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牧会コラム週報版 172 2024.2.4
「聖書的な師弟関係」武井俊孝
先日、弟子に暴行などパワハラを働いて告訴された某落語家に対し、80万円の賠償金をその(元)弟子に支払うように命じる判決が下ったというニュースに接し、伝統芸能の世界も大きく変わったことを実感するとともに、聖書的な師弟関係はこの世のそれとどう異なるかをしばし考えました。
よく言われたことですが、むかし弟子とは「黒いカラスでも師匠が白と言えば白だ」という、理不尽を甘受することが強要されていた存在でした。ただ、以前ならば、師匠という存在は絶対と言えるに値するほど社会的地位が安定していて、弟子はその配下でおとなしくしていれば安泰ということが常識でしたが、今はもはや、そのような論理は通用しません。いかに弟子といえども、所詮不安定な師匠に生殺与奪の権を握られることはあってはならないのです。
聖書ならばどうでしょうか。パウロにも弟子がいました。そのことは「使徒の働き」に明記されていますし、テモテやテトス、またパウロがバルナバと決裂する以前のマルコなどは、パウロの弟子と呼んでいい存在でしょう。しかしパウロは、弟子である彼らに時に厳しく接しても、自分のことを神のごとく絶対視させはしませんでした。
これが、イエスさまとの師弟関係といちばん違う点です。イエスさまは弟子が、ご自身のことを「私の主、私の神」と呼ぶことを受け入れておられますが、言うまでもなく、イエスさま以外の「師匠」には、どんな弟子に対してもそんなことが許されてはなりません。牧師は肩書きに「師」とついていますが、そこを勘違いすると、信徒を私物化してしまいかねません。逆に、信徒はイエスさまと牧師を同一視するようなことをしてはなりません。牧師のリーダーシップはイエスさまと同一ではありえず(イエスさまのリーダーシップに学んではならないということではなく、むしろ学べることは積極的に学ぶべきですが、その上で)、そのリーダーとしてのモデルは、弟子たちに率先してイエスさまについていった、ペテロくらいでも充分すぎるでしょう。そのように師がへりくだることが、ゆがんだ師弟関係からくるパワハラを防ぐ道です。
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