コラム

新コラム・ザ・ゴスペル 2021年9月

Author
mito
Date
2021-08-29 11:57
Views
1771
「直接献身への召命とその後の導き」

1990年8月16日、それは4泊5日にわたる、松原湖バイブルキャンプ・高校生キャンプの最後の夜のことでした。アーサー・ホーランド宣教師のメッセージは最高の盛り上がりの中閉じられ、ゴスペルデュエット小坂忠・岩渕まことのギター演奏の中、アーサー宣教師は、キャンパーの高校生たちを前に呼び出すことばを語りはじめました。イエスさまを信じたいと思う人、洗礼を受けたい人、信仰を新たにしたい人を、順々に前に招きました。そしてアーサーは……献身を希望する人を前に招きました。アーサーの呼びかけが終わると、聴衆席からぞろぞろと高校生たちが前に出ていきました。

私はひたすらメッセージに感動していましたが、前に出ていくのはちょっと恥ずかしい……ましてや献身だなんて……そんな思いで前を見つめているうちに、突然ひらめくようにひとつの考えが頭の中を走りました。「前に行かなくちゃ!」気がつくと私は「献身を希望する人」の群れの中に立ち、大粒の涙を流しながら祈っていました。「主よ、私がここにおります! 私を用いてください!」

しかし、私は当時難関大学を目指して勉強を続けていたこともあり、いきなり高校卒業後の進路を神学校へと舵を切る勇気がどうしても出てきませんでした。それに、難関大学に合格することは、私のことを家業のあとつぎにする道の絶たれた父に対する証しのために必要なことでした。私は、まずは一般の大学で学んでから、それから神学校に行くことに決めました。

そうして私は大学に入学しました。専攻は朝鮮語、つまり韓国語です。それはいずれの日にか、日本の教会の益になるように、韓国教会から学ぶためという目的があってのことでした。

そんな私は学業と同時に、キャンパス・クルセード・フォー・クライストという宣教団体の木曜集会に定期的に出席するようになり、教会ではなかなか学べないこと、たとえば伝道のしかたや初信者のフォローアップのしかた、クリスチャンとしてのリーダーシップのありかたといったことを学びました。キャンパス・クルセードを通じて学べたことは数知れず、このように学べることを個々の教会形成に生かせたらどんなにかよいだろう、と考えるようになりました。そういうわけで私は、学生時代から、弟子訓練による教会形成を意識していました。

やがて私は、大学の専攻であった韓国語が最高に生きるかたちで、韓国の神学校で勉強するようになり、研修教会となったソウルの大きな教会で、文字どおりの弟子訓練による教会形成を体験するようになりました。私はこの韓国の教会にいつまでもとどまっていたい思いになりましたが、神学校在学中に、のちに牧師として招聘していただく条件で日本で所属する教会が決まっていたので、その教会の方針で、泣く泣くそのソウルの教会を離れることを余儀なくされました。

その日本の教会は弟子訓練による教会形成を標榜していて、当時そのような教会は日本にあまりなかったこともあり、多くの教会からモデル教会のように見られていたものでした。私もそのような教会において期待されて、神学校卒業後の働きを始めましたが、私はちゃんと働けたどころか、その共同体の生活の中であらゆる限界を見せつけられ、3年に及ぶ生活のすえに牧師にもなれずに絶望しきり、ほとんど脱走するように実家に帰りました。

しかし、そんな傷心の私を立ち上がらせてくださったのは、そのように欠けだらけであるにもかかわらず、働くチャンスをくださった方々でした。私は実家の近所の教会に所属しながらディボーション講座や青年会や日曜学校を手伝い、少しでも教会の益になればと労しました。とはいえ、その頃はもはや牧師となる夢をあきらめ、日本語学校の教師にでもなろうと専門学校に通っていました。一信徒として教会を支えようという思いでいたわけです。

しかし私はやがて、それではいけないという思いへと変えられ、神学校に推薦してくれた韓国人宣教師の門をたたき、ともに韓国人対象の開拓教会を東京の下町にて始めました。開拓教会であるうえに、宣教師も多忙な人だったので、私はサブとして、教会会計と礼拝の伴奏、聖歌隊指揮を除くほとんどのことに取り組みました。この経験は私のことを、牧会者として否が応でも成長させました。当時作成した礼拝メッセージの原稿は今読み返すとほんとうに下手で、赤面ものですが、信徒のみなさまはそのようなつたないメッセージにいつも「アーメン!」と元気に呼応してくださいました。

私はこの教会で6年半近く働き、かねてからの夢を追って、韓国で日本語礼拝の牧師の働きを始めました。それはとても楽しいもので、同時に、日本宣教を目指すいろいろな方々と知己を得たり、ラジオ番組のパーソナリティになったりしましたが、韓国滞在が2年になろうとする頃、妻とともに、そろそろ日本に行かなければと祈りはじめ、その結果お話をいただいたのが、ここ、水戸第一聖書バプテスト教会だったというわけです。そしてこの教会の働きはついに8年目となりました。

私は今も、自分には牧会する力がないと、限界を見せつけられ、落ち込むものです。実際、この地にやってきてからも、私は多くの失敗をしてまいりました。その失敗したという事実を私は時がたってもなお具体的に思い起こし、悩みます。しかしそんなとき、主は私に、傷心のペテロをイエスさまが立ち上がらせた、ティベリア湖の朝ごはんのシーンを思い起こさせてくださいます。あのとき、イエスさまが「わたしの羊を飼う」条件としてペテロに示されたことはただひとつ、「あなたはわたしを愛しますか」ということだけでした。複雑なコミュニケーションの技術や、深い聖書の理解力、メッセージの雄弁さといったことを、イエスさまはお求めになりません。お示しになる条件はただひとつ、「あなたはわたしを愛しますか」、これだけです。私はイエスさまを確かに愛しています。ゆえに、牧会の働きをつづけることができるのです。

しかし、イエスさまを本気で愛しているならば、イエスさまの似姿に変えていただきたいと本気で思い、必死に取り組んでしかるべきです。そうなると、語ることばを変えていただけるはずです。人間関係のうちに働く聖霊なる神さまのお導きに敏感になり、みこころにふさわしく人を導く人にしていただけるはずです。あの臆病にも閉じこもっていたペテロが雄弁に語る人となったように、語るべきことを大胆に語る人にしていただけるはずです。

みなさまは私のために、ほんとうによくお祈りしてくださっていると思います。ほんとうにありがとうございます。まことに牧会とは、教会全体、牧師と信徒の共同作業です。もしみなさまが、この水戸第一聖書バプテスト教会の牧師として、これからもこの者がお仕えすることがみこころにかなっていると思ってくださるならば、どうか、私がさらなる確信をもってこの教会を牧していくことができるように、神さまがその力と知恵を与えつづけてくださるように、引きつづき私のために祈っていただければ感謝です。
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