コラム

牧会コラム週報版 098 2022.7.31

Author
mito
Date
2022-08-20 17:53
Views
326
本日の聖書本文にある「赦されない罪である聖霊を冒瀆すること」(マルコ3:29)、このことについて悩んだりした方は多いと思います。自分は罪を犯したが、もしかしたらそれは、聖霊を冒瀆する罪ではなかっただろうか……もう自分は赦されることはないのではなかろうか……。

しかし私たちは、罪を犯したことに気づかされたときこそ、信仰を確かに持つ必要があります。ヨハネの手紙第一2章1節にはたしかに「私の子どもたち。私がこれらのことを書き送るのは、あなたがたが罪を犯さないようになるためです」とありますが、それにつづいて、「しかし、もしだれかが罪を犯したなら、私たちには、御父の前でとりなしてくださる方、義なるイエス・キリストがおられます」とあることも、私たちは忘れてはなりません。私たちのどんな罪も、イエスさまは赦してくださるのです。そして、もしイエスさまのことが心に浮かんでくるならば、私たちはどんな罪を犯したとしても、引き返すことができます。そうなれるかぎり、その罪は「聖霊を冒瀆する罪」すなわち「永遠に赦されない罪」ではありえません。

聖霊を冒瀆する罪を犯すような人は、イエスさまと交わること、主の御前に悔い改めることなど、ばかばかしくてとてもすることなど考えられないような人です。エルサレムのパリサイ人は、イエスさまに働かれる聖霊なるお方は悪霊だと断定し、自分自身がイエスさまによって救われる道を閉ざしたばかりか、イエスさまによって救われようとしていたガリラヤの群衆を惑わすことさえもしました。迷惑なことこの上ありません。

もっとも、人の罪が「聖霊を冒瀆する罪」かどうかを決めることは人間にはできません。それをお決めになり、おさばきになるのは神さまです。だから私たちは、聖霊を冒瀆する罪を最大限警戒することはしても、(自分自身も含め)だれかが聖霊をけがす罪を犯したなどと決めつけたり、いわんやそのことを口にしたりすることは、厳に慎むべきです。

また一方で、このように上から目線でイエスさまの働きを評価する集団だったエルサレムの宗教界に、のちの日のパウロが含まれていたことも忘れてはなりません。主は、人間的には手の施しようのないような不信仰な人たち、それこそ「聖霊を冒瀆している」ように見える人たちの中からさえ、たましいを救ってくださる全能なるお方です。
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