コラム

コラム・ザ・ゴスペル041 2020.10.11

Author
mito
Date
2020-10-11 09:28
Views
2695
昭和の大名人の落語家、八代目桂文楽は、ある日の高座で、口演していた落語の登場人物の名前がどうしても出てこないで絶句し、そのまま客席に向かって深々と頭を下げ、「勉強し直してまいります」と言い残して高座を下り、以後、二度と高座に上がることがなかったといいます。私も人様の前で語らせていただく者として、文楽師匠のこのエピソードには背筋が正されます。

勉強し直す。私も、日曜日の講壇を下りるごとに、口には出しませんが、「勉強し直してまいります」と、心の中でみなさまに語りかけさせていただく思いでいます。語ったメッセージに満足していたのは、メッセージの何たるかもわからなかった、神学校卒業したての鼻たれ小僧の時代のことで、思い返しても赤面の至りです。今はそのような態度でいることなどできません。足りなかったところを思い返し、次のメッセージにつなげる勉強をしようと考えるのみです。

勉強とはいいことばです。仙台の東北学院大学で旧約学を講じておられた浅見定雄名誉教授は、ご自身のなさっていた研究のことを「勉強」と呼んでいらっしゃいました。その呼び方は学者というより、まるで小学生の宿題のようで、先生の謙遜さを思わされます。私も、「研究」などという取り澄ましたことばを用いてみなさまを煙に巻くことはせず、格好悪いと思われようとも「勉強」でいこうと思います。

私の場合は、日曜礼拝や「いのちの道コース」の準備、また、水曜祈祷会の聖書勉強とその準備、そして、牧会の一環としてのディボーションや聖書通読という形で「勉強」を行なっていますが、これらはいわば公的なものです。個人的な形でも「勉強」に打ち込まなければ、と、しみじみ思います。

そう考えますと、私は「教える」者である以前に、「勉強する」者なのでしょう。本も読まなければ……牧師先生方や信仰の先輩方に教えも請わなければ……そのためには、自分がいかに足りない者であるか、そのためにどれほど勉強しなければならない者であるか、日々自覚し、勉強に取り組むことが必要なのだと思います。
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