コラム

牧会コラム週報版 094 2022.7.3

Author
mito
Date
2022-07-09 19:37
Views
837
私の尊敬する岡野俊之先生・めぐみ先生ご夫妻(千葉県松戸にある聖書キリスト教会グレイスホーム牧師)は、つねにともに行動され、俊之先生のお名前で神学校やセミナーで講義をされるときも、必ず、めぐみ先生の出番があり、ご夫妻でともに講演をなさっています。そのように、つねにおふたりのお姿は私にとって、素晴らしい模範でありつづけています。

そんな私ですが、このたび妻が韓国に行き、実家のための祈りを含めた祈りに集中する時間を持つことについては、むしろ応援するつもりで送り出しました。妻としては、果たして私が娘ふたりの面倒を2週間にわたって見られるものなのかと、娘たちを韓国に連れて行く可能性を最後まで模索していましたが、私は、大丈夫だから任せて、と言い通し、結果、妻はひとりで韓国に行くことになりました。

私がこの決断をするにあたっては、ひとつのみことばが示されていました。それは第一コリント7章5節の、「ただし、祈りに専心するために合意の上でしばらく離れていて、再び一緒になるというのならかまいません」というみことばで、いつコロナ禍の締めつけによって韓国に自由に行けなくなるかもしれない中、束の間かもしれないチャンスを逃さず、病身の家族のもとを訪ねるとともに、長年、教会と家庭に仕えてきた身をリフレッシュさせるべく祈りに集中できるならば、こんなに素晴らしいことはないと考えました。もちろん、そのためには私の側でも犠牲が伴いますが、それは承知の上で、自分にとっては生活の訓練だとでも思って取り組んでまいりました。その生活もいよいよ明日で終わります。

この生活からは実にいろいろなことが教えられましたが、何といっても、別々に生活できるのは時が来ればまた会えるということがわかっているから、ということが、いちばん教えられたことではなかろうか、と思います。2週間という時間は長いようでいて、案外、苦にはならないものでした。私たちにとっての再臨待望も、これと同じではないでしょうか。私たちのもとを去っていかれたイエスさまと、またお会いできる。その期待があるからこそ、私たちはこの苦しみの伴うことの多い地上の生活に耐えられているのではないでしょうか。再臨信仰のない信仰生活など、これ以上味気ないものはありません。マラナタ(主よ来たりませ)と心から言いつつ、今日の歩みに力を得てまいりましょう。
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