 | Views 217
mito 2024.05.28 0 217
256
牧会コラム週報版 186 2024.5.19
mito | 2024.05.28 | Votes 0 | Views 218
mito 2024.05.28 0 218
255
週報フォトエッセイ 2024.5.19
mito | 2024.05.28 | Votes 0 | Views 192
mito 2024.05.28 0 192
254
牧会コラム週報版 185 2024.5.12
mito | 2024.05.28 | Votes 0 | Views 227
mito 2024.05.28 0 227
253
週報フォトエッセイ 2024.5.12
mito | 2024.05.28 | Votes 0 | Views 190
mito 2024.05.28 0 190
252
牧会コラム週報版 184 2024.5.5
mito | 2024.05.28 | Votes 0 | Views 227
mito 2024.05.28 0 227