牧会コラム週報版 148 2023.8.6
イエスさまは、「弟子は師以上の者ではありません。しかし、だれでも十分に訓練を受ければ、自分の師のようにはなります。」とお語りになりましたが(ルカ6:40)、イエスさまの弟子たちがことごとく、こんにちで言うところの教職の役割を担う働き人となっていったように、現代の教会を形づくる私たちにとりましても、だれかを教え導けるだけの働き人になることが、弟子訓練の主要な目標になります。
私の信仰生活が始まったばかりのころを振り返ってみますと、私より数歳から一回りほど年上の、当時の若手の信徒たちは、バプテスマを受けて間もなく、多くが教会学校の教師に任命され、未就学児や小学生、中学生や高校生に聖書を教えていました。当時の教会が、教会学校の働きにおいて活況を呈していて、働き人を多く必要としていたという事情もあったわけですが、その働き人になるための訓練にはあまり自分の信仰経歴の浅さなどは考えず、みんな教師になることに積極的に挑戦していました。
あの頃の、若いなりに教師の働きを全うしていた彼らの姿を考えると、子どもや青少年を教えることができるならば、大人たちにも信仰上の指導ができないはずがないのではないでしょうか。もし、年齢的な若さを気にして、だれかに信仰上の指導ができないのではないかとためらうような方には、主はこのようにお語りになっています。「まだ若い、と言うな。わたしがあなたを遣わすすべてのところへ行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。」(エレミヤ書1:7)ですから、みことばを語って聖徒に対して信仰的な導きをする立場の人には、年齢や人生の経験は主要な条件にはなりません。主に召されているかどうか、その召命観が何よりも大事になります。
弟子訓練においては、その召命観が訓練生にあるかないかも大事な要素になりますが、同時に、訓練を通じて、訓練が進むにしたがって、その召命観がはっきりしていくとも言えます。主の弟子として整えられることは、働き人として整えられるという結果ももたらします。
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