コラム

牧会コラム週報版 122 2023.1.29

Author
mito
Date
2023-02-13 16:42
Views
565

 80年代前半、私が小学生の頃、「ネクラ」「ネアカ」ということばが流行しました。言うまでもなく、「ネクラ」とは、「性格の根底が暗い」ということであり、人に嫌われる要素となっていました。「ネアカ」はその逆で、性格が明るい人です。そういう人が好まれていました。いまはあまり「ネクラ」などという言い方はしないのでしょうが、暗い性格は避けられるということは、昔も今も変わらないはずです。

 なぜ、暗いのはいけなくて、避けられるのでしょうか? いろいろ理由は考えられますが、そのひとつとして、暗い人のその暗さは、周りの人の気持ちも暗くしてしまう、ということが挙げられると思います。その人のことを見ている自分も暗くなってはたまらない、そういう心理が働くのでしょう。

 暗い人は自分のことしか見えません。周りを暗くしてもどうしようもできません。ただし、そんな自分はいけない、と、自分でわかっているのだと思います。そんな暗い自分であることをやめたくてたまらないのだと思います。それでもその人は、どうしたら暗い自分に執着することをやめられるか、わからないでいます。

 そして、その暗さを自覚している方がクリスチャンの場合、おそらく、聖書を読んでみたりとか、祈ってみたりとか、それなりに信仰面での努力はしているはずです。それでもなかなか解決を体験できなくて、もどかしい思いをしているのではないでしょうか(あるいは、そのような信仰面の努力すらできないほど弱っているかもしれません)。こういう方に対し、それこそ今年の標語のように「主を仰ぎ見て輝こう」と言ったところで、「気休めはよしてください!」と返されるのが関の山のような気がします。

 そういう人が教会という共同体の中にいたとき、私たちはどうすればいいでしょうか? こういう人は暗いから、それを見ている自分も不快になるから、と、私たちはその人のことをさばくべきではありません。私たちにできることは、自分もキリストのみことばという光に照らされている者として、その方を光の中に引き込み、その暗さが明るさに変えられ、ともに輝くことではないでしょうか。そのために私たちは、その方のために祈り、励ましのことばを積極的にかけることです。そうすれば私たちはともに輝けますし、その方もその輝きで周りの人を輝かせることができるようになります。

 「私たち力のある者たちは、力のない人たちの弱さを担うべきであり、自分を喜ばせるべきではありません。」(ローマ人への手紙151節)

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