牧会コラム週報版 138 2023.5.28
聖書本文を読んで、神さま(御父、御子、御霊)がどのようなお方であるかを発見したら、その次にすることは、そのみことばがどのような教訓を与えているかを発見することです。
言うまでもなく、私たちが日々聖書をお読みするのは、教訓をいただくためです。聖書とはどのような書物であるかということは、新約聖書・テモテへの手紙第二3章15節から17節に語られているとおりです。「聖書はあなたに知恵を与えて、キリスト・イエスに対する信仰による救いを受けさせることができます。聖書はすべて神の霊感によるもので、教えと戒めと矯正と義の訓練のために有益です。神の人がすべての良い働きにふさわしく、十分に整えられた者となるためです。」
この中で、「教えと戒めと矯正と義の訓練のため」とありますが、私たちが教えられ、戒められ、矯正され、義の訓練を受けるのは、神の人としてすべての良い働きにふさわしくなるうえで、十分に整えられた者となるためです。バプテスマを受けてクリスチャンと呼ばれるようになれば、それで自動的に、クリスチャンとしてふさわしく整えられるわけではありません。
何ごとも訓練が必要です。その、人生これ訓練の生きる指針を、私たちは毎日、みことばをお読みすることによって教えられます。何が罪なのか、何を避けるべきなのか、何を実践すべきなのか、どんな模範が聖書に登場しているのか、そういったことは聖書を読めば必ず発見できるものですが、その中でもひとつの教訓を取り上げ、掘り下げます。その聖書の事例は自分にとってどんな教訓となっているのか、黙想して、いただいた教えを書き留めるのです(ここでも、ディボーションのためのノートの存在が重要になってきます)。
注意すべきことは、聖書の内容に即さない教訓を導き出さないようにすることです。それは最初のうちは難しいかもしれません。最初のうちは先入観がそのまま教訓になってしまう可能性があります。しかし、場数を踏めば、その本文が語ろうとしていることが、必ずつかめるようになります。あきらめないで、毎日取り組んでまいりましょう。
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