コラム
牧会コラム月報版 2022年1月
Author
mito
Date
2022-02-28 08:44
Views
2772
「キリスト教会と『ビッグ・ネーム』」
20世紀以来愛唱されてきた聖歌に「キリストにはかえられません」(聖歌総合版539番)という曲があります。この曲の2番の歌詞に、「キリストにはかえられません 有名な人になることも」とあります。みなさまはこの聖歌を歌うときどんな思いになりますでしょうか? 私はこの歌を歌うとき、有名人になったり、有名人であったりすることが素晴らしい、と、ともすると思ってしまうような自分が戒められる思いになります。
実際のところ、私は長い間、少なくともキリスト教会において有名になることに、一定の価値を置いていたような人間でした。振り返ってみると、私が教会員なり客員なり奉仕教会なりの形で身を置かせていただいた教会は、その教会そのもの、ないしはその代表役員(牧師)が、その際立つ個性ゆえにキリスト教会において有名だったケースがとても多く、もしかすると私は、そういう「有名な」ものに価値を置いて、好んでそういう人のいる場所に行こうとしていたのではないだろうか、と思わされます。
私にとっての原体験、それは中学生のとき、私にバプテスマを授けてくださった牧師先生が、市民ホールで開催された聖歌のリサイタルで、聴衆席を埋めた大勢の婦人の信徒たちの前で朗々と歌い、憧れの的になっていた場に同席した、ということでした。その体験は、用いられるということ、神さまの祝福を受けるということは、このように信徒たちの羨望の的となることだと思い込ませるに充分でした。
そのような私はやがて教会生活が長くなっていくにつれ、大型の集会に出席することに価値を見いだすようになり(当時は90年代前半で、日本では数千人規模から数万人規模の超教派の大会がかなり頻繁に行われていました)、そのような派手な志向は韓国で神学生をするようになっても基本的に変わらず、多くの人を集めることが用いられることだという価値観を、長いこと保っていました。
転機が訪れたのは2000年代に入ってからで、その頃から日本の教会は、「ビッグ・ネーム」によって大集会を持つスタイルが流行しなくなりはじめていました。戦後日本を牽引してきた説教家たちが召されたり、表舞台には立たれなくなったりしました。私はそれと同時に、弟子訓練という信仰生活のありかたを追求するようにもなり、自分のそれまでのいわば「ビッグ・ネーム」に対する信仰のようなものを見直すようにもなりました。
1993年のリバイバル甲子園ミッションの翌日、東京で開かれたある集会で、ある牧師先生が指摘していたことです。甲子園球場の会場であるソロの賛美歌手が歌ったとき、やはり甲子園におられたその先生のことばを借りれば「会場の霊性が下がった」というのです。その理由としてその先生は、こうおっしゃっていました。「霊界に2人のスーパースターは必要ない。」おわかりでしょうか? イエスさまを差し置いてスターになることは、だれにもできない、たとえどんな「ビッグ・ネーム」であろうとも……ということです。
もし、私たち主のしもべ、主の弟子が、キリストを差し置いて「ビッグ・ネーム」になろうとしたならば、言うまでもなく、それだけで失格です。しかし一方で私たちは、キリスト教会の中に、自分の心のよりどころにしたがる「ビッグ・ネーム」を求めてはいないでしょうか? 「ビッグ・ネーム」が自分と同じクリスチャンであることに安心したり、誇りをいだいたりする。「ビッグ・ネーム」のつくる創作物を、ことさらにありがたがる。「ビッグ・ネーム」と近しい存在になれていることを喜んだりする。
きびしいことを並べ立てていますが、実はこれ、すべて私に当てはまることです。もともと劣等感の強かった私は、クリスチャンになったことで大いなる喜びを得るに至ったのですが、問題なのはその喜びの理由がイエスさまにあったというよりも、「こんな有名人が自分と同じクリスチャンだ」という他愛ない理由で喜んでいた、というのがほんとうのところでした。きわめて由々しいことでした。
誤解なきよう、「ビッグ・ネーム」はいけない、避けるべきである、と申し上げたいのではありません。主のお導きによって、キリスト教界内外において「ビッグ・ネーム」になる方はいますし、神さまはそういう立場にその方々を置かれることで、特別な働きを託されることもあります。
それなら、私たちクリスチャンにとって、そのような「ビッグ・ネーム」が必要な場合があるとすれば、それはどういう場合でしょうか? それは、彼らによって、自分と、自分の属する教会が、より深い神のとの交わりに導き入れられる場合です。しかし、そうでないならば、「ビッグ・ネーム」は偶像でしかありません。モーセは旗竿に青銅の蛇を掲げて出エジプトの民を癒しましたが、その青銅の蛇がいかに十字架のキリストの象徴、すなわちこの上ない主のみこころを象徴した、歴史的にとても意味のあるものであろうとも、偶像と化すならば、壊されなければなかったのと同じです(Ⅱ列18:4)。
「ビッグ・ネーム」にもしほかにも問題があるとすれば、その「ビッグ・ネーム」が特に、個性的な聖書解釈によって有名になっている場合です。もし、信徒が自分の所属する教会とそこで宣べられている教えに飽き足らず、「ビッグ・ネーム」に魅力を覚えてのめり込むならば、きわめて危険です。それは毎週の日曜礼拝、そして日々着実に持つべきディボーションと聖書通読を通じて聖霊なる神さまに示されることに対して、バイアスをかけることにすらなります。本来私たちは「何を語っているか」を吟味してみことばを学ぶべきなのに、「だれが語っているか」で思考停止して、その「ビッグ・ネーム」の語ることだから間違いない、と、吟味することをやめてしまうのです。
教会というものは信徒ひとりひとりの地道な努力によって立てていくべきもので、「ビッグ・ネーム」がひとり派手に頑張って群れを束ねていくことで成り立つものではありません。それでももし「ビッグ・ネーム」という存在が教会に必要な場合があるならば、教会がそのような地道な働きを倦むことなく続けていくための力が必要な場合です。「ビッグ・ネーム」の面白い働き、ひと味違ったメッセージをとおして教会生活がインパクトを体験し、前進する力を受けることも時には必要でしょう。しかし、ほんとうに教会にとって力となるのは、信徒ひとりひとりの力です。私たちは自分たちを小さな存在と思ってはなりません。教会形成においてほんとうに力を持つのは、「ビッグ・ネーム」ではなくて、私たちなのです。私たちが「ビッグ・ネーム」のお客さんであることに満足するところから、教会を形成する主体であるという自覚を持つように変わるならば、教会は確実に、名実ともに成長を遂げるはずです。
20世紀以来愛唱されてきた聖歌に「キリストにはかえられません」(聖歌総合版539番)という曲があります。この曲の2番の歌詞に、「キリストにはかえられません 有名な人になることも」とあります。みなさまはこの聖歌を歌うときどんな思いになりますでしょうか? 私はこの歌を歌うとき、有名人になったり、有名人であったりすることが素晴らしい、と、ともすると思ってしまうような自分が戒められる思いになります。
実際のところ、私は長い間、少なくともキリスト教会において有名になることに、一定の価値を置いていたような人間でした。振り返ってみると、私が教会員なり客員なり奉仕教会なりの形で身を置かせていただいた教会は、その教会そのもの、ないしはその代表役員(牧師)が、その際立つ個性ゆえにキリスト教会において有名だったケースがとても多く、もしかすると私は、そういう「有名な」ものに価値を置いて、好んでそういう人のいる場所に行こうとしていたのではないだろうか、と思わされます。
私にとっての原体験、それは中学生のとき、私にバプテスマを授けてくださった牧師先生が、市民ホールで開催された聖歌のリサイタルで、聴衆席を埋めた大勢の婦人の信徒たちの前で朗々と歌い、憧れの的になっていた場に同席した、ということでした。その体験は、用いられるということ、神さまの祝福を受けるということは、このように信徒たちの羨望の的となることだと思い込ませるに充分でした。
そのような私はやがて教会生活が長くなっていくにつれ、大型の集会に出席することに価値を見いだすようになり(当時は90年代前半で、日本では数千人規模から数万人規模の超教派の大会がかなり頻繁に行われていました)、そのような派手な志向は韓国で神学生をするようになっても基本的に変わらず、多くの人を集めることが用いられることだという価値観を、長いこと保っていました。
転機が訪れたのは2000年代に入ってからで、その頃から日本の教会は、「ビッグ・ネーム」によって大集会を持つスタイルが流行しなくなりはじめていました。戦後日本を牽引してきた説教家たちが召されたり、表舞台には立たれなくなったりしました。私はそれと同時に、弟子訓練という信仰生活のありかたを追求するようにもなり、自分のそれまでのいわば「ビッグ・ネーム」に対する信仰のようなものを見直すようにもなりました。
1993年のリバイバル甲子園ミッションの翌日、東京で開かれたある集会で、ある牧師先生が指摘していたことです。甲子園球場の会場であるソロの賛美歌手が歌ったとき、やはり甲子園におられたその先生のことばを借りれば「会場の霊性が下がった」というのです。その理由としてその先生は、こうおっしゃっていました。「霊界に2人のスーパースターは必要ない。」おわかりでしょうか? イエスさまを差し置いてスターになることは、だれにもできない、たとえどんな「ビッグ・ネーム」であろうとも……ということです。
もし、私たち主のしもべ、主の弟子が、キリストを差し置いて「ビッグ・ネーム」になろうとしたならば、言うまでもなく、それだけで失格です。しかし一方で私たちは、キリスト教会の中に、自分の心のよりどころにしたがる「ビッグ・ネーム」を求めてはいないでしょうか? 「ビッグ・ネーム」が自分と同じクリスチャンであることに安心したり、誇りをいだいたりする。「ビッグ・ネーム」のつくる創作物を、ことさらにありがたがる。「ビッグ・ネーム」と近しい存在になれていることを喜んだりする。
きびしいことを並べ立てていますが、実はこれ、すべて私に当てはまることです。もともと劣等感の強かった私は、クリスチャンになったことで大いなる喜びを得るに至ったのですが、問題なのはその喜びの理由がイエスさまにあったというよりも、「こんな有名人が自分と同じクリスチャンだ」という他愛ない理由で喜んでいた、というのがほんとうのところでした。きわめて由々しいことでした。
誤解なきよう、「ビッグ・ネーム」はいけない、避けるべきである、と申し上げたいのではありません。主のお導きによって、キリスト教界内外において「ビッグ・ネーム」になる方はいますし、神さまはそういう立場にその方々を置かれることで、特別な働きを託されることもあります。
それなら、私たちクリスチャンにとって、そのような「ビッグ・ネーム」が必要な場合があるとすれば、それはどういう場合でしょうか? それは、彼らによって、自分と、自分の属する教会が、より深い神のとの交わりに導き入れられる場合です。しかし、そうでないならば、「ビッグ・ネーム」は偶像でしかありません。モーセは旗竿に青銅の蛇を掲げて出エジプトの民を癒しましたが、その青銅の蛇がいかに十字架のキリストの象徴、すなわちこの上ない主のみこころを象徴した、歴史的にとても意味のあるものであろうとも、偶像と化すならば、壊されなければなかったのと同じです(Ⅱ列18:4)。
「ビッグ・ネーム」にもしほかにも問題があるとすれば、その「ビッグ・ネーム」が特に、個性的な聖書解釈によって有名になっている場合です。もし、信徒が自分の所属する教会とそこで宣べられている教えに飽き足らず、「ビッグ・ネーム」に魅力を覚えてのめり込むならば、きわめて危険です。それは毎週の日曜礼拝、そして日々着実に持つべきディボーションと聖書通読を通じて聖霊なる神さまに示されることに対して、バイアスをかけることにすらなります。本来私たちは「何を語っているか」を吟味してみことばを学ぶべきなのに、「だれが語っているか」で思考停止して、その「ビッグ・ネーム」の語ることだから間違いない、と、吟味することをやめてしまうのです。
教会というものは信徒ひとりひとりの地道な努力によって立てていくべきもので、「ビッグ・ネーム」がひとり派手に頑張って群れを束ねていくことで成り立つものではありません。それでももし「ビッグ・ネーム」という存在が教会に必要な場合があるならば、教会がそのような地道な働きを倦むことなく続けていくための力が必要な場合です。「ビッグ・ネーム」の面白い働き、ひと味違ったメッセージをとおして教会生活がインパクトを体験し、前進する力を受けることも時には必要でしょう。しかし、ほんとうに教会にとって力となるのは、信徒ひとりひとりの力です。私たちは自分たちを小さな存在と思ってはなりません。教会形成においてほんとうに力を持つのは、「ビッグ・ネーム」ではなくて、私たちなのです。私たちが「ビッグ・ネーム」のお客さんであることに満足するところから、教会を形成する主体であるという自覚を持つように変わるならば、教会は確実に、名実ともに成長を遂げるはずです。
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牧会コラム週報版 074 2022.1.9
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牧会コラム月報版 2022年1月
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