牧会コラム週報版 180 2024.4.7
「羊飼いになる人」
ヨハネの福音書21章は、主が十字架におかかりになるのを前にして3度も主を否定してしまった傷心のペテロを、イエスさまが立ち直らせてくださった記録です。そのとき、ペテロは「わたしの羊を飼いなさい」というおことばを聞いたとおり、人を牧する羊飼いとして立ち直らされたわけですが、その羊飼いとして生きるための条件は「あなたはわたしを愛しますか」とのイエスさまのお答えに、「私があなたを愛することはあなたがご存じです」とお答えしたとおり、イエスさまを愛することです。逆に言えば、イエスさまを愛する人は、主イエス・キリストのからだなる教会の聖徒たちをケアする「羊飼い」になれるように召されている、とも言えます。
羊飼いは別名牧者ともいいますが、牧者は「牧師」や「宣教師」といった特別な肩書を持つ人に限定されません。むろん、「牧師」がバプテスマや主の晩餐といった聖礼典を執り行い、祝祷をささげることを挙げると、狭義の「牧者」である教職者が教会の秩序をなす点で働きが独特ではありますが、教会教職の立場にはない一般信徒は牧者の働きができない、してはいけない、ということではありません。むしろ、だれであれ信徒のケアはすべきことです。
かつて私は「家の教会」について学んだことがありましたが、講師の原田和典先生(知立キリスト教会牧師)が「牧師はこれまで、信徒が担うべき牧会の働きを奪い、独占してきた」という意味のことをおっしゃったのを聞き、ショックを受けました。このおことばから教わることは、牧会は教職者という一部の教会員の専有物ではない、ということです。
私が当教会に赴任して以来繰り返し強調してきた「弟子訓練」ということの目標は、信徒がキリストの弟子として訓練され、キリストに似た者とされるということですが、人格や言動が変えられて成長することによって、私たちはお互いに対して霊的に関心を持ち、霊的なケアをしていきたいと願えるようになります。そこから信徒主体の牧会が実践され、教会は充実し、健康になっていきます。このようにイエスさまを愛するゆえに羊飼いとなっていく共同体として、教会は成長してまいりたいものです。
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牧会コラム201「ダビデとヨナタン7」武井俊孝
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