コラム

牧会コラム週報版 087 2022.5.15

Author
mito
Date
2022-06-06 15:30
Views
1124
私たちは過去の罪や痛みというものをいいかげんに扱っているために、それが今に至るまでも「苦い根」(ヘブル12:15)をたましいの中にはびこらせてしまい、苦しむことがないでしょうか?

たしかに私たちは、イエスさまの十字架を信じた瞬間から、すべての罪は赦されています。神さまはその罪を不問に付し、おさばきになりません。しかしその一方で、私たちの罪の記憶は、それがみこころにかなわないものである以上、折に触れて思い出されて、私たちのことを苦しめてはいないでしょうか? その失敗や傷があるという事実ゆえ、私たちは次の段階、踏み出すべき段階に踏み出せていないようなことはないでしょうか?

私たちがもし、告白きれていない罪のために苦しんでいるならば、主の御前に正直に告白し、その罪はすでに十字架によって赦されているという事実を受け取る必要があります。過去の傷に苦しんでいるならば、「(キリストの)その打ち傷のゆえに、あなた(がた)は癒された」(Ⅰペテロ2:24)というみことばの宣言を、苦しみが心に湧き上がるたびにしていく必要があります。

もちろん私たちは、過去の失敗から学ぶ必要はあります。ことばにせよ行いにせよ、そのような失敗を犯さないようになるためです。しかし、私たちの過去の失敗にことさらにこだわらせ、だからこそおまえはだめだ、おまえはまたこのような罪を犯す、というのは、サタンのことばです。私たちは絶対に惑わされてはいけません。過去の弱い私たち、罪を犯した私たちを十字架の血潮であがない、私たちを神の御前で完全に聖い存在としてくださったイエスさまは、その十字架で、私たちの未来さえもあがなってくださっています。

だからこそ私たちは、過去が未来の無限の可能性を果てしなく閉ざすような愚かなことをしてはならないのです。もし今の自分が疲れているなら、病んでいるなら、それは過去の自分から自由になっていないせいかもしれないと自問してみてください。そして祈りの中で、告白すべきこと、手離すべきことが示されたら、主の御前に正直になり、主のお取り扱いを受けてください。それによって私たちは癒され、未来に向かって進んでいく力が与えられます。願わくは私たちがみな癒され、力が与えられるために、日々の主との交わりがよりいっそう豊かなものとなりますように。
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