コラム

牧会コラム週報版 181 2024.4.14

Author
mito
Date
2024-05-28 11:50
Views
146

「わが祈り」

 私たちはクリスチャンであるならば、だれもが、自分がお祈りの生活をしなければならないことを知っています。しかし実際のところ、私たちはどれほどお祈りできているでしょうか? だいぶ前のこと、大和カルバリーチャペル牧師の大川従道先生の著書を読んでいたとき、「夜寝る前にお祈りしないクリスチャンはいませんが……」という内容のくだりにぶつかり、あわわ、どうしよう、となったことがありましたが(私はそういう習慣が身についていなかった)、わかっていても簡単にいかないのがお祈りというものではないでしょうか。

 それはイエスさまの十字架を前にして、イエスさまから祈るように命じられたにもかかわらず、悲しみと眠気に押しつぶされて、祈るどころか眠り込んでしまった、ペテロら弟子たちのことを見ても明らかです。そのとき、このふがいない姿をさらしてしまった弟子たちに、イエスさまは「心は燃えていても肉体は弱いのです」とおっしゃいました。私たちが「祈らなければ」と気合いを入れてもその祈りが続かないのは、私たちに祈れるだけの備えができていない、つまり、まだまだ御霊に逆らう肉の思いが勝っているゆえに、祈るという究極の御霊の働きにおいて最弱となってしまうからです。

 私は「祈る教会」の別名を持つ韓国教会に長年身を置きましたが、日本に帰国して10年にもなると、日本の霊性風土の中で育てられた祈り方に慣れるあまり、韓国教会でささげていたような、たましいを絞り出すがごとき祈りがしにくくなっている自分に気づかされます。ことに、妻が深夜になるとインターネット中継で参加する韓国の祈祷運動における会衆のあふれる情熱に触れるとき、強くそう思わされます。熱く祈るにはあまりに弱い肉体を制圧できる霊性を自分がつねに豊かに備えるのみならず、それを教会のみなさまと共有するにはどうしたらいいだろうか、と、かつて韓国教会で毎日のように50人からの会衆とともに大声で祈っていたわが身を思い起こし、ヘブル1212節にあるとおり、「弱った手と衰えた膝をまっすぐに」して、日々祈らなければと思う今日この頃です。

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