コラム

コラム・ザ・ゴスペル034 2020.8.23

Author
mito
Date
2020-08-23 07:40
Views
3006
エペソ人への手紙4章には、私たちが日常生活においてどのようなことに気をつけるべきか、その原則が書かれています。その中に、「怒っても、罪を犯してはなりません。憤ったままで日が暮れるようであってはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい」(26~27節)ということばが登場します。この箇所からわかることは、人の怒りというものは、悪魔に機会を与える端緒となるものである、ということです。

私たちが怒ることは避けられません。それは、人間が怒りの神の似姿に造られている以上、当然のことだからです。しかし人は、神の正義に沿って怒るのではないならば、その怒りはどこまでも自己中心です。「あなたがたは、欲しても自分のものにならないと、人殺しをします」(ヤコブ4:2)ということばがありますが、これは、自己中心の貪欲をいだく人が必ず殺人罪を犯す人間になるという意味ではなく(もしそうならこの世は殺人犯だらけです)、その人は心で人を呪うような、神の目から見れば殺人罪を犯しているに等しい罪人と見なされるということです(マタイ5:22)。

上掲のエペソ4:27のみことばのとおり、怒りを捨てないことは悪魔に機会を与えることです。私たちは怒るとき、いかにも怒る自分が正当であるかのように思うでしょう。その怒りは神の怒りに等しく、神さまはその怒りに同意していらっしゃるから堂々と怒ろう、などと思ったりするかもしれません。

しかし実際は、人は怒るならば神さまが見えなくなり、したがって神さまとの交わりを持つこともできなくなります。私たちクリスチャンが神さまとの交わりも持たず、神さまから離れて、悪魔の言いなりになって生きる……悪魔はそれをいちばん願っています。この策略を私たちは知らないわけではありません。

もし私たちが怒りやすいならば、私たちは怒りを手離すことを学ばなければなりません。私たちは何のせいで怒るのか、その怒りは果たして神さまの御目から見て正当なものか、よく吟味し、怒りではなく平安につねに満たされる私たちとなりますように、祈ってまいりましょう。
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