コラム

コラム・ザ・ゴスペル054 2021.1.3

Author
mito
Date
2021-01-03 13:02
Views
3949
本日も主の晩さんの時をともに持てますことを感謝いたします。

主の晩さん(聖餐式)に関して、諸教会は、昨今のご時世にかんがみ、昨年から難しい判断を迫られてきました。うちの教会も昨年は5か月にわたり主の晩さんを中止するという事態になり、教会における礼典というものの役割がどれほど大事か考えさせられる中で再開したわけで、主の晩さんに対するありがたみを改めて思わされたものでした。

昨年、主の晩さんに関して、諸教会では様々なアイディアが試されました。私の友人の牧師が牧会する東京・世田谷の教会は、一口サイズのぶどうゼリー(「こんにゃくゼリー」のような)と個包装のドーナツで行なったそうです。またほかの教会では、外国から輸入した、ほかの人の手のふれない個別パックの(「コーヒーフレッシュ」のような)ぶどう酒とウエハースのセットを用いたところもあったようです。

また、リモート礼拝の受信者にパンとぶどう汁を用意してもらい、画面の向こうの牧師の合図に合わせてそれらを口にするという試みもあったといいます。そうでもして主のみからだと血潮にあずかるべきだ、とか、いや、それを聖餐式(主の晩さん)と呼んではならない、とか、かんかんがくがくの議論がフェイスブックのようなSNSで繰り広げられたものでした。

しかし私たちは何よりも、このような様々な試みが行われたのは、それだけ、教会にとって主の晩さんの時を持つことは欠かしてはならないことだから、ということを、真剣に考える必要がありましょう。先週私は聖書を通読していて、主の食卓に関してユダヤ人たちが「見よ、なんと煩わしいことか」と不満を言う態度を預言者マラキが糾弾する場面を読み(マラキ書1章13節)、ドキッとしました。それはかつて高校生のとき、礼拝で月に1度持たれる聖餐式(主の晩さん)の時間をかったるいなどと思っていた、私の言いそうなことばでした。みなさまはよもやそのようなことはないと思いますが、主のみからだと血潮にあずかることがどれほどもったいないばかりの恵みかよく考え、主の晩さんを感謝してともに受けたいものです。
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